スネークイーター
「おらおら、どうした!そんな荷物の一個も運べねぇのかぁッ!?」
「ひぃ、ひぃ……」
「やーねぇ、情けないわねぇ……」(ヒソヒソ)
「さっきは私達のことイヤらしい目で見てたわよ……」(ヒソヒソ)
「ううっ……!!」
人生は苦悩に満ちている。
以前にもそう思ったが、今回はそれをさらに痛感するハメになっていた。
とんでもなく重い荷物を担がされ、手際が悪いと罵倒される。
その合間に船の船頭である水着ギャルを少しでも盗み見ようとすると、キツイ視線で睨み返される。
俺の心は次第に擦り減っていった。
ここは地獄か……?
そもそも、この仕事、俺に一体何のメリットがあるというのか?
(くそ、あのジジイ……)
老師は少し離れた日陰で思うさま水着ギャルを凝視しながら、どこで買ってきたのか、アイスキャンディーをペロペロと舐めている。
それを見て、俺は自分がまんまとこの老人に嵌められたのだということに気がついた。
俺の労働賃も、先払いであの老人が受け取っている。
このジジイは何の労も費やさずして、美味しいとこ獲りというわけだ。
「おい!」
「は、はい!?」
「どこ見てやがる!さっさと荷物を運べ、このモヤシ野郎!」
「は、はい……」
「やい、川に落ちるんじゃねぇぞ!ボンクラがぁ!」
「はいぃ……」
ガシフ氏の心温まる叱咤激励の言葉の数々に、涙が出そうになる。
死に物狂いで積み荷を引きずり、水着ギャル達の隣を脇目も振らずに通過して、ようやく最後の一個を運び終えた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「は、情けねぇ野郎だぜ。今までどこの富豪に囲われてやがったんだ?あん?」
「そ、そう言われましてもですね……」
俺が言い訳を開始しようとした、その時。
「おーい、ガシフ!この荷物で最後ぉ?」
背後から、可愛らしい女の子の声がした。
すると、それを聞いた途端にガシフ氏の、顔面神経痛のゴリラみたいな強面がニュルン、と緩んだ。
「そうだよ~、最後だよ~、アリィシャちゃん」
うおぅ!何その反応、気持ち悪ッ!
俺は声のしたほうに振り向いて、ガシフ氏の豹変の理由を見た。
「よっ……と」
俺が必死こいて引き摺ってきた積み荷が、軽々と持ち上がる。
おいおい、どんな屈強なマッスルガールだ?と思ったら――
「な、何ィ!?」
俺は思わず叫んだ。
なんと、おそらく50kgはあろうという積み荷を高々と頭の上に掲げて船の後尾まで運んで行くのは、プルミエルと同じくらいの背丈の、年若い女の子だったのだ!
「よいせっと……ん?」
彼女は、持ち上げた時と同じように軽々と荷物を降ろすと、こちらの視線に気がついてにっこりと微笑んだ。
「や、お疲れさまっ」
「ううっ……!?」
ぬわぁ!ま、眩しいッ!?
危険すぎる、その笑顔!
年のころは14,5才くらいだろうか?俺よりは年下に見える。
大きな白のベレー帽の下の、緑がかった黒髪は若々しい艶に輝いていて、それ自体が光っているように見える。
ショートカットが良く似合うぜ。
そして、印象的なグリーンの瞳に、文句無く整った顔立ち。
笑った時に覗く八重歯が、この少女のあどけなさ、無邪気さを表現しているようで、なんとも心憎い。
健康的な褐色の肌も実に魅力的だ。
彼女は他のギャルたちと違って水着ではなく、白の半袖ボタンシャツに蒼のネクタイを締めて、その下には膝丈程度の黒革ハーフパンツ、それにトレッキングブーツのようなゴツイ靴といった、実にスポーティな出で立ちだった。
うーん、文句無しだ。100点!
「いっちょあがり、だね?」
「アリィシャちゃんは本当に力持ちだねぇ。オジサンは感心しちゃったよォ。この愚図なモヤシ野郎とは大違いだ」
「そんなこと言っちゃダメだよ、ガシフ。彼だって頑張ってたんだから。ね?」
「お、おお……」
し、しかも性格も良い……だと……?
