e'nigme (プルミエル視点)
「ん……」
果てしなく続くかと思われた闇。
それが不意に途切れて、目が開いた。
テーブルの上のロウソクの灯がユラユラと頼りなげに揺れている。
その短さを見て、自分が少なくとも二時間以上は眠りこんでいたのだと気づいて、私は大きく溜息をついた。
まだ五感はぼんやりしている。
盛られたのは睡眠薬だったのだろうか?
いや、おそらく少しは弛緩剤も混ぜ込んであっただろう。
四肢にうまく力が入らないので、しばらくはこのまま薬の効果が薄れるのを待つしかない。
(あの女……)
私はぐったりと横たわったまま、舌打ちを洩らした。
(まんまと嵌められたというワケね)
不覚……いや、迂闊?
表現が違うだけで、どちらも意味は同じだ。
私は裏をかかれて、こうして置いてけぼりを食らったという結果だけが横たわっている。
さて、彼女はケンイチに何をさせるつもりだろう?
薄れゆく意識の中で、『妹の為に』という言葉だけはかろうじて聞き取れた。
おそらくはそれにまつわる問題だろう。
(……それでも一言なりと相談があってしかるべきじゃない?)
罠に陥れられた事実よりも、何故かそっちのほうに腹が立つ。
私は握力の戻らない手で、ぎゅう、と自分にかかっているシーツを握った。
(あら……シーツじゃない……ケンイチの上着?)
異世界製の物なので、火で炙ろうが水に濡らそうが、ごわつきさえしない不死身の衣服だ。
ちなみに、匂いは少しする。
やや生臭いのは巨大魚に呑みこまれた時の残滓だろうか。
(ともかく、彼には私を気遣うヒマはあったってわけね……)
無理やりどこぞに連行されて、橋を造るだの船を造るだのといった強制労働に従事させられているわけではなさそうだ。
ま、意外に機転の利く男だから、たとえそうだとしても簡単には死ななさそうな気もするわね。
ここでようやく身体の感覚が戻ってきたので、私はヨレヨレと上体を起こした。
う、まだ少し頭痛がする。
(うーん……しばらく二人は戻らなさそうねぇ……)
あたりはシン、と静まり返っている。
(……もう一風呂、浴びてこようかな)
我ながらなんと楽観的な、とは思うが、こういうことは焦っても仕方がない。
メイヘレンがケンイチをどこへ連れて行ったのかも分からないし、どれくらいで戻ってくるかも分からない。
ただ、(これは自分でも不思議なのだけど)二人は間違いなくここに戻ってくるという確信だけはある。
信頼?いやいや、そんなモノではなく……強いて言うなら、『勘』。
しかし、待つしかないという状況も癪なので、私は私で優雅に過ごさせてもらおう。
「よっ……と」
ようやく少し自由になった身体を起こす。
「おおっ……っとっと」
まだ、少しバランス感覚に難ありね。
それでも、よし、行ける!
私は洗面道具を用意して、さっさと宿屋を後にした。
雲が完全にひいて、青白い月光が地表を照らす。
うん、なかなか悪くない。素敵な月光浴ね。
せっかくの月明かりだし、術戦車を使うのも勿体無い。
少し遠いけれど、歩いていくことに決めた。
標高は高くても、不思議と肌寒くはない。
(それにしてもこの私が一杯盛られるとはね……)
思い出して、少し腹が立ってきた。
(あの女、どーしてくれよう)
犯した罪には何か、しかるべき罰を考えねば。
モノマネをさせる?うーん、ヒネりが無いわね。
裸踊りをさせる?ダメダメ、ケンイチが喜ぶだけだわ。
突如として奇声を発しながら、つま先立ちでぐるぐると回り続ける。しかも、人混みの中で。
(おおっ、これはエグいわね)
貴族の面目、まさに丸つぶれ。
よし、それにしよう。
心の中でそう決めて、一歩を踏み出した、その時。
道の先に人影が見えた。
(ん?)
