15話 テンプレになるまで~兄とのディール~
12月、なろうで小説を始めました。新人作家のチラシの裏です。
小説は未経験のまま、構造から入ってみた記録です。
全年齢に向けて書いてますが、下品な表現が苦手な方はブラウザバック願います。内容は文学がテンプレになる一例から考察します。
私には年上の兄がいます。
映画が好きで、たぶん「好きの種類」が私と少し違う。
私はどちらかというと、小説よりもアニメ・映画・ドラマを「見て」「考えて」「ほどく」ほうに引っ張られます。つまり考察系です。
兄はそこを知っていて、たまに作品を投げてくる。
「これ見て。あとで話そう」
みたいな、軽い挑戦状みたいに。
悔しい。基本、その選抜は外れがないんです。
だから受け取ってしまう。
(奥さんに投げたらいいのに、と思うこともある。家族って、距離が近いぶん面倒だ。)
そんなある日、兄から少しよそよそしい文面が届きました。
「大変すまないけど、これ見て批評してほしい」
リンクがひとつ。
開いた瞬間、目を疑いました。
――これは、成人向けだ。
一瞬ためらって、それでも、今回の“信用貯金”というコインでディールを仕掛けてきた。と思いました。
四百円。小さくない。
兄はこの一本に、わざわざ課金させてまで、何かを見せたいのだろう。
あらすじは、こうです。
地元から上京し、一流大学に入った主人公がいる。そして大企業に就職、美しい妻と都会で結婚。
ある日、田舎で絶対的な存在だった竹丸先輩と、その舎弟に出会う。
しかも場所は、主人公の新築の家の前。新婚の妻もいる。
竹丸先輩は言う。
「家、行きたい」
主人公は渋々、通してしまう。
そこから空気が反転する。
二人は豹変し、主人公は拘束され、妻は――。
その出来事が繰り返されるうちに、妻は竹丸先輩を選ぶようになる。
……書くと短いのに、見ていると妙に逃げ場がない。
しかも、ただの過激さだけで終わらない。
私は見終わったあとに思いました。
兄の悪趣味を責めるより先に、これは分解できる、と。
この作品は、いくつかのレイヤーに分かれています。
・いまの主人公:努力して“現在の地位”を獲得した、現実の表層
・かつての主人公:地方の理不尽なルールに縛られていた過去(見ないふりをしていた記憶)
・竹丸先輩:過去そのものの擬人化。絶対者。説明不要の“ルール”
・そして:抗えない人のサガ。残酷な結論
さらに言うなら、
それを「目撃している私」がいます。
俯瞰的なカメラワークがそうさせるのか、何層にも絡まった魂がかさなり——粘度を帯びて、はじける……濡れるッ!(『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』より)
(いや、こんなことを真顔で書いている時点で、私もだいぶ飲まれています。しかし凄い引力。感性のブラックホール。)
これは、好き嫌いを脇に置いても、構造としては強いと思いませんか?
まさに上等の純文学。そう純文学だ!
「こういうものを、こういう手つきで作れるんだ」という“発見”が残りました。
私は兄に伝えました。
これは、変な意味じゃなく、作りが“うまい”。
すると兄は、少しだけ残念そうに言うんです。
「実は竹丸先輩、シリーズ化されてるんだよね」
作品が変わっても、顔を替えて、竹丸先輩の輪郭だけが残る。
量産できる“型”としてです。
そこで、妙に腑に落ちてしまいました。
世の中には新しい発見に満ちあふれてます。。
でも発見はすぐに消費されて、型になっていきます。
そして量産される。
その速度も含めて、今っぽい。
……いや、ちがう。
いつの時代だって、そうなんです。
そして今だって、そうなんです。
子どものころ読んだ新美南吉の『おじいさんのランプ』を思い出しました。
ひとつの光は、いつか当たり前になり、次の光に押し流される。
発見が“型”へと変わる、その静かな残酷さまで含めて。
……という話でした。
相馬ゆうでした。
次回は、それでもテンプレは最高というお話をします。
皆さんは作品選びは特化型ですか?
それとも食わず嫌いしないで読む感じですか?
私は数字で設定作り込まれているのは食わず嫌いです。あと、ゴブリンとかスライムとかどっちが強いかよくわからない。。
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