きた、試練
「おおっ……」
俺は思わず唸ってしまった。
暗い室内から急に日差しの下に出たもんだから、外の世界の眩しさに驚いたのだ。
ミミズやモグラの気分ってのはこんなもんなんだろう。
しかし、ずっとその暗所に籠っていたはずの老人は明暗のギャップなんてものを全く異にも解していないようだった。
さすがだね。
「こっちへ来い、ケンイチ」
老師は漆喰のほとんどが剥がれかかった壁際に立つと、そこに空いている無数の穴を見て溜息をつく。
「これをどう見る?」
「へ?」
「古い建物じゃろう。老朽化が進んできておる」
「はぁ……そうですね」
「冬にはこういう穴から隙間風が入り、凍えるほど寒い。ほとほと困っておるのよ」
「へぇ……」
少しの間、沈黙が流れる。
老師がチラリとこちらを見た。
俺はその言葉の意味を量りかねて、間抜けのような相槌を打ちながら次の言葉を待つしかなかった。
老師はきっと、何か哲学的なことを俺に伝えようとしているに違いない。
この穴だらけの壁が、何かの隠喩になっているのだろうか?
「……この壁を修繕することができれば……さぞ快適になるじゃろうて」
老師はもう一度こっちを見た。
なんか、少し苛立っているように見えるんだが、気のせいかな?
俺はまだ、老師が何を言わんとしているのかがピンとこなかった。
不出来な勇者でゴメンね、老師。
もう少し分かりやすい例えにしてくれると助かるんだが……
老師は大きな溜息を吐いた。
「誰かがこの壁を修繕してくれたらのォ……」
「……」
おや?
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ?
いや、まさか、そんなはずはない。
「この壁を修繕しようという『勇者』はおらんかのォ」
老師はしれっとした様子で畳みかけてきた。
俺は唖然とする。
(……こ、の……!)
ようやく、その魂胆が分かった。
この御老体、人の弱みにつけこんで俺にリフォームをさせようとしてやがる!
「左官仕事に従事しようという『死にかけの勇者』でもおればのォ!むしろ自発的な感じで!」
ォの、ジジィ!
かなり表現が露骨になってきやがった!
もはや恥も外聞も無いといったザマだ。
チクショウ、こんな理不尽な要求に屈してたまるか!と思いつつ、腕時計を確認してみる。
『14:22』
ぬ、くぅ……
「ところでケンイチよ、勇者タイムはあとどれくらい残っておる?」
超白々しい!
「おんやぁ?15分を切ったか……このままではヤバいのぅ」
ヤバいのぅと言いつつもにんまり微笑むその顔。
ああっ、思い切り壁に叩きつけてやりたい!
だが、勇者タイムが残り少ないのは事実だ。
背に腹は代えられない。
(くそっ、おぼえてろ……!)
俺は涙を呑んで、口を開いた。
「お、俺が……やりましょうか……?」
思わず、語尾が震えた。
何たる屈辱!
「あ、そ。じゃあ、裏の納屋に道具があるから」
何だ、その態度。超ムカツク!
「ケンイチよ、これはまさに試練。それに耐えてこそ真の勇者になるのじゃ」
今頃、偉そうなこと言いやがって!
「ふぁ~あ……」
黙って今までのやり取りを見ていたプルミエルは、大きなアクビをした。
俺と老師のやり取りに呆れているようだ。
頼む、幻滅しないでくれ。
俺にとってもサプライズなんだぜ、こんな茶番は。
「エスティ、私、お風呂入ってるから」
「うむ」
「え、風呂?」
「そ」
ワーオ!ドキドキイベント到来!
しかし目の前にいる老人がキッと俺を睨みつけた。
「お前さんは左官仕事じゃ」
このジジイ、喧嘩を売ってるのか?
「なーに?いやらしいこと考えた?」
はい。
「ま、しっかり頑張んなさい」
プルミエルが俺にウインクを投げてよこした。
そんな仕草だけでもすごく嬉しいもんだ。
しかしこの娘、人の家でいきなり風呂に入るとはかなりの剛の者だ。
そもそも、この老人との関係は一体?
まさか、親子なんてことはないだろうな。
「……なぁ」
「うん?」
「この、じ……エスティさんとはどういう関係?」
「はぁ?何よ、急に」
「いや、ちょっと気になったから」
「んー……『居候の物知り爺さんとその家主』ってとこかしら」
「へ?家主?」
「ここは私の別荘の一つなの」
「プルミエルは魔術の名門『ミスマナガン』の正統継承者じゃ。世界中の至る所に別荘を持っておる」
「わーお、お嬢様なの?」
「そんなお気楽なものじゃないわ」
プルミエルは少し不機嫌そうに肩をすくめた。
「ま、いいでしょ、そんな話は。長生きしたければ、雑談よりも仕事をしたら?」
「そうじゃ、ちゃきちゃき働けィ」
老人が俺の背中を小突く。
ぶっ殺すぞ、ジジィ!
冷静さを取り戻すために、時計を見る。
『10:01』
(おわぁ、急がないと……)
俺は急いで納屋へと走った。