表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者タイム!  作者: 森田ミヤジ
「勇者を待つ村」篇
82/109

Darkness Desire(ラーズ視点)

 森……

 森は俺の一部。

 信頼すべき友であり、愛すべき故郷。

 一体どれくらいの時間を森と過ごしてきただろう?

 奇襲、潜伏、そして暗殺。

 そのつど、俺は木に登り、土に埋もれ、藪の中に身を潜めてきた。

 その力を頼った時に、森はいつも期待通りの戦果をもたらしてくれた。

 特に夜の森は文句無しに最高だ。

 平穏。

 適度な静寂。

 そして、ありったけの孤独。

 男が一人でじっくりと思念を掘り下げるには絶好の場所ではないか?


 さて。

 では、何について考えるべきだろうか。

 これから先、自分が手に入れるであろうものについて……金・女・地位について?

 いやいや、そんなくだらないことを考えている暇は無い。


 ある一人の男のことについて考えよう。


 実を言うと、最近では寝ても覚めてもそいつのことだけを考えている。

 まるで恋をしている乙女のように。


(恋だと……?)


 頭に浮かんだその陳腐な言葉に思わず苦笑してしまうが、そう。

 紛れも無く恋だ。

 俺は殺したいほどそいつを愛している。


「ケンイチ……ジン・ケンイチ」


 日本人で、ティーンエイジャーで、何の強みも持ち合わせてはいないその少年。

 だが、警戒すべき『何か』を備えている。

 何か?

 それを言葉で表すのは難しい。

 今まで俺が相手にしてきた連中……そいつらは少なくとも俺を脅かすようなものは何も持ち合わせてはいなかった。

 時に、デルタフォース。

 またある時はCIA。

 その他、ネイビーSEALSだのFBIだのグリーンベレーだのAチームだのなんだかんだ。

 俺に言わせてみれば、そいつらは名ばかりの屑ばかりだ。

 SF映画に出てくるような近代装備をごてごてと身につけ、何度も練習したようなお決まりの集団行動をソツなくこなすだけで『プロ中のプロ』を自称する、とりわけプライドの高いロクデナシどもばかり。

 教科書通りの『チェック・クリアー・チェック・クリアー』の繰り返し。

 自分の頭に弾をぶち込まれてからでないと危険を察知できないヒヨっ子ども。

 当然、そんな連中が真のプロフェッショナルであるこの俺に挑んで命があるはずがない。

 自然の摂理ではないか。

 強き者が生き残り、弱き者は淘汰される。

 どんな局面であっても、連中より俺の方が常に一枚上手だったというだけのことだ。


 だが、そんな俺に――


 唯一無二であり、真のスペシャリストであり、合衆国大統領の命までも自由自在に手の中で転がしているこの俺に――このラーズ・ホールデンに初めて土をつけた、あいつ。


「ジン・ケンイチ……」


 まだケツの青いガキだってのに!

 まんまとこの俺から勝ち逃げしやがって……!


 思い出すだけでも鳥肌が立つほどに、あの敗北は衝撃的だった。

 いや、あれは敗北と呼べるだろうか?そうではないだろう。

 俺は負けず嫌いだからそういう言葉は使いたくない。

 負けたというよりも、一杯喰わされた、という表現があまりにも的を射ているのではないか?

 とにかくあんな風なのは初めてだったし、これから先も二度と無いだろう。


(いやはや、末恐ろしいガキだ)


 だが、俺の中の怒りの感情は希薄だ。

 それを上回る感服の念がある。

 そして、大いなる期待感。


 勇者と呼ばれるアイツと魔王と呼ばれる俺。


 そう、俺達は同一の世界には相容れない存在であり、いずれは雌雄を決しなければいけないはずだ。

 文字通り、世界の趨勢を左右する戦いになるのでは?

 お互いにこの世界では不死身の身体を持つ者同士、激しい殺し合いを楽しめるってもんだ。

 そうとも、お前はタフガイさ。

 良い勝負をしようじゃないか。

 闘争というものは常に野蛮なものであると考えられているが、そんなことはない。

 例えば、拮抗する戦闘力を持つ者同士が己の生死をかけて真剣にぶつかり合ったならば、それはこの上も無く崇高な『スポーツ』へと昇華される。

 闘争本能、生存本能、残虐性、凶暴性……そういった、普段は自己統制と社会的理性の下に無理矢理に押さえこんじまっているものを大いに解き放ち、肌で、拳で、大いなる自由を感じ取るのだ。

 その瞬間にのみ、生きている実感を得ることができる。

 少なくとも俺はそうだ。

 性格が屈折している?

