秘湯へ行こう!
ショジャイの集落を後にして、一日と半分くらい経った。
俺たちの乗った馬車は、目的地を目指してどんどん南へ向かっている。
窓の外から見える、鬱蒼と生い茂る樹木の数々。
それはまさに熱帯地方ならではのものだ。
しっかし、よくもこんな人知未踏といった森の中で馬車を走らせることが出来るもんだと思う。
イグナツィオはクレイジーな殺人鬼ではあるが、御者としての腕前だけは素直に認めてやりたい……
と、そう思った矢先。
順調に走り続けてきた馬が大きくいなないて、いきなり急停止した!
「おおっ!?な、何だっ!?」
馬車の中にいた俺たちは、当然のことながら慣性の法則に従って、大いに体勢を崩す。
「どわぁぁっ!?」
あくまでも不可抗力的なものによって、俺は目の前に座っていたメイヘレンの、その豊かな胸の谷間に顔から突っ込んでしまう。
「っぷ……!」
「おやおや……」
や……柔らかっ!?おまけにいい匂~い……
って!やべっ!
「うぉおうぅ!!」
俺は慌てて身体を離す。
危うい!色々な意味で昇天してしまうところだった!
メイヘレンは「ふふ……困った奴め」なんて余裕の笑みを浮かべているが、勇者は肉欲には屈してはならないのだ……決して……!
「わわっ!」
「ぬ!?ア、アリィシャ!?」
なんという神の悪戯……!
身体を離した先にはアリィシャがいて、俺の手は彼女のすべらかで張りのある若い太腿に触れていた。
あくまでも不可抗力的なそれであるのは言うまでもない。
「おわぁっ!?」
「ケ、ケンイチっ!?」
「す、す、すまんっ!コレは別にそういうアレではっ……!」
俺は再び慌てて身体を離す。
と、今度は飛び退いた先にプルミエルが!
な、なんてこった……!
また不可抗力的なアレによるラッキーハプニングが発生してしまうというのか!?
つまり、セクシャルなハラスがメントしまくって……
これじゃまるでラノベの主人公だっ!不幸すぎますぅ!
「落ち着きなさい」
という、とても落ち着いた声と共に、レーザーのような速度で飛んでくる拳。
どごっ…!という鈍い音を立ててそれが俺の顔面にめり込んだ。
「ぁべしっ」
不死身だから良いようなものの、生身の身体で食らっていたら顔面が破砕していたのではないかというほどの重たい拳だ。
そいつで思いっきりぶん殴られた反動で俺はロケットのようにぶっ飛び、頭から馬車の窓を突き破る。
静かな森に、パリン!とガラスの割れる乾いた音が響いた。
「……」
俺は窓の外に首だけだらりと出した状態で沈黙する。
もしも人が見ていたら、この馬車の中でどれほど凄惨な拷問が行われているかと恐れ慄いているだろう。
ここが密林の中で本当によかった……
「……で、どーしたイグナツィオくん……急に止まって……」
俺はそのままの姿勢で、御者を務める美青年に声をかけた。
「これが新しい暗殺方法か?確かに、不死身じゃなかったら死んでいただろう……いいアイデアだったぜ……」
「違いますよ。あれを見て下さい」
「ん?」
奴の指さす先には、大きな木製の看板が。
そこにはこの世界の文字がスペース一杯にびっしり書いてある。
だが、異世界人の俺には読めん。
「で、なんて書いてあんの?」
「『この先、チャペ・アイン』」
「おおっ!目的地のすぐ手前にあるという町!」
「『ジャパティ寺院もあるヨ!』とも書いてあります」
「え?なんかフランク過ぎない?もっと知られざる秘境の遺跡だと思ってた!」
「『観光前に名物の美肌の湯で身体のお清めを。お泊まりはぜひ当旅館へ……踊るヤシガニ亭』だそうです」
りょ、旅館まであるのか……なんかイメージと違いすぎる。
「ってか、結局はただの広告看板かよ……無視してさっさと目的地に向かおうぜ」
「でも、その下に『来なきゃ呪う』って書いてますけどね」
「おっそろしっ……!逆に絶対行きたくない……」
「いいわ。行きましょ」
反対側の窓から、プルミエルが顔を出して言う。
「ええっ!?」
「呪われてもイヤだし」
「で、でも、早く寺院に行った方が良くないか?」
「何よ、身体のお清めも大事でしょ。美肌になりたくないの?」
「べ、べつに俺が美肌になっても……」
だが、俺はここで思い出す。皆もバックナンバーをチェックして思い出して欲しい。
そういえばプルミエルって風呂好きだったよな……?