私は目を細めて注視する。
それは鍛えられた体を剥き出しにして、月の下でピタッと両手をYの字になるように上げて、静止して立っていた。
私は最初、それが彫刻だと思った。
「マリン、心の旅……」
あら、喋った。
テラテラと輝く裸体は実は全裸ではなく、ピッチリとした黒の海パンを身につけていて、必要最低限な場所だけはなんとか隠してくれている。あ、ソックスも履いてるのね。
まぁ、端的に言うと、キモい。
タイヘンなヘンタイであることは疑う余地も無い。
とりあえず道を塞ぐ形で立っているので、無視もできなさそうだ。
「グッ、イブニン、ガール……」
「……何者?」
「問うならば答えよう。私の名はロレンス……愛と美の伝道師!」
そいつはねっとりと腰をくねらせながら、よく通る声で自己紹介をする。
うーわ、見た目だけでなく中身もキモいわね。
というか、イタいというか。
「愛と美の伝道師……」
「いかにも。愛と美というのは――」
「あ、間に合ってます。じゃ、ゴメンしてね」
「ノン!待ちたまえ、ガール」
ロレンスは速やかに去ろうとする私の前に、両手を広げて立ちふさがった。
「何よ、もー」
「今、私が愛について語ろうとしていたのだよ君ィ」
「また今度ね」
「なんというツレなさ……!メンスかね?」
「黙れ変態」
「良い良い、そんな君のアンニュイをこの私が吹き飛ばしてやろう」
「話聞きなさいよ」
「とうっ!カツモクせよ!」
ロレンス氏は再び両腕を高々と天に掲げたかと思うと、クルリと後ろを向く。
そして……
「お尻ペロロンチーノォ!」
と叫ぶと、唯一の着衣である海パンをずり下ろし、こちらへお尻を丸出しにした。
「……」
「……」
静寂。
私は、いやん!きゃあ!と叫ぶ前に、呆然とそのかぐろい谷間を凝視することしかできない。
「……」
「……」
「やれやれ……」
「……」
「そんなに見つめられると、もう一つ穴があいてしまうよ」
「……ちょい」
「うん?何だね?」
「これ見て」
「ほう?Vサイン……ビクトリーのVだね!」
「てい」
私はその指を、こちらへ顔を寄せてきた変態の両目へ突き込んだ。
「ギャァァァァァァァァァース!!!」
身の毛もよだつような断末魔が、夜の闇を揺らす。
おまけにここは山道。
その雄叫びはこだまとなって連なる山々の静寂をかき乱していった。
「目がッ!目がぁぁぁぁぁぁッ!」
「手加減したから失明はしないわよ。二、三日は目も開けられないでしょうけど」
「ヒぃぃぃぃぃぃぃぃッ……!!!」
「勝利の後はいつも空しい……じゃね」
お尻丸出しで無様に地面をのたうちまわる愛と美の伝道師を後ろに残して、私は再び温泉への道を行く。
しかし……
「ツンデレですネ。わかります」
「?」
今度は足元にただならぬ気配を感じ、視線を落とす。
するとそこには、こちらを見上げながらハァハァと鼻息を荒くしている、分厚い眼鏡をかけた細身の男が寝そべっていた。
「ハァハァ……ツンデレゴスロリつるぺた……モエモエ~」
そいつは私が今まで聞いたことの無い呪文を唱え始めた。
おおっと、さっきのヤツの仲間?
それは古代魔法か何かかしら?
とにかく殺られる前に殺らねば。
「せいっ」
私は足元にある頭を、躊躇なく踏みつけた。
「う」
パキュっと小気味の良い音がした。
そいつは二、三度ビクンビクンと四肢を震わせたかと思うと、すぐにぐったりと動かなくなった。
彼は一体何者だったのかも、問う暇は無い。
「……やれやれ、なんか変なのが多いわね」
思わず大きな溜息が出る。
一晩で変態に二度も出くわすなど、なかなか無い経験だわ。
二度あることは三度あるとも言うけど……
「お待ちなさい!」
出た、三人目……
しかしその相手は姿が見えず、闇の中から声だけが響いてくる。
「その鮮やかな暗黒拳の数々……タダモノではないわね」
「どこ?出てらっしゃい」
「『どこ?』ですって?ここよ!とうっ!」
威勢のいい掛け声とともに、地面からドウっと土煙が上がった。
そして飛び出したシルエットは月に重なり、クルクルと木の葉のように回転しながら地面に着地する。
「シルク・撫子、参・上!」
「うわ……ぺっぺっ、口の中に……土が……」
「シルク忍法『ドトンの術』!」(ドババァァン!)←効果音
土中から姿を現したのは、同い年くらいの女の子だった。
いつから埋まっていたのだろう?
