アイアンモンガー
「欲しい……」
プルミエル達との待ち合わせの場所へ向けて路地を歩きながら、エスティ老師がしみじみと呟いた。
「何が?」
「アリイシャちゃんじゃ」
おっと、どうやらこの爺さんはさきほど別れた美少女にまだ未練があるらしい。
「老師、発言に犯罪の匂いがするっス」
「違うわ!エロティックな意味合いで言ったのではないわい」
「へ?」
「あの娘の尋常ならざる腕力、膂力。この先の反魔結界の中では、超役に立つじゃろう。おまけに超可愛いし。性格も良いし。良いとこ尽くしじゃ。あー、もう、何で誘わなかったんじゃ、バカ!」
「バカって……あの子だって旅の途中だって言ってたでしょう。何で『俺について来いよ』なんて言えるんです?」
「断られたら、その時はその時じゃろうが……まったく、積極性が足りんというか……」
いや、無理。
そんなアグレッシブビーストモードを完備していたら、今頃は彼女の一人や二人いるっての。
年頃の男の子ってのはシャイなもんなんだ。
「だいたい、これ以上カワイ子ちゃんはいらないっスよ。こっちは禁欲中なんスよ」
「大変じゃのぉ」
ひ、他人事だと思って……この野郎。
「ワシャどこでも美女見放題、触り放題」
「……」
「イヤらしいこともやり放題。ふへへ、勇者でなくてよかったわい……」
「お、俺だってイヤらしいこと色々してぇよぉぉぉぉぉぉッ!!」
「……天下の往来で何バカなこと叫んでるのよ」
「おわぁお!」
突然後ろから声を掛けられて、俺は魂が肉体から押し出されたと錯覚するほど仰天した。
慌てて振り返ると、そこには美女二人――プルミエルとメイヘレンが立っていた。
「び、びっくりした……」
「もー、人を見てびっくりするなんて失礼ねー」
「ス、スマン……」
いつからそこに?と聞く勇気が持てなかったので、俺はとりあえず頭の中で素早く別の話題を模索する。
「ヤ、ヤッフォンさんは?会えたかい?」
「会えなかった」
「へ?留守だったの?」
「行方不明中」
「へえ……って、え!それって結構大変なことなんじゃ?」
「強引に誘拐されたわけじゃなくて、誰かに連れ出されて、そのまま戻らないみたいね」
「うーむ、入れ違いってことか?ツイてないな」
「そうでもないよ」
メイヘレンが言う。
「魔王と鉢合わせずに済んだみたいだからな。ツイてるんじゃないか?」
「ま、魔王?」
「魔王だ」
「え!?魔王って!?」
「魔王よ」
「『バラモス』とか『デスピサロ』とかそういうヤツか?」
「ばらもす?」
「いや、何でもない。でも……マジ!?」
「まぁ、魔王がヤッフォン教授を連れ去ったと断定はできないがな。魔王に何らかの関わりがある者とみていいだろう」
「スゲェ……『魔王』って本当にいるんだ……」
「何をいまさら。あなただって『勇者』でしょう?」
「そう言われりゃそうなんだけどさ。そのことにはあまり自信が持てなくてな」
しかし、どうしよう?
俺は勇者だから、もしも魔王が現れたら俺が倒さなくちゃいけないんだろうか?
いや、そんなことは無いだろう……
だって、俺、普通の高校生だし……
備わっているチートな能力と言えば『無駄に不死身』なだけだ。
ビームも出ないし、空も飛べない。
「それで?どうするんじゃ?わしゃヤッフォンのことはすっぱり諦めて先を急ぐのが吉じゃと思う」
エスティ老師が言う。
老師はよっぽどヤッフォンって人が嫌いなようだ。
「むうん、そうね。何の手掛かりも無いから、捜しようも無いというのが正直なところよ」
プルミエルは思案顔で頬を膨らませながら、腕組みをした。
「あまりタイムロスをしてもケンイチが不憫だ。我々と違って彼の時間は限られているんだからな」
「なんか瀕死の重病人みたいだな、俺……」
「まぁ、目的地ははっきりしてるんだし、とりあえずは『チャペ・アイン』に向かいましょうか」
と、プルミエルが言ったところで――
「おい!例の奴らがまた始めるらしいぞ!」
「マジか?うひょお、行こうぜ行こうぜ!」
突然、周囲が騒がしくなった。
特に男連中が、妙な興奮に目を光らせながら、道を我さきにと駆け出していく。
「ん?何だぁ?」
「さーね……?」
「面白そうだ。行ってみようか」
「おいおい、さっき俺の時間が限られてるってあんたが言ったばかりだろ……」
それでも結局、メイヘレンの言葉に全員が促され、俺達は人々の流れを追ってみることにした。
「さぁさぁ、御来場の諸君!今日も『カンターダ商会』の自由競売の時間がやってきたぞ!」
うおお……!と地鳴りのような歓声が上がる。
そこは貿易都市の大通りが東西南北に交わる十字路で、大きな広場になっている場所だった。
大小様々な屋台が立ち並ぶ様子はまるで縁日だ。
その中心には立派な舞台が設けられていて、壇上では派手な道化師のように着飾った男が、この場の雑踏に負けないほど、良く透る大きな声で客の呼び込みをしている。
その甲斐あってか、周囲には目をぎらつかせた男達で人だかりができていた。
「さぁ、スケベな奴らは寄って来い!顔の良い女!体の良い女!背の低い女!背の高い女!痩せた女!太った女!選り取り見取りだぁよ!」
おおっと、これはつまり……
「奴隷オークションじゃ」
俺の隣で、エスティ老師が言う。
「しかも、女の競売らしいのぉ。まったく、見るに堪えんな……」
「奴隷って……」
俺は壇上に目を移す。
バカみたいに下品な言葉をわめきたてている道化師の後ろでは、首に鎖をつけられた女達がぐったりとうなだれたまま一列に並ばされていた。
その全員の目が、不安と恐怖と、絶望に濁っている。
(くそ、ひでぇな……)
俺は何ともやるせない気分になってしまう。
どうしてこういう商売があるんだろう?
