決戦都市 ①
「何であの野郎を殺しちまわなかったんです?」
ラーズの歩く早さにあわせて、短い足を忙しく動かしながらコリンチャが訊いた。
「親分がその気になりゃあ、今頃はあのガキ、目も耳も鼻も失くして地中に埋まってますぜ」
「その気にならなかったのさ」
ラーズは誰が見ても分かるほど上機嫌だった。
しかし、それが何故かは取り巻きの子分たちにもまったく分からなかった。
そもそも、彼の一挙一動についての根拠というものなど、誰にも推し量れるものではないのだ。
彼は浮いたり沈んだりという感情の波がほとんど無いかわりに、突然突拍子も無い行動に出たり、部下に理不尽な言いつけをすることもある。
ある時は、街中を歩いている最中に突然部下の一人を殴りつけ、倒れこんだ相手の上に飛び乗って全身の骨をへし折り、散々にいたぶった後で「ちょっと朝の便通が悪かったから」とその理由を語った。
暴行を受けた部下は半日ほど呻きながら死んだ。
またある時は、夕食の料理の中に毛髪が混入していたとして料理人が引っ立てられてきたことがある。
当然、その時は全員が凄惨な処罰を予想したが、ラーズはあっさりとこれを許し、逆に調理の腕前を褒めあげさえした。
料理人を含め、これには全員がしばらく呆気に取られていた。
このようにラーズ・ホールデンという男の無軌道さには、周囲にいる人間でさえ全く予想がつかないのだ。
だが、いつも共通しているのは、常に顔に微笑を浮かべたまま、という点である。
それが一層、他人の眼には恐ろしく映る。
自由気ままに生殺与奪の権利を悠々と行使するその姿は、まさに魔王の名にふさわしいものだった。
『酷薄』であるとか『残忍』であるとかいった言葉は、この男には意味が無い。
ただ、そのように生まれついているというだけなのだ。
「待てッ!!」
貿易都市の広場がもう目の前、というところで、ラーズとその部下達は背後から大きな声で呼びとめられた。
全員が声のしたほうを振り向き、そして目を丸くした。
なんと、重武装に身を包んだ装甲歩兵が五人、盾とメイスを構えて突撃体制をとっていたのである。
「な、な、何だ!て、テ、テメェらは!」
コリンチャは慌てふためき、大声で喚いた。
「ラーズ。ラーズ・ホールデンさんよ」
装甲兵の間から、身なりの立派な小太りの男が歩み出てきた。
いかにも脂が乗った成金といった様子の、くりくりとした目玉が印象的な中年である。
「あ、アザール……!」
その男を見て、コリンチャがうめき声を洩らした。
ラーズは首を傾げる。
「誰だ?」
「アザールでさぁ。この都市を治める豪商連合の筆頭ですぜ……!」
「へぇ」
「おい、ラーズさん。もう我慢ならん。いや、今日こそは言わせてもらうぜ」
「お?」
「いいかい?ここは貿易都市なんだ。この広場で商売をしてぇってんなら、俺ら豪商連合の仲介を通してからにしてもらおうかい?」
「ほーお」
ラーズは顔色を全く変えずに、その言い分を聞いていた。
ようは、奴隷売買で大きな利益をあげているラーズの商売にケチをつけにきたということである。
場合によっては、その上前をはねる事さえも視野に入れているのだろう。
装甲歩兵はそのための牽制の道具だった。
実に商売人らしい打算とも言える。
