五話 小説のイマジナリーライン(前編)
12月、なろうで小説を始めました。新人作家のチラシの裏です。
小説は未経験のまま、構造から入ってみた記録です。
はじめに断っておきます。
イマジナリーラインは、もともと映像/映画の用語です。
小説だと「視点」「話者」あたりが近いですよね。
でも作家って、脳内映像を言語化している生き物なので、私はこの言い方がしっくりきます。
なので「小説のイマジナリーライン」は私の造語です。
では、そもそも映像でいうイマジナリーラインって何でしょうか?
たとえば映画で、向かい合っている男女がいます。
まず男性側のバックショット。次に反転して女性側のバックショット。
このとき背景の車の流れまで同じ向きに見えたりすると、観客は一瞬「ん?」となります。
同じ線を挟んで撮ると、人物の向きや空間の左右が揃う。
それを越えると、世界が反転したみたいに見える——というやつです。
もちろん、意図的にこれを破壊する作品もあります。
少女マンガなんかは、顔の向きと背景が多少ズレても、内面に没入しているぶんノイズになりにくい。むしろ内面と外面の曖昧さが、めまいのように演出されてたりもする。
でも映画だと、さっき夕焼けだったのに次のシーンが昼間……みたいなズレは、違和感として刺さりやすいですよね。
「180度ルール」とかもありますが、ここではざっくり“ラインを跨ぐと空間が反転して見える”くらいでOKです。
これって、小説でも陥りがちなんですよね。
私の言う「小説のイマジナリーライン」は、読者の頭の中のカメラ位置(誰の目で、どこから見ているか)を固定する意識です。
私も『ゲームチェンジャー』の1話で(今は修正しましたが)
アカネは言った。
「・・・・・・・」
空真は答えた。
「・・・・・・・」
——みたいに、親切のつもりでやってました。
でもテンポが悪いだけじゃなく、カメラが切り替わる。
読者の脳内にストレスがかかるな……と思って修正。
最近は短編を作って、その悪いクセを矯正中です。
正直、文章力に自信がなくて、親切のつもりでカメラを振り回してました(反省)。
“親切の押し付け”を自覚的にやっていたことを自白します。
そして逆に、私とは別の熱量で没入して命を燃やして書いている作者さんほど、
「分かっているからこそ」陥りやすい部分もあるんじゃないか?と短編を書いて感じました。
(※短編の話は今後掘り下げます)
どこから見ているのか?
どの視点なのか?
いま誰の目で話しているのか?
無意識に忘れがちですが、それをコントロールできれば、かなり効くはず。そう思っています。
なので次回は実践編。
カメラ位置を少し変えるだけで、同じ会話でもイメージがぜんぜん変わる!
拙い実践になりますが、ご期待を。
全年齢対象の内容ですが、ちょっとオタ向けの比較になります。。
今夜22時すぎにアップします。
ちなみに、メイン作品は
『ゲームチェンジャー』
です。
作者プロフィールからよろしければ読んでください。一話完結短編好きはep16がおすすめです。