ここには人間の尊厳なんてものは全く存在しない。
「さぁ、早い者勝ち!購入希望の方は手を上げてくれ!まずは……この女!おら、こっち来い!」
右端に立っていた娘が、ぐいと腕を掴まれて舞台の中心に引っ張り出された。
彼女は緊張にぐっと体を固く硬直させて、周囲から寄せられる好奇の目に耐えているようだった。
「名前は『エレーナ』。ワァオ、ソソられる名前だろう?まぁ、痩せてはいるが、ウブな田舎娘だから色々と教え込む楽しみってのがある。それこそ、男の楽しみの最たるものだな。よし、金貨十枚からいこうか?」
「十二枚!」
「十五枚!」
一斉に観客から声が上がる。
「……また、随分と安いのぉ」
「高い安いの問題じゃないッスよ……アイツもコイツらもどうかしてるぜ」
くそ、だんだん腹が立ってきた。
「三十枚!」
「三十三枚!」
「おおっと、いいところまで来たな。おら!てめぇ!もっと高く買ってもらえるように、愛想を振りまかねぇか!」
そう怒鳴って、道化師が腕を振り上げる。
その手には、短い革の鞭が握られていた。
「あ、あの野郎!」
俺が叫んだ瞬間。
事態は急展開を見せた。
観衆の中から飛び出した黒い小さな影が、素早く舞台に駆け上がり、勢いをそのままに道化師野郎にタックルを食らわせたのだ。
「ぬお!」
道化師はその衝撃で舞台の端まで転がっていく。
「ぬ、くそ……な、何しやがる!この野郎!」
「タックルしたの。気付かなかった?」
なんと――黒い影の正体はプルミエルだった!
彼女は舞台の上で腕を組んで、鞭打たれる寸前だった娘をかばうように仁王立ちしていた。
そのあまりにも凛々しく、堂々とした立ち姿は神々しくさえある。
奴隷として並ばされている女達も、呆然とそれに見入っていた。
「女の子に暴力を振るうのはやめなさい。男として恥ずかしくないの」
「な、何だと……」
「この娘達はみんな私が買い取るわ。いくら?」
「は?」
突然の提案に、相手は呆気にとられたようだった。
「いくら?」
「へ……へっへっへ……」
男は顔に下賤な笑みを浮かべて、立ち上がった。
「いやぁ、お嬢さんに払えるかな?そうさな……一人あたり金貨五十枚として、十人で五百枚になるわな」
「五百枚」
「びっくりしたかい?だが……」
男は卑猥な目つきでプルミエルの頭からつま先まで、全身を見つめる。
「あんたなら……この女ども全員と交換で十分元が取れそうだな……へへ、たまらんぜ」
「金貨五百枚ね。わかったわ。後で持ってくるから、娘達は裏で休ませてなさい」
「な、何だと……?」
「手付に金貨二十枚置いてくわ」
プルミエルはスカートの裾から魔法のように巾着袋を取り出して、道化師の足元に放り投げた。
男はそれを慌てて拾い上げると、中を確かめ、枚数を数えだす。
「じゃあ、またあとで」
プルミエルは踵を返し、颯爽と舞台を降りようとする。
俺はその威風堂々とした姿に、感動を覚えていた。
(か……かっこいいぜ、プルミエル……惚れ直したぜ!)
同時に、奴隷制に憤ってはいたけれど、彼女のようにそれを実行に移さなかった自分が恥ずかしくなった。
何を躊躇していたんだ、俺は……
これは本当は、勇者である俺の役目のはずだ。
「ま、待てっ!」
道化師が彼女を呼び止める。
「何よ」
「へっへ……なぁ、五百枚は女達の分だぜ、お嬢さん。俺の商売を邪魔した慰謝料は別だ」
「はぁ?」
「慰謝料は金貨百枚。そいつも合わせて持ってきてくんな」
「……」
あの野郎、足元見やがって……!
「あの……」
舞台の中央に立たされていた娘が、なんとか男をなだめようとする。
「黙ってろ!」
男はそう叫んで、あろうことか、その娘の頬を思い切りひっぱたきやがった!
ぱん!と乾いた音が響く。
くそったれ!もう我慢ならん!
