敗北の味
「完璧なシチュエーションだよな?」
ラーズが両手を広げて、満足げに言う。
「大空の下で、雌雄を決する魔王と勇者……ギャラリーが少ないのが甚だ残念だがね」
俺達は貿易都市の郊外の、林の中にいた。
人通りは全く無い。
外に出た途端にルイーゼさんの手をとって逃げだそう、なんて安易なプランも持ってはいたんだが、下水の階段を上ったところで屈強な男どもに両脇を囲まれて、否応なくラーズと向かい合う格好にさせられてしまった。
つまり、プランAは失敗に終わったってこと。
(となると、プランBだ)
これはいたってシンプルだ。
目の前にいる野郎――ラーズを倒して、堂々とこの場を去る。
それだけ。
(だが、それが難しいんだよな……)
俺は改めて、悠々と煙草をふかしているラーズを見つめる。
長身痩躯、なんて言葉があるけど、ようは余分な肉が付いていないだけで、この男が肉食メインの異国人ならではの、非常にがっしりした体つきをしていることは疑いようもない。
腕力では到底かなわないだろう。
「どうする?そろそろ始めるか?」
ラーズが煙草をこちらに放り投げて言う。
「……」
俺はその煙草の火を足で揉み消し、拾って、ポケットへしまう。
「?」
「吸殻は灰皿に」
不思議そうにするラーズに、そう忠告してやった。
公共マナーの基本だ。
「ほほぉ、御立派、御立派。いやぁ、さすが、ニッポン人だな」
「気をつけろよ。そういう小さな不注意が大火事につながるんだぞ」
「でも、『勇者タイム』を稼げただろう?」
ちら、と確認してみる。
『58:22』
おお、確かに。
「今ちょっと考えたんだが――ひょっとしたら俺達は共存できるのかもな、ケンイチ。俺が悪さをして、君がそれをなんとかする。そうしたら、俺達は意外と良いパートナーと言えるんじゃないか?」
「ずっとお前の尻拭いをしろってのか?ご免だね」
「あー、そうか。残念だ」
余裕ぶった笑みが、その気は無いことを暗に示している。
こいつは俺を完全に舐めきっているのだ。
さっき一騎討ちを申し込んだ時も、『思う存分痛めつけてやるぜ』という意志以外の何物も感じなかった。
俺は腹が立ってきた。
男として、舐められたまま引き下がれない。
一寸の虫にも五分の魂、という言葉がある。
「くだらん事を言うのはやめろ。始めようぜ」
「わはっ!いいぞ」
俺はさっと身構えた。
構えた、とは言っても、ロクに喧嘩もしたことが無いから、テレビなんかでよく見るK1ファイターの見様見真似だ。
バンナでもシュルトでもホンマンでもいいから、俺に宿れ!
いや、やっぱホンマンは駄目だ。
「あー……何だそれは?もうこの時点で君が不利になっちまったぞ」
溜息まじりで、急に妙なことを言い出すラーズ。
俺は少し面喰ってしまった。
「な、何だと?」
「今、少し隙を作ってやったのに気がつかなかったのか?」
「な……?」
「頭を使うんだ、ケンイチ。腕力でも体力でも負けている相手に勝つにはどうするか?奇襲しかないだろう?君は身構える前に俺に向かって突進してくるべきだった。そうすればちっとは有利な状況で戦えたかもしれないんだぞ」
「う、いや、そういう気分じゃなかったんだ……」
「だいたい何だ、その構えは。脇を閉め過ぎだ。それじゃあ遠心力を生かした重たいパンチを打てないぞ。ジャブだけで俺と戦うつもりか?」
「ううっ!」
「やれやれ……よし、君に特別に格闘術というものを教えてやるぞ。門外不出のグリーンベレー式コンバットだ」
ラーズはフッと力を抜いて、俺の前に無防備な状態で立った。
「ほら、打ってこいよ。ノーガードだぞ」
そう言って、顔をずい、と俺の前に差し出してくる。
(……バカにしやがって!)
俺は完全にトサカに来て、渾身の一撃をその鼻っ面に向かって打ちこんだ。
……つもりだった。
「うおおおっ……おっ!?」
俺は勢い余って、前につんのめる。
つい一瞬前までそこにあったはずのラーズの頭。
それがビュン!と消えたのだ。
魔法みたいだった。
「はずれだ」
後ろで声がしたかと思うと、ドン、と背中を突き飛ばされる。
俺はそのまま、無様に地面に倒れこんでしまった。
「く、くそっ!」
負けてたまるか!