 精神構造が破綻していると?

 いかにも。

 俺は平和を憎み、混沌を好む、悪の化身だ。

 だからこそ、ケンイチがこの世界の勇者であることを自認するのであれば、絶対にこの俺を殺さなければいけない。それが勇者の義務であるはずだ。

 今からアイツとの再会が楽しみでならない!

 だというのに、だ。


(……なのに、何だってお前の気配が消えちまったんだ?)


 俺はあいつと出会ってから、その存在をなんとなく意識の隅で感じるようになっていた。

 奴もそうなんだろうか?

 俺達は二人で一人、一心同体の存在になったのかもしれない。

 相反する磁極が互いに引き合うかのように、異世界のストレンジャー同士、特殊なテレパシーで繋がっちまったのだろうか。

 だが、その繋がりがどうしたわけか、今、ぷっつりと途絶えてしまったのだ。

 この世界の何処にも奴を感じられない。


(くたばったのか?)


 だとしたら期待外れだ。

 雌雄を決するまでも無く、この世界は俺の物ってことになる。

 不戦勝だって?最悪だ!

 だが、待て。

 その他の可能性はどうだ?

 あいつが目的を達成したってのは?

 つまり、俺に抜け駆けして元の世界へご帰還あそばしたということだ。


(魔王である俺をこの世界に残して?)


 冗談じゃねぇ。やめてくれ、そんなことは。

 お前はそんな奴じゃないだろう?

 我が身かわいさにあの極上のピーチ達を見捨てるってのか?

 勇者ともあろう者が、魔王の脅威にさらされた世界から一足先に逃げ出すのか?


