51話 時代ごとの物語のアップデート~『君の膵臓をたべたい』
今日ヒューマンドラマに引っ越してきました。
エッセイのようで、新人作家→連載作家の変化を理系の目線で書いています。
今日は『世界の中心で、愛をさけぶ』→『君の膵臓をたべたい』の変化はあるの?です。
初期で話したかもしれませんが、
世の中の物語は、だいたいいくつかの組み合わせでできているそうです。
それを時々、破壊する『文学』とよばれる作品が生まれ、やがてまた収束していく——。
音楽も同じで、いわゆる「カノンコード」は日本人にとても好まれるようです。
ギターでも、
Am、C、Dm、Em、F、G
このあたりのコードを覚えると、それっぽい曲がすぐ作れて楽しかった記憶があります。
Fコードだけが壁だった、指の短い相馬ゆうです。
耳なじみのある音楽に、突然不協和音が入ると、妙に印象に残ることがあります。
Gm7とか、そういうやつです。
今回紹介する『君の膵臓をたべたい』は、
まさに「最後に不協和音が鳴る文学」だと感じました。
ラノベ由来の読みやすさの中で、それがとても素直に伝わってくる。
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あらすじは——
母校に赴任した教師が、図書館という場所で、
かつての「死」にまつわる純愛の記憶を、同じ場所でたどっていく。
そして、その「死」の結末とは。
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……なんだかデジャヴですね。
「大人、俺が言ってはいけないこと言っちゃうけど♪」
——『世界の中心で、愛をさけぶ』と、同じプロットじゃないか。
でも、これはむしろ肯定的に捉えるべきだと思います。
物語の普遍性は、何千年前から変わっていない。
構成も、ほとんどは使い古された型の組み合わせです。
しかも、これはラノベを原作とした作品。
ならば、二つを重ねてみることで、
時代がどのようにアップデートされたのかが見えてくるのではないか。
そう考えて、少し深めてみます。
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まずラスト。
『世界の中心で、愛をさけぶ』は、
「予定されている死」です。
だから物語は、
「あのとき、こうしていれば」という後悔、
答えの出せない余白へと侵入してくる。
人の心の中にある、不可逆な時間の感覚そのものに触れてくる。
一方で『君の膵臓をたべたい』は、
同じく予定された終わりを持ちながら——
そこに「不確実な要素」を入れてくる。
不確実性によって、
日常が偶然に支配されていること、
計画外の出来事が答えを奪っていく感覚。
その結果、
「余白」に、さらに深く踏み込んでくる。
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これは、かなり大きな違いだと思います。
つまり、
時代が抱える「不確実さ」そのものがアップデートされている。
過去① → 過去② → 未来、
ある程度は予測できていた流れが、
・不確実性がさらに膨らみ
・他者との距離が曖昧になり
社会構造そのものが変わってきている。
転生ものの成熟、
悪役令嬢もの、
「ざまぁ」に象徴される感情の扱い——
こうした文学トレンドも、その延長線上にあるのかもしれません。
このあたりの厳密な分析は、社会学者に任せます。
ただ、
2000年代、2010年代、そして今。
何が本質的に変わってきたのか。
何が求められているのか。
それぞれが、何となく感じていることはあるはずです。
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私は、短編集をまとめる際、
「余白を大切にしたい」というテーマを掲げて、とりあえず書き上げました。
一話の冒頭が、五話のラストにつながる。
そんな構造とアイデアを考えたのです。
でも、人間は、
明らかなラストでさえ、余白を埋めようとする。
そして時代は変わり、
物語は、いつの間にか社会そのものを語り始める。
……自分でも、少し分からなくなってきました。
今、新しく七話目を書くべきかどうか。
正直、かなり迷っています。
葛藤ばかりの相馬ゆうです。
次回は、
「同じ雛型が、時代によってどう踏襲され、どう変形されるのか」
という話に、もう少し踏み込みたい。
文学以外の領域——
たとえばスポーツなんかも、
意外と分かりやすい例かもしれません。テニスとか??
あと、幕間もかきたい!
それでは、また。
皆さんはこれからどんな作風が伸びると思いますか?
新年は『歴史』と私は予想しましたが、時々ブレブレになります。
ヒューマンドラマですね~
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