ううっ、しかし、こんな風にフォローされると、それはそれで情けないぜ……
「じゃあ、ボクは行くね。ガシフ、朝ご飯、御馳走さま」
「あんなので良かったらいつでも食いに来てくれよ。今度はタダで良いから」
「ダメダメ、ボクは一宿一飯の恩義は返すのさ」
この娘はどうやら朝飯のお礼に積み込みを手伝っていたようだ。
「じゃあね。あ、キミも頑張ってね」
「お、おう……」
彼女は呆然とする俺の肩をポンと叩くと、その隣をするりと風のように横切っていった。
その去り際のなんたる清々しさ……
俺もガシフ氏も、その後ろ姿をぼんやりと見つめてしまう。
「あーあ、行っちまった……」
「行っちまいましたね……誰です?」
「アリィシャちゃんか?俺もよくは知らん。だが、今朝にな……『ボク、お腹が空いてます。お仕事手伝うから何か食べさせて』ってな感じでふらりと現れたんだ」
「へぇ……」
「可愛いよなぁ……おまけに力持ち。あんなにちっこいのになぁ……」
「ギャップ萌えっスね」
「ああ、萌え萌えで……っと、ほれほれ、ケンイチ。てめぇ、ぼさっとしてねぇで……」
「キャーッ!」
「!?」
大きな悲鳴が上がったと思うと、背後でドボーン!という水音が聞こえた。
慌てて振り向くと、三人いたはずの水着ギャルが二人しかいない。
「フラニー?どうしたの!?」
「あっ、ここよ!踏み板が割れたんだわ!」
「ちょっと!フラニー?フラニー!」
おおっと!どうやら、ギャルが一人、川の中に落ちちまったようだ。
不謹慎ではあるが、俺はちらりと勇者タイムを確認した。
『24:33』
おおっ、ギャルには悪いがなかなかグッドなタイミングだ。
これは勇者の出番だな!
「うおおおっ!俺が助けるぜぇ!!」
俺は上着を脱ぎ捨てると、すぐさま船の舳先へ向かって走り、そのまま勢いよく川へ飛び込んだ。
おおっと、意外に深いな。まったく足がつかないぞ。
「あ、てめ、この、馬鹿野郎!」
頭の後ろで何やら慌てているようなガシフさんの声がしたが、気にしてはいられない。
だって、女の子がピンチなんだゼ!
俺は水を手でかきながら、ギャルのそばに寄っていった。
「大丈夫か!?」
と、言いながらも、俺はその必要が無かったことを瞬時に悟る。
さすがは船頭をしているだけあって、ギャルは器用に水をかきながら、すでに水面に顔を出していたからだ。
「おおっと……泳ぎ上手っスね……」
「あ、あんた……」
「助けに来たんス……けど、お呼びでなかった……?」
「なんで来たの……?」
ギャルが目を丸くして言う。
ヤバい、好感度アップの流れか?
「俺、困ってる人を見ると放っておけないんで」
出た、殺し文句!
だが、ギャルの反応は全く予想外のものだった。
「バカ!早く、早く船に上がりなさいッ!!」
「へ?」
「この川は……」
だが、全てを聞く前に、俺の目にとんでもないものが映った。
水中からせり上がってくる、巨大なその黒い影……
そして、思い出した。
この川の船頭が、何故ギャルしかいないのか、その理由を。
『この川には『ケミィ・パシャ』という主がおっての。その正体は……』
脳裏に甦る老師の言葉にリンクするように、水面にその頭が持ち上がってきた。
『大蛇じゃ』
そう。
超巨大な蛇。
その頭が、ざばっと水面を割って現れ、こちらに鎌首をもたげたのだ。
(で……でけぇ……!!)
おぅ、なんてこった、その規格外のデカさに顎が外れそうだ。
こいつはニシキヘビとかアナコンダとか、そういうレベルではない。
(か、怪獣だ……)
頭の幅だけでも、ゆうに三メートルはあるぞ!
となると、その下にくっついている身体はさらに……
一枚の鱗がビート板ほどもあるその肌が、ヌメヌメと光っている。
満月のような大きな目玉が、こちらをギロリと睨む。
「うぉ……!」
蛇に睨まれた蛙……ならぬ、勇者。
その圧倒的な威圧感と迫力に、俺は身動きもできず、なんとか溺れないように手で水をかいているだけで精いっぱいだった。
口からチロチロ覗く、真っ赤な緞帳のような先割れの舌が、そんな俺を嘲笑っているようだった。
チクショウ……オバダラといい、どうしてこの世界の水生動物はサイズが桁外れなんだ?
とにかく、この状況はヤバい!
どうすりゃいい?
