貿易都市の甘い罠
「おい、兄さん、干物はどうだい?柔らかくて美味しいよッ!」
「あら、そこのダンディなおじさま、素敵なローブがあるのよ。きっと似合うわ」
貿易都市ベデヴィアは噂通り、大変賑わっていた。
見渡す限りの人、人、人。
本来ならば三車線分はあるだろう広い石畳の通りには露店や屋台が長々と軒を連ねていて、そのせいで、行き交う人同士が肩をぶつけながらノロノロ進む、というほどの狭さしかない。
それにしてもこの活気は大したもんだ。
歳末のアメ横とか、原宿とか、そんな感じ。
唯一、俺の世界と違うのは所々に店を構えている武器屋の存在だ。
軒先にぶら下がりながら剣呑な光を放っている剣、槍、斧……おお、物騒なトゲトゲのついた鉄球まで!
ああいうのを見ると、ああ、確かにここは異世界なんだという実感が湧いてくる。
「ここは魔法の使えん『反魔結界』の中でのぉ」
俺の前を歩くエスティ老師が、振り向くことなく言う。
「ああした得物が必要になることのほうが多いのじゃ」
「うーむ、物騒っスねぇ……」
「ま、この地が反魔結界の中にあるということが、この繁栄を築いておるとも言えるのじゃがな」
「ん?どういうことっスか?」
「この世界では魔法というのは非常に重要な力での。特にその力の象徴である魔道貴族は、その力の強大さに比例して、強力な発言権を持っておるのじゃ」
「へぇ」
「しかし、魔道貴族には代々受け継がれてきた矜持がある。それは『この世界の均衡と調和を保つ』ということでの。したがって、彼らは世界の外交や通商、貿易に対して一定のルールを決め、それが守られているかを監視するという役割を担っておるのじゃ」
うーむ、国連みたいなもんだな。
しかし、プルミエルやメイヘレンがこの世界においてそんな重責を担っているなんて知らなかった。
そんな重要人物達をこんなブラブラ旅に連れ回しちまっても良いんだろうか?
「じゃが、ここにはその力も及ばない。なにせ魔法の力の源である精霊力が無いのじゃからの」
「なるほど」
「それゆえにこの地ではあらゆる商売を自由に行うことができる。本来は固く禁じられておる奴隷売買もこの都市では日常茶飯事じゃ。まぁ、無法地帯とも言うべきか……」
「奴隷……それは良くないッスよ……」
「そう思わん者も多いということじゃよ」
ここで老師は通りを角へ曲がり、薄暗い路地裏に入っていった。
俺も人波をかき分けながら、その後を追う。
ちなみに今は、俺と老師の二人きりだ。
え?あの美女二人はどこへ行ったかって?
あれは、この都市の入口でのことだ。
「エスティ、ちゃんとアカデミーの入館許可は取ってくれた?」
街の外に術戦車を隠してきたプルミエルが言う。
「ばっちりじゃ」
「なぁ、アカデミーって何だ?」
「図書館併設の研究室のことね」
「そこに何の用が?」
「あのねー……メイベル・ルイーズで話したでしょーが」
「え……何だっけ?」
はぁ~、とあからさまな溜息。
ううっ、そのジト目はやめろっ。
「『ヤッフォン・ダフォン』教授さ」
同じく術戦車を隠してきたメイヘレンが、森から現れた。
「この都市の大図書館の研究室にいる『勇者典範』の解読者にして勇者研究の第一人者。その彼を拉致ってくるというわけさ」
「人聞きが悪いわねー」
「おや?そう言ってたのは君だぞ」
「ヤッフォンか……」
老師が舌打ちを洩らした。
そこには明らかな嫌悪感が見える。
「ヤツはわしの同期でのぉ……昔っから暗いヤツじゃった。わしゃ嫌い」
「あっそ。せいぜい仲良くしなさい」
「……」
プルミエルの素っ気なさに老師も思わずあんぐり、といった様子だ。
気持ちは分かるが老師、それに慣れなければいけない。
「じゃ、私は行くわね」
「え、皆一緒じゃないのか?」
「ぞろぞろ行ったら怪しまれるでしょうが」
「確かに。では、女二人で行こうか?」
メイヘレンが、妖しく微笑んだ。
プルミエルはそれを見て怪訝な表情を浮かべる。
「いやぁね、何か企んでる?」
「まさか。君ともっと親睦を深めたいと思ったのさ」
「そいじゃあ、わしはケンイチを借りていくぞい」
「え!?」
俺は驚いた。
このスケベな老師は、絶対に美女たちについていきたいと言い出すと思っていたからだ。
「え、なんで老師と?」
「お前にとっても必要なことじゃろう……」
老師はそう低く呟いた。
何やらただならぬ雰囲気。
俺は黙って頷くしかなかった。
「あ、ちょっと待ちなさいよ。エスティ」
「あん?なんじゃ?」
「どーよ、ケンイチはまだ生きてたでしょ。賭けは私の勝ちね」
賭け……?