「勿論、ラーズ。ここは貿易都市だからな。あんたが求めるなら、交渉に応じる用意はあるんだがね?」
「……豪商連合のお偉いさんが何の用かと思えば……」
ラーズは顎ヒゲをぞり、と撫で、長い一本を抜いた。
そして、それをしげしげと眺め、ふっ、と吹いて宙に飛ばす。
「セコい奴だな」
明らかに相手を小馬鹿にしたその態度に、装甲兵たちの身体が、ざわ、と殺気に揺れた。
ガシャン!と重厚な金属音を立てて、彼らが一歩前に踏み出したのを、アザールが手を上げて制止する。
「ラーズ、状況が分かって言ってるのかね?こいつらは難なくお前達を踏みつぶすよ」
「はぁ……そうかい……わかったよ」
ラーズは大きく肩を落として溜息をつくと、つかつかと歩み寄り、おそらく五人の重装兵の中でも最も大男であろう兵士の前に立つ。
その動きがあまりにも何気なく、自然だったので、重装兵はいとも簡単にラーズが間合いに入るのを許してしまった。
「ぬ……」
兜の隙間から狼狽の声が漏れるのと同時に、ラーズの手が動く。
「ぐぇっ!」
ラーズは兜と装甲とのその隙間に無造作に手を突っ込み、その下の柔らかい喉笛を掴んだ。
「……ッ!!」
それは恐ろしい握力だった。
あっという間に気管が握りつぶされ、肺から空気が締め出され……そして、喉骨がゴキンと鈍い音を立てて砕ける。
重装兵は糸が切れた人形のように膝から崩れ落ち、大きな音を立てて地面に倒れ伏した。
鎧兜の隙間からはおびただしい血が流れ出し、路上に赤黒い染みを作る。
当然、倒れた巨体はすでにピクリとも動かなかった。
「な……」
アザールは驚愕に目を剥いた。
目に留まらないほど動きが早かったわけでも、特殊な戦闘技術を用いたわけでもない。
それでもラーズはいとも簡単に、重装甲を着込んだ大男を一人、ものの五秒もかからないうちに始末して見せたのだ。
ラーズ以外の全員が言葉を失い、呆然とその場に立ち尽くした。
「よっと」
ラーズは続いて、息絶えた重装兵の手からメイスを抜き取ると、間髪入れずにそれを近くに立っていた別の重装兵へブン!と投げつけた。
再び虚を突かれた形になり、兵士は手に持った大盾で自らを防御する暇も無い。
「ぅあ!」
短い悲鳴が上がる。
どれほど頑健な兜をかぶっていても、十分な速度と遠心力を加えられて飛んでくる鈍器の直撃を頭部に受けては無事でいられるはずがない。
金属同士の激しい衝突音が空気を揺らし、首を大きくのけぞらせた兵士は宙に鮮血をまき散らしながら仰向けに倒れて、そのまま動かなくなった。
醜くひしゃげた兜が、その内部の凄惨な様子を物語っている。
あっという間に、これで二人目が死んだ。
続いて三人目だ。
ラーズは、動揺と驚愕から棒立ちになっている装甲兵の背後にするりと回りこむと、そのヤカンのような頭に組みついて、ぐい、と捻じりあげる。
てこの原理によって不自然な方向にぐきりと首の曲がった装甲兵は、いとも呆気なく首の骨が砕けて、その場に崩れ落ちた。
小山のような屍が、あっという間に三つ。
残る装甲兵は二人しかいない。
「せっかくいい気分だったのにな」
そう言いながら、ラーズは顔面が蒼白になっているアザールへ歩み寄る。
相変わらず、微笑は顔に張り付いたままだった。
「う……」