『その大蛇、気性の荒いオスでの。他のオスがこの川に立ち入ることを決して許さんのじゃ……』
とくれば、次の展開は決まってるようなもんだ。
「キシャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
ケミィ・パシャが、ガパッと洞穴のような口を開いて、俺を威嚇した。
ひぃ!鼓膜がッ!
おまけに、その牙の鋭くて長いことといったらどうだ。
アレに噛みつかれたらと考えるだけで、俺の尻の穴がキュッと窄まった。
だが、いつまでも怖がってはいられない。
俺は今だ水中にいて、同じように蛇の頭を見上げているギャルに声をかけた。
「先に陸にあがってください」
「……え?」
「あいつは多分オスだけを狙うんでしょう?」
「そ、そうね……」
「だったら、今のうちに陸に……」
「でもあんたは……」
「大丈夫っス」
「でも……」
「いいから!」
それでも遠慮がちなギャルを、俺はせかすように下がらせた。
こんな場面で遠慮しあっていてもしょうがないだろう?
こっちは不死身なんだから、とりあえずは何の心配も無いんだ。
「わ、わかったわ……」
ギャルは渋々といった様子でゆっくりと離れていき、船に上がる。
その間、幸いにも、ケミィ・パシャは動く様子を見せず、じっと俺を見つめ続けていた。
女に甘いってのはどうやら噂通りだ。
さて、あとはオスである俺がどれだけ穏便にここから退散できるかだ。
女体化でもできればいいんだが、もちろんできない。
「すまん、ケミィ君……すぐに出てくよ。ここは君の川だ。文句無しさ」
俺はそう言いながら、水面を波立たせないように、ゆっくりと後方へ下がってみた。
「……」
ケミィ・パシャはまだ俺をじっと見つめている。
おお?逃がしてくれるのかな?
そうだ、話せばわかる。
平和が一番さ。
船の縁にトン、と背中が当たると、俺は急いで水の中から這い上がろうとして、くるりと大蛇に背を向ける。
だが、それがまずかった。
「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
再び大きな威嚇音!
ヒィ!頭からカジられる!?
と思って咄嗟に頭をかばって身を固くすると、水面から飛び出してきた巨大な尻尾が俺をはね飛ばした!
「うおぅ!」
予想外の衝撃!
俺の身体はクルクルと回りながら弧を描いて飛び、盛大に水柱を立てながら、再び水中に没した。
「おぼっ……」
鼻に流れ込んでくる水。
「ぶぶっ……ぷはっ!」
俺は慌てて水面に顔を出すと、貪るように空気を吸った。
だが、その最中に足にしゅるりと何かが絡みつく感覚が。
う、イヤな予感……
もちろん、それは的中した。
「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぶっ!!!」
今度は凄まじい力で、水中に引き摺りこまれたのだ。
そして、見た。
大蛇の巨体が水中でとぐろを巻くようにうねり、こちらへ向かってくるのを。
俺の脚に巻きついているのは、奴の尻尾の先端だった。
(うわ……)
その身体の大きいことといったら、まるで水中を電車が突進してくるようだ!
そんな圧倒的質量の前では当然、為す術も無い。
俺は難なくその巨体に絡めとられ、締めあげられ、全く身動きが取れなくなってしまった。
頭だけはなんとかはみ出しているおかげで、水中の様子を見る事だけはできる。
ああ、水面のなんと遠いことか……
(やばい……)
相手は何の容赦も無く、全身をぐいぐいと締めつけてくる。
そういや、テレビで見たことがある。
アナコンダみたいな大きな蛇は、噛みついて敵を殺すのではなく、獲物の身体を締めあげて窒息死させるらしい。
(な、なんてこった……)
勇者にとっては最悪の相手だ。
俺はあらゆる刺激に対して不死身である一方で、自然の定める物理法則には逆らえない。
つまり、大蛇に締めあげられて圧迫死することは無いのだが、肺に酸素を取り入れないと窒息死はする。
これはオバダラに食われた時に検証済みだ。
(ぐく……なんとかしねぇと……)
だが、どれほど力を入れても、この巨体を跳ね返すことなど不可能なように思われた。
(くそ……げ、限界だ……し、死ぬぅ……)
肺に溜めこんでいた酸素が、ごぼごぼと口の端から抜け出していく。
こうなったら、もう観念するしかない……のか……?
意識が薄れてきた、その時。
どぉん……と何かが水中に飛び込む音が聞こえた。
(……?)
そちらに首を向けて見る。
(あ、アリィシャ……!?)
