表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リストラされたので底辺ダンジョンでひっそり配信してたら、なぜか世界中にバレた  作者: 凪乃


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

リストラおっさん、底辺ダンジョンを押し付けられる

 朝七時のアラームを三回止めて、三回目の沈黙のあとにようやく布団を蹴った。四月の朝の空気はまだ冷たくて、フローリングが足の裏に突き刺さる。


 築三十年のワンルーム。天井に見慣れたシミがある。引っ越してきた日からずっとここにいる、古い知り合いみたいなやつだ。


 顔を洗う。タオルがごわごわしている。柔軟剤を切らしていた。冷蔵庫を開けると、卵が二個と納豆が一パック。牛乳は賞味期限が昨日。鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「……まあ、いけるだろ」


 篠塚遥一。四十二歳。独身。住所は杉並区のワンルーム。


 今日でダンジョン探索大手スフィア・コーポレーション勤続二十年と三ヶ月——の、はずだった。


 玄関の靴箱の上に封筒がある。一昨日届いた退職通知書。探索部門の統廃合に伴う人員整理。要するに、リストラだ。二十年やって、封筒一枚。まあ、しょうがない。会社だってボランティアじゃないし、俺だって別にあの会社を恨んでるわけでもない。ただ、なんというか——二十年か。長かったな、とは思う。


 インスタントコーヒーを淹れた。安い粉。マグカップは取っ手が欠けている。ドリップなんて面倒なことは十年前にやめた。苦い。砂糖を入れたいが、砂糖もない。


 スマホに通知。元上司の高梨部長。


『最終出社日の件。十時に本社ロビーで。引き継ぎの話がある』


 了解、とだけ返して、コーヒーを飲み干した。


     *


 スフィア・コーポレーション本社ビル。新宿の高層ビルの四十二階。エレベーターの中が妙に静かだった。平日の朝なのに、誰ともすれ違わない。もう俺の居場所はここにはないのかもしれない——とか思うほど感傷的にはなれなくて、ただ、ロビーのソファに座って高梨を待った。


 革のソファが尻に冷たい。空調が効きすぎている。


 五分ほどで高梨が来た。五十代半ば。探索部門の統括だった男で、この二十年間の直属上司だ。顔色が悪い。この人も楽じゃないんだろう。


「篠塚、すまんな」


「お疲れさまです。座りますか」


「いや、手短に済ませる」


 高梨が茶封筒を差し出した。退職金の書類かと思ったが、薄い。指で触っても、紙が一枚しか入っていない。


「退職金の件だが……正直、厳しい。探索部門の統廃合で予算が——」


「足りない」


「ああ」


 知ってた。同期の連中がSNSのグループチャットで愚痴っていた。退職金は雀の涙だと。


「その代わり、と言うのも変な話だが」


 高梨が封筒から取り出したのは、ダンジョン管理局のロゴが入った書類だった。青いインクの公印。


「個人探索権の譲渡書だ。ダンジョンC-087。都内のB級」


「B級」


「ああ。うちが保有してたが、統廃合で手放すことになった。篠塚、お前に渡す」


 B級ダンジョン。AからSSSまであるダンジョンランクの中で、下から二番目。「素人には危険だが、プロには物足りない」。そういう場所だ。探索報酬も微々たるもので、大手企業がわざわざ保有するような物件じゃない。うちの若手が研修で使ってたくらいの、そういうダンジョンだ。


 それを退職金代わりに寄越す、と。


「……つまり、押し付けですか」


「そう取られても仕方がない。だが、個人探索権は法的には資産だ。配信でもすれば多少の収入にはなる」


 配信ね。最近流行りのダンジョン配信ってやつか。探索者がヘルメットにカメラをつけて、攻略の様子をライブで流す。人気がある配信者は月に数百万稼ぐらしいが——四十二歳のおっさんが今さら始めて、誰が見るんだっていう話だ。


「まあ、ありがとうございます」


「……すまんな、篠塚」


 高梨の声のトーンが変わった。低く、少しかすれた。何か言いたそうな顔をしていた。俺の成績のこととか、本当は部門に残したかったとか、そういうことかもしれない。分からないけど。


