暴虐のダーク・エルフ
鎧男達に左右から両腕を掴まれ、無理やり連行されていったのは、森の奥だった。
木々が急に少なくなったかと思うと、突然開けた場所に出て、俺はそこにいくつも設置されたテントの中の一つに放り込まれた。
両手を頭の上に乗せたまま跪かされ、しばらく待て、と言われて一人にされる。
脱出の隙が無いかと背後をチラリと確認してみるが、天幕の向こうに監視の兵士が二人立っているのが見えた。
うーむ、逃亡は困難だろうな……
しかし、そもそもここは何だ?
外に馬が何頭もつないであったし、ここに連れてこられるまでに何人もの鎧騎士を見かけたので、ここがどこかの軍隊の駐屯地らしいということは何となく分かった。
(いや、軍隊って……)
なんだかエライことに巻き込まれそうな気がして、俺は生唾を飲み込む。
昼飯を探しに来ただけだってのに……
(おおっと、いけねぇ。そう言えば、勇者タイムは……)
あちこち撫でまわされて危険物を持っていないかを確認されはしたが、手を拘束されなかったのは幸いだった。
俺は左の手首をチラリと確認する。
『06:44』
う・あ・あ・あ・あ……これはマジでヤバい!
このままでは死んでしまうゾ!
だが、どうすりゃいい?
天幕の向こうの兵士に「何か困ってませんか?」と聞くのも不自然だし……
(な、何か、誰か……)
俺はパニックに陥った。
と、その時、外がガシャガシャとうるさくなる。
兵士達が動きまわる音だろう。
ひとしきりガシャガシャ鳴ってからピタッとそれが止まったので、ははぁ、整列したんだなというのがなんとなく察せられた。
そして、声が響く。
「アガシ司令!ご報告がございます!警戒探索中の部隊が不審者を一人連行してまいりました!」
おい!俺は不審者じゃねぇヨ!
と叫び返してやりたかったが、寝た子は起こすなが俺の流儀。
日本人ならではの自制心でもって、ここはぐっと耐え忍ぶ。
それから二言三言、こっちには聞こえない程度の声で何か話しあっていたようだが、すぐに天幕の中に鎧騎士が一人、駆け込んできた。
「アガシ様がお会いになるそうだ。くれぐれも御無礼の無いようにな」
「誰です、アガシって?」
「おい、こら、いきなり呼び捨てにする奴があるか、バカモン」
こつんと俺の頭を軽くゲンコツで叩くと、鎧騎士は耳もとに顔を寄せて来て囁いた。
「いいか、アガシ様は恐ろしい方だ。ご機嫌を損ねるなよ」
「え、マジッすか……やだなぁ、怖いの嫌ですよ、ああ、もう……」
「そんな顔するな。ヘタに歯向かわなければ、悪いようにはせんだろう。だから、おとなしくしておれ」
「さっきから超おとなしくしてますって。あのぅ、もう帰してもらえないッスか」
「それはアガシ様がお決めになる事だ。あの方は目が利くんだ。ハイエルフだからな」
「エルフ!」
俺は思わず叫んでしまった。
エルフって、よくファンタジーに出てくる、あのエルフ!?
おまけにハイ?
「ワオ、すげぇ……」
「いいか、妙な真似はするなよ」
「……はぁ」
鎧騎士が出ていき、いよいよエルフ様とのご対面。
エルフといえば説明するまでも無いだろうが、金髪サラサラの超美形、おまけに上品で聡明なんていうイメージが皆にもあると思う。俺もそうだ。
それにツンデレだのクーデレだのといった属性がつけば、もう、エライことだ。
(うぉ、緊張してきた。生エルフ……)
その瞬間に向けて、高まる期待。
すると後ろでばさっと天幕が捲り上げられる音が聞こえ、人間が複数入ってくる気配がした。
エ ル フ か !?
だが、いきなり振り向くような無粋な真似はしない。
俺はとりあえず体勢はそのままで、泣きつくような声を出してみる。
「あの、俺は不審人物じゃないんですよ。俺はベデヴィアから来た旅行者なんです。森の中で偶然、こちらの方々と出くわしてしまっただけで――」
「……」
「そう、全ては邪なる天の配剤。不幸にして交わってしまった二つの宿星が、今、世界に大乱をもたらす――なんて、俺、何言ってんでしょうねぇ、ハハハ」
「……うるせぇな」
げしっ!
