46話 文学は科学だ!~個性と再現性が両立する説~
今回は、一件、個性がないようなテンプレの代表。『学術論文』の個性、『小説』の個性に関して考察します。
このあとの回で、『チ。-地球の運動について-』の考察をするのですが、その前に。2つ前の話の続きを。
論文の作法の話と、「小説の作法はどこまで大切なのか」という話をしました。
『チ。』の大きなテーマのひとつが「世間圧力 VS 真理の追求」だと思うのですが、それは後ほど。
先日紹介した学術論文の基本構成は、IMRaDです。
Introduction:緒言・背景・目的
Methods:方法・材料・実験手順
Results:結果
and
Discussion:考察
そして結論(結語)
研究媒体によって細部の“お作法”は多少違いますが、骨格はだいたいこの流れで動きません。
じゃあ、論文って「小説みたいな個性」は排除されるのか——というと、全く逆なんです。
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学術論文は複数の専門家(査読者)の審査を受けて、掲載されるかが決まります。
その際、誰が書いたかの情報は、忖度を排するために伏せられることが多い。
つまり、場合によっては、自分の大先輩や恩師が、知らない間に査読を担当していることすらあります。
でも、決まったフォーマットだからこそ、個性ってめちゃくちゃ出る——と、個人的には感じます。
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フォーマットが同じだから、文節が際立つ。論理の運びも際立つ。
私は短い文節で書きたい癖があります。英語文法でいうと SVO 的なやつ。
でも、やたら SVOO とか SVOC で組み立てる手癖の人もいる。
さらに論理展開も、人によって大きく違う。
・論理を積み上げて「やりたいこと」を見せる人
・大枠を先に置いて、証明したい点へ絞っていく人
これって、めちゃくちゃ個性です。
昔、「自分の文章を村上春樹風に変える」みたいな遊びが流行ったことがあります。
でもこれって、文章の癖や構成って再現性があるという科学的な遊びだとおもいませんか?
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文体や構成に個性がある、という点では、小説も学術論文も案外似ているのかもしれません。
だから、「学術論文より小説の方が個性的だ」とか、「小説より学術論文の方がオリジナリティを明確にしている」とか、どちらも一種のレッテルだと感じます。
違いがあるとしたら、単純に『枠組み』の問題。
枠組みがあるからこそ、構造の中で個性が引き立つ——というのが、私の視点です。
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次回は『チ。-地球の運動について-』。
その次の回くらいに、終わりから始まる「文学」について書きます。
(「世界の中心で、愛をさけぶ」「君の膵臓を食べたい」を予定。)
話がそれてばかりの相馬ゆうでした。
私が小説を読むようになって感じたのは、一件テンプレに見えるような、「転生」や「ざまぁ」にも作家様の個性がちゃんと入ってるなってことです。
勝手にレッテル張りをしてた部分も多いかと。
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