鋼鉄の番人
『僕を食べて』
頭があんパンでできてる超有名なヒーローのキメ台詞を、俺は思い出していた。
奇特なヤツだと思っていたが、あれこそが自己犠牲の精神であり、見習うべき勇者の鑑だ。
そして、奇しくも今。
俺は似たような状況にあった。
(うぶ……ばっちぃな……)
ザラリとした舌が俺の顔を舐め上げ、涎まみれにされる。
三頭ほどの魔獣にのしかかられて、身動きできない俺はいいように身体を貪られていた。
『食べられている』というよりは『嬲られている』感じ。
俺がなまじ不死身なもんだから、奴らの誇る鋭い牙も爪も、この身体を切り裂くことはできなかった。
向こうもようやくそれに気付いて、後は未練がましくべろべろと舌で俺の身体中を舐めまわしてやがる。
まったく、罪なボディーだ。
俺は、ペット用の骨の形をしたガム……そう、アレだ。
アレになった気分だった。
あんなもん舐めてて何が楽しいんだと思っていたが、今はさらに強くそう思っている。
なぁ、こんなことしてて何が楽しいんだ?
心の中で問いかけてみるが、魔獣は当然答えない。
同じ行動を繰り返すのみである。
(さて、どうしたもんかな……)
思案のしどころだ。
シスターと子供たちを逃がすために、口笛で『スリラー』を吹きながら魔獣たちを誘き寄せたはいいが、すぐに強靭な前足で床に押し倒され、今に至る。
幸い、シスターも子供達もその隙に逃げだすことができたようだ。
あとは、妙なトラップに引っかからないでくれればいいんだが、大方のトラップは俺が踏破しておいたから、問題は無いだろう。
問題は……
(この身動きできない状況にある……)
唾液にまみれながら、俺は思わず舌打ちを洩らしてしまった。
魔獣フォービドゥンの恐るべき六頭連携によって、俺の体は完全に床に押さえつけられていて、自由に動くのは右腕だけだ。
身体の上には三頭もの魔獣が覆いかぶさっていて、残りの三頭は俺の周りをうろついて、しきりに唸ったり、噛みついてきたりを繰り返していた。
はっきり言って、不死身でなかったら相当悲惨な状態の死体になっているはずだ。
(何とかならないか?)
周囲を見回してみる。
何も無い。
腰に差した剣の上には、魔獣が一体のうのうと座りこんでいて、抜くことはできなさそうだ。
くそ。
このまま待っていれば、あの魔法使いTai!が助けに来てくれるだろうか?
そうだ、こんなに優秀なモルモットをみすみす死なせる手は無い。
きっと助けに来てくれるさ。
希望的観測のもとで、待ちの姿勢に入ろうとした時、俺の眼は床の上のあるモノに気付いた。
目を凝らすと微かに分かる、あの突起。
スイッチ?
多分、トラップのスイッチだろう。
リロ&スイッチ、なんておサムいギャグが思い浮かんだ。
(……うーむ、どうしよう?)
押すか?否か?
正直、何が起こるかは本当に分からない。
まぁロクなことは起きないだろうが、現状を少しでも改善できるかもしれない。
いずれにしても、チャレンジしてみる価値はありそうだ。
なんせ不死身なもんだから、この博打にはリスクと呼べるほどのものも無い。
俺は、思い切って右腕を伸ばした。
「く…く…んおおおおっ」
くそ、結構離れてるな。
脇が吊りそうだ。
「おおおおおっ」
それでも気合で腕を伸ばし、床を叩いた。
カチッと小気味良い音が鳴る。
さぁ、何が起きる?
と、急に遠くでスパパパパン!というやかましい破裂音が鳴り、広い廊下に響いた。
な、なんの音だ?
