つれない彼女の切ない過去
早朝。
裁縫仕事を終えて外に出ると、世界はまだうっすらと霧に包まれていた。
静かだ。
しかし、見下ろす港町では早い時間でも、もう活発に動き回っている人たちがいる。
まぁ、漁師の朝は早いもんだな。
「ふぁ~あ……」
大きなアクビを一つ。
徹夜明けの肺に入ってくる新鮮な空気は、この世のものとは思われないくらい清浄で、美味い。
「ん~ッ……!」
身体を伸ばす。
ああ、気持ち良い!
『勇者タイム』のルールの中で夜を生き延びるというのは過酷なことだが、もう俺の体は『四十分睡眠』を極めたと言っていいだろう。
勿論、誤差もあるが、それでも四、五分程度だ。
睡眠中の落命のリスクは軽減されつつある。
それだけで、俺は強い達成感を感じていた。
水平線から少しずつ輝きを増してくる光が、それを代弁してくれているようだった。
(やっていけそうな気がしてきたぞ……)
この世界に来た時は、『勇者タイム』のルールに底知れない不安感と絶望を抱いたものだが、もう、そうすることが当たり前のような感覚になりつつある。
慣れってのは恐ろしいものだ。
しかし、生物というのは、常に生存のために進化の道を模索する。
つまり俺は進化したのだ。勇者に。
言うなれば『勇者体質』へと!
(ぶふっ、なんだよ、勇者体質って……)
俺が思わず一人笑いすると、後ろでドアが開く音が聞こえた。
「おはよ……」
「おはよう、プルミエル。ずいぶんと早いな」
「そうねー、目が覚めちゃったからね……」
とは言いつつ、眠そうだ。
「寝直せば?」
「朝寝は主義に反するの」
プルミエルは井戸の水を汲み、タオルをそれに浸して、顔をごしごしと拭いた。
「……昨日はありがとう、プルミエル」
「んー……?」
彼女はシスターに拉致られて、一緒の部屋で寝ていたが、真夜中でも四十分おきに俺を起こしに来てくれていたのだ。
『健気』というのも『律儀』というのも彼女には当てはまらない気はするが、俺を気遣ってくれていることは良く分かったので、思わず感激してしまった。
待てよ……
彼女、ひょっとして俺のこと……
なんていう甘やかな幻想や妄想も、長い夜を過ごす暇つぶしになってくれた。
「別に私に礼を言う必要無いでしょ。自分で起きてたんだから」
「でも、いちいち俺を心配して毎度毎度、見に来てくれたじゃないか」
「あなたが朝になって冷たくなってたら、純真無垢な子供たちにとって一生消えないトラウマになりかねないでしょ」
「ま、たしかに……でも、ありがとう。礼は言わせてくれ」
「どーいたしまして」
面倒くさそうに、お辞儀を返してくるツンデレ少女。
うぬぬ……そんな素直じゃないところも愛おしいぜっ!
