Je suis petit et suis fort (プルミエル視点)
石造りの狭い通路を進むと目の前に扉が現れ、そこにはルイーゼの言っていた通り、『娼館』と書いてあった。
「ここを開けたら、多分、門番がいるな」
耳を当てて扉の向こうの気配を読みつつ、メイヘレンが言う。
「どっちが倒す?」
何処となく楽しそうだ。
「私。ブッ飛ばすわよ」
「待てよ、私だってそうとうストレスが溜まってるぞ」
「えー」
「じゃあ、こうしよう。私より背が高かったら、私が倒す。低かったら君。どう?」
「ここ大男ばっかりじゃない。不公平だわ」
「では、『ラーズよりも背が高い』だったら?」
「うーん……ま、いいわ」
「よし。開けるぞ」
メイヘレンは躊躇い無く扉を開けた。
「おぉん?」
目の前に立っていたのは、頭からつま先までをガッシャガシャの重装甲に身を包んだ、熊のように大きい男だった。
「……メイヘレン、あんたよ」
「ううむ、これは予想外」
二人でしばらくその男を見上げる。
さて、どうしよう?
「お二人さん、ここはラーズ様の許可無しには通せねェ……」
地獄の底から響くような野太い声が、ヤカンのような兜の隙間から漏れ出した。
「新人か?どっから出た?生憎、ここはお前らが通り抜けちゃならねェ路だぜ?」
「カタイこと言わないでよ、ねぇ」
いかにも商売慣れしてますよ、といった風にすり寄ったメイヘレンの指が、分厚い鎧の輪郭をすす、と撫でる。
あの鼻にかかるような甘い声はどこから出しているのか?
「ここを通してくれたらさ、今度内緒でさ……」
「うへっへっへ……」
ヤカン頭が奇妙に動く。
「あんたみたいな上玉がねぇ……うう、たまらんぜ。だが、残念だったな。俺は仕事熱心なんだ……それに、ラーズ様はここで捕まえた女は俺の好きなようにしていいと仰っているしな……つまり、あんたの色仕掛けにはあまり意味が無いってこった」
「あら……」
うーん、意外と真面目な奴。
さりとてあんまり時間をかけたくないし、このヤカン頭は素手で殴るには痛そうだ。
(しゃーないか……)
色仕掛けは苦手だし嫌いだが、危急の折である。
私はメイヘレンを押しのけ、前に出た。
「なんだ?おチビさん……へっへ、俺はツイてる……今日はこんな上玉が二人も……」
「『油地獄』……!」
「は?」
ヤカン頭はポカンとした様だ。
「知らないの?油地獄。それは――」
私は空想と妄想をフル回転させ、『油地獄』というキーワードから連想される、めくるめくエロスの祭典を微に入り細に入り、スペクタクル溢れる一大叙事詩として語り上げた。
その内容は、とてもここに書くのは躊躇われるので、各自勝手に想像するように。
「ワーオ、スゲェ……『油地獄』……」
私が語り終えると、大男は夢見心地で呟く。
ヤカンの向こうの鼻息はそうとう荒くなっていた。
「しかも、今日なら美女が二人一緒よ。スリーマンセルで『油地獄』!今日だけよ」
「すげぇ……」
「そ。ここを通してくれれば、『油地獄』の秘儀すべてを手に入れることになる……」
「秘儀……」
「男ならちゃっちゃと決める!」
「分かった。分かったぜ。ラーズ様には内緒で、な」
「勿論」
「で、どうするんだ?今、これから?」
「夜。準備がいるから」
「何時だ?」
「十二時ごろ」
適当に答える。
「よし、行け」
「じゃ、また後でね」
「へっへ……」
薄気味悪く笑いを洩らすヤカン頭を後ろに置いて、私達はそそくさと娼館の中へ潜り込んだ。
そこはまさに享楽の館だった。
フロアーのそこかしこに限りなく露出度の高い衣装を身にまとった女達がいて、甲高い笑い声をあげたり、互いの身体を弄り合ったりしている。
その狂態は、まるで強い酒にあてられたか、何かに取り憑かれているようだ。
隅のほうで身を硬くしているのは、新人達だろう。
年の頃、十五、六だろうか……
(やれやれ……ロクでもない施設だわ)
これだけの数の女を集めて『ラーズ専用』というのだから、その権勢の大なることには驚くばかりだ。
女達だってどこかから無理やり引っ張って連れてきたに違いない。
魔王の名に恥じない暴虐ぶりに、感心さえする。
(でも、許されるものじゃないわ、ラーズ……)
私たちはルイーゼの指示に従って、通用口を目指す。
しかし、そこに予想外のアクシデントが起きた。
ガラの悪い男達が反対側の通路からドカドカと踏みこんできたのだ。
(あれ?ここは男子禁制のはずじゃなかったっけ?)