 俺は立ち上がった。


「二十年、お世話になりました」


 それ以上は、お互いに言わないほうがいい。言ったら、たぶん面倒なことになる。


     *


 帰り道にコンビニで弁当を買った。のり弁。四百八十円。海苔が少し湿気ていて、白飯にぺたっと張りついている。アパートの狭い台所でレンジにかけて、立ったまま食べた。ちくわの天ぷらが妙にうまかった。


 食べ終わって、譲渡書をもう一度テーブルに広げた。


 ダンジョンC-087。所在地は杉並区の住宅街の外れ。B級。登録探索者数ゼロ。最終探索記録は三年前。


 三年間、誰も入っていないダンジョン。


「……配信、か」


 スマホで配信アプリをダウンロードした。アカウント登録。名前の欄で手が止まる。しばらく考えて「おっさん探索者」と打った。プロフィール画像は面倒だから猫のフリーアイコン。自己紹介欄は空白。


 明日、行ってみるか。飯代くらいは稼がないと。


     *


 翌朝。六時半に目が覚めた。昨日より一回少なくアラームを止めた。


 C-087の入口は、住宅街の路地裏にあった。ブロック塀と生垣に挟まれた狭い道の突き当たりに、古びたコンクリートの建物がある。外壁には苔がびっしりついていて、排水管が錆びている。入口ゲートの上に看板があった。


「ダンジョンC-087 管理:スフィア・コーポレーション」


 ただし、「スフィア・コーポレーション」の部分にガムテープが雑に貼ってあって、その上にマジックで「篠塚遥一」と手書きしてある。字が下手だ。誰が書いたんだこれ。


 管理室のカードリーダーに個人探索権のカードを通す。赤いランプが緑に変わって、ゲートがギギ、と軋みながら開いた。油切れだな。


 ヘルメットにカメラを装着する。ネットで三千円で買ったウェアラブルカメラ。画質は期待するな。配信アプリを起動する。


『配信を開始しますか?』


「……よし」


 親指でボタンを押した。


 視聴者数:0。


「えー……おっさん探索者です。今日からB級ダンジョンC-087のソロ配信をやります。見てる人はいないと思いますが、まあ、よろしくどうぞ」


 視聴者数:0。


 まあ、そうだろうな。


 腰の鞘から剣を抜いた。スフィアにいた頃の社用品の使い回しだ。刃は研いである。握ると手に馴染む。二十年握ってきた感触が、手のひらの皺に染み込んでいるような——いや、別にそんなポエムみたいなことは考えてない。ただの道具だ。


 ダンジョンに入った。


     *


 中は予想通り地味だった。


 石造りの通路。天井から垂れ下がった苔。魔力灯の薄暗い青白い光が、壁の凹凸に影を落としている。空気はひんやりしていて、わずかに湿っぽい。カビの匂い。それから、もっと奥のほうから——鉄と土が混じったような、ダンジョン特有の匂いが流れてくる。


 二十年潜ってきた人間にとっては、通勤路みたいなものだ。この匂いで体が勝手にスイッチを入れる。肩の力が抜けて、足の運びが変わる。


 一階層。通路の奥から、ぺたぺたという足音が近づいてくる。ゴブリンが三体。錆びた短剣を持って、キイキイ鳴きながら走ってきた。


「おう」


 右手が動いた。


 振り抜いた剣が空気を切って、三体の首が同時に落ちた。断面から緑色の光が散って、塵になる。ほとんど手応えがなかった。蝋燭の炎を指で摘まむような——そんな感触。


「……今日のゴブリンは脆いな」


 足元に報酬結晶が三つ転がっている。小粒。五百円にもならないだろう。拾ってポーチに入れた。


 視聴者数が動いた。0から1。


『コメント:え、今の何? 一振りで三体??』


「ああ、B級のゴブリンだからな。こんなもんだろ」


 二階層。スケルトンが五体。骨の剣を構えて突っ込んでくる。横薙ぎに二体、返す刀で二体、最後の一体は踏み込みで突いた。全部合わせて、息を三回吐く間に終わった。


 三階層。大型のオーク。こいつは少しだけ硬い。斧を振り下ろしてくるのを半歩横にずれて避けて、がら空きの脇腹を突いた。手首にわずかな衝撃。まあ、この程度だ。


 四階層。ワイバーンの幼体。翼が邪魔だったので、翼膜を裂いてから首を落とした。体が勝手にやった。考えるより先に、手が最適な場所を知っている。二十年ってのは、そういうことだ。