「おお、そうじゃった。くそ、案外しぶといヤツ……」
「ほれほれ、金貨三枚よ。出しなさい」
「ちィ!」
大きな舌打ちを洩らし、老師は懐から金貨を取り出してプルミエルに渡す。
俺の知らないところでそんなギャンブルが……
ちょっと、ショックだった。
てなわけで、俺達はツーマンセルに分かれて行動することになったのだ。
しかし、老師の言った『俺にとっても必要なこと』が気になってしょうがない。
それは一体……?
「老師、俺に必要なことって何です?」
「すぐに分かるわい」
おおっと、随分と焦らすな。
まぁ、いいや。
別の話題を振ってみよう。
「……そういや、老師はどうやってここまで来たんです?」
「あん?」
そう、俺達はここまで、術戦車という稀有な乗り物を使って、それこそ音速とかいうレベルで移動してきたのだ。
あのスピードは繋がれていた身なればこそよく分かる。
多少のタイムロスはあったが、後発の老師が容易に追いつけるとはどうにも思えないのだ。
「クフフ……」
老師の背中は愉快そうに揺れた。
「魔法じゃよ」
「ま、魔法……?って、老師、魔法使えたんスか!?」
「まぁ、正確に言うと魔法の力を持つアイテムを使ったんじゃが……」
「な、何です?」
「ヒミツじゃ」
「ええ!?また焦らし!?」
などとヤイヤイやっているうちに、路地が切れ、視界が開けた。
「見てみぃ、ケンイチよ」
「おおっ!」
俺は思わず声を上げてしまう。
目の前に広がっているのは、あの上空から見えた大きな河だった。
水面は太陽の光を受けてキラキラと輝いていて、その色は驚くほど青い。
さらに驚くのはその川幅。
対岸がぼんやり霞んで見えるほどに広いのだ。
川だと言われなければ湖にも見えるだろう。
ただ残念なのは、何故か川辺に木製の柵が据え付けられていたことだった。
あれさえ無けりゃあ、もっと息を呑むような景勝地だったに違いない。
「こいつはすげぇや……」
「この川は『ブナジャラ川』という。南の大国『ムウサ』と繋がっておるので、ほれ、あのように……」
エスティ老師は川に浮かんでいる何艘もの船を指さした。
帆船だったり手漕ぎ舟だったり、その型も大小様々だが、どの船にもたくさんの荷が積まれている。
「貿易船が行き来する交通網であり、この都市の商業の動脈とも言えるわけじゃ」
「へぇ……」
なるほど、と感心もするが……
「で、これがどうしたんスか?」
「ふっふ……ちょいと船着き場のほうへ行こうかの」
不敵な笑みを洩らしてから、老師は再び俺の前に立って歩き始めた。
船に何の用があるのだろうか?