罠に嵌められた?という考えが、一瞬、頭をよぎった。
「おらぁ!女ども!全員フロアーに並びな!」
「ピーピー喚くんじゃねェ!」
「とっとと出てこい!ぶちのめすぞ!」
粗野にしてガサツ、品性の欠片も感じられない怒号が飛ぶ。
女達は悲鳴を上げながら、その指示に従い、フロアーへ集まった。
「おおっと、ヤバいわね」
「倒すか?」
「ここで?」
「確かに、暴れると巻き添えが多すぎるな……」
さっと物陰に隠れた私とメイヘレンは、そこから男達の人数を確認する。
(四、五、六……なんと、七人もねェ……)
おまけに全員が太い棍棒と、剣呑な鉈を腰にぶら下げていた。
ようは人を痛めつけるのが得意な連中というわけだ。
ガシャガシャと音を立てて、先ほどのヤカン頭の大男も慌てて合流する。
これで八人。
「ど、どうしたんだ?」
「おお、バンプル。昼間にとっ捕まえた連中がここに逃げ込むかも知れんとラーズ様のお達しだ。いいか、待ち伏せるぜ」
大男はヤカンの中で、あっと驚いた顔をしただろう。
自分の通した女二人がそうだったのだと、今になって気付いたようだ。
せわしなく、キョロキョロと周囲を見回したり、鎧兜の位置を直したりしている。
(ばーか……)
とは思っても、さて、どうしよう。
「いいか!ここにルイーゼが逃げ込んでくるかもしれねェ!あのアマ、ラーズ様を裏切るつもりだ!」
リーダー格らしきスキンヘッドの男が大声で喚き立てる。
その口ぶりからして、ルイーゼが私達を陥れたのではないということが分かったので、少し安心した。
「怪しい奴が来たらすぐに俺達に言え!いや、もう忍び込んでるかもしれん!」
おお、鋭いわね。
「このメス豚どもが!隠し立てしたら痛い目に遭わせるからそのつもりでな!」
私は、その高圧的な物言いにムカっ腹が立ってきた。
(サイッテーの奴らね……)
男と女という一つの括りだけで、まるで身分が違うとでも言うかのようなその態度。
男がそんなに偉いっての?
女として、たとえ多少の傷は負っても、あの連中を痛めつけてやらないと気が済まない。
私が握り拳をつくり、飛び出そうとした時だった。
メイヘレンが私の袖を引っ張った。
(プルミエル……)
(なに?)
振り返ると、そこには少女が三人、顔を蒼白にして立っていた。
先ほど身を硬くして固まっていた少女たちだ。
この喧騒の中で、出て行きそびれたんだろう。
(あちゃー、マズイ……)
ここで大声を出されると、あっという間に男達に取り囲まれてしまうだろう。
狭い空間では、私の暗殺拳法はなかなか本領を発揮できない……
私は彼女達の目を、まっすぐ見つめた。
三人が三人とも、怯えに濁りきっている目をしている。
私は辛抱強く、見つめ続けた。
私は敵じゃない。
私は怖くないわ。
そんな意志を込めて、三人を見つめた。
すると、どうだろう。
少女が三人ともこちらに向けて、無言で頷いたのだ。
そして、三人は小声で囁き合うと、そのうち二人がすう、とフロアーへと出ていった。
「何だァ?今頃出てきやがって!この愚図ども!」
パン!パン!と乾いた音が二度、響いた。
二人に対して、スキンヘッド男が平手打ちを喰らわせたのだ。
(あいつ!)
もう許せない!