装甲兵たちは自分の主人を守ることも忘れ、丸腰の相手に対してずりずりと後ずさる。
「な、な、何をしてる……守れっ、俺を守れっ!!」
アザールが必死に喚くが、兵士たちは一瞬にして仲間を三人も屠ったラーズに対して完全に恐れをなし、戦意を失っていた。
誰一人として、アザールを守るために飛び出して来る者はいない。
「お、お前たちっ!!」
「ア、ザ~~~~ル」
「ひぃっ!!」
ラーズはぐいっとアザールの肩を引き寄せた。
「困った奴だな。お前達はいつもいつも、俺にくだらない勝利しか与えてくれないんだ」
耳元でそう優しく囁かれ、アザールは恐怖に慄きながら身を固くする。
「ラ、ラ、ラーズ、いや、ラーズ様……!か、か、金なら払います……お、お、俺は――」
「金はいらない」
「な、な、何が望みだ?な、な、何でも言ってくれ」
「よし、覚えておけよ。俺が欲しいのは『スリル』だ。分かるか?命をすり減らすような、極限の緊張を味わってないと俺には生きているという実感が無いんだ」
「す、す、スリル……?」
「そう。それが欲しいから俺は様々な戦場を渡り歩いてきた。くだらん奴らのくだらん指示に従ってな。だが、俺に命の危険を感じさせてくれるような奴はどこにもいなかったよ」
言いたいことを言うと、ラーズはどん!とアザールを突き飛ばした。
「今度は百人ほど揃えて来いよ」
あとは振り返りもせずに、ラーズは広場へと歩み去った。
その後を、ラーズの手下達が慌てて追いかける。
アザールは一人、無様に地面に尻をつけたままで、魔王の颯爽とした後ろ姿を見ていた。
言葉も出ない。
(あ、あいつはイカレてる……)
深い恐怖の中で、そう思った。
広場につくと、ラーズの指示に従って手下達が中央に薪を積み始めた。
それとは別の手下が、丈夫そうな棒板を運んで来て、それを十字に組み合わせる。
後ろ手に縛られた状態で座らされていたルイーゼはその様子をぼんやりと眺め、
(あたしを火葬にするつもりなんだわ……)
と思った。
何度か、ラーズに逆らった者の末路としてそれを見せつけられたことがある。
磔刑にされて、炎と煙でゆっくりと焼かれて死んでいく様は、その日の食事が満足にとれなくなるほど凄惨で残酷なものだった。
「へ、へ、勿体ねぇよなぁ……お前みてぇなイイ女がよ」
コリンチャが舌なめずりをしながら、ヒョコヒョコと近付いてきた。
「どうだ?命乞いをすればラーズ様は許して下さるかもしれねぇゼ?へ、へ、へ、まッ、その場合はまず俺達全員に何かしらの謝意を示さなくちゃならんだろうがな」
「お断りだよ」
ルイーゼは侮蔑の意志を込めて、その小男を真っ直ぐ見つめた。
「うっ……」
コリンチャはその視線に怯み、息を呑んだ。
(こいつ、こんな目をする女だったか……?)
彼にとっての女とは、男に依存し、隷属するだけの存在でしかない。
男の寵愛と庇護を得るために、女は精一杯着飾り、媚を売り、身体を差し出すのだ。
しかし、今、目の前にいる女はそんなコリンチャの認識の外にいる。
不服従の意志を湛えた、強い眼光。
それが、彼の背筋に悪寒を覚えさせた。
「テ、テメェ!」
コリンチャは思わず拳を振り上げる。
そう、不安を取り除くには暴力が一番だ。
徹底的に叩きのめして、どちらが優位かをお互いに再確認する必要がある。今すぐに!