「ラ、ラ、ラーズ、は、は、話がある……」


 俺の思念を遮って、ヤッフォンがフガフガと口を開いた。

なんてタイミングの悪い奴だ。

 こっちはちょいと不機嫌になる。


「やめろ。今はあんたと話したくない」

「き、き、聞いてもらわなければならん」

「なら、そのまま話せよ」

「……ア、ア、アルヴァンの魔法塔のことだ……」


 やれやれ、またその話か。

 いい加減うんざりだぜ。


「き、き、聞け……ず、ず、ずっとお前は聞かなかったのだから……ま、ま、魔法塔にあるモノのことを……」

「おっと、やっぱりそれ以上は聞きたくない。お楽しみってのは、取っておくもんだろう」

「だ、だ、だが……」

「明日にはお待ちかねの魔法塔に着く。その時でいいだろ。大丈夫さ、なんたってドラゴンが運んでくれてるんだからな」


 俺は闇の奥に丸まって眠っている、その巨大な生物を見た。

 正真正銘、本物のドラゴンだ。

 赤黒い鱗に、天を衝く巨大な双角。

 そのいかつく、頼もしい面構えは図鑑や映画なんかで見たまんまの恐竜のそれだ。

 だが、あいつがT-REXと違うのは、その肩甲骨の上には大きな大きな翼がくっついていて、それでもって戦闘機並みのスピードで自由に空を舞うところだ。

 どんな地対空ミサイルでも撃ち落とすのは難しいだろう。

 最新鋭ステルスなんか目じゃないぜ。最高にクールな戦闘機だ。

 こいつでキディホークに乗りつけてアホどもを唖然とさせてやりたいもんだ。


「なあ、アガシ」


 そのドラゴンを操る美貌の女はさらにクールだ。

 今はドラゴンの脇で膝を抱えたまま、じっと闇の中から俺を睨んでいるが、その紫色の瞳に宿る剥き出しの殺意は俺の背筋をゾクゾクさせた。


「いい目だ。肌に刺さる様な殺気を感じるぜ。なあ、こっちに来いよ。そこじゃあ寒いだろう?」

「うるせえ」

「何を怒っているんだ?会った時からずっとそんな調子だぞ?」

「てめぇは嫌いだ。てめぇの魂は黒過ぎる」


 おおう、なるほど、『魂が黒い』ときた。

 まるでどこぞの宣教師のように陳腐なセリフだが、ハイエルフという種族ならではの特殊な観察眼というヤツか。

 だが、良い見立てだ。

 審判の日にイエス・キリストが俺を見てもきっと同じことを言って地獄へ堕とすだろう。


「大した眼力だな。だが、俺のことをもっと知りたくないか?こう見えても俺は魔王でね。魔王をじっくり観察するチャンスなんてそうそうあるもんじゃない」

「どこぞの皇太子を騙ってドラゴンライダーを足に使うようなケチな魔王のことなんか知りたくないね」


 なるほど、タクシーがわりにされて騎士の誇りとやらが傷つけられたってわけか。

 そんな些細なことで機嫌が悪くなっちまうんだから女ってのは面倒だ。

 だが、それゆえに可愛い生き物だと言える。


「なあ、こんな風に考えてみろよ。俺はこれから一国どころか世界を手に入れるつもりでね。そいつがお前さんにひどく興味を持っているんだ。すげぇぜ。ゴージャスな身分になったと思うだろ?」

「興味ないね。それ以上近づいたらこの剣で貫くぜ」

「剣で、か……」

「なんなら鞘でぶっ叩いてやってもいいんだぜ。鉄芯が仕込んであるからな」

「いいね。よし、やってみろよ。どうせ適当なところで俺を殺すつもりだったんだろう?あの指揮官にもそう命令されてるはずだ。そうだろう?」


 アガシの瞳に一瞬映った動揺が、俺の言葉が図星を突いたことを証明する。

 分かりやすい女だ。


「俺が眠ってからヤるつもりだった?生憎と安眠とは程遠い体質でね。だが、今なら俺は逃げも隠れもしない。まぁ、瞬きくらいはさせてもらうが、それ以外は一歩も動きやしない。その剣で俺の心臓を突いてみな。文字通り、ハートを串刺しに」

「心臓?」


 アガシが立ち上がる。

 もはやその瞳に燃える殺意を隠すこともしない。

 彼女は腰の剣に手をかけ、じりじりと俺に近付いてきた。

 その絶妙な間合いの取り方なんかは大したもんだ。


「心臓なんて上品な場所は狙わねぇよ」


 ヒュッと風を切る音が聞こえたかと思うと、俺の喉にずんと何かが突き立った。

 おう、なんて早さだ。

 抜く手も見えなかったぜ。


「……!」


 彼女の目が、勝利の確信でまずは細められ、次いで訝しげに瞬き、最後には驚愕の為に見開かれる。


「て、てめぇ……っ!」

「あ……おお……こいつはキくね」

「死ねっ」


 続く斬撃は嵐のようだった。

 目、鼻、胴、腕、そしてもちろん、男の大事な部分にいたるまで、凄まじい速さと勢いでもってことごとく人体急所を狙って斬りつけていく。

 だが、悲しいかな、やはり無駄だ。

 俺は白刃の嵐の中で、切り刻まれながら微笑んだ。


「どうした?無抵抗な男一人殺せないのか?」

「ま、まさか……」


 相当に息が上がってきたアガシは、肩を上下させながら呻いた。


「てめぇ、メタルか?いや……そうか……ケンビシと同じ……」

「ケンビシ?」


 こっちの知っている単語とはちょいと違うが、それでもその音には聞き慣れた響きがある。

 俺の想い人のそれに。


「ケンイチか?」

「ケン……そう……あいつ、たしか……」

「おう、そうか!あいつを知ってるのか!」


 なんてこった!

 世界ってのは狭いもんだ。


「ケンイチはどうしてる?奴はどこへ行った?どこで会ったんだ?あいつは無事なのか?」

「……意外だな。てめぇは……人の心配なんざしない男だと思ってたぜ」

「あいつは俺の物だ」


 俺の言葉を受けて、アガシはペッと地面に唾を吐いた。


「女好きかと思ってたらとんだオカマ野郎だったってわけかよ」


 彼女は素早く飛び退いて距離をとり、剣を鞘へ収めた。


「なら、いい夢を見せてやるぜ」


 その言葉とともに、アガシの目が怪しく光を放つ。


「オカマ野郎に相応しい夢を。ボーイフレンドと甘やかに過ごす最高の夢を見な」


 おっと?

