ストレンジ・ナイト
阿鼻叫喚。
まさに店内は地獄絵図の様相を呈していた。
店の店員達が至る所でバキバキと変形して、そこから現れた毛むくじゃらの獣たちが咆哮する。
熊のように大きな身体。
頭だけが頭蓋骨を剥き出しにしたようにつるりとしていて、その落ち窪んだ眼窩には冷たい光がチロチロと燃えていた。
そいつが近くにいた男の喉に噛みつき、低く唸る。
「ウ、ウ、ウマウマ……!」
当然、あのダンスの事ではなく、獲物の味についての感想だ。
逃げ惑う客達が、次々とその牙や爪に引き裂かれ、悲鳴をあげる。
俺と老師は、素早く机の下に滑り込んだ。
「な、な、なんだ、こりゃ!?」
「えらいこっちゃ……!」
「ろ、老師、ナイトストーカーって何です?」
「奴らは夜の獣じゃ!人間どもをここにおびき寄せて食らってたんじゃあ!」
「ど、ど、どうしましょう!?」
「知らん!わしが聞きたいわ!」
二人で喚きあっていると、ひょい、とテーブルの下を覗きこんでくる奴がいた。
「よ、お二人さん」
先ほど親しげに話しかけてきた、ジャンキーだった。
「ツレないじゃないか。一緒に夜を楽しもうゼェェェェ」
言いながら、目の前でそいつの顔がめくれあがり、身体がバキバキと変形していく。
「うお!」
「ひぃ!」
素早く襲いかかってきたそいつは、鋭利な爪で俺の顔を引っ掻いた。
ズバッ!
「おうっ」
俺の顔は血まみれに……はならなかった。
逆にそいつの爪がバキンとへし折れて、どこかへ飛んでいく。
おっと、そういや俺、不死身だったな……
「ヌァ!?オマエ、メタル!?」
「おらぁぁ!」
狼狽した獣に、俺は痛烈なタックルを浴びせた。
もう出たとこ勝負だ。
死なないと分かっているなら、これほど気楽なバイオハザードも無い。
俺は机の下から転がり出て、身構えた。
「コゾウ!」
慌てて立ち上がりかけた獣だったが……
「頭下げな、小僧」
声とともに、ぶん!と風を切る音がした。
俺は危機を感じて反射的に頭を下げる。
すると、目の前にいた夜の獣がグシャッという鈍い音とともに、横に吹っ飛んだ。
頭を上げると、そこには厳つい大男が、大斧を肩に担いでつっ立っている。
こ、こいつは……『千人砕き』のジャガータ!
「あ、ありがとうございます。助かったッス……」
「いいってことよ。ちょうどイライラしてたところだしな」
メイドに会えなかったから?とは聞けないので、とりあえず俺は「そうですね、わかります」とだけ答えておく。
ジャガータは跳びかかってくる獣たちを、次々と斧を振るって吹き飛ばしていく。
その凄まじいまでの強さはまさに『千人砕き』の名に何ら恥じるところが無かった。
「す、すげぇ!強ぇ!」
だが、感心したのも束の間。
ちょうどジャガータの背後の死角から、獣が一匹、凄まじいスピードで突進してきたのだ。
ま、まずい、あれはかわせない……!
そう思った瞬間。
獣は突然頭から真っ二つになり、勢いはそのままに壁に激突した。
「つまらぬ物を斬った……」
あ、あいつは『鋼斬り』のマナベ!
その美しく反り返った刀身は、鮮血に濡れてなお冴々と光っている。
「なんだぁ、俺に貸しを作ったつもりか?」
「ふ……今宵はこの刀が無性に血を吸いたがっていてな……」
ここがメイド喫茶じゃなかったから?という質問は後回しにしておこうじゃないか。
気がつくと、店内は完全に沈静化していた。
俺達はどうやら助かったようだ。
「す、すげぇ……全部倒しちゃった……」
「あたりめぇだ。俺を誰だと思ってんだ?」
「しかし、どうやら生き残りは私達だけらしいな……」
「あ、そこのテーブルの下に一人、ジジイが隠れてます」
「では、そのジジイを入れて四人か……」
「いや、待て!誰だ!?」
ジャガータの指さした先には、テーブルに一人で座り、悠然とお茶をすすっている男が……
「吾輩ですヨ、同志たち」
「ジ、ジーザス!」
俺は思わず目を丸くする。
こんなにヒョロヒョロな奴がどうやってあの修羅場を生き残ったんだ!?