「おい、コリンチャ。俺の女を痛めつけようってのか?」
「ひぃ!」
いつの間にか背後に立っていたラーズの手がコリンチャの腕を掴み、ねじり上げる。
「あ、あ、痛ぇ!ラ、ラーズ様ァ!う、腕が折れちまう!」
「持ち場に戻りな。勝手な真似はもう許さないぞ」
「へ、へい!ご勘弁を!!」
パッとラーズが手を離すと、コリンチャは逃げるようにその場を走り去った。
「やれやれ……」
ラーズはいつも通り、微笑を浮かべたままである。
「スマンね。怖かったかい?」
「ちっとも。あんたこそ、これから殺そうとする女を助けるなんてサービスが過ぎるんじゃない?」
「ふうん……」
ラーズはしげしげとルイーゼの瞳を覗きこみ、溜息を洩らす。
「ルイーゼ……正直に白状するよ」
そして、甘えるように彼女の肩にもたれかかる。
「俺は……俺は嫉妬してる。お前にこんな目をさせる、あいつに」
「ケンイチのこと?」
「そうだ」
「……そうね。あたしも白状するわ、ラーズ」
「何を?」
「彼、あなたなんかよりもずっといい男だわ」
「ほう」
「ケンイチはあたしの今まで出会った男の中でも最高の男。彼の為になら死んでもいいって、そう思えるくらいにね。だからあんたがどんな言葉であたしを惑わせようとしても、あたしは悲鳴を上げやしないし、命乞いもしないわ。彼が死んだっていうんならあたしも一緒に死んでやる」
「アーーーーーウ!」
ラーズは天に向かって奇声を発した。
落胆から出たものではない。
心底愉快でたまらないといった、そんな様子だった。
「『勇者ケンイチ』め!」
「……」
「だが、どうだろう?あいつがこのゲームに勝つ確率はものすごく低いぞ?なにせ俺達は一時間で死んでしまう特異体質だ。あの状態から抜け出すには、余程手の込んだ手品でも使わないと不可能だし、もしも幸運が重なって万が一に木の上から降りられたとしても、ここまで辿りつくには相当時間がかかる。お前が黒焦げになってしまった後で、呆然と立ち尽くすあいつの姿……俺には見えるようだ」
「よく喋るのね、ラーズ」
ふん、とルイーゼが鼻を鳴らして笑う。
「彼が怖いの?」
「……」
一瞬。
何百分の一秒にも満たないような、ほんの一瞬だけだったが、ラーズの瞳の奥にパッと激情の炎がよぎったように、ルイーゼには見えた。
だが、ラーズはそれを表面には出さずに、すぐに笑顔を作ってみせる。
「――おおっと、今度は俺を挑発するつもりか?まったく、油断ならん女だな」
「……」
「ラーズ様ァ!!」
ラーズの背後で、声が上がった。
「火あぶりの準備ができましたぜ!」
「おう。よし、じゃあ、ルイーゼ。これでお別れだ。残念でならないよ」
男が二人、ルイーゼの拘束を解き、今度はその両手を十字架に縛りつける。
ここで、ラーズがひょいと屈みこんで、ルイーゼの耳元で囁く。
「いいか?あいつはどっちみち死ぬ。あの木の上で無様に首を吊ったまま死ぬか、ここに辿りついてから俺に殺されるか。状況と場所がほんの少し違うだけで、結末は同じだ。それでもあいつに賭けるか?」
「……当り前よ」
「わはっ!」
ルイーゼの回答に、ラーズは満足そうに微笑んだ。
「立てろ!」
ラーズの号令で、ルイーゼの十字架が薪の上に立てられた。
広場で何のイベントかと、貿易都市の観衆も集まり始め、すでに大きな人だかりとなっている。
こういった時の野次馬というのは残酷だ。
状況を見れば、誰もがこれから行われることを十分に理解できようものだが、誰一人としてその非道をなじる者もいなければ、磔にされている美しい女を助けようとする者もいない。
ただ全員が、事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。
その目には期待の色さえ浮かんでいる。
コリンチャが小走りで、火のついた松明をラーズのもとへ運んだ。
それを受け取ると、ラーズはちらりと『魔王タイム』を確認する。
『42:35』
「あー、そうか。さっき三人ばかり殺しちまったから……」
ラーズは舌打ちをした。