「ごあ!」
容赦無い不意打ちの打撃が俺の後頭部を襲い、俺は頭に手を乗せたまま地面に顔から突っ伏した。
「ううっ、い、いきなりなんてことを……」
俺がヨレヨレと顔を上げると、目の前には一人の大女が腕を組んで仁王立ちしていた。
腰まで届くほどの黒髪に、日焼けした肌。
顔立ちは超がつく美人なのだが、きりっと吊り上がった太い眉と俺を見下ろす切れ長の瞳が、強気そうなこの女の性格を代弁しているようだった。
彼女が身に纏っている、肩や肘の部分がピンと張った、旧ドイツ軍のような鋭角的なフォルムの漆黒の軍服も、実に剣呑で、高圧的なオーラを放っている。
耳、耳はどうだ?
おおっ、ちゃんと尖ってる!
輪郭の両端からにゅっと黒髪を割って突き出ているその長い耳は、紛れも無くエルフの証!
だが、俺の抱いていたエルフのイメージとはかなりベクトルが違う……
「あ、あのぉ……」
「何モンだ?」
鋭い殺気がビシッとこちらに突きつけられる。
うぉ、こ、怖ぇ……
「名乗りな」
「俺はケンイチ……」
「こら!」
「うぉ!」
背後に立っていた兵士が、俺に大喝を入れた。
いきなり大声出すなよ。
びっくりするなぁ、もぅ。
「このお方は『ムウサ辺境監督司令部』の筆頭司令、アガシ様だぞ!敬意をもって答えんか!」
「け、敬意って?」
「語尾に『サー』をつけんか!ほれ、もう一回!」
サーって卓球少女じゃあるまいし……
だが、背に腹は代えられん。
「自分はジン・ケンイチであります、サー」
「ジンケンイチ?珍しい名前だな」
「まー、よく言われますね」
「サー!」
「サ、サァーッ!」
「まぁ、いいや。ケンイチか。覚えたぞ」
そういうと、アガシ司令は俺の前に椅子を引いてきて、どっかと腰を下ろした。
「で、ケンビシ」
お、覚えてねェじゃん!どこの清酒だYO!
だが「ケンイチです」と訂正することなど俺にはできない。
この場はとりあえずケンビシでいいや。
「何ですか、サー」
「……お前、何か芸はできんのか?」
「ゲイ?」
「何かやってみせろ」
「……は?」
俺はサー・アガシの突然の無茶ブリに一瞬、思考が停止した。
「は?じゃねぇ。さっさとしやがれ」
アガシが長い脚を伸ばして俺の額をげし、と軽くこづく。
「う、でも何をすればいいんです?……サー」
「何でもいい。面白ければな」
ニヤリ、とその美しい顔に浮かぶ意地の悪い笑み。
当惑している俺を嘲笑っているのか、俺の爆笑ネタへの期待か。
いずれにしろ、何かしないことにはこの場を穏便に切り抜けることは不可能そうだった。
やむを得ん。
俺は立ち上がり、さて、何をしようかといろいろ思案を巡らせた。
(アレだな……)
まずはジャブだ。
俺は身構えて――
「ゲッツ!」
「……」
「……」
「おひさしブリーフ」
「……」
「……」
駄・目・だ。
やればやるほど雲行きが怪しくなっていく。
まぁ、確かに俺の世界でもこれで爆笑がとれるかというと疑問ではあるが。
ケツの谷間に冷や汗が伝った。
スベった芸人というのは皆こんな思いをするのだろうか。
「おい、どう思う?」
アガシが不機嫌そうに俺の背後の兵士に聞いた。
「はっ!まったく面白くなかったであります!サー!」
「だとよ。残念だったな、ケンビシ。おい、さっさと連れ出して適当なところで首を刎ねろ」
な、なんつー暴虐!
この女、ファシズムの申し子か?
俺は恨みがましい目でアガシを見つめた。
エルフって、もっとこう、上品でおしとやかなんじゃないの?