「お、お前、無事だったのか……」
「愚問ですナ、同志。吾輩ほどの一流プレイヤーになれば気配を消すなど朝飯前の夜食のようなもの……」
「け、気配を……?」
「便利ですゾ。吾輩が若い時には多用したものデス。多少、遅刻して教室に入っても『あれ、いなかったんだ?』などと――」
そ、それって気配を消すって言うより存在感無いってことじゃん!!
これ以上悲しいエピソードを聞くのが耐えられなかったので、ジーザスの言葉を手で制してから、とりあえず窓から外を覗いてみた。
外は安全か?
安心してこの店を出た途端に、背後からバッサリ襲われるなんてのはごめんだ。
「……?」
窓の外で、何かが動いた気がする。
それは素早く視界の外に消えたので、ハッキリと姿は見えなかったが……
「わお、ちょっとヤバいかもしんないッス」
「ん?どうした?」
「外にも何かいるみたいっスわ」
「なに……?」
全員が一斉にハート形の窓に張り付き、外の様子を窺う。
だが、周囲の闇は濃く、森は不気味に静まり返っているばかりだった。
「……見えねぇな……おい、そっちはどうだ?」
「こちらからも見えん……」
「気のせいッスかねぇ……」
「いや、ここは大事をとるべきじゃと思う」
エスティ老師が恐る恐る窓を覗きながら言った。
「ナイトストーカーは夜にしか行動できん。奴らは朝日を浴びると消滅する魔獣じゃからな。したがって、朝までここにいた方が安全じゃろう」
「籠城か」
マナベがぽつりと言う。
ジャガータも頷いた。
「外に出てビクつきながら夜道を歩くよりぁ、堂々と朝帰りって方が気楽でいいわな」
「同感だ」
しかし、こんなに死の匂いが充満してるところで一夜を明かすなんて……
血だらけのカウンターを見て、さっきまでは恐怖で一杯だった胸にとたんに後悔や反省がこみあげてくる。
俺がもっと勇気を出していれば、何人か助けられたんじゃないか?
どうせ不死身なんだからやってみるだけの価値はあったはずだ。
こんなんじゃあ、勇者失格だぜ……
俺の暗い顔を見て、全てを悟ったようにマナベが肩に手を乗せた。
「少年、気に病むことは無い。ここに集まっていたのは全員が凶状持ちだったのだ。ナイトストーカーに殺されずとも、いずれは何処かで捕まって同じ目に遭っていただけの事……」
「でも……」
「真に人を救うことなど、誰にもできん……この俺がそうだったように」
「マナベさん……あんた……」
「湿っぽい話をするのはやめろよ。朝までは長いんだぜ」
ジャガータはカウンターの向こうへ入り込んで、そこにあった酒の栓を抜くと豪快にラッパ飲みする。
「ふう、うめぇな。化け物たちにはもったいないぜ」
「あとはメイドさえいれば……」
ジーザスが余計なことを言ったばかりに、全員が俯いて黙り込んでしまう。
そう、すべてはメイドから始まったことなのだ……
「メイドならいるわよ」
「!!」
店の奥から聞こえてきた声に、全員が身構えた。
そこに立っていたのは……
「べ、ベロニカ!」
そう、先ほど妖艶な媚態を見せていた化物女だ!
もう人間の姿に戻ってやがる!
