Un roi du démon (メイヘレン視点)
ベデヴィア都市図書館へと繋がる『アデイ・チアゴ通り』は、商店の立ち並ぶ繁華街だ。
掘り出し物を血眼になって探す目利き自慢や、旅の思い出に個性的な土産物を探す観光客、そして、そんな彼らに自分の商品を売りつけようと必死に舌を動かす商人。
それらの人間達が集い、群れ、一つの大きな熱のうねりとなり、混沌とも呼べる活気をもたらしている。
『永遠の自由都市。自由に万歳!』
頭上にはためく横断幕には、大きな字で誇らしげにそう書かれていた。
ごった返す人混みの、その、むっとするほどの熱気の中で、私は溜息を吐く。
あの横断幕の意味するものは、自由への純粋な賛歌などではなく、通商を制限する魔道貴族へのあからさまな嫌悪でしかないのだ。
「やれやれ……私達の身分がばれてしまったら、あの横断幕の隣に吊るされそうだな」
「その前にマワされるかもね」
「ははは、そいつはいいね。マワされて吊るされる、か。ケンイチみたいだな」
私は術戦車に繋がれ、悲鳴を上げていた不幸な勇者の姿を思い出す。
「違うわ。彼は吊るされながらマワってるの」
「あまり違わない気もするな……」
そんな会話を続けながら、私達は押し寄せる人波をすり抜け、商人の呼び声を振り払いながら、ひたすら前へ――目的地へと進んで行った。
歩く速さというのは、通常は足の長さに比例するものだが、目の前の小柄な少女はその物理法則を無視しているかのように、スイスイと滑るようにこの雑踏の中を歩いていくから不思議だ。
しばらくすると、商店街が途切れ、目の前に大きな広場と、そしてその先に巨大な正方形の建造物が現れる。
目が火傷しそうなほど燦然と輝く、金色の外壁。
豪華絢爛という言葉を辞書で引くと、この図書館の名が三番目くらいには載っているだろう。
『ベデヴィア貿易都市図書館』。
『貿易都市』という異文化交流の盛んである立地の性質上、東西南北の書物が様々な地方から集まり一堂に会する、まさに書物の博物館といえる。
「いつ見ても立派な佇まいだな」
「そう?成金っぽくて私は嫌い」
「まぁ、確かにそんな風ではあるな。百年ほど前に、この土地の豪商連中が金を出しあって建てたらしいからな。おそらくは天文学的な建造費だったろうね」
何を象ったのか判然としない前衛彫刻の立ち並ぶ広場を抜け、妙に段差の高い階段を上り、正面のゲートをくぐって建物の中へ。
豪壮な金色の外面と違って、内部は白一色の、実にシンプルで清潔感あふれる造作になっている。
それはおそらく、この図書館が『アカデミー』と呼ばれる研究機関も兼ねているからであろう。
それでも、床一面に高級な大理石を惜しみなく嵌めこんでいたり、さりげなく巨匠と呼ばれた名工の彫刻が飾られていたりと、所々に豪商の潤沢な資金力が見え隠れしている。
私達は、まず受付に向かった。
プルミエルはカウンターの前に立つと、そんな馬鹿なと思わず言いたくなるような、完ぺきな笑顔を作って見せる。
「ごめんくださいまし。私達、エスティアンドリウス氏の紹介で参りました。『プリミィ』と『メイ』と申します」
「はぁ……」
分厚い眼鏡をかけた、いかにもインドア志向という感じの、線の細い青年が顔を上げた。
彼は気だるそうな仕草で机から来賓ノートを取り出し、パラパラとそれをめくりはじめる。
「えーと?エスティアンドリウス氏の御紹介……ああ、はい、お話は伺ってますよ。どういったご用件でしょう?」
「ヤッフォン・ダフォン教授はいらっしゃいます?教授の研究について、二、三、質問させていただきたいことがございまして……」
「ヤッフォン教授……」
青年の顔が曇った。
「どうかなさいまして?」
「ヤッフォン教授は……一週間前からお戻りになられてません」
「……どういうことですの?」
「教授は研究室にこもるタイプの方なので、滅多に外出なさらないんですが……一週間前に来客があって、その方が教授を外に連れ出したまま、戻られないんですよ。我々も心配して捜してはいるんですが……」
「来客?」
「立派な身なりの男でしたよ。丁寧な言葉遣いの、大柄な紳士でした。しかし、紹介状も無いので最初は面会をお断りしたんですがね。それでも『これを渡せば教授から会いに来る』と言って一枚のメモ紙を渡されました」
「そこには何と?」
「さぁ?内容を確認せずにそのまま教授に渡しましたからね。でも、それを見た時、ヤッフォン教授は妙に興奮した様子で、すぐにその男と会って、そのまま蒸発してしまったんです」
「……」
これはどういうことだろう?
誘拐?
