邪悪なる気配……
メイドさんの名前はネルランチャール・シバネレッタ。
長っ…と思っていたら、『チャル』と呼んで欲しいとのことだった。ありがたい。
彼女が俺たちの荷物(主に女たちの着替えの詰まったバッグ)を全て一人で持とうとしていたので、俺は『勇者タイム』を稼ぎがてら、それを代わってあげることにした。
「そ、そんなぁ……お客様に荷物を持たせるなんて」
「いいんだ。俺は人の為に何かをしていないと死んでしまうアコギな身体なのさ」
全身から漂う、この大人の男の哀愁……それを感じ取ってくれれば幸いだ。
「変な人なんですねぇ」
ズコーッ!まるで伝わらずっ!無念っ!
「あ、じゃあ、お部屋へご案内しますぅ」
チャルが先頭に立って歩き出す。
広い廊下は窓も大きく、日当たりも良好だ。
どこもかしこも手入れが行き届いているし、さぞやセレブな連中に人気があるに違いない。
そんな感想を洩らすと、チャルは大きく首を振って溜息を吐いた。
「いやぁ、それが全っ然……もう閑古鳥が大合唱で……」
「え?けっこう良い旅館なのにな」
「旅館のオーナーが建築士なんですけど……客が来なくて他にすることが無いから、増築と改装を繰り返して、見た目だけがこんなに立派になったんですよぉ」
「でも、館内も清潔でいいじゃん。ほら、カーペットの上なんか裸足で歩けそうだぜ」
「掃除以外にすることが無いんで、毎日綺麗にしてるだけですよぉ」
「大変だな……ようは立地条件が悪かったってことか?」
「この辺はオークも出ますからね……ま、普通の人は来ないですよねぇ」
「オーク……?オークって……」
俺はその名を記憶の彼方からサルベージする。
「ああっ!お、俺が異世界に来た時に一番初めに食われそうになった化け物たちか!」
しばらく遭遇してないから忘れてた!
そう、ここはまさにそういう異世界だったはず!
「でも、ここに来るまでの道中では全然オークに出くわさなかったけどな……」
「轢き殺してきましたからね」
しれっとイグナツィオが言う。
「は?」
「オークです。群れになって道を塞ごうとしてたんで、結構な数を轢き殺してきました」
ま、まさか愉快な馬車の外でそんな凄惨な地獄絵図が……
俺たちの夢と希望に満ちた道程の後にはオークたちの累々たる轢死体が横たわっていたということか?
「お前……怖っ」
「え?ありがとうございます」
褒めてないぜっ!
やっぱりこいつはクレイジーな殺人狂だ……!
俺は少しだけ歩を速めて、距離をとった。
「で、でも、こんな団体様が来るなんて……久しぶりですよぉ!」
チャルが血生臭くなった空気を変えようと、明るい声を出した。
「そんなに来てなかったの?」
「生きてる人間を見たのは多分、三年ぶりくらいですよぉ」
生きてる人間は……って、なんか逆説的で怖い……ゴクリ……
「あ、やっぱり看板出したのが良かったんですかねぇ」
「いや……ひょっとしたらだけど、あの看板のせいで人が来ないのかもしれないぞ」
「ええ!?私の自信作ですよぅ?」
「君が書いたの!?」
『来なきゃ呪う』という底知れぬ闇を感じるあの一文を、この人畜無害そうなメイドが?