「?」
魔獣たちも、突然の物音にいっせいに顔を上げた。
その時。
ズン……ズン……
地鳴りのような音が遠い闇の先から聞こえてきた。
床を見ると、そこに積もった埃や細かい破片が、かすかに振動している。
これは……
イヤな予感がする……
ズシン……ズシン……
その音は力強さを増し、空気の振動が、圧倒的な質量を持ったモノの接近を知らせてくる。
危機を感じ取ったフォービドゥン達が叫び、喚きながら、慌てて俺の体の上から飛び降りて、音のする方向とは逆の方向へ一目散に逃げていく。
ズシン!ズシン!
うお、近ぇぜ!
俺はなんとか立ちあがって、態勢を整える。
そして、闇の中から、とうとうそれが姿を現した。
「ブオオオオオオオオオオオオオオン」
それは、ファンタジーの世界にはまったく不似合いな存在だった。
俺は思わず呻いた。
「ろ、ロボット……?」
年月がその鋼鉄の巨体を若干錆びつかせてはいるが、それはまぎれもなくロボットだった。
そのピコピコと点滅する目。
一歩踏み出すたびにずしんと床が揺れる重量感。
まぎれも無くこいつはロボットだ。
おまけに多分、戦闘用。
その手には鉈のような厚手の刀身を持った短刀が、剣呑な光を放っているからだ。
マジンガーよりは鉄人28号に近い不細工さだが、頑丈なのは間違いなさそう。
さっきのスパパパパンという音は起動音かなんかだったのか?
「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」
もう一度、鉄人が吠えた。
あまりの驚きに、俺は馬鹿みたいにそれを見上げるだけだった。
「ワーオ……」
俺の発した言葉に、鉄人はピコピコと目を明滅させて反応した。
「侵入者……確認……侵入者ハ……排除……」
はーん!予想通りのベタな反応!
鉄人は鉈を振り上げて、ズシンズシンと近づいて来た。
こ、こんな奴と闘ってられるか!
迷子の子供を救うという目的は果たしたんだから、ここに長居する理由は無い。
俺は一目散に逃げ出した。
「侵入者……逃走……追跡」
『去る者は追わず』という歴史的な金言を知らないのか?このポンコツめ!
後ろを振り返ると、鉄人は予想以上のスピードでズンズン迫ってくる。
おおっと、けっこう素早い野郎だ!
俺は暗い廊下を全速力で走った。
だが、俺の不幸は続く。
「ケンイチさ~ん」
闇の向こうで、シスターの声が聞こえたのだ。
何たるバッドタイミング!
「どこですか~?」
「シスター、逃げて!」
「あ~、ケンイチさん、そっちですか~?」
呑気なシスターの声が、近づいてくる。
マ、マ、マズイ!
俺のすぐ後ろには殺人意欲に満ち溢れた古代の鉄人がいる!
「こっちに来ちゃダメッス!」
俺はなるべく意図が伝わるように、鬼気迫る声を出した。
「逃げてくださいッ!」
「え~、何でですか~?」
「俺、今、殺人マシーンに追われてるんですよッ!!」
「あ、見えました~」
闇の先で、松明を振るシスターが見えた。
俺も手を振る。
って、そんな場合じゃねぇゼ!
「に、に、逃げろォォォォォォォォォッ!!」
「あらあら~、でっかい鎧が動いてます~」
「走って!早く!」
俺はシスターの腕を掴んで、さらに猛スピードで廊下を駆ける。
「侵入者……侵入者ハ二名……排除スル」
「あれはなんですか~?」
「殺人マシーンッスよ!」
「あらあら~初めて見ました~」
「子供たちは!?」
「大丈夫、メイヘレンさんに預けてきましたよ~」
その時、すぐ後ろで、ブン!と風を切る音が聞こえた。
俺は咄嗟にシスターと一緒に地面に屈みこんだ。
次の瞬間。
さっきまで二人の上半身のあった場所を、鉄人の鉈の一閃が凄まじい速度で通過した。
それはドカン!と壁にめり込み、大きな亀裂を作る。
天井からはその振動でパラパラと何かの破片が降ってきた。
「あ、あ……あぶねぇ!」
「はぁ、危機一髪でしたね~……」