俺は跳ね起きて、一子相伝の拳法の伝承者の如く一心不乱にパンチを放ちまくる。
「オラ!あたたたたたたーッ!」
だが、その一つとしてラーズには届かない。
奴はずっと笑顔を浮かべたまま、俺の拳をさばき、かわし、受け止める。
「ケンイチ、分かったか?近接格闘に必要なのは腕力じゃないんだ。足。フットワークが命だ」
「うるせぇぇぇぇぇッ!オラオラオラドララァーッ!」
「どんなパンチも当たらなければ意味が無いんだ。ほれ、スウェイバック……これはダッキング」
だ、駄目だ……
一発も当たらない……
あいつの身体は空気でできてるんじゃ……?
次第にスタミナが切れてきて、意識が朦朧としてくる。
打ち出すパンチも、ヘロヘロと力無く宙を彷徨うだけになってしまった。
「見ろよ!あいつ、バテてやがるぜ!」
「あれだけ啖呵きってたのに、情けねぇ野郎だ!」
ラーズの取り巻きどもからヤジが上がる。
腹は立つが、今はそれどころじゃない。
「うおおぉっ……」
渾身の力で大きく振りかぶったが、足がもつれて、その場にずっこけてしまった。
「く、くそぅ……」
立ち上がろうとした俺の背中を、ダン!とラーズが踏みつけた。
「ぐへっ!」
「期待はずれだったな、ケンイチ」
「うあああああああああっ!」
奴の靴が背中にメリ込んだ。
信じられないほどの力が加えられて、背骨がミシミシと音を立てる。
空気も肺から押し出されて、息をすることもままならない。
「っ……はっ……っ……!」
「さて、どうしたもんかな?このままお前を殺してしまうのもな……」
「……っ……!」
「お、面白いゲームを思いついたぞ!」
俺の背中がふっと軽くなった。
「ゼェ――……ゼェ――……」
俺は貪るように空気を吸って、吐いた。
もう、立ち上がる体力も無い……
正直言って、気力も萎えてしまっている。
ここまで歴然とした差があるなんて考えもしなかったのだ。
俺は無様に地面に這いつくばって、ラーズが手下達に何らかの指示を与えているのを、ぼんやりと眺めていた。
(こ、殺すのか……俺を……?)
不思議と、恐怖は感じなかった。
なんだか全部、他人事のような感覚だった。
大男に腕を掴まれているルイーゼさんが、髪を振り乱して何か叫んでいるのが見える。
俺は心の中で彼女に詫びた。
すまねぇ、ルイーゼさん。
俺はどうやらここまでのようだ……
「おっと、勝手に気絶されちゃ困る」
俺はラーズに思いっきり頬をひっぱたかれた。
「うぶ!」
「目が覚めたか?おい、縛れ」
「へい!」
声と同時に俺の身体にラーズの手下がのしかかり、両腕を後ろ手にぐるぐると縛り上げ始めた。
両足も同じように縛られる。
「な、何を……!」
「ゲームさ。スリリングなサバイバルゲーム」
「できやしたゼ!」
パッと俺の身体の上から男達が退いた。
「な、な、なんだ……くそ!」
全身がぐるぐる巻きにされて、文字通りスマキの状態。
昔の漫画みたいだ。
かなり固く縛られたんだろう。
全く体の自由が利かない。
「おおぅ、芋虫みたいになっちまったな?さて、ゲームのルールを説明するぞ、ケンイチ」
ラーズが屈みこんで、俺の顔を覗き込んだ。
「俺達はこれから一時間後にあの女――ルイーゼを処刑する」
「な、なんだって……」
「おっと、怖い顔だなケンイチ。大丈夫、その前に君が彼女を助ければいいんだ」
「……?」
この野郎、何を言ってるんだ?
こんな状態で、どうやってルイーゼさんを助けろというのか?
