教団関係者と椅子と卵
教団本部は誰かに案内を乞うまでもなく、すぐに見つかった。
村の中央に、でん!とひときわ大きなレンガ造りの教会が建っていて、そのアーチ状の門の上に取りつけられている看板には何やら相当な勢いで文字が書き殴ってある。
「なんて書いてあるんだ?」
「『魔王教団、ショジャイ支部』だって。なかなか達筆だよねぇ」
俺の隣でアリィシャが解説してくれた。
のんびりとした口調の中にはひとかけらの緊張感も無い。
さすがだぜ……
「この中に勇者の血に飢えた獣たちが……ごくりっ」
「いや~?意外と良い人達かもしれないよっ?」
「それはあまり期待できなさそうだけどな……」
「あ、ケンイチさん」
「うぉっ!?」
緊張してたところを、突然後ろから声をかけられたもんだから、俺は思わず飛び上がってしまった。
だが、振り返るとそれは見知った顔だった。
「イ、イグナツィオか……」
「僕です」
相変わらずどこかぼんやりとしていて眠たそうにさえ見える美少年は、アーチの上の看板を見て、ちょっとした含み笑いを洩らした。
「ここ、魔王教団の支部って書いてありますよ」
「知ってるよ。あえて来たんだよ」
「へぇ、すごいなぁ、殺られる前に殺りに来たんですね。分かりますよ。基本ですからね」
「基本って……」
「当然、皆殺しですよね」
く、黒い……
コイツの会話にはいつも隠しきれない血生臭さが漂っている。
「ち、違うっつーの。俺達は相手を虐殺しに来たんじゃなくて、穏便に会話しに来たんだよ」
「会話?」
「この村の人たちが、魔王教団の横暴に困ってるんだと。だから、まぁ、お話してみて、なんとか出て行ってもらう、と……」
うーむ、よく考えれば無謀なチャレンジのような気がしてきた。
何せ魔王を崇め奉るような連中なんだから、第三者の退去勧告に素直に応じるはずがない。
「……ケンイチさん、正気ですか?」
イグナツィオは首を傾げて言う。
「でも、アリィシャがそうしようって言うんだから、やむを得ないだろ」
「へぇ、アリィシャさんの提案なんですか」
そう言うと、イグナツィオはチラッとアリィシャの方を見て、ぺっと地面に唾を吐いた。
女の子にはいつも態度悪いな、コイツ……
だが、アリィシャはそんなことは全く気にかけていない様子で、イグナツィオに力強く頷いて見せる。
「村の人が困ってるし、力になってあげようと思ってさっ」
「じゃあ、今すぐ教会に火をつけましょう。慌てて出てきた奴らを一網打尽にするっていうのはどうです?」
「駄目っ。ボクは無駄な殺生はしないの」
「ちぇっ、面白くないなぁ……せめて、ケンイチさんがコマ切れにされればいいのに」
「そうそう、コマ切れに……って、ぶん殴るぞ!テメェ」
俺は大声で叫んで、すぐに後悔した。
このやり取りを聞きつけられたのか、ゆっくりと内側から教会の扉が開き始めたのだ。
それはもう、本当に不気味なほどのゆっくりさで。
「うぉ……」
扉が開いていくにつれて、凄くたくさんの視線を感じ、俺は息が止まるほど緊張した。
手の平に汗が滲む。
そんな俺を気づかってか、アリィシャはすっと前へ進み出ると、明るい声で挨拶をする。
「こんにちわっ。ちょっとお話がしたいんですけどっ」
その声を受けて、扉の向こうから大きな人影が一つ、のそっと動いてこちらへ向かってくる。
俺は有事に備えて、少し腰を落として身構えた。
ちくしょう、来るなら来やがれ!
だが、日の光の下に姿を現した男の第一声は、予想外のものだった。
「やあ、ようこそいらっしゃいました」
そいつは、丸眼鏡の奥の目を柔和そうに細めて頭を下げた。
年の頃、四十前半くらいだろうか?
黒髪をきっちりとオールバックに固め、2mはある痩せぎすの長身を清潔そうな白の僧衣に包み、首からは高価そうな金の鎖を何重にもぶら下げている。
頭頂部が長くて耳が大きいので、見た目はなんだか宇宙人みたいだが、ニコニコと優しげに微笑んでいるので、邪悪な印象は全く受けなかった。
(この人が本当に魔王教団の信者なのかな?)