俺達は土手を下って、屈強な男達が荷物の積み下ろしをしている船着き場まで近寄っていった。
エスティ老師が手を上げて、その男達に声をかける。
「ガシフ、連れてきたぞい」
「あん?爺さん、また来たのか?」
ガシフと呼ばれた一際マッチョな男の反応から見ても、エスティ老師と仲良しってワケではなさそうだ。
「ま、待て待て、人手が欲しいといっておったじゃろう。この若造はケンイチ。肉体労働をさせたらお手のものじゃ。おまけに給料は言い値で良いそうじゃ」
「はぁん!?」
俺は凄まじい殺気を込めた目線を老師に向ける。
こ、このジジイ!
その為に俺を連れてきやがったのか!
ギリギリと歯ぎしりをする俺に向かって、エスティ老師が口を寄せてぼそぼそと何やら呟いてきた。
(まぁ、そう怒るでないケンイチ……)
(怒らずにいられるかッ!散々もったいぶってコレか!?くそ、テメェ、覚えてろよ……!)
(そういきり立つな……実はの、お前にとっても嬉しいことがあるはずじゃぞ)
(何だと……?)
(見よ……)
エスティ老師が船の上を指さした。
俺は不承不承にそちらを見る。
(な、何っ!?)
俺は思わず瞠目してしまった。
なんと、そこにはセパレートタイプのビキニを身につけた、肌もあらわな水着ギャル達がいて、何やら愉快そうに談笑していたのだ!
その数、三人。
俺の視線は当然、そこに釘づけ。
おっと、しかも全員なかなか可愛いジャン……
と、夢うつつな俺に、老師はドヤ顔を近づけてきた。
(ほっほっほ、左から順に71点、73点、70点といったところかのぉ……)
(マジ!?俺は全員85点平均はカタいっス!……い、いや、ろ、老師、これはどういうこと……?)
(よく聞け、ケンイチ。この川には『主』がおっての)
(主?)
(その名を『ケミィ・パシャ』という。正体は大蛇なのじゃが……)
(大蛇!)
(その大蛇、気性の荒いオスでの。他のオスがこの川に立ち入ることを決して許さんのじゃ。それは人間の男も同様でな。したがって、ここの船乗りは皆、女なのじゃ)
(ワーオ、すげぇ……)
(勇者タイムを見てみるがいい)
俺は言われた通り、勇者タイムを確認する。
『22:13』
(うーん、ちょっと心許ないなぁ……)
(問題はそこではない。良いか、ケンイチ。ここで重要なのは『水着ギャルを見ても勇者タイムは減らん』ということじゃ)
(な、何っ……!)
「そうじゃ!あの、下着とほとんど変わらん布地の少なさ!そしてエロさ!なのに、アレを穴があくほど凝視しても、お主の勇者タイムは一向に減らんのじゃぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ドッキュウウウウウウウウウウウウウン!!
「ろ、老師……あんたって人は……」
「ケンイチ……水着ギャル……好きか?」
「エスティ先生……俺、水着ギャルが見たいです……」
「そうじゃろうとも。お主は思うさま水着ギャルを見ながら、なおかつ勇者タイムを稼げる。わしは水着ギャルを思うさま見ながら、小遣いが稼げる。これは皆がシヤワセになれる最高のアルバイトッ!」
「老師ッ!!」
いつの間にか大声になっている俺達を、遠巻きに見て呆れている水着ギャルたちと屈強な男達。
おっと、いけねぇ!
俺はその視線に気づいて、慌ててそちらへ向き直った。
「ジン・ケンイチです!お仕事、手伝わせていただきます!」
「お、おう、そうか……」
ガシフさんは俺達の奇行に面喰っているようだったが、すぐに我に返って体裁を正すと、こちらに薄汚れたタオルを放り投げて寄こした。
「じゃあ、働いてもらうぜ。だが、まずはそいつで鼻血を拭け」