俺は歩を緩めて、前を歩くチャルからも少し距離をとる。
「まぁ、ゆっくりしていってくださいねぇ」
「お、おう……」
「あ、お部屋に着きました。こっちの『テラシャインの間』が女性たち。こっちの『ドラノーラの間』が男性たち。えーっと、古代兵器さんは……オス?メス?」
「ワタシハマスタート離レマセンヨ」
「え!?離れろよ!」
「じゃあ、男性の部屋ですね」
こんなの部屋に置いといたらスペースとるじゃん……
痩せようと思って買ったけど、結局使わなくなったぶら下がり健康機みたいなもんだ。
妹属性の小柄な美少女型にでも変形してくれればいいのに。
「マスターノ『勇者タイム』ハワタシガ管理シマス」
「まぁ、それはありがたいけどさ……お手柔らかに頼むぜ」
「手始メニ、次ノ攻撃対象ヲ『チャル』ニ設定シマス」
「いや、もっと穏便なのにしてくれよ、本当に……」
部屋の中は広すぎもせず狭すぎもせずというちょうどいいスペースだ。
ただ、ロボットが一緒だと狭く感じるかも。
壁際にベッドが三つ、部屋の真ん中にテーブル、木製の椅子が三脚。
窓の外は高い塀になっていて、森の様子を見ることはできないが、しばしば出没するというオーク対策なのだろう。
もちろんここは異世界だ。テレビは無い。
したがって有料チャンネルも見られない。いや、別にいいんだけどね。
「じゃ、お食事は食堂までいらっしゃってください。お風呂はいつでも入れます。混浴じゃないですから、女湯には絶対に入らないこと。ま、当り前ですねぇ」
「ああ……当り前だよ……至極当然だよ……」
別に混浴じゃないことくらい分かってたし……
「え?な、何ですか、その悲しい目……?」
「何でもない……」
「そ、そうですか……じゃあ、何かあれば呼んでください」
頭に『?』をつけたチャルが出て行くと、部屋の中はムクつけき男たちだけになる。
だが、今さらこいつらと肝胆相照らすような、ぶっちゃけ話があるか?無いと思う。
それなら、まずは目の前にある柔らかそうなベッドにダイブ!
「おおぅ……もっふもふだぜぇ……」
柔らかい弾力が俺の身体を優しく受け止めてくれる。
なんか、こういうしっかりしたベッドで寝るのも久しぶりだ。
このぬくもりは、ずっと異世界で頑張ってきた俺への最後のご褒美かも。
疲労感なのか、達成感なのか、あるいは解放感だろうか。
穏やかなまどろみがゆっくりとやってきて、徐々に俺の瞼を重たくしていった。
もうすぐ、旅が終わるんだぁ……
皆心配してるかなぁ……
帰ったら何しよう……
『ンイチ……』
何だ……?
『ケンイチ……』
誰かが……呼んでる……?
『ケンイチ……!』
聞き覚えのある声だ……誰だっけ……
『ケンイチ……そりゃないぜ……』
お前は……
『まさか俺をこの世界に残していかないだろう……?』
お、お前は……
『決着をつけるんだ……この俺と……でないとこの世界は』
お前は……!
『俺が破壊するぜ』
お前は死んだはずだ!
「ラァァァァァズッ!!」
俺はその名を叫び、慌てて飛び起きた。
「おわっ!び、びっくりさせるでない!バカタレ!」
「ヤ、ヤバい……老師、ヤバいよ……」
「ヤバいのはお前じゃ。どうせ、オネェに迫られる夢でも見たんじゃろう?」
「ラ、ラーズが……あいつがまだ生きてる……」
「何?何じゃと?」
「魔王だ!まだ生きてたんだ……!くそっ!」
「何故わかるんじゃ?」
「わかる……わからないけど、わかる……」
「なんじゃそりゃ……」
上手く言葉にはできないが、あいつの存在を感じる。
全身から冷たい汗が噴き出し、鳥肌が立っていた。
胸を侵食するような、この暗い不安は……間違いない。
思えば、たしかにあっけなさすぎた。
あんなに簡単にくたばるような奴じゃない。
ラーズ――魔王。
あいつが生きている……!
「ヤ、ヤバい……世界の危機だっ……」
「落ち着くんじゃ、ケンイチ」
老師は椅子に深く腰かけ、ゆったりとした動作でパイプに火をつけた。
「お前さんが何を見たかは知らんが、気にする必要はない。そうじゃろう?魔王が生きているにしても、まさか、お前さんを追ってきているわけではなかろう?」
「ああ……遠いところから語りかけられているような……そんな感じだった」
「もうジャパティの寺院は目の前じゃ。余計な心配はせず、明日のことだけ考えておればええ」
「……でも、魔王が生きてるんだぜ?あいつを放っておいて……いいのか……?」
「ケンイチ……魔王とはいえラーズは一人の人間じゃよ。お前さんと同じく、な。一人で何が出来る?ベデヴィアで見た時と同じように、ゴロツキどもを集めて女衒稼業を世界のどこかで細々と続けていくのが関の山じゃ」
そうなのか?
そうかもしれない。
あいつは恐ろしく邪悪な存在で、しかも、俺と同じ不死身の肉体を持っている。
その男が生きていたことによって、間違いなくこれから先、何人もの人が無用な血と涙を流すことになるだろう。
だが、老師の言う通り、世界を変えるほどの力をどうやって手に入れるというのか?