私が飛び出そうとしたのを、腕を掴んで、残った少女が止めた。
見ると、メイヘレンの手首も同じように掴んでいた。
「まだあっちに誰か隠れてやがんのか!?」
スキンヘッド男ががなりたてる。
「誰もいません」
二人の少女の声は凛然としていた。
「本当か!?」
「はい」
「な、何だ、その目は!メス豚の分際で!」
「……」
「う、、く……」
男達は、その堂々とした少女達の態度に圧され、明らかに怯んでいた。
(あの子たち……)
その誇り高い姿は、何と表現していいのか分からない。
理不尽な暴力の嵐の前に、人間の尊厳をもって立ち向かう少女達。
とても……胸を打たれる光景だった。
(こっちへ……)
小声で囁いて、私達の腕を掴んでいた少女が歩きだした。
私とメイヘレンは彼女に導かれて、厨房を抜け、洗濯場を抜けて、とうとう通用口の扉までたどり着いた。
後ろを振り返る。
まだ、追手がここまで来る気配は無かった。
「ここから出て」
少女が言う。
「どうして……?」
私が訊く。
「……無事に逃げてね」
少女はそれだけ言って微笑むと、私とメイヘレンを外へ押し出して、バタンと扉を閉めた。
「……」
不衛生そのものといった路地裏に、私もメイヘレンもしばらく無言で立ち尽くしていた。
活気の良い屋台の声だけが、本通りから聞こえてくる。
これが『自由貿易都市』の姿だ。
表向きは明るく自由な商売の街。
だけど、裏小路に入れば、その暗部はただれきっている。
弱者と女達の涙と、尊厳を踏みにじって、繁栄していく都市……
やがて、ぽつりとメイヘレンが言った。
「……私の妹と同じくらいの年頃だったよ、あの娘たちは……」
彼女のほうを見ると、眼鏡の奥の瞳が悲しげに光っていた。
しかし、その拳は力いっぱい握りしめられている。
怒っているのだ。
私と同じく。
「……行くわよ、メイヘレン」
「どこへだ?」
「まずはエスティを捜す」
「それで?」
「ここを潰す」
エスティはすぐに見つかった。
私達が裏小路を抜けると、目の前には大きな川が。
彼はその川べりにしゃがみこんで、水面を見つめながらメランコリックな溜息を吐いていたのだ。
いい年をしたジジイがそんなことをすると、入水自殺でも考えているんじゃないかとちょっと不安になりそうな光景。
「やい、ジジイ!」
「ヒィ!」
私の声にエスティは甲高い悲鳴を上げて反応し、無様に地に伏して額を地面にこすりつけた、
「もうお金は持っとりません。わしゃ、ただの哀れなジジイですじゃ……」
「……どっかのチンピラに巻き上げられたのね」
「へぁ?」
顔をあげて私の姿を見た途端、ぱあっとエスティの表情が明るくなった。
「プ、プルミエル!メイヘレンも!無事じゃったか!おお、神よ……」
「やたら神妙な顔をしてると思ったら……オヤジ狩りにでもあったの?」
「ち、違うわい!ガキどもめが、小遣いが欲しいというから恵んでやっただけじゃ。フォフォフォ、わしが本気を出したら、あやつらの肉片一つこの世には残らんじゃろうて……」
すはーっとワケのわからない構えをあれこれして見せるエスティ。
思わず目を覆いたくなるほど無様な姿を晒した後に、こういったことを易々と言ってのけるその根性は大したものだ。
「あり?ケンイチはどうした?」
「彼は別行動。ちょっと心配だけど、今はどうしようもないわね」
「むう」
「それより、エスティ、『マギ・リンカー』を使うわ。出して」
「ええっ!もう!?」
「『マギ・リンカー』だと……?」
メイヘレンも驚いているようだった。
「おっ、知ってるのね。さすが魔道貴族……」
「待て待て、『マギ・リンカー』といえば神宝具だろう。なぜ、老師が持っているんだ?」
「フッフッフ。『マジコ・ミステル・エスティアンドリウス』とはこのワシのことよ。後で抱いてやっても良いぞ」
ドヤ顔でエスティが言う。
メイヘレンはそれを無視して、私に向き直った。
「私の分もあるんだろうな?」
「うーん、とりあえず、五つほど持ってきてるはず……」
「よし。ひと暴れしてやろう」
そう。
この貿易都市を、真の自由貿易都市へ変革させる必要がある。
今日がその日だ。