「俺達が見てぇのはお前みたいな化物メイドじゃねぇ」
「そのような開けっ広げな脚でメイドと言えるか。絶対領域はどうした?」
「吾輩のメイドはコーヒーをふうふうしてくれるのデス!」
「わしのメイドは耳掻きもしてくれる」
言ってることは揃ってオタク臭いが、全員がベロニカに対して尋常ならざる敵意を向ける。
「あら、そう?男は皆こういうのが好きだと思ってたんだけど?」
「ふざけんなアバズレが。そもそもメイドのくせにタメ口じゃねぇか」
「ニーソックスを履け。とりあえず」
「吾輩は白ニーソ希望ナリ!」
「わしは蝶ネクタイをキボンヌ」
「いいわよ、ただし……私のダンナを倒してからネェェェェェッ!」
言うや、ベロニカがベキベキとあの薄気味悪いコウモリ怪人に変形し、カウンターの上に飛び乗った。
全員がそれに向かって身構える。
だが、ベロニカは一足飛びに襲いかかってこなかった。
「?」
その時、俺はズン、と店が揺れる錯覚を覚えた。
いや、錯覚じゃない!
ズン!ズン!と、とんでもない質量を持ったものが店の奥からこっちへ近付いて来ているのだ!
やがてそれが現れた時。
俺達は思わず口を開けてそいつを見上げてしまった。
「イキノイイエモノダゼ」
ニンマリと笑うそいつは、身長が3mはあろうかという超ヘビー級だ!
いかにもこの店が窮屈そうに首を傾けて、頭がぶつからないようにしている。
隆々とした毛だらけの身体、他の怪物どもとは比べ物にならないほど突き出した、鋭い牙。
規格外の化物の登場に、全員が言葉を失った。
「外だ!」
一瞬だけ他の面々よりも早く我に返ったマナベが叫ぶ。
それを合図に、全員が弾かれたように窓を割って外へ飛び出した。
俺とエスティ老人も四つん這いになって何とか着地する。
すると、巨大生物も俺達を追って天井を突き破って飛び出し、大地を揺らして着地する。
化物は俺の前に立った。
くそ、巨体のくせに身のこなしが軽い!
逃げ出してもすぐに追いつかれちまうだろう。
「坊主、逃げろ!」
ジャガータが叫ぶ。
だが、俺が逃げたら腰の抜けちまってるエスティ老人が食われちまう。
逆にジャガータとマナベに向かって叫び返す。
「俺が食われてる隙にこいつを倒せますか!?」
「何!?」
「……任せろ。お前の死は無駄にせん」
マナベが剣を抜く。
「くそ、坊主、恨むなよ!」
ジャガータも覚悟を決めた様に斧を構えた。
俺は二人に向かって頷き、化物へ向き直る。
「ヘイ、カモン!腐れゴリラめ!ジャングルに帰っ……ぬおおおおおおおおっ!?」
言ってる傍から俺はでかい手に掴まれて、頭をカジられる。
だが、不死身の俺の身体は奴の牙などものともしない。
顔中がヨダレでべとべとになっちまったのは痛恨だが、俺は息を止めてそれに耐えた。
「!?」
化物はうろたえているようだった。
おじいちゃんが濡れ煎餅と間違えてゲンコツ煎餅を食っちまった時のような衝撃を受けているに違いない。
「おらぁ!」
「せいや!」
二人の男の掛け声とともに、俺の身体を締めつける力が弱まった。
俺は身をよじりながら化物の手の中から抜け出す。
それと同時に、化物は喉と胸から血を噴き出しながら仰向けに倒れ込んだ。
ズウン、と大地が揺れる。
「うぇっぺっぺ……ばっちいなぁ……」
「坊主、無事だったか!」
ジャガータが駆け寄ってくる。
その間にマナベは跳び上がり、ベロニカを両断していた。
「くぅ……っ」
だが、マナベも宙で体勢を崩し、頭から地面に落下してくる。
ま、まずい!
俺は慌ててそこに飛び込んで、マナベの身体を受け止めた。
「だ、大丈夫っスか……!?」
手がじっとりと濡れる感触があって、そこへ眼をやると、なんと、マナベの脇腹から血が流れていた。
「し、しっかりして下さい!」
「ふ、不覚をとった……」
「そんな、チクショウ!マナベさんっ!」
ジャガータもジーザスもエスティ老師も、全員が集まってきた。
「くそ、傷を見せろ」
「いいんだ……どのみち俺はもう長くない……肺を病んでいてな……」
「な、なんてこった……」
全員が彼を囲んでうなだれる。
そんな時だった。
「なぁ、『萌え』を……」
かすれた声で、マナベが言った。
「『萌える話』をしてくれないか……」
「へ?」
「頼むよ……萌えながら死にたいんだ……」
「?」
一瞬、マナベ氏が何を言っているのか理解できなかった。
萌え?