「ま、誰かさんが勇者タイムを自力で稼げるようになった分、これからは良く眠れそうね」
「ああ、安眠してくれていい」
びっと親指を立てて見せると、プルミエルも同じように返してくれた。
普段はあまりにもそっけない彼女だが、たまにこういう仕草をしてくれると、少しでも心が通い合っているような気がしてなんだか嬉しくなる。
俺とプルミエル。
朝、二人っきりの世界。
「なんだか、久しぶりな気がするよ」
「何が」
「こうして落ち着いて君と話すのがさ」
「キモい」
「ううっ……き、キモくなどないっ!」
「いつだって話せたわ。あなたが一人で落ち着いてなかっただけで」
まぁ、たしかに言われてみればそうかも。
「俺も生き延びるのに必死だったからなぁ……」
「まぁ、これからも頑張んなさい」
「ああ」
「うん」
しばらく無言になる。
不思議と気まずさはない。
次第に周囲が明るくなり始めた。
朝の霧が少しずつ薄らいでいって、世界の輪郭が明瞭になっていくのを二人で眺める。
とても清々しい気分だった。
「はー、なかなか悪くないわね。ここにいた時はあんまり早起きしなかったから、こういう景色も見たこと無かったわ」
「そういえば、ここにいたんだっけ?」
「あー……」
プルミエルはしまった、という顔をした。
おっ、初めて見たぞ、そんな顔。
「不覚だわ……寝ぼけてたのかしら……?」
「でも、今は貴族だろ?養子にでも入ったのか?」
「まーね、そんなところ」
彼女は確かにメイベル・ルイーズ号に乗船していた貴族達と違って、お高くとまった感じがしない。
庶民派なのかな?とも思っていたが、養女であるなら納得の理由だ。
「もー、いいでしょ、この話は」
「まぁ、話したくないなら聞かない」
「そうよ。それが礼儀よ」
彼女はそう言うと、すたすたと家の中へと入っていってしまった。
朝食も全員がそろってからお祈りが始まった。
「いただきましょう~」
「「「いただきまーす!」」」
目の前にはパンと山盛りのサラダと目玉焼き、それにトマトのスープ。
げ、サラダの中にはセロリが。
こいつは苦手だ。
多分、前世で何らかの因縁があったんだろう。
俺はそれをフォークでそっと皿の端によける。
「うへぇ、セロリ。苦手だよ」
そう言ったのは、ドリーだった。
気持ちは分かるぞ!同志よ。
「ダメですよ~、何でも好き嫌いなく食べなくちゃ~」
「でも……」
「ほらほら、ケンイチお兄さんも好き嫌いしないでしょ~?」
「へ?」
子供たちの視線が、一斉に俺に注がれる。
にっこりと微笑むシスターの瞳には何の悪意も無い。
きっと、本気で俺が好き嫌いしない人間だと信じているんだろう。
なんてこった……期待を裏切ることはしたくない。
「そっ……そうだぞ、ロビン。好き嫌いはイケないな」
「(じ~っ)」
「セロリは美味いよ。セロリ最高」
「(じ~っ)」
「ううっ!さ、さぁ、セロリ食べちゃおう!あー、今日のセロリは本当に美味そう。困っちゃうネ!」
俺は覚悟を決めて、セロリをかき集めていっぺんに口の中に放り込んだ。
子供たちにも分かりやすいように、よく噛む。
口の中にセロリならではの苦みと香りと瑞々しさがいっぱいに広がって、涙が出てきた。
「あー、美味いッ!なんて美味いんだッ!セロリはまさに野菜界の跳ね馬(?)だネ……!」
「すごいや!」
「あんなに泣きながら食べるなんて、ホントにセロリ好きなんだ!」
「ケンイチにーちゃんがああ言うなら、食べてみようかな……」
ドリーもおずおずとセロリを口に運び、意を決してぱくっとやる。
「う……」
「うっぷ、シャキシャキして最高さ……そうだろ……ドリー」
「うん……そんな気がしてきた……」
よし!
俺の心のガッツポーズが炸裂したところで、頬杖をついたメイヘレンの視線に気付く。
「君は安上がりでいいな。よし、そんなに好きなら、これから三食セロリを用意しよう」
「な、なにっ……!」
薄紅色の唇が意地悪く微笑んだ。
チクショウ!確信犯だな!
「それはそうと、プルミエル。食事が終わったら術戦車を取りに行こう。ジャンたちが港の貸倉庫へ預けておいてくれたはずだ」
プルミエルはシャキシャキ音を立ててセロリを頬張りながら、手を挙げて肯定の意を表す。
「えー、プリミィねーちゃんとメイねーちゃんいっちゃうの?」
「ケンイチにーちゃんも?」
「ずっとここにいてよ!」
「こらこら、ダメですよ~。三人とも、大事な用があるんですからね~」
全員がえーっという落胆の声を上げる。
ううっ、できれば俺もずっとここにいたいぜ!
