『勇者タイム』の何たるか
「勇者がこの世界では一時間しか生きられないのは知っておるな?」
俺もプルミエルも頷いた。
もっとも、俺にとってはイマイチ実感が湧かないのだが、この世界の人間が口をそろえて同じことを言うのなら、きっとその通りなんだろう。
「これを『勇者タイム』と呼ぶ」
ダサいネーミング!せめて『ブレイブタイム』とかにして!
だが、ここでは黙っておこう。
「『勇者タイム』は、異世界に召喚された者の宿命……ルールじゃ」
「それは知ってるわ」
プルミエルが長くなりそうな話をバッサリと切り捨てた。
いいぞ、その調子!
なにせ時間が無いんだから、肝心な部分だけ聞かせてほしい。
「でも、その『勇者タイム』が延長されたなんて聞いたことがないわ」
「いいや、延長はできる」
「どうやって?」
肩を揉むとか?
いいや、その前はブタに体当たりをかました時だった。
「勇者にふさわしき行動をとることじゃ」
「勇者にふさわしい行動……?」
「分かりやすく言うならば、『誰かの為になることをする』ということじゃ」
なるほど、これは分かりやすかった。
俺は今までの自分の行動を反芻してみる。
『勇者タイム』がリセットされたのはどんな時だったか?
プルミエルを助けようとしてモンスターにタックルをかました時。
エスティ老師の肩を揉んでやった時。
……確かに、『誰かのために何かをした』時に、俺の勇者タイムがリセットされている。
「おおっ!」
俺は思わず立ち上がり、叫んでしまった。
「生き延びる道が見えてきたんじゃないか?」
勇者タイムの原理が分かっただけでも、すごいことだ。
「……そう?」
「フーム……」
ありゃ?
俺の喜びに対して、二人の反応は淡白だ。
プルミエルが呆れたように口を開いた。
「これって逆に言えば、あなたは一時間おきに、それこそ寝る間も惜しんで、良いことをし続けないと生き延びられないってことよ」
「う……」
そうだ、一時間おきではおちおち寝てもいられない。
「さらに悪いお知らせじゃ」
うわぁ、このタイミングでそんなの聞きたくない!
「二つほどな」
二つも!
「一つは、『同じ人間に同じ善行を二度行っても、カウントされない』ということじゃ。もしもお前さんがもう一度ワシの肩を揉んでくれても、勇者タイムは巻き戻らん」
「……ってことは?」
「一時間おきに新しい『誰かの為になる』ことを考えなきゃいけないってことね」
「そういうことじゃな」
おいおい、それってかなり難しいぞ……
「二つ目は……」
もう充分だ、やめてくれ老師ィ!
「『勇者にあるまじき行いをした場合、勇者タイムにペナルティがかかる』ということじゃ」
「あるまじき行為?」
「あらゆる不道徳。殺し、強奪、覗き、万引き、カンニング、立ち小便……無論、異性への不純なボディタッチも厳禁じゃ。それを犯した場合、勇者タイムは減算され、より死が早く訪れる」
「超厳しい!」
「勇者とは常に人の見本にならなければならん。清廉潔白、品行方正、公明正大な聖人君子であらねばならんのじゃ。二十四時間、常にな」
「……そんな」
俺はそのルールのシビアさに言葉を失った。
どう考えても、身体が持たないだろう。
疲労に負けて一時間も眠りこけたら即アウト。
くそっ、俺の異世界勇者ライフはお先真っ暗だ。
ちらりと脇に目を走らせ、プルミエルを見る。
彼女は鋭い目つきで、エスティ老師の講義に熱心に聞き入っているようだった。
なぁ、少しは同情してくれるかい?
運命に翻弄される俺にキスしてくれるかい?
「結構厳しいルールね」
「いかにも。『千万苦悶の行』と呼ばれておる」
「ふーん……」
「な、なんて恐ろしいタイトルなんだ……」
「ちなみにワシの知っている勇者タイム最長記録は66時間じゃった」
三日も生き延びられなかったってことか……
しかし逆に考えれば、65個も人の為になることを見つけて、それを実践したということだ。
それだけでも気の遠くなるような数字ではある。
俺に出来るだろうか?
近所のボランティア活動にさえ参加したこと無いぞ。
(……無理な気がする……)
不安という名の沼地にずぶずぶと沈みゆく俺を見て、エスティ老師は陰鬱そうな顔にニヤリと笑みを浮かべた。
「ケンイチ、勇者には『特典』もある」
そう言うと、老師は立ち上がり、部屋の隅に立てかけてあった一振りの剣を手にした。
え?くれるの?
