おいでよ、動物の森
「ケンイチ?ケンイチ君や?」
突然、気持ち悪い声を出したのはエスティ老師だった。
(嫌な予感がする……)
俺は身構えた。
この人がこういう声色を使うのは大抵ロクでもないことを俺に押しつける時なのだ。
「何スか」
「勇者タイムの具合はどうじゃ?」
俺はちらりと勇者タイマーを確認してみた。
『25:14』
「まだ大丈夫ッス」
「ならん!」
「う、うお……」
「見せてごらん!?ホラぁ!もう35分も減っちゃってるでしょォが!楽観もほどほどにせい!」
エスティはカッと目を見開き、突如として気がふれたかのようにわめき散らす。
哀れな老人の内面に何が起きたのか、俺には知る術もない。
「で、その勇者タイムをチャージするためにわしが用事を言いつけてやろう。喜ぶがいい」
まぁ、そんな事だろうと思ったぜ。
「何スか」
「昼飯じゃ」
というわけで、俺は木の枝に穂先を括りつけただけの貧相な槍一本を持たされて、薄暗い森の中を獲物を探して徘徊するハメになった。
駆け出しのモンスターハンターでももうちょっとマシな格好をしているはずだ。
しかし、生き物の生命をむやみに奪うというのは勇者的にどうなんだろうか?
清廉潔白な勇者の中の勇者を目指すんなら、精進潔斎をして、肉や魚といった動物性のタンパク質を取らないような修行僧めいたエコロジカルライフを送らなくてはいけないのではなかろうか。
(いや、そもそも何で俺一人で……)
だんだんムカっぱらが立ってきた。
ちなみに、馬車を止めて狩りに行く旨を伝えると、御者であるイグナツィオは
「そうですか」
とだけ言って、あとは知らん顔だ。
「一緒にどうだい」
「あ、お構いなく」
そういう意味で言ったんじゃねぇヨ!
別にお前に対して何らかの気を使って誘ったワケではないんだがな。
でも、こんな線の細い奴を連れて行ってもどうしようもない気がしたので、俺は一人で行くことを決めたのだった。
(しかし、何の気配も無いな……)
そもそも何を獲ればいいのか。
魚は森にはいないだろうし……鳥類か?
あまり大きな獣は俺の手に余る。
俺が色々と思案を巡らせながら野道を散策していると、木々の向こうで、バキバキっと何かが小枝を踏みしめる音が聞こえた。
(おおっ、何かいる!)
少しテンションが上がる。
俺は低い姿勢で音のする方向へ走った。
相手はすぐに見つかった。
茂みの中をもぞもぞと蠢く影。
それは俺の背丈の半分ほどしかない、小さい熊だった。
熊は茂みからちょこんと顔を出して、フンフン鼻息を荒くしながら、周囲を飛び回る羽虫とじゃれているようだった。
(か、可愛いな……)
その愛らしい姿に俺は完全に毒気を抜かれてしまった。
あんな生き物を食べるなど俺にはできない。
そんなことができる奴は人間じゃねぇ!
熊さんの平穏を乱してはいけないと思い、俺はその場を離れようと立ち上がった。
「フゴッ?」
「お、おおっ」
敏感に異変を察知した熊と目が合ってしまう。
そのつぶらな瞳が、俺をじっと見つめてきた。
ううっ、なんて可愛らしいんだ。
俺も思わずニヤけながら熊を見つめた。
と、その時。
「フーッ!フーッ!」
突然、熊の鼻息が荒くなり始め、その瞳が凶暴な光を宿してギュッとつり上がった。
(な、なんだ……?)
さらに驚いたのはその後だ。
なんと、メキメキと音を立てながら、熊の身体が瞬く間に肥大していき、あれよあれよという間に俺の身長の倍ほども膨らんだのだ。
牙が口から突き出し、恐ろしく尖った爪も肉球から飛び出す。
(モ、モンスターだ……)
俺は完全に臨戦態勢となったその熊を見上げて、呆気にとられるしかなかった。
さっきまでリラックマだったのに!
今はもう、『100%中の100%』って感じだ。
「ゴルァ!」
牙獣は短く吠えた。
うおぅ!おっかねぇなぁ!
だが、不死身の俺に出会っちまったのが運のつきだ。
ここはおとなしく俺達の昼飯に……ところで熊って食えるのかな?
俺はとりあえず、牽制するつもりで手に持った槍を熊の方へ突き出してみる。
「せい」
「ゴルァ!」
熊がそれを払いのけようとして、丸太のように太い腕を振るう。
バキャッ!
小気味良い音がして、槍はいともあっけなく穂先からへし折れた。
「あ・お・お・お・お……」
今……全てが終わった……
俺は戦慄した。
この熊の腕力が凄いのか、槍が脆いのか。
ともかく、これで狩りは終了だ。
不死身とはいえ、素手で熊を殺す手段を俺は持っていない。
マス大山ならできるかも知れんが、俺は無理。
キノコでも採集して帰ろう。
「ゴルァ!」
「悪かったよ、クマさん。今のは君を試しただけだ。結果は合格だよ、文句無し。おめでとう、そんじゃ元気でナ!」
なんとかいきり立つ熊をなだめすかしながら、俺は一歩ずつ後退してみる。
だが、熊もバカじゃない。
肉食獣の鋭敏な狩猟本能でもって、俺との距離をじりじりと詰めてくる。
うう、頭の一つや二つ(一つしかないけど)カジらせてやらんと駄目かな?
俺が悲壮な決意を固めた時だった。
「ゴルァ!?」
熊が大きく嘶いたかと思うと、こちらに向けてヨタヨタと前のめりによろけた。
な、何事だ?
見ると、なんと、その背中に大きな槍が深々と突き刺さっているではないか!
「おおっ!?」
俺が驚きの声を上げるのとほぼ同時に、木陰からさらに三本の槍が飛んで来て、その全てが熊の巨体に突き刺さった!
「ゴルルァァァッァァッァ!」
熊は大きく天に向かって断末魔の叫びを上げると、そのままズシンと大地を揺らして倒れ、動かなくなる。
俺は馬鹿みたいに茫然と立ちつくすことしかできなかった。
「な、何が起きたんだ……」
俺の問いに答えるようにして、木陰から五つの影が飛び出した。
「おおっ!?」
「ん?なんだ、小僧か」
五人はそれぞれが中世の騎士のように立派な鎧を身にまとっていた。
身体を動かすたびにガシャガシャと金属音が鳴る。
「小僧だな、どう見ても」
「なぜ、こんなところに小僧がいる?」
「怪しい奴だな」
顔を全面覆う兜のせいで、その表情は全く窺い知れないが、彼らはどうやら俺を怪しんでいるようだ。
「ま、待って下さい、俺、怪しい者じゃありません」
「怪しいヤツは皆そう言うんだよな……」
「隊長、どうします?」
「連行しよう。この小僧が何であれ、アガシ様の退屈を紛らわせるネタにはなるかもしれん」
「ええっ!?いや、ちょっ、待って……」
慌てる俺の腕を両サイドから二人の鎧騎士が掴み、逃げられないように拘束される。
「待って下さい!俺、ベデヴィアから馬車で来てですね……今は昼飯を捜して彷徨ってただけで……」
「言い訳はボスの前でするんだな」
「ちょ、なにをする、やめ……う、うおおおおおっ」
俺は為す術も無く、森の奥へと男達に連行されていった。