「もちろん十中八九、無理だろう。だが、勇者なら何とかなるかもな?万に一つってやつだが」
「ラーズ!お前は本当にサイテーのくそったれ野郎だ!」
「よく言われるんだよ。今では褒め言葉だと思うようにしてるよ」
「やめろ……殺すなら俺を殺せばいいだろ!」
「ダメダメ。君が言ったんだぞ?『俺に勝ったら好きにしろ』ってな」
な、なんて野郎だ……
ゲームの中の魔王でさえ、もうちょっと温情ってのがある。
「おっと、その前に、君がきっかり一時間生きられるようにしておかないとな」
ラーズはそう言うと、立ち上がり、俺の鼻先に靴を突きつけた。
「さっき下水に入ってしまったから、汚れちまったんだ。綺麗にしてくれ」
「な……」
「ほら、『勇者タイム』」
「テメェ……!」
俺は怒りで血管がブチ切れそうだった。
そんな屈辱的なことをするくらいなら死んだほうがマシだ。
「イヤだね!絶対ヤダ!」
「つくづく予想通りの反応だな、ケンイチ……だが」
ラーズは大男に合図してルイーゼさんを連れてこさせ、その首を掴んで、ぐいと仰け反らせた。
「あう!」
「自分の痛みは平気でも、他人の痛みはどうかな?」
「な、何だと……?」
「お前が俺の靴を綺麗にしてくれないんなら、俺は魔王らしく癇癪を起して、この女を痛めつける」
ラーズはそう言うと、パン!と思いっきりルイーゼさんの頬を叩いた。
「きゃっ!」
「やめろ!」
「アー……靴が汚いとイライラするぅ。誰か綺麗にしてくれんかな?」
再び、パン!と音が鳴った。
「ひううっ!」
「やめろっ!わかった!やるよ!綺麗にする!ピカピカにしてやるよ!」
「おっ!その言葉を待ってたぞ」
「くそっ、おい、早く縄をほどいてくれ……」
「ん?」
ラーズが意外そうな声を出した。
「縄を?」
「『ん?』って何だ。これじゃ、手が使えない」
「手?」
「お前が靴を綺麗にしろって……」
「あ、あーあー、そういうことか。君、勘違いしてるぞ」
「?」
俺は全くワケが分からない。
「海軍ではな、靴を綺麗にするってのは『舐めろ』ってことなんだよ」
「な……」
「文字通り、舌でな」
な、な、なんて野郎だ……
「イヤなのか?」
「……!」
断われば、こいつは再び、容赦なくルイーゼさんをぶつだろう。
(ええい!くそ!)
俺は覚悟を決めて、奴の靴にむしゃぶりついた。
「そうそう。綺麗に、丁寧にな」
AV男優か、テメェは……
「おひょーう!見ろよ!あの野郎、本当にラーズ様の靴を舐めてやがるぜ!」
「俺だったら死んでもあんなことはできねぇゼ!まったく、プライドってものがねェのかよ!?」
図に乗った取り巻きどもが辛辣なヤジを飛ばしてくる。
俺は目を瞑り、その言葉を軽く聞き流すようにしながら恥辱に耐えた。
怒りは役に立たない。
嘆いてもしょうがない。
(今は、耐えるんだ……)
苦みが口の中いっぱいに広がっていく。
敗北の味だ。
(この野郎……絶対に忘れないぞ……!)
俺はラーズを見上げ、睨みつけた。
奴はその視線を堂々と受け止め、笑う。
「いい顔してるぜ。ゾクッとくるよ、ケンイチ」
「おおっ?ラーズ様ァ!『勇者タイム』がチャージされましたぜ!」
カエル顔の小男が、背後でさも楽しそうに声をあげた。
「勇者ってのは悲しいな、ケンイチ。君が好むと好まざるとに関わらず、こんな屈辱的なことでも生き延びちまうんだからな……おい、吊るせ」
「な、なにっ?……うおおおっ!?」
ラーズの指示とともに、後ろからいきなり首に縄が掛けられ、ぐん!と引き上げられる。
そのまま俺の身体は地面から1mほど宙に浮いた。
つまり、首吊りの状態である。
縄がぎりりと首に食い込むが、不死身の俺は当然、そんなことでは死なない。
だが、両手足を縛られた上に吊るされたとあっては、本当に打つ手無しだ。
チンピラどもが木の幹に縄の端を何重にも巻いて括りつけ、高さを固定した。
「一時間だ」
悔しさに歯噛みする俺を見上げながら、ラーズが言う。
「一時間後にルイーゼを処刑する。君の寿命も順当にいけばあと一時間だな?」
「くそ……」
「だが、君ならこの困難をくぐり抜けられると信じているよ」
「ラーズ!」
俺は悔し紛れに奴の名を呼んだ。
「何だ?」
「俺を殺さなかったことを後悔させてやるぞ!」
「おおう、魔王みたいな口ぶりだな」
「ケンイチ……」
ルイーゼさんが大男に抱えられながら、不安と悲しみに光る瞳で俺を見上げている。
「ルイーゼさん、大丈夫、俺が絶対助けるから……」
「あんたって子は……!」
「あー……あ、なんてこった。この期に及んで、まだそんなことを言えるとは……君は文句無しに正真正銘の男だよ、ケンイチ。多分、明後日くらいまでは君のことは忘れないだろう。ま、そこで一秒一秒、命の重みというのを味わってくれ。俺達はなまじ不死身なもんだから、そういうことに関する観念が緩んでしまってるからな」
言いたいことを言いたいだけ言ってから、ラーズは踵を返し、仲間たちとともにぞろぞろと引き上げていく。
「また会おう。生きてたらな」
毒蝮三太夫みたいなことを言いやがって!
(絶対、ぶん殴ってやる!)
こちらを振り返りもしないラーズの背中を、俺はずっと睨み続けた。