一時間、とケンイチには宣言したのに、正確な時間が分からなくなってしまったのだ。
「ま、いいか」
ラーズは何の躊躇いも無く、薪に火をつけた。
「おおっ!ほ、本当に火をつけた!」
「マジか!」
「す、すげぇっ!」
「きゃあっ!」
大勢の観衆から、様々な声が上がった。
その中には悲鳴も含まれていた。
ラーズは観衆へ振り返る。
「お集まりの皆さん。さぞや驚かれた事でしょうが、なぁに、お心を痛める事はありませんよ。あの女は多くの罪を犯した大罪人なんです。したがって――」
「大罪人はあんたよ」
ラーズの声明を遮り、実に歯切れのいい声が野次馬の間から飛んできた。
「ん?」
モーゼの前の大海の如く、観衆の塊がザザっと割れた。
そこに立っていたのは――
「ほう……ケンイチのピーチちゃんか」
「やーね。そのスケベな表現」
それはプルミエルだった。
腕を組み、胸をつんと張って仁王立ちしているその小柄な美少女に、その場にいた全員の視線が集まる。
「おや?もう一人の食べごろピーチはどうした?」
「食べごろピーチはあんたの下品な館を潰しに行ったわ。……ん?何よ、私は食べごろじゃないっての?」
「ほほぉ……俺の館を潰しに、ね……で?君は何をしに来たんだい?」
「私はこの下らないお祭りを中止させに来たの」
プルミエルの全く物怖じしない態度を見て、ラーズは満面の笑みを浮かべる。
「素晴らしい……!見た目だけじゃなく中身まで魅力的だな、君は」
「そうでしょうとも。握手会はまた後日ね」
「だが、どうするつもりだ?俺と俺の手下全員を相手にして、あのスモークになりかかっている女を助け出せるかな?」
足元からもうもうと立ち上る煙に咽込んでいるルイーゼのほうを、プルミエルはチラと見て、しなやかな指をパチン!と鳴らす。
「!?」
観衆は瞠目した。
なんと、プルミエルの指の音とともに、瞬時に火が消え、それに伴って煙も薄くなっていったのだ。
それはまさに魔法のようだった。
ラーズも少し眉を上げる。
「何だ?今のは」
「後で分かるわ。その前に……とう!」
プルミエルは身軽に飛び上がり、高く積まれた薪の上に音も無く着地した。
その見事な身のこなしに、観衆からもどよめきが上がる。
「ちょっと、なんで逃げなかったのさ!?」
ルイーゼが、首を動かして真横に立ったプルミエルを叱咤する。
だが、プルミエルはそれに答えず、逆に質問した。
「ケンイチは?」
「……街の外で、縛り首にされたよ……」
「殺されてはいない?」
「……」
「目の前で死んではいないのね?」
「……でも、あのままじゃ危ないわ。私よりも彼を助けに行きなさい!」
「んー……」
プルミエルは腕組みをして少し考えた。
「……ま、大丈夫でしょ」
そう見切りをつけると、プルミエルは足元の観衆とラーズへ向き直る。
相変わらず仁王立ちである。
「お集まりの皆さん。重大なお知らせがあります」
決して大声で叫んでいるわけではないが、よく透る声。
今や広場一杯に詰めかけているギャラリーの最後列にまでその声は届いた。
「私の名前はプルミエル・ミスマナガン。火の魔道貴族ミスマナガンの当主です」
「ミ、ミスマナガン!?」
「魔道貴族だって!?」
ギャラリーが大きくどよめく。
これは実に衝撃的なカミングアウトであった。
自由貿易都市を謳うこの街では、権威の象徴である『魔道貴族』の名は禁忌なのだ。
だが、そのどよめきを手で制して、プルミエルは先を続ける。
「で、非常に急ですが、貿易都市ベデヴィアは今日、この瞬間からミスマナガンの監視下に置かれることになります」
さらに大きなどよめきが広場を支配した。
「何だって!」
「あのアマ!ひきずり下ろせ!」
「ふざけやがって!」
いくつもの罵声が飛んでくるが、プルミエルはどこ吹く風である。
「監視下、といっても、あなた達のまっとうな商売のお邪魔をするワケではありません。年貢をとることも税金をかける事もしません。ただ、この都市での貿易に関して、いくつかのルールを設け、それを遵守してもらえるように心がけてもらえればいいだけのことです」
「ルールって何だ!」
ギャラリーから声が上がる。