ってほど清廉なイメージだった。
脅しや盗みや立ち小便なんてもってのほかだ。
「お話しとは、どのようなことでしょう?」
優しい声で、男はそう語りかけてきた。
「あのぅ、えーっと……」
アリィシャも、言葉に詰まっている。
あまりにもイメージとかけ離れた人間が現れたもんだから、俺と同じように面喰っているんだろう。
血も涙もない極悪非道なマッスルモンスターが出てきてくれたほうが、よっぽど話がしやすかったような気がする。
「ま、こんなところで立ち話もナンですな。どうぞ、中へ」
男は扉の前に立って、手招きをした。
さて、どうしよう?と相談する間も無く、アリィシャが「ど-もどーも」と言って教会の中へ消え、イグナツィオも「面白くなってきたなぁ」と言いながらその後を追う。
待てェ!知らない人について行っちゃいけませんヨ!
と叫びたかったが、
「さ、あなたもどうぞ」
と言う柔和な微笑みに促されて、結局は俺も一歩踏み出さざるを得なかった。
教会の中は窓が少ないせいか、昼間だというのに薄暗かった。
だが、二、三十人はいるであろう信者たちが全員、白い僧衣を身に纏っていたのでさほどの鬱屈さは感じない。
ほのかな蝋燭の光が揺らめいていて、なかなか霊験あらたかな雰囲気……
祭壇には演説台があるだけで、特に魔王を象徴するようないかがわしい御神体っぽいものも無い。
「兄弟の皆、今日はお客様がいらっしゃいました。まずは、異邦の友に幸あれ」
「幸あれ」
「幸あれ」
演説台に立った大男の号令で、信者全員が一斉に俺達に向かって両手を合わせて祈りを捧げ始めた。
「さて、異邦より来たりし友よ。まずは自己紹介を。私はこの教団の支部長、プラウボと申します」
「あ、アリィシャですっ」
「ケンイチです」
「……」
イグナツィオだけは名乗らず、まるでプラウボ氏の自己紹介など耳に入っていなかったかのように、キョロキョロと周囲を物珍しげに見回している。
こ、この野郎……態度悪いぜ!
だが、プラウボ氏は特に気分を害した様子も無く、にっこりとまた微笑んだ。
「ははは……ところで皆さんは、こちらへは観光でいらっしゃったのですか?」
「うーん、ま、そんなようなもんですかね……ははは」
「勇者」
「!?」
イグナツィオの唐突に放った単語に、一瞬にして、場の空気がピシッと凍る。
俺達を取り囲む白衣の男達の顔が険しくなった。
うひぃ、プラウボ氏の眼鏡の奥の瞳が、少しだけ見開かれている……!
やっぱり『勇者』はNGワードだッ!
「勇者……?」
「勇者……禁止って、村の入口に書いてありましたね」
「……ああ!あの看板ですか」
ほっ……場の空気が、少しだけ和んだ。
それにしてもどういうつもりだ、イグナツィオの野郎……
俺は奴の横顔に憎しみを込めて思いっきりメンチを切ってやるが、当人は全く気にしていない。
「勇者は抹殺するんですか?」
「あまりにも物騒な言い回しに驚かれたでしょう。いやいや、申し訳ない。あれはしょうがなく、あのような文面になっているんですよ」
「しょうがなく?」
「この村にかつて勇者を名乗った詐欺師が現れましてね。勇者を神聖視している村ですから、それはもう、下へもおかぬ歓待ぶりだったそうですよ。夜通しで宴が繰り広げられ、勇者の要求するままに金銀財宝を山ほど与えて、最後にはいつの間にかその男は姿を消していたそうです。おお、かの呪われし魂に許しあれ……」
「ひどいっ!」
「そうですね。我々はそんなことが二度と起きないように、みだりに勇者を名乗る者をこの村から遠ざけようと考え、あの看板を立てたのです」
いちいちもっともな意見だ。
何だよ、ひょっとしたらこの人達って良い人なのか?
あの酒場の店主は、やっかみ半分でああいうことを言ってたのかもしれないな。
……と、俺が思っている横で、イグナツィオは退屈そうにアクビをかましている。
(も、もう我慢ならん……)
俺はスクールウォーズばりのアツい説教をたれてやるつもりで奴の首根っこを掴まえて、脇に抱き込んだ。
むろん、音量はミュートの一歩手前な!
(お、お前なっ……さっきから何だってそんなトラブル引き起こすような真似するんだっ?)
(えー、面白そうだからですよ)
(ちょ、おま、本当にぶん殴るぞっ!)
(どうせ、こいつらをこらしめに来たんなら、さっさとやっちゃいましょうよ。時間の無駄ですよ)
(話してみたらそんなに悪い人たちじゃなさそうだから、迷ってんだよ!)
(はぁ……ケンイチさん、こいつらの話を本当に信じてるんですか?)
(ぁ?)
(綺麗にしてはいますけどね、この教会、そこかしこで血の匂いがしますよ)
な、なんだと……?