前と同じ、人身売買の元締めとして、面白おかしく享楽の限りを尽くして堕落した毎日を送っていくに違いない。
世界を破壊する?
そんな大それたことが出来るわけない。
出来るわけがないのだが……
「気にしなくていいのかな……?イヤな予感がするんだけど……」
「気にしてもどうなるものでもないじゃろう」
「そうか……」
老師の言葉に少しだけ安心して、俺は再びベッドに倒れ込んだ、
「そうなのかな……?」
「ケンイチよ……ううむ、ワシはこんなことを言うつもりはなかったんじゃが――」
老師の声はいつになく神妙だった。
「初めて会った時、お前はすぐに死ぬと思っておった。落ち着きがなく、腕っぷしも弱そうで、度胸も無さそうな、ただのシャバい若造にしか見えんかった。じゃから、プルミエルに『このガキがベデヴィアまで生きているか賭けよう』と提案した。もちろん、お前さんが死ぬ方に賭けるつもりでな」
「ひどくない……?そういや、何か賭けてたよな……チクショウ」
「じゃがプルミエルはな、二つ返事でお前に賭けたんじゃ。なんと、あの守銭奴のプルミエルが!ワシは『やった!儲けた!早く死んでしまえこのガキァ』と思っとったが……」
そこまで言って、老師は深くパイプを吸い、ゆったりと煙を吐き出した。
「……ま、結果はこの通りじゃ。賭けはワシの負け。お前さんはこうして生きて、柔らかいベッドに横たわっておる。そしてもうゴールは目の前じゃ」
「ああ……」
「お前さんが元の世界に帰るのを誰が責める?批難も慰留も、誰もせん。それはお前さんが果たすべきことを果たしてここにおるからじゃ。つまり――勇者として正しい道を歩んできたということじゃ」
「老師……」
「やり残したことなど何もありはせん。胸を張って自分の世界に帰れ」
「……」
さすがに何を言うべきか言葉が見つからず、俺は身体を起こして、じっと老師の顔を見た。
年季を感じさせる長い白髪と、知性を感じさせる長い白髭。
顔の皺に刻まれているのは、太古の叡智と世界の知識。
スケベジジィのキャラが強烈過ぎたせいで今まで忘れていたが、こうして改めて向き合うと本当に賢者っぽく見える。
俺の勇者としての旅も、この人に助言を求めるところから始まったのだ。
偉大なる森の賢者エスティアンドリウス。
そして、年の離れた友よ。
あえて言葉を送るならば、それは――
「ありがとう……老師」
「あん?」
老師は、俺の言葉にびっくりしたように、一瞬だけ眉を上げた。
だが、すぐにスパスパとせわしなくパイプを吸ってそれを打ち消そうとする。
「ふん!別にそういう意味で言ったんじゃないわい。お前さんのような淫獣に、いつまでもこっちの世界に居られても困るしのぉ」
「ああ、わかってるよ」
「ま、ともかく気を抜くでない。ゴール目前じゃと思って油断した挙句に爆睡かまして、明日の朝には冷たくなっておる可能性も無いことは無いでの」
ま、たしかにそうなんだけど。
俺は『勇者タイム』を確認する。
『34:04』
うーむ、まだゆとりがある。
なんか体が慣れてきたせいか、一時間あたりのタイムマネージメントが上手くなった気がする。
今なら元の世界に帰っても絶対に遅刻はしないだろう。
異世界召喚されたことによるスキル獲得……!
でも、『魔人殺し』とかじゃなくて『時間節約』ってどうなのよ?カリスマ主婦か?
「ケンイチさん」
と、ここでいきなりイグナツィオが声をかけてきた。
「ん……?あ、まさか、お前も何か心に沁みる言葉を俺に残すつもりか?やめろぉ、最近すごく涙腺が緩いんだから……」
「一緒にお風呂に行きませんか?」
え?
「風呂?お前と?」
「はい」
「え?な、なんで?」
「旅の思い出に、ですよ」
まさか、そんな殊勝なことを言う奴だとは思わなかったので、俺はちょっとびっくりした。
「マ、マジか……」
「はい」
「よ、よし、じゃあ、行くか……大事なメモリーをハートに刻むとするか」
「え?心臓を刻んでほしいんですか?」
「ちげーよっ!俺のハツをどうするつもりだ!」
なんて言いながら、俺とイグナツィオは風呂場へ行くべく、部屋を出た。