「ふーむふむ……」
彼女は私を頭のてっぺんからつま先まで、じろじろと値踏みするように見る。
「……何?」
尋ねるとしたらそれしかない。
しかし彼女はその問いには全く答えず、うんうんと一人で何かを納得したように頷いた。
「そうね。『萌え』ってのも大事な要素なのよ」
「はぁ?」
「あなた、名前は?」
「……プルミエル・ミスマナガン」
ミスマナガンの名前を出せば少しは動揺するかと思ったけれど、相手は全く、それを意にも解していないようだった。
「プルミエル!可愛い名前だわ。素敵」
「あなたは何者なの?」
「私は『シルク・撫子』!」(ズバァン!)←効果音
ところどころで入るこの効果音は一体……?
「で、そのシルク撫子は一体……」
「あなたがさっき鮮やかに屠ったのは『ロレンス』と『ジーザス』!そして……あら?」
「?」
「ダビちゃん?……おーい、ロレンスぅ!ダビちゃんはぁ?」
「ううっ……」
「ダビちゃんは?どこ行ったの?せっかく月夜なのにぃ」
「……さ、さっき、団長とジーザスが無理やり白ガーターを履かせようとしたから、『あうあう、はわわっ……』と泣きながら逃げて行きました……」(がくっ)
「あ、死んだ。まぁいいや。もう一人、謎の生命体ダビドフ!合わせてS・Y・S団よ!」
「へぇ……」
「プルミエル、合格よ。本来ならば団員で多数決を採るのだけど、団長特権であなたを我がSYS団へ歓迎するわ!」
「あー……お構いなく。じゃあね、ごきげんよう」
「おおっと、予想以上のツンぶりね。+10点よ!」
ダメだわ……会話が成立しない。
「『放課後ティーバック』……」
シルク撫子は腕組みをしたまま、呟いた。
「『ガールズ・デッド・ポリスター』……略して『ガルデポ』。どうかしら?」
「へ?」
「ユニット名よ」
「ゆにっと……?」
「やれやれ……意外と鈍いわねぇ。-5点ね」
「はぁ」
「美少女が集まったらバンドを組む!近年の風潮では定説と言ってもいいわね」
「へぇ」
「ダビちゃん、プルたん、そして私!うおー、燃える燃える……もとい、萌えるわねッ!よし、勢いをそのままに新曲いくわよ!」
『キャトル☆ミューティレーション』 作詞・作曲 シルク・撫子
その話 妙にこだわるじゃない?
奥さんが オレンジ色の発光体に連れ去られたっていう話よ
虚ろな目をして帰ってきても
彼女には優しくしてあげるのよ
でもね その中身はね 変わってるかもね
意外と大事なシリコダマ しっかりガードしないとね
※女の子ですもの 恋しながらでも メガ盛り食べるし
女の子ですから デート中でも 土俵入りできちゃう
あなた フライング☆ヒューマノイド気取りね
※くりかえし
今夜 キャトル☆ミューティレーション日和ね
「……」
押し寄せる『?』の波の前に、言葉も無い。
「……あー」
「おっと!いけね、ダビちゃんを探しに行かなければ!」
「はぁ」
「プルたん、今度会う時は衣装合わせよ!チャオ!」
ビッと親指を立てると、シルク撫子は疾風のような身のこなしで斜面を駆け下り、山間に姿を消した。
取り残された私。
と、二つの屍。
「だから一体何だったのよ、あんた達は……」
大きな謎だけが残った。