 まずいまずいぞ。

 こいつは絶対まずいだろう。

 と、思いながらも、俺はその紫色の瞳が放つ不思議な光から目を離せなくなり、やがて意識がゆっくりと薄れていった。




 赤。

 赤々と空が燃えている。

 茅葺き屋根の家が燃えている。

 ここはどこの集落だったか?

 俺は天に昇っていく黒煙を見上げながら、広場の中央に呆然と立ち尽くしていた。

 次いで、馬鹿みたいに周囲を見回す。

 ここはどこだったか?

 見覚えがあるようでもあり、全く知らない土地のようでもある。

 肌に感じる独特の湿気とむせるような熱帯植物の香り。

 東南アジアのどこかだろうか?

 しかし、なぜ、こんなところに?

 深く考えている暇は無さそうだ。


 近いところで機関銃の銃声が響く。

 打ち上げ式の榴弾がどこか遠くでヒュポォンという間抜けな音とともに発射され、ルルルルル……と甲高い音を立てて飛来し、それは俺の目の前の土に着弾する。

 おお、すげぇ爆発だ!

 オレンジ色の火柱とともに大量の土が巻き上げられ、それが背中にバサバサと覆いかぶさってくる。

 反射的に身を屈めていなければ爆風で吹き飛ばされていただろう。

 土を払い落しながら立ち上がると、周囲では男が、女が、子供が、老人が、悲鳴を上げながら逃げ惑い、倒れ、燃えていく。

 懐かしい匂いが鼻をついた。

 血の匂い。

 硝煙の匂い。

 生き物が焦げていく匂い。

 死の匂い。


(なんてこった……)


 俺は首を振った。

 きっと今、ひどい顔をしているだろう。

 つまり、だらしなくニヤけた顔に。


(こいつは最高だ)


 ここは紛れも無く戦場であり、俺の愛するホームであり、『ウォーゲーム』のパーティー会場だ。

 一人で笑いを噛み殺していた、その時。


「ラーズ。ラーズ軍曹」


 ほう?軍曹とは?

 その名で呼ばれるのは久しぶりだが?

 声のした方を振り返る。

 すると、一人の兵士が身を低くした姿勢のまま走り寄ってきて、俺にM4ショットガンを手渡した。

 こいつは誰だった?

 思い出せはしないが、どこかで見たことのある顔ではある。

 ソマリアで戦車の下敷きになった奴になんとなく似ている気もするが。

 まあ、どうだっていいか。


「軍曹。さあ、お楽しみです」


 奴は万事心得ているというふうに言うと、さっさと足早に走り去っていってしまった。

 俺はその背中を見送りながら、呆気にとられている。

 まったく、これはどういうことだ?

 とんでもないことになっちまったようだが。


(ゲーム開始ってことかい)


 俺は手渡されたM4にしっかり弾が込めてあるのを確認してから、燃える村の中を歩き始めた。

 その時、ちょうど目の前の火のついた家から小さな悲鳴が聞こえ、続いて若い母親とそれに手を引かれた小さな子供が飛び出して来る。

 そいつらは俺の姿を見て、へなへなと地に跪き、やがて手を合わせて命乞いを始めた。


「殺さないで!」


 母親は必死に叫ぶ。


「まだ子供よ!殺さないで!」


 ああ、なんと悲痛な叫びであることよ。

 俺は思わず天を仰いだ。

 神よ。

 偉大なる主よ、どうなさる?

 あなたはこの哀れな母子にどのような慈悲をお与えになるのか?


「お願い!助けて!」

「俺も胸が痛むよ、ハニー。だが……」

「お願いよ!」

「うるさいな」


 とりあえず俺は、いつまでもやかましい母親の顔面を銃床部分で思いっきり殴りつけてみた。

 ぐしゃっ、とスイカが破裂するような不快な水音を立てて女は昏倒し、どくどくと口と鼻から流れ出す血が地面に赤黒い染みを作っていく。

 おっ、なんて素晴らしい感触だ!