(結構な数の人間がここで暴行を受けたり、殺されてるんじゃないですか?ああ、ケンイチさんもフルボッコでグッシャグシャにされればいいのになぁ……)
へらへらと笑うイグナツィオはイカレているとしか言いようがないが、コイツはあまり嘘をつく人間じゃないことは確かだ。
俺は途端に、この建物自体が薄気味悪くなってきた。
ここは暴行と殺戮の館……?
うーむ、とりあえず、ここは一時撤退が吉と見た。
「……なぁ、アリィシャ。今日のところはここを出ないか?」
「え?なんで?」
「なんか、こう……出直した方がいいような気がするんだ、ははは」
プラウボ氏のご機嫌を損ねないように、愛想笑いを浮かべてみる。
氏もそれを受けて、にっこりと微笑んだ。
「どうです、旅のお方。この教会で宿をとられては?この小さな村には宿屋がありませんので、寝床を探すのには難渋なさると思いますよ。無論、お代など頂きません」
「わあ、ケンイチ、嬉しいねぇ」
「……」
アリィシャは完全にプラウボ氏の事を信用しきっているようだった。
だが、お泊まりは最も危険な匂いのするコースだ。
俺はイグナツィオをチラリと見る。
お前ならどうする?
というサインを送ったつもりだったが、イグナツィオは相変わらず緊張感の無い顔のまま、こくんと頷いて見せた。
え?
その頷きは何?どういうこと?
答えはすぐに明らかになった。
「皆の者、頭が高い、ひかえろぉ」
突然、イグナツィオが叫んだ。
「この御方をどなたと心得る。おそれ多くも、異世界より召喚された、ジン・ケンイチ様なるぞォ」
「何だとっ!?」
「こいつがっ!?」
僧衣の男達の眼の色が一瞬で変わった。
や・ば・い……!
「は、はぁー?な、何言ってるんですかね、こいつ、あはははは……」
「ほらほら、勇者ケンイチ様のお言葉だぞ、クサレ魔教徒ども。地に這いつくばって、ありがたく聞け」
「す、すいませんね、こいつ、虚言癖があるもんで……」
はーん!ア、アリィシャ、助けてくれッ!
「皆さん、大丈夫だよっ、落ち着いてっ!」
サンキュー!ナイスフォロー!
「ケンイチは詐欺師じゃないよっ!本物の勇者だよっ」
ぉああああっ!?そ、それは言わんでもっ……!
「はっはっは、ケンイチさん……」
プラウボ氏がゆっくりと祭壇から下りてきて、俺の肩に手をかけた。
眼鏡の奥のその目は、凍てつくほど冷たい。
「本当……なのですか?」
「いや!これは、その、何と言いますか、勇者というのは……俺の昔からの、そう!アダ名のようなものでして……こら、キミ達!こんなところでいきなりアダ名で呼んじゃ駄目じゃないか!ハハハ……」
「……」
「……」
はーん!疑ってるよん!
「ま、いいでしょう。そんなことは些細なことです」
「へ?」
「私達は出会うべくして出会ったのですから、友人になれないはずがありませんよ。あなたがたとえ悪魔であろうが、勇者であろうが、ね?」
おお!良いこと言うじゃん!
「そうそう、人類みな兄弟!敵も味方も無いッスよねぇ」
「はっはっは、素晴らしい言葉ですね。友人よ、どうぞこちらへ」
言うと、プラウボ氏は俺の手を優しくとり、祭壇の前へ導く。
そうして、そこにある鉄製の頑丈そうな大きな椅子に、俺を促して座らせてくれた。
俺は恐る恐る腰を下ろしたが、棘も刃もついてないし、特に仕掛けは無さそうだ。
しかもこの椅子はなんだか暖かくて、すごく座り心地が良い。
「どうです?その椅子は?職人に特別に作らせたんですよ」
「いやぁ、良い座り心地で……その職人、いい仕事しましたね」
「そうでしょう、そうでしょう」
プラウボ氏は満足そうに頷きながら、すっと、懐から何かを取り出した。
あれは何だ?
(卵?)
真っ白な、あの形はどう見ても卵だ。
「そう、卵ですよ」
プラウボ氏はカチンと演説台のカドでそれにひびを入れ……
「おおっ!?」
それを俺の股の間に割り落とした。
「なっ、何!?何のプレイ!?」
だが、この行為の意味はすぐに分かった。
椅子の上に落ちた卵は、ジュウウと音を立てて、あっという間に目玉焼きになったのだ!
「な……!?」
どうやら、この椅子自体がフライパンのように熱せられていたらしい。
さっきのほんのり暖かかったのはそのせいか……不死身だから気付かなかったぜ!
……なんて悠長に納得してる場合じゃねぇぜ!
「貴様ぁ……やっぱり勇者だったな!」
憤怒の形相に変化したプラウボ氏が天に向かって吠えると、信者たちが一斉に僧衣の下から剣を抜いた。