そんで、線が細くて……
まかり間違っても、俺の『心のエルフ』(?)はこんなゴッド姐ちゃんではない。
(あ……)
アガシがこっちを睨み返してきたので、目が合わないように少し足元に目線を落とした時だった。
(靴紐……解けてる……)
ゴツイ編み上げブーツの紐が、右足の方だけ解けていたのだ。
僥倖というべきなのだろうか。
俺はふう、と一つ息を吐いてから、チラリと勇者タイムを確認してみる。
『01:28』
おう、もう躊躇っている時間は無いぜ、ケンイチ。
Do It!(やれ!)
「うおぉぉぉぉぉっ!」
「な、なにっ!?」
俺は勢いをつけてアガシの足元に飛び込んだ。
「てめぇ!何しやがる!」
「貴様!アガシ様に何を!?」
大きな靴底がげしげしと俺の頭を何度も力いっぱい踏みつける。
だが、不死身の俺はそんなストンピングもCHARA-HEAD-CHARA。
頭上の喧騒に構わず、無心に靴紐を手に取り、素早くチョウチョ結びにした。
よし、完璧!
勇者タイムは?
『59:58』
こっちも完璧。
「ぐへぁ!」
安心したところで、背中にドン!と衝撃を受け、倒れ込んだ俺の上に凄まじい質量を持った物体がいくつも覆いかぶさってきた。
「な、な、何だ!?」
「この小僧!アガシ様!ご無事でしたか!」
「お、おう……」
「くそ、なんてガキだ!」
おお、なんてこった。
俺はテントの中に殺到してきた兵士達によって五体を地面に押しつけられていた。
「小僧!アガシ様に何をするつもりだったんだぁ!」
「暗殺か!?暗殺者なのか!?」
「いや、靴紐がですね、解けていたので、結んであげたんですよ。他意は無いッス!サー!」
「く、靴紐だと……」
兵士達が絶句した。
な、なんだ?
「靴紐が何か……?」
結び方が悪かったとか?
「我が国では男が女の靴紐を結ぶのは、求婚の証……」
「え!?」
「まさか、この小僧……最初からそれが目的で?」
「ち、ち、ち、違いますっ!し、し、親切心からっ!決して邪な気持からではない!そんなバカな!」
「いーや、しかとお前の気持ちは受け取ったぞ、ケンビシ」
意地悪な笑みを浮かべて、アガシが俺の顔を覗き込んできた。
うう、美人は美人なんだが……
「目が高いな、ケンビシ。アプローチも情熱的だったぜ。今のは面白かった」
言いながら、アガシの尖った靴の先が俺の顎にグリグリと押しつけられる。
「だが、アタシはそんな安い女じゃねぇ。いきなり現れた小僧に操を捧げるほどウブでもねぇ」
「そ、そうでしょうとも……サ~……」
「それでも、ケンビシ。どうしてもアタシが欲しいってんなら……」
いや、いい、いらない……
「力ずくでアタシをモノにしな」
そう来ると思った!
「いや、あの、そんなつもりじゃなかったんです。どうしても靴紐を結ばなければいけない理由があったんです。えーと、そう、俺、靴紐が好きなんですよ。靴紐・フェチ」
「うるせぇな」
「うぷ」
アガシは必死の言い訳を展開する俺の顔をげし、と踏んだ。
「表に出な。てめぇの真意はともかくとして、アタシに勝ったら自由の身にしてやるぜ」
彼女は身を翻すと、振り返りもせずにテントを出て行った。
俺を抑えつけている兵士の一人が溜息を洩らす。
「あーあ、お前、バカなことしたなぁ。アガシ様は細剣の使い手なんだぞ。凄腕なんだぞ」
「細剣ッスか……」
「おまけにあの方はハイ・エルフ。『虚影の邪眼』もある」
「コエーノジャガン?何スか、それ?」
「見りゃあ分かるよ。でも、穴掘るの面倒くさいなぁ」
「穴?」
「お前の墓穴だよ。最低でも3mは掘らないと、後で臭ってくるからなぁ」
「そういう生々しい話はやめてくださいよ……」
この会話の間にも、俺の身体は兵士達に担がれ、外へと運び出されていた。