しかし、わざわざ図書館の研究員をさらったところで、何かしらのメリットがあるとも思われない。
「うーん……」
私の隣で、プルミエルも顎に指を当てて深く何事かを思案している様子だった。
そして、口を開く。
「……ヤッフォン教授の研究室を見せていただけませんか?行く先について、何かヒントが見つかるかも」
「え、でも、それは……教授の許可無しには……」
「まぁ、君。そう固いことを言うものじゃないよ」
渋る青年の前に、私は金貨を五枚、静かに置いた。
「あ……」
「恋人に何かプレゼントしてあげるといい。大丈夫。この事は決して『アカデミー』に漏れるようなことは無いし、私たちも何かを盗んで行こうという輩ではない。不安であれば君も立ち会ってくれていいし、なんならここを出るときに私達の身体を隅から隅まで調べても良いんだよ」
「隅から隅まで……」
青年は私達を覗きこんで、ごくりと生唾を呑んだ。
やれやれ、男というのは実に単純な生き物だな。
「わ、分かりましたよ……教授の研究室は研究棟の二階、27号です。……これが、鍵です」
彼は鍵を我々の前に置いて、そのまま流れるような手つきで金貨を自分のもとへ引き寄せ、胸のポケットにしまい込んだ。
「あまり人目につかないようにしてください」
「分かってるさ。では、また後でな」
私達は足早に研究棟へ向かった。
歩きながら、プルミエルが溜息を洩らす。
「……賄賂なんて、薄汚い手を使うわねー」
「おっと、人聞きの悪いことを言うなよ。『互いの利益を守る賢い取引』と言ってくれ。ここは商売の街だぞ?」
「まー、いいけどさ。でも彼があなたの言葉通りにボディチェックしたがったらどうするのよ?」
「させてやるさ」
「私はイヤよ」
「もっと自分のボディーラインに自信を持ちたまえよ。君は十分、魅力的さ」
「別にボディーラインに自信が無いから嫌がってるわけじゃないんだけど」
長い渡り廊下を抜け、階段を昇る。
「プルミエル、どう思う?」
「素敵なボディーラインですわよ、メイヘレンさん」
「そっちじゃない。ヤッフォン教授を連れだした男のことだ」
「うーん、今のところ考えてもしょうがないんじゃない?」
「まぁ、確かにそうなんだが……目的は教授自身だったのか?それとも、彼の研究内容に興味があったとか?」
「後者だとして、どう考えるの?」
「そこだ。勇者研究の第一人者に用があるのは……勇者じゃないか?」
「ケンイチ以外に勇者がこの世界に存在するということ?」
「そう考えることもできる」
「ふうん……」
手元に判断材料が少なすぎる今の状態では、全てが憶測でしかない。
だが、勇者がこの世界に一人だけ、というのはこちら側の勝手な思い込みだったのではなかろうか?
確たる結論も、そして推論さえも満足に出せないまま、私達は『27号室』の前に立っていた。
ここがヤッフォン教授の研究室……
「開けるわよ」
「ああ」
プルミエルが鍵を差し込み、回し、扉を開いた。
彼女は中を覗いて一言。
「……汚いわね」
同感だ。
その研究室は決して狭くはなかったが、部屋中に書物が山積みになっていて、それが侵入者を妨害するかのようなささやかな壁となっている。
そこをかろうじて避けても、至る所で、まるで氷柱のようにうずたかく書物が積み重なっていて、実に歩きづらい。
この研究室はヤッフォン教授の、というよりは文献史料室、いや、その倉庫のようだ。
「おまけにメモ魔だったと見える……」
殴り書きをしたようなメモ紙が、びっしりと壁一面に貼り付けられていて、実に壮観だ。
おまけに、そのメモの内容も意味不明なものばかりだった。
『不吉な銅像。三歩分の余裕』
『次元の狭間で遊ぶ猫の噂』
「うーむ……まるで詩人だな」
「……無いわねぇ」
私が感心している横で、プルミエルは教授の机の上をガサガサと荒らしまわる。
「おいおい、あまり散らかすと我々が物盗りのようじゃないか」
「無い」
「何が?」
「『勇者典範』に関する研究ノート。それが見つかれば教授本人には用が無いんだけど……」
「どこか別の場所に隠してあるんじゃないのか?」
「でも、勇者の研究なんてマイナーも良いところだし、誰かに盗まれる可能性は低いわ。おまけに研究室にこもるタイプの人が、自分の研究をどこか別の場所に隠すかしら?」
「ううむ。確かに」
「こんなに部屋を汚せる人間がそんなに几帳面だとも思われないしね」
「では、やはりヤッフォン教授を捜すしかないのか」
「まぁ、教授抜きでもジャパティ寺院跡には行けるけどね。勇者の研究について後で論文にまとめるときに、どうせなら専門家の意見も聞いておきたいと思って……おっと、これは……」
「何だ?」
「これ……どう思う?」
プルミエルがこちらに一枚のメモ紙を見せる。
私はそれを受け取って、そこに書いてある文字を読んだ。
そこには――
『魔王』
と、書いてあった。
その活字のように綺麗な字は、明らかにヤッフォン教授の書いた文字ではない。
では、誰が……?
「……一週間前に教授を連れだした男か?」
「そうね。その可能性は高いわね」
「『魔王』……?」
「勇者の研究をしていた人には確かに魅力的なキーワードかもね」
魔王……
つい最近、他人の口からその言葉を聞いたような気がする。
あれはどこだった?
あれはいつだった?
あれは誰から……
「プルミエル」
「何?」
「私は最近、その言葉を聞いたよ。『魔王』という名を確かに聞いたんだ」
「……詳しく教えて」
私はアルヴァンの宝物庫での出来事を話した。
そこの番人が語った、最後の言葉。
『お前が己を信じ、世界と繋がることができれば……魔王とて恐れるものではない』
「……彼は確かにそう言った」
「勇者……勇者のことを研究する学者を魔王……魔王がさらっていった……筋は繋がるわね……」
プルミエルは『魔王』の書き込みを見つめながら、じっと何事かを思案しているようだった。
「……」
「何を考えているんだ?」
「……ふ、ふふ」
不敵な笑みを浮かべて、彼女が振り返る。
「面白くなってきた……そんな気がする」
……同感だ。