「スマン、みんな。みんなのことは忘れないよ」
「また来てくれるよね!」
「……ああ」
こんなに胸の痛む嘘をついたのは初めてだった。
二人の魔法使いが港町へ向かった後、俺は勇者タイムを稼ぐべくベッドメイクをしたり、大掃除をしたりと、大忙しだった。
言うなれば、一宿一飯の恩義、最後のご奉公だ。
全てを終えたところで、俺は孤児院の前で風に吹かれながら二人が戻ってくるのを待っていた。
さわさわと木々が揺れて、なんてのどかなんだろう。
この後の『手錠プレイ』を考えると、ずっとここにいたくなる。
「お疲れ様です~」
「ああ、シスター。こちらこそお世話になりました。あれ、子供たちは?」
「裏の林へピクニックです~。男の子は虫捕り、女の子はお花摘み」
「そうですか」
「あまり子供たちに見つめられると別れ辛くなるでしょう?」
ああ、そういう気遣いをしてくれたのか……
「すいません」
「いいえ~。頑張って御自分の世界に戻ってくださいね~」
「はい……」
「そうだ、プリミィちゃんのお話をしましょうか~」
「ええっ?なんで急に?」
「ケンイチさんにはお話しておいたほうが良いと思いまして~」
「はぁ……」
シスターはやんわりと話し始めた。
「プリミィちゃんは子供の頃からすごく頭の良い子で、おまけに強い魔力を持っていました。御近所でも評判だったんですよ。でも、その噂を聞きつけて、ある日、先代のミスマナガンの御当主であるグランゼル様が孤児院へいらっしゃったんです」
「グランゼル様はプリミィちゃんを見て、『有望だ。私がもらう』と仰いました。あの方はお子様がいらっしゃらなかったので、自分の後継者になり得る者を各地でお探しになっておられたのです」
「でも、その為に課せられる試練は想像を絶する苦痛に満ちていると噂されていました。それを知っていたので、当時の院長であるマクミラン神父も私も、最初はお断りしました。だって、彼女はモノではないからです」
「すると、グランゼル様は『ならば、この孤児院を跡形も無く燃やす』と仰いました。あの冷たい瞳は今も忘れられません」
いつも微笑みを浮かべているシスターの柔和な顔が、不安に曇った。
「私たちは困ってしまいました。その時、プリミィちゃんはグランゼル様の前に進み出て、こう言いました」
「『私、養女になるわ。そのかわり、この孤児院に毎月、ミスマナガンの名前で援助金を払って』」
「八歳ですよ、プリミィちゃん。皆が驚きました。でも、グランゼル様はそんなプリミィちゃんをとても気に入られて、そのまま連れて行ってしまいました。それから毎月、約束通りにこの孤児院宛てにお金が届くようになったんです」
「私、とても悲しかったし、落ち込みました……まるで、お金でプリミィちゃんを売ってしまったような気持ちになってしまったんです」
「でもプリミィちゃん、昨日アルヴァンの魔法塔へ走っている時に私に言ってくれたんです」
「『シスター、私、今すっごく面白い実験をしてるの。しばらく楽しめそうよ』」
「私……涙が出そうになりました。ああ、この子、まだ笑ってくれるんだ。ちゃんと人生を楽しめてるんだって……とっても嬉しかったんです」
シスターはこっちを向いてにっこり微笑んだ。
「ケンイチさんのおかげですね。ありがとうございます」
「そ、そんな……」
俺は慌てて手を振った。
しかし、プルミエルにそんな過去があったとは……
すごく壮大で、感動的なエピソードというわけではない。
でも、自分を顧みず、さりげなく他人を思いやったり、助けたりというのはなかなか出来る事じゃない。
思えば、彼女は初めて出会った時からそうだった。
俺を化物から助けてくれたし、エスティ老師に引き合わせてくれたし、こうして旅にも付き合ってくれている。
「プルミエルのおかげで、今、俺は生きているようなもんなんですよ」
本当にそう思った。
だが、シスターは首を振って俺の手を握った。強く。
「いいえ。プリミィちゃんはあなたといるのが楽しいみたいですよ。あなたとの旅が、楽しいんです」
「そ、そう……なんですかね?」
「はい。ケンイチさん、これからもあの子をよろしくお願いします~」
シスターが、また微笑む。
俺は強く頷いた。
振り向くと、港町からこちらへ向かって飛んでくる二つの光が見えた。