 肩が軽い。体が温まってきた。久しぶりにダンジョンの空気を吸って、体の奥のほうが喜んでいるような気がする。気のせいだろうけど。


 五階層目。このダンジョンの公式最下層だ。


 ボスの間。広い空間の中央に、巨大なミノタウロスが立っていた。体長四メートル。茶色い体毛。手には人の胴体より太い大斧。鼻息がここまで聞こえる。


「よっと」


 ミノタウロスが咆哮した。空気が震える。大斧を振りかぶって、


 ——振り下ろすより先に、懐に入った。


 四メートルの巨体の腹の下を駆け抜ける。牛脂の匂いが鼻をかすめた。背中側に回り込んで、腰と背中の継ぎ目——鎧の隙間と同じで、ここが一番柔らかい——に剣を突き立てた。


 手応え。柔らかい。


 ミノタウロスの動きが止まった。膝が折れて、四メートルの巨体がゆっくりと崩れていく。地面に倒れる前に塵になった。黒い粒子が舞い上がって、薄い光に溶けていく。


「おつかれさん」


 視聴者数:2。


『コメント:は????????????』

『コメント:B級ボスを一突き???? 何が起きた???? このおっさん何者?????????』


「え? B級のボスってこんなもんだろ。——さて、報酬を回収して帰る……か……」


 言葉が途切れた。


 ボスの間の最奥。本来なら石壁があるだけの場所に——亀裂が走っていた。


 いや、亀裂じゃない。


 人ひとりが通れるくらいの幅の、暗い通路が、壁の向こうに続いている。通路の壁は五階層までの石材とまったく違う、滑らかな黒い石でできていて、見たことのない紋様が刻まれていた。


「……あれ」


 腰のポーチからダンジョン管理局発行の公式マップを取り出した。折りたたんだ紙を広げる。C-087の断面図。一階層から五階層まで。ボスの間が最奥。その先は——ない。壁だ。地図に載っていない。


 だが、通路はある。


 空気が変わった。五階層までの空気は生温かくて、吸っても物足りない薄さがあった。だがこの通路の奥から流れてくるのは——冷たい。肺の奥にまで染みるような冷たさ。そして重い。密度がある。ずっしりと体にまとわりつくような、息をするだけで体力を使う類の空気だ。


 B級ダンジョンの空気じゃない。


 腕の産毛が逆立っている。これは——知ってる。この感覚。スフィアにいた頃、Sランクの応援で何度か感じた。高濃度の魔力が充満した空間に入ったときの、肌がぴりつく感覚だ。


「……なんだこれ。地図だと、ここで行き止まりのはずだけど」


 視聴者数が跳ねた。


 2。12。47。135。300——


 スマホの画面の数字が、見ている間にどんどん上がっていく。


『コメント:おいおいおいおいおい』

『コメント:は?? 地図にない階層ってマジ??』

『コメント:このおっさん大丈夫か?? 引き返せ!!』

『コメント:管理局に通報しろって!!!!!!!!!』

『コメント:いや待て、このおっさんさっきB級ボス一突きで倒したぞ 何者だよ』

『コメント:未発見の深層……B級扱いのダンジョンに……嘘だろ……?』

『コメント:これリアルタイムで見れてる俺ら勝ち組じゃね???』


「……あー。とりあえず、入ってみるか。飯の前には帰りたいけど」


『コメント:飯!!!!!!!!!wwwwwwwwww』


 通路に足を踏み入れた。黒い石の床が靴底に硬い。冷たい空気が頬を撫でる。ヘッドライトの光が通路の奥に吸い込まれていく。十メートル先から、もう光が返ってこない。


 視聴者数:812。


 奥から流れてくる冷気に、鉄錆に似た匂いが混じっている。ダンジョンの核に近い匂いだ。B級の、こんな浅い場所で嗅ぐ匂いじゃない。


 足を進めた。靴音が通路に反響する。自分の呼吸が聞こえる。心拍が、わずかに上がっていた。


 ——俺はまだ気づいていなかった。


 この配信が、翌日には再生回数十二万回を超えることも。掲示板が燃え上がることも。元いた会社の人間が、画面の向こうで顔色を変えることも。


 俺はただ、通路の先に何があるのか知りたかった。二十年ダンジョンに潜ってきた体が、この空気を覚えていた。この奥に、何かがある。


 腹が減る前に帰れればいいな、と思いながら、暗い通路の先へ歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