なるほど、秘境の温泉と聞いて風呂好きの血が黙ってないってことか。
『チャペ・アイン』のすぐはずれに『ジャパティ寺院跡』があるという。
一泊くらいなら問題ない気もするな。
旅の仲間たちと過ごす最後の夜になるかも知れないし……
いや、しかし。
「温泉はいいけどさ……でも、この宿屋は回避推奨だぜ。すっげぇ不穏な気配のする看板だぞ?」
「何も怖いことなんかないでしょ。不死身のくせに」
「いや、でも、リアルガチな呪術師がいたらどうすんだよ。ちょっとでもそいつの機嫌を損ねて悪役令嬢に転生する呪いとかかけられたら困るし……」
「皆でよってたかって殴る蹴るの暴行を加えて呪いを解かせればいいでしょ」
めくるめくデンジャラス&バイオレンス……
自分たちが正義の味方だと思っていたのは俺の独りよがりだったのか?
「じゃ、とりあえずこの宿屋に行くってことでいいですね」
そう言ってイグナツィオは手綱を振るい、再び馬車は走りだす。
「やれやれ……」
俺は車中に首を引っ込めて、今のやりとりを仲間たちに説明した。
「……と、言うわけで、温泉宿に一泊することになったんだけど」
「私は構わないよ」
と、メイヘレン。
「ま、エロスボーイが温泉を覗きに来る危険性は当然、考慮しておくがね」
「だ、だ、誰が覗くかっ!勇者を見くびるなっ!」
「えー?ケンイチってお風呂覗くようなエロスボーイなの?」
「ア、アリィシャ……ち、違う、俺はエロスボーイなんかじゃない!」
「ふふ、そんなに顔を真っ赤にして否定するなよ。さっきはあんなにあからさまなボディータッチを繰り返してたじゃないか」
「あ、あれは不可抗力という名の魔物だ!ノーエロス……ノーエロスだ!」
「嘘つけぃ!おおかた今も『温泉が混浴だったらええな……』とでも思っておるんじゃろうが」
「おっ、思ってねーよっ!……っていうか、本当に混浴だったら俺はどうすればいいんだ……フヘヘ」
「時間ずらして入ればいいでしょーが」
「……」
「そ、そんな悲しい顔しないでよっ、ケンイチ!しっかりしてっ!」
「マスター、ワタシガ背中ヲ流シマスヨ」
「そ、そうか……サンキュー、R-18。正直言って全然嬉しくないけど、味方がいるだけでも心強いよ……」
「ワタシノ『ドリル垢スリ』ヲ使ッテ皮膚トイウ皮膚ヲコソゲオトシマスヨ」
「ごめん、やっぱ一人で入るし……」
「遠慮しないでやってもらいなさいよ。皮膚という皮膚をひん剥かれなさいよ」
「狂気の沙汰だよ!」
「不死身なんじゃからええじゃろ」
こんな愉快なやりとりも明日になったら終わるんだろうか。
そう思うとやっぱり寂しくなる。
だが、しんみりしたってしょうがない!
今夜は余計なことを考えずに、楽しく過ごそうじゃないか。
「着きましたよ」
イグナツィオの声と共に、馬車が止まった。
俺たちがぞろぞろと降りると、そこは予想外にちゃんとした旅館だった。
森の中にたたずむ平屋建ての木造建築。
だが、丸太を組んで造ったような簡素なものではなく、美しい板張りになっている。
広い玄関先も綺麗に掃き清められていて、宿屋としては非常に好感が持てた。
まさに隠れ家の温泉宿的な……?