「この野郎!」
俺は今度こそ壇上に飛び上がる。
あの人でなしに、人の道を教えてやる!
しかし――先にプルミエルが動いた。
彼女は道化師に向かって素早く前進し、その顎に強烈なアッパーを叩きこんだのだ。
「ぐへぇあ!」
的確にあごの先端を捉えたその劇的な一撃に、男の体が一瞬、宙に浮く。
浮いた足が地についた時には、男はもう完全に意識が地球外に飛んでいるようだった。
力を失った膝が体重を支えられなくなり、そのまま男は前のめりに倒れ、動かなくなる。
素人でも分かる、絶対に起き上がれない倒れ方だ。
またしても一歩出遅れた俺。
しょうがないので、プルミエルの後姿に向けて拍手を送った。
ううっ、情けない。
「い、いぇーい……ナイスパンチ……」
「暗殺拳法よ」
「え!そうなの!?スゲェ!」
「嘘」
「嘘かよ!」
と、俺達がちょっとした漫才を始めた時だった。
「あのアマ!アンドレアを気絶させやがった!」
「囲め!囲んじまえ!」
「どチクショウ、ミンチにしてやるぜ!」
舞台の後ろのテントから、最高にガラの悪そうな男達が十人ほど飛び出してきて、あっという間に俺達二人を取り囲んでしまった。
おまけに全員が全員、手に斧やら剣やらの物騒な代物を握っている。
舞台を囲んで成り行きを見守っていた観衆はそれを見て、悲鳴を上げながら散り散りになって逃げていった。
「うお……こんなに味方がいたとは……」
「意外だったわね」
「落ち着いてるな……」
「慌ててもしょうがないでしょ」
「男は切り刻め!女は『館』に連れてくぞ」
人相の悪い面が、じりじりとにじり寄ってくる。
と、ここで急に「ひぐっ」という短い悲鳴とともに、その面の一つがぐるんと白目を剥いたかと思うと、そのままドサリと倒れ込んだ。
な、な、何だ?
「ペ、ペトロ!?どうした!?」
「加勢するぞ、お二人さん」
涼しげな笑みを浮かべて立っているのはメイヘレンだった。
背後から哀れなペトロ氏の首筋に手刀を打ちこんで倒したらしい。
おいおい、この世界の女ってのはどうして皆こんなに強いんだ?
「仲間か!?」
「くそ!このアマ!やっちまえ!」
号令とともに、男達が一斉に襲いかかる。
だが、展開は一方的だった。
「せい」
「ぐふ!」
「てい」
「ごはぁ!」
プルミエルは大して機敏に動き回るわけでもなく、向かってくる男達の顔面にひたすら拳をまき散らす。
また、いいところに当てるんだ、これが。
眉間、鼻元、こめかみといった人体急所を的確に打ち抜いていく様は、オーフレイムも真っ青だ。
「そら」
「げぇ!」
「ははは」
「うごぁ!」
メイヘレンはプルミエルとは対照的に優雅に舞い、その長い脚を振り回して、男達を薙ぎ倒していく。
彼女もまた闘い方というのをわきまえているようだった。
ハイ、ミドル、ローと実に器用に蹴り分け、正確に相手を倒していく様は、ヒョードルも真っ青だ。
「くそ!強ぇぞ!この女達!」
「女は後回しだ!野郎を刻んじまえ!」
スーパーガール達に恐れをなした男達は失地回復とばかりに俺に向かって殺到してきた。
「死ねや!」
ブン!と一斉に振り下ろされる無数の剣と斧。
だが、当然この不死身のボディーの前では割り箸同然だ。
「ハッ!」
俺は全身でその刃の雨を受け止めた。
「げぇっ!」
悲鳴を上げたのは男達だ。
振り下ろした剣は曲がり、突き刺した剣は折れ、頭をカチ割ろうとした斧はよほど勢いをつけて振り下ろしたのか、柄の部分からボッキリとへし折れてどこかへ飛んでいった。
「な、なんだ!?この野郎は!?」
「まるでメタルだ!」
混乱する男達に向けて、俺は決め台詞を贈る。
「蚊でも刺したか?」
キマった……
「う、ぐ、チクショウ!おい!親分を呼んで来るぞ!」
「そうだ!親分が出て来たらテメェらなんぞ……」
「親分!来てくだせぇ!!」
男達は逃げ出すようにして一斉に舞台を飛び降りると、我先にといった様子で、先ほど自分たちが飛び出してきたテントへと駆けこんだ。
どうやら加勢を呼びに行ったようだ。
「親分って?」
「ボスってことでしょ」
「手下どもの様子から見て、よほど屈強なタイプのようだな。ここはケンイチに任せるよ。上手いこと戦意を喪失させてくれ」
「ううっ、あんまりおっかない人だとヤダなぁ……」
「いいじゃん。ボッコボコに殴らせてやって満足させれば」
「ボッコボコに殴られるのだって結構疲れるんだぜ。不死身とはいえ……」
「おっと、どうやらご登場のようだぞ」
俺達はテントの入口に注目する。
ゆっくりと幕がめくり上げられ……そいつが姿を現した。