14話 短編ってけずられる。。でもやめらんねーよ。
12月、なろうで小説を始めました。新人作家のチラシの裏です。
小説は未経験のまま、構造から入ってみた記録です。
私の大大好きなアニメに『歌劇少女!!』があります。少女歌劇団の養成学校に通う女の子たちの群像劇です。
その授業の一コマ、ほんの数秒のシーンに、
「スタニスラフスキー・システムとアクターズスクール」
という板書が映るんですよ。
ディテールフェチの私は、当然ググります。
いまの演技論の基礎になった話。昔は、演出家の意図に対して“マネキンとして正しく答える”のが役者の役割だった。
でも、登場人物そのものになりきって演じる「メソッド演技」が、舞台から映画へと媒体が拡張する中で本格化していく。
つまり「カメレオン演技」「なりきり演技」みたいなものです。
これ、めちゃくちゃハードなんですよね。
痛みを抱えたキャラを演じる役者は、痛みを受け止める。
トラウマを抱えたキャラを演じる役者は、自分の中でトラウマに近いものを再現してしまう。
“演技”なのに、身体と心が先に反応する。
作家も似てる気がします。
短編の場合は、時間のコストは少なくて済む。
でも、登場人物になりきって「自分ならどうするか」を再現するぶん、精神のコスト・密度が高い。
これは、「ガラスの仮面」からの受け売りなのですが、小さい頃から一人遊びで演技していた方は強い。月影先生だったら「おそろしい子」って白眼むきます(ガラスの仮面知らない人はガラスの仮面 白眼で検索!)
人生経験がまだ薄い筆者がそれをやると——
結局、自分のこれまでの経験と未熟さ、そして中二心が、容赦なく再生されるんですよね。
なので短編のヒロインはまさに私の一部をじぶんで覗き込む作業なのです。
だからショートストーリーの登場人物の動きって、時々、自分が丸裸にされている感覚がある。
いや、もっと言うと、“皮膚の下”まで見られている感じ。
自分の言い訳も、強がりも、嫌な部分も、ぜんぶキャラの動きとして出てしまう。
この痛さに耐えながら書いてる作者さん、普通に強いと思う。
「キャラが勝手に動く」って言う人がいます。すごい!
あれ、多分この“痛み”を、才能で自動処理できてる人なんだと思います。
凡人の私は、毎回いちいち刺さります。地味に。
ということで、相馬ゆうの“本性”が出てしまってる回(※閲覧注意)として、
『ゲームチェンジャー』の ep16 / ep18、そして30日に出てしまう、ただいま執筆中の ep19 を置いておきます。
(恥ずかしいので、見るなら静かに見てください)でも感想はお願いします。
というわけで、私は自分がキャラになりきるためにガラスの仮面で勉強した人形のパントマイムで無表情な年末すごしてます鬱
みなさんは、キャラってどういう感じで動き出しますか?
やっぱり自分の一部だと感じること、ありますか?
次回予告
子供は禁止。兄からの挑戦状!
文学がテンプレになるまでをお送りします。配慮があるので深夜更新です。
寝られない夜になる。
よいこは見ちゃだめ。
『テンプレ』タブーに切り込む。。
皆さんは作品のあと疲労感ありますか?
また、つかれるけど読みたい作品ある読者様教えてください。
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