「全っ然、俺のイメージしてたのと違う……」
「どんなの想像してたのよ」
「もっとこう禍々しい感じで……入口に何の動物のだかわからないような骨が吊るしてあったり、気味の悪い石像が乱立してたり……」
「……(冷たい視線)」
「すまん、もう黙ってるよ」
皆でぞろぞろと旅館の中に入ると、その内部も非常に洗練された空間だということが分かった。
エントランスが広く、天井は高い。
等間隔に整列している燭台は屋外と同じ明るさで室内を照らし、床には一片の汚れも無い真っ赤なカーペットが綺麗に敷かれている。
受付と思しき場所は一本の巨木から削り出したようなテーブルカウンターになっており、そのつやつやした光沢は、高級感があった。
「ボ、ボク、こんなところに泊まったことないよ……どうしよう……」
アリィシャの素直な反応は大いに共感できる。
プルミエルやメイヘレンはさすがに貴族を名乗るだけあって「ま、なかなかね」なんて感じで、いかにもこういう場所に慣れてますという空気を出すが、国内旅行すら満足にしたことのない俺にとっては「一泊いくらなんだろう……」というドキドキ感しかない。
そんな俺を見て、老師は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「フォフォフォ……ケンイチ……お前さんはこういうところに泊まったことないんじゃろ?」
「ば、馬鹿にすんなっ……メイヘレンの豪華客船になら乗ったことあるし!」
下働きとしてだがな……!
「おっとと、そうムキになるでない……セレブ初体験のお前さんにいいことを教えてやろう」
「いいこと?」
「そうじゃ。いいか……」
あたかも重大な秘密を明かすように、老師は俺の耳元に口を寄せて囁く。
「こういう高級な旅館では部屋にあるハブラシを持って帰ってもええんじゃぞ……」
「……」
「すっごいじゃろう?」
期待した俺が馬鹿だった……
文句の一つも言ってやろうと思って口を開いた時――
「うぉっ!?お、お客さんだっ!?」
背後からバタバタと誰かが走ってくる音が聞こえた。
振り向くと、それは俺より二つ三つは下くらいの年頃の、小柄で可愛らしい少女だった。
鮮やかなピンク色の髪をひっつめてポニーテールにしていて……
って、いや、まず何よりも特筆すべきは、その娘が濃紺のメイド服を着ているということだ。
もう一度言おう。メイド服だッ……!
「ろ、老師……あ、あれはッ……!」
「わ、分かっておる……あれは幻なんかじゃないぞぃ……」
「ほ、本物ですよ……!」
「うむ……本物のメイドさんじゃぁぁぁぁッ!」
メイドさんは実在した……いや、実在しても不思議でも何でもないんだが。
かつて『メイド喫茶詐欺』の被害に遭った俺たちはその存在に懐疑的になってしまっていたのだ。
だが、こうしてそれは実在する……
手と手をとってその発見を喜び合う俺たちの前を横切って、そのメイドさんはすごい勢いで受付カウンターに滑り込んだ。
どうやら、この旅館の従業員のようだ。
純粋なメイドではなくビジネスメイド(?)ということか……?
いや、それでも全然OKだし!
「お、お客さん……ですよね?」
そう尋ねるメイドさんに、プルミエルは胸を張って答える。
「そうよ」
「『踊るヤシガニ亭』へようこそでした!……えーと、何名様で?」
「女三人。あとは変態二人に殺し屋一人。遺跡から発掘された謎の古代兵器も」
「あー……それはまた珍しいメンバーですね……」
「古代兵器って宿代に含まれる?」
「お部屋をご利用になられるのであれば……」
「食事はいらないんだけど」
「では、そのぶん割引で……」
「いや、でも本当に置き物と変わらないんだけど。ちょっと動くってだけよ?それでも一人にカウントするの?」
「えーと……うーん……」
なぜ、そんなに値切るのか……
メイドさんが困ってるじゃないか!
貴族なんだからそこは気持ちよくスッと払おうぜ!プルミエル!
「わ、わかりましたよぅ……じゃあ、六名様ということで」
「オッケーね。どうもありがとう」
してやったり……と、こっちにグッと親指を立てて見せるプルミエル。
やめろォ、何かセコい団体客みたいじゃねーか……