 代打満塁逆転サヨナラホームランをぶちかましたような、すこぶる良い気分だ。

 続いて俺は、キョトンとした顔で立ち尽くしている子供の衣服を力任せに剥ぎ取って、そのふっくらとした無垢な腹に銃口を押し付けた。


「これがロックンロールだぜ、兄弟。たまらねぇな」


 俺は躊躇なく、引き金を引いた。





「……良い夢見れたか?」


 アガシの声に反応して、俺の意識はゆっくりと覚醒する。

 いつの間にかアガシは俺の背後をとり、しっかりと首をロックした状態で喉笛を押し潰そうと力を込めていた。

 女の豊かな双丘の感触を背中にしっかりと感じながら、俺は思わず喘ぎ声をあげてしまう。


「おあ……最高の夢だったぜ……」

「てめぇの最後の夢になる」

「そうかもな……おぉ、まだ意識が朦朧とするぜ。とんでもなく強いヤクをキメた後みたいだ……あれは何だ?幻術か何かか?まったく、大したもんだ」


 やや余裕を残す俺の言葉遣いに、アガシは若干、動揺したようだった。

 その動揺を打ち消すように、彼女の両の腕にはさらに力が入り、俺の首はミシミシと音を立てて締めあげられていく。

 だが、結局は無駄なことだ。


「お嬢さん、もっと強く締めつけてくれなきゃイケないぜ」

「……っ!……てめぇはケンビシとは違うのかっ!?」

「ケンイチと俺は一心同体さ。ははぁ、あいつにも同じ手を使ったのか?」

「あいつは悲鳴を上げたぞっ!?死ぬと言ってたぞ!?」

「ははぁ。こいつは俺の予想ではあるが、多分あいつはお前さんがぐいぐい押しつけてくるそのジューシーなピーチに恐れを抱いたんだろうさ」

「何のことだっ!?」

「俺と違ってウブな奴でね。ちょいとエロティックなことを考えると途端に死んじまうのさ」


 俺は両手でアガシの軍服の袖を掴み、ちょいと反動をつけた腰投げで彼女の身体を宙に一回転させた。


「っ!」


 こんな状況でも両腕の力を緩めないのは見事だ。

 俺が不死身でなかったら頸動脈を一瞬で締め上げられて、あっという間にオチていただろう。

 だが、相手が悪かったな。

 俺は彼女の身体が地に叩きつけられる一瞬の間に素早く首を引き抜き、あっさりと自由を得ることに成功した。


「うぁっ!」

「あっと、手を離さないから背中から落ちちまったな。ちょいと手加減はしたんだが、難しかったか」


 強制的に空気が押し出されると、肺ってのはびっくりしてその動きを一瞬停止してしまう。

 すると呼吸不全に陥り、なかなか次の呼吸がしづらくなるもんだ。

 胎児のように身を丸め、苦しげに咳きこみ喘ぐ彼女の前に、俺は腰を下ろした。


「お前が殺そうとしたのは魔王なんだ。その辺のチンピラとはわけが違う」

「……っ!……っ!」

「だから殺せなかったにしても恥じゃあない。そうだろう」


 適当な慰めを口にしながら、俺は『魔王タイマー』を確認する。


『00:25』


 おっと、そろそろ危ない。

 さて、どうしたもんかな。

 目の前で身悶える美女を裸にひん剥いて思うさま嬲ってやろうかとも考えたが、そいつはちょいと味気ない。

 そもそも、強姦ってのは心にゆとりのない者がすることだ。

 そのお楽しみは次の機会に取っておくとして、俺はちょうど目の前を走り抜けようとした小鼠がいたので、そいつを気持ちよくパンチで叩きつぶした。

 拳から腕を伝って、生命の波動のようなものがじんわりと失われていくのが分かる。

 生物の大小を問わず、これは何度やっても良い感触だ。

 拳を上げ、べったりとひしゃげた鼠の死骸を見て、俺は一つの閃きを得た。

 それはまさに天啓と呼ぶにふさわしいものだった。


(そうか。さっきの幻覚は俺の願望だったのか)


 恐怖。絶望。ありったけの死。

 法と倫理の欠如がもたらす、混沌、破壊。

 理性も自制も意味を為さない、嗜虐者と殺人鬼のパラダイス。

 それが俺の望む世界の形なのではないか?

 いいぞ!いいぞ!

 魔王として統治すべき世界はそうでなくてはならない!

 それでこそ魔王だ!


(じゃあ、どうする?)


 先ほど体験した幻の世界、愛すべき楽園世界をこの世に再現するには?

 その答えを導き出す為の手掛かりと言えば、『アルヴァンの魔法塔』という単語しか思いつかない。


「教授!やっぱりすぐに魔法塔へ行こうぜ!」


 俺はすこぶる良い気分だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