それって、もしかして勇者の剣?
ファンタジーっぽい展開に少しテンションが上がってくる。
老師は剣を鞘から抜いて、俺の前にかざした。
美しい刀身が蝋燭の光に照らされて、きらりと輝く。
そうとう切れ味が良さそうだ。
「これは剣じゃ。見れば分かるな?」
「はい」
これをお前に授けよう……なんて言葉を期待していたが、そうはいかなかった。
老師はそれを振りかぶると、
「せいやっ!」
なんと、俺の脳天に向けて振りおろした!
「わああああッ!?」
斬られる!
何で!?俺、なんか悪いこと言った!?
超予想外の展開!
俺は思わず目をつぶった。
脳裏に走馬灯がよぎる。
父よ、母よ、俺は異世界でいきなり頭をカチ割られて死にます!
だが、予想外の展開は続く。
ガチン、と金属同士がぶつかるような音が鳴った。
それは肉を切り裂く音ではない。
鉄の扉にハンマーをぶち当てたような、そんな硬質な響きだった。
「あああああっ……あ?」
あれ?
何か変だぞ?
斬られたときに必ず感じるであろうもの……痛み。
痛みをまるで感じなかった。
何かが頭に当たったのは分かったが、それはまるでプラスチックの棒で優しく撫でられたような感触だった。
(痛覚がマヒしてしまったのかもしれん……)
俺は恐る恐る、目を開いた。
エスティ老師はしたり顔で剣を眺めている。
その刀身は、ぐにゃりとひん曲がっていた。
あんなになるほど力一杯振り下ろしやがって!
続いて、俺は自分の頭を触って、感触を確かめる。
今頃はバックり割れて血まみれになっているだろう。
「……あれ?」
しかし、悲惨な予想に反して、血は一滴も出ていない。
まさぐってみるが、俺の頭にはタンコブさえできていなかった。
「俺、生きてる……」
「それが勇者の特典じゃ」
エスティ老師は剣を傍らに放り投げて言った。
「異世界より召喚された勇者には、この世界の力は一切通用せん。外部からの攻撃に対しては、文字通り『不死身』になるのじゃ」
おおっ、そいつは凄いんじゃないか?
プルミエルも少し感心したように小さく口笛を吹いた。
「魔法は?」
「魔法もきかんな。重力や引力といったこの世界の物理法則はすべて適用されるが、大砲で撃たれても丸めたチリ紙をぶつけられたようにさえ感じないじゃろうし、塔のてっぺんから落ちても大地に穴が開くだけじゃ」
「それは厄介ね」
「そのかわり、何もしなければ寿命は一時間じゃ」
「でも、無敵……」
「ケンイチよ、『無敵』と『不死身』は同義ではない」
「へ?」
「さきほども言ったが、お前を取り巻く物理法則はそのままじゃ。お前の持ち合わせている身体能力以上のことはできん。山を持ちあげられるわけでも空を飛べるわけでもなく、単純に『攻撃されても死なない』というだけのこと」
「え、そうなの?」
「そうじゃ。おまけに不死身とはいっても、あくまでも『この世界の外的な力からは』ということを覚えておくがよい」
「?」
「お前さんが自分を殴れば鼻血は出るし、自分の手で首を締めれば死ねるじゃろう。腹が空けば飢え死にもする」
なんとも中途半端な不死身ぶりだ。
「興味深いわね」
「まだ勇者に関しては研究がそれほど進んでおらんのが実情じゃ。今までの知識も『ジャパティ寺院跡』から発掘された『勇者典範』からの引用じゃ」
「ふーん……」
「……」
ちょっとした沈黙が訪れた。
聞けば聞くほど、こっちにとってはあまりメリットの無い話ばかりだ。
いや、むしろデメリットばかりと言っていい。
(なんで、俺が勇者に選ばれたんだろう?)
そんなことばかりが頭をよぎる。
大体、勇者って言えばもっと華々しい活躍が用意されてるもんだろう。
それが、このザマだ。
制限時間にビクビク怯えながら、仙人のように私利私欲を捨てて生きなければならないとは!
俺はイメージの中の勇者と、現実とのギャップにかなりヘコまされていた。
時計をちらりと見る。
『20:03』
おおっと、ちょっと心許なくなってきたぞ。
俺が顔を上げると、老師と目が合う。
彼は俺の心情を理解しているようにゆっくりと頷いた。
「ケンイチ、外に出るとしよう」
「?」
俺は、エスティ老師に誘われるまま、外に出た。