「はい、良い質問ですね。まず、大前提として『奴隷の売買禁止』」
これを聞いて、ラーズの部下達が殺気立った。
「あのアマ!ラーズ様、ひきずり下ろしてひんむいてマワしちまいましょう!!」
「待てよ。最後まで聞こう」
コリンチャは縋りつくように言うが、ラーズは相変わらず微笑を浮かべたまま、プルミエルの演説に聞き入っていた。
「人身売買は人の権利を大いに害する悪しき商いです。これは駄目。認めません」
「ふざけんな!」
「ふざけてません」
「うっ……」
野次を飛ばした男は、プルミエルのあまりにも堂々とした受け答えに気圧され、二の句が告げられなくなる。
プルミエルはすう、と息を大きく吸って、こう続けた。
「知ってる?この世のどこを探しても『奴隷』という名前の人はいないのよ」
彼女は胸に手を当て、人々に訴える。
「一人一人に名前があるわ。一人一人に家族がいて、一人一人に未来がある。夢を見る権利も、希望を持つ権利も、幸せになる権利も全てが一人一人に平等にあるのよ」
私にもあった。
無いと思っていたけど、あったんだ。
心ある人々が教えてくれた。
プルミエルは孤児院に拾われる前の自分の境遇と、ラーズの館に囚われていた少女たちとを重ねていた。
本当に、運の差だけだ。
それ以外は何も変わらない、人間同士なんだ。
あの、不安に怯える少女達に、そう声をかけてあげたい。
言葉が届かなければ、せめて、想いだけでも。
「貧しい人もお金持ちもいるわ。ズルイ奴も清廉な人もいたっていい。でも、人の尊厳を奪ったり、汚したりすることを私は許さない。私はミスマナガンの名において、この都市を本当の『自由』貿易都市にする。文句は言わせないわ!」
そう、高らかに宣言した。
いつの間にか、広場は静まり返っていた。
全員がプルミエルの言葉を聞いていた。
一人一人が、眩しいものを見るように彼女を見上げていた。
もうどこからも、野次は上がらなかった。
その時――
「最高だ!」
突然、声が上がった。
進み出てきたのはラーズである。
「もう、なんて言えばいいか……ウウ!とにかく最高だ!名演説だった!」
その演説に水を差したラーズを、プルミエルは冷たい視線で一瞥する。
「……」
「おっと、怖い目だな、魔道貴族ミスマナガンさん。ところで、君の理想は御立派だが、ここに奴隷商人の頭領がいる事を忘れてもらっちゃ困るな」
「忘れてないわ」
「それなら結構。で、どうするんだい?ここが『反魔結界』の中だということを忘れているわけじゃないよな?君がどれほど強力な魔道師であろうと、この土地ではただの女の子に過ぎない」
「そうね」
「落ち着いたもんだな。今、俺の手下が豪商連合の本部に駆け込みに行ったよ。『魔道貴族がこの土地に侵入した!』と報告しにね。連中は目の色変えて大勢の兵隊を連れてくるだろう。そうなったら君は一巻の終わりだ」
「そうはならないわね。残念ながら」
落ち着き払った様子のプルミエルを見て、ラーズは満足そうに眼を細めた。
「いいぞ!よし、それじゃあ、君の切り札を見せてもらおうか?」
ラーズが顎をしゃくって合図をすると、手下達が四方八方から薪の山をよじ登り始めた。
囲んで、取り押さえるつもりなのだろう。
「では、始めようかしらね」
プルミエルは大きく息を吐き、そして、右手を天にかざす。
その手首には、金色のブレスレットが輝いていた。
「天の聖位。地の大観。高みにありて深きを望む者。汝は猛き炎の主……」
「……?」
その場にいた全員が、異変を感じた。
空気が張り詰め、妙な緊張感が心を騒がす。
少女の姿が、まるで陽炎のように揺らめいて見える。
おまけに、息苦しくなって……暑い?
(いや、本当に暑いぜ……)
コリンチャが額を拭うと、手の平がぐっしょりと汗で濡れた。
(な、なんだ……?な、何かとんでもねぇものが……)
見えはしない。
だが、広場にいる全員がその存在を感じ始めた。
「来たれ!そして我が望みに答えよ!獄炎の獣王『マギ・ハルカオ』!」
プルミエルが天に向かって叫び、掲げた拳をぐっと握る。
そして――それが現れた。