萌えって言ったのか?
「ジャンルは?」
ジーザスが訊く。
す、するのか、萌える話……
「何でもいい……だが、ありきたりなのはイヤだな……」
「『ツンデレメイド』は?」
「あ、ありきたりすぎる……う、ごふっ、ごふっ……」
「『血の繋がらない妹』でどうだ!おい!」
ジャガータが言う。
「そ、それもありきたり……」
「くそっ!」
「『腐れ縁の幼馴染』はどうじゃ!?」
「だ、駄目だっ……」
ああ、こんな時になかなか思いつかない!
もうマナベ氏の生命は風前の灯……
「ケンイチ!お前も何か言わんか!」
「あ、あう、えーと、えー……」
俺はテンパって、とりあえず適当な事を言う。
「『三白眼の巫女』……」
「なに……?」
マナベの目が見開かれる。
全員の視線が俺に集中した。
「巫女なのに三白眼だと……?」
(だ、駄目か……)
「詳しく聞かせてもらおうか……」
い、いいのか……
だが、俺はとりあえず一生懸命説明してみることにした。
「可愛いし、性格は悪くないし、ご近所の評判も良い。でもちょっと目つきが悪いせいで、それをコンプレックスに感じているフシがある娘なんですよ。だから、男子をちょっと避けてしまっているんです」
「学生か!?」
横からジャガータが食いついてきた。
「はい。放課後はまっすぐ帰ってきて境内を掃き掃除してます。先祖代々の巫女さんです」
「家事は……」
「全部完璧にできます。でも、恥ずかしいから周りに吹聴したりはしませんね」
「妹がおるな!」
設定をつけ足して来たのはエスティ老師だ。
「いますね。姉と違ってのんびりした風貌です」
「ドジっ子ですナ!?」
興奮を隠せない様子のジーザスに、俺は頷いて見せる。
「その通り」
「姉妹巫女かァ……」
マナベもジャガータもジーザスも、全員が豊かな顔になってうっとりと眼を閉じる。
「靴下は紺だな……絶対、紺だぜ」
「姉は学校ではおとなしいんだけど私にだけは妙に噛みついてくるんだよ。コンパスとか物騒な物を投げてきたりしてさぁ」
「買い物に付き合わされた時に、ブティックの前で立ち止まる彼女。内心ちょっとオシャレしたいんだけど、家が厳しいからできないんデスよ」
「お祭りのときとか色々と手伝わされるんだ。姉と掃除をしたり、妹と一緒に買い出しとか行ったりしてよぉ!」
「で、結局、妹もわしの事を好きになっちゃう。それで姉は身を引こうかどうか迷っちゃうの」
「そう!そう!」
「仲良くなったらアレですよ……」
「「「『手作りお弁当・イン・屋上』!!」」」
全員の声が揃い、Yeah!とハイタッチを交わす。
いつの間にか盛り上がりを見せる萌え話。
み、認めたくないが……な、なんて楽しいんだ!
ちなみに顔が赤みを帯びてさえいるマナベ氏は死にそうにない。
「巫女さんの服に着替えてる最中にばったり遭遇しちゃうの、私」
「『ば、ば、ばかぁっ!早く出ていきなさいよっ!!』」
「しばらくして、真っ赤になって部屋から出てくる彼女……」
「『み、見た……?』」
「「「『見た!』」」」
「『ば、ばかぁ……』」
「うっひょーーーーー!」
「頭ポカポカされる俺~♪」
「身悶える巫女~♪」
全員が異様なテンションになる。
そうして夜は更けていき、俺は勇者タイムを稼ぐために、一時間おきに犠牲者の墓を作ってやった。
気がついたら、もうあたりはうっすら白んできていた。
もう、朝か……
変な夜だったな……