なんと、さっき別れたばかりの、あの怪力美少女!?
それがこちらに向けて、まるで矢のようなスピードでグングン水中を泳いでくる!
その速さ……まるで滑空する燕のようだ。
(す、すげぇ……)
ケミィ・パシャもそちらへ首を向ける。
(だ、だめだ、危ないぞ……)
と、俺が思った時にはもう、勝負がついていた。
ぐっと握りこんだアリィシャの拳が、ケミィ・パシャの額を打ち抜いたのだ。
ズン……!と、重たい音が水中に響く。
すると、俺を拘束していた大蛇の巨体からフッと力が抜けた。
(おおっ……)
俺は死に物狂いでその分厚い蛇腹を押しのけ、水中へ脱出する。
ようやく手足が自由に……
(……ぅ)
だが、それが最後の力だった。
もう酸素が身体のどこを探しても残っていない。
あとは口を開けば、水がいっぺんに肺に流れ込んでくるだろう。
もう限界だ……
もう息が続かない……
水面までは間に合いそうもない……
身体がゆっくりと沈みかけた時。
手首がガシッと掴まれ、そして、凄まじい力がグングン俺を引き上げていく。
そして、水面へ。
「ぶはっ!!」
まるでロケットで空に飛び出したかのように、一瞬で青空が広がり、陽光が俺を照らす。
呼吸が……呼吸ができる!
「ゼはー……ゼはー……」
おお、なんという幸せ!
俺はがっついて、肺一杯に新鮮な空気を取り込んだ。
う、うまい……
今なら空気をオカズにしてご飯三杯はいけそう!
息ができる、というこの幸福は普通に生きてちゃ実感することも無いだろう。
「大丈夫?何とか間に合ったね」
声を掛けられて、俺は振り返る。
その命の恩人は、太陽の照り返しを受ける水面にも負けないほどの眩しい笑顔を浮かべていた。
「た、助かった……ありがとう……」
「お礼はいいから、はやく陸に上がろ。また大蛇に襲われちゃうよ」
「し、死んでないのか……アイツ?」
「気を失ってるだけだよ。ボクは殺生は嫌いなの」
そう言うと、アリィシャは俺の手を引きながらスイーと滑るように水面を泳いでいき、俺を船の上に押し上げてくれた。
そして、自分も上がる。
「いやー、よかったねぇ、間に合って」
「き、君のおかげだ……」
「ボクはもうキミが死んじゃってると思ってたよ。あんなのに締めあげられてよく無事だったね?」
「人より頑丈なんだ、俺のこの……」
息継ぎがてら、腹を叩いてみせる。
「ボディー……だが、窒息するところだったんだ。危なかった……」
「ケンイチ!」
ガシフさんがこちらへ走ってくる。
おお、そんなに心配してくれていたとは……
「この馬鹿野郎!」
「ごはぁ!?」
間髪いれずに、ガシフ氏の凄まじい右フックが俺の頬に叩きつけられた。
吹っ飛ばされ、危うく再び水中の人になりかけたところを、アリイシャがはっしと俺の腕を掴んで止めてくれる。
「てめぇ、あれほど川に落ちるんじゃねぇと言っただろうが!って、おぉ痛ぇッ!どんな硬い体してやがんだ!?まるでメタルだ!」
「す、すんませんっした……」
「ガシフ、許してあげてよ。彼、川に落ちた女の子を助けようとしたんでしょ」
アリィシャがとりなしてくれる。
ああ、本当になんて良い娘なんだ。
嫁に来てくれないだろうか。
「ちっ、まぁ、アリィシャちゃんがそう言うなら……しょうがねぇな……」
「うんうん。ガシフ、カッコイイね。罪を憎んで人を憎まず、だね」
「おう、そうとも。わっはっはっはっは!」
「あっはっはっはっは!」
二人で肩を組んで、何の脈絡も無く大笑いしている様子を、ギャルたちも、他の男達も微笑ましく見つめている。
今の会話のどこにそんなツボが?なんて思った俺も、気がつけば笑顔になっていた。
その時――
「ううむ……」
「おわぁ!エスティ老師!?いつの間に!?」
「エスティ忍法じゃ」
「な、何だそれ……」
いつの間にか背後に立っていたこの老人。
何故か、じぃっとアリィシャを凝視している。
ただならぬ光が、その目には宿っていた。
「ど、どうした?」
「イイ……」
「はぁ?」
「100点……ハァハァ……」
そう来ると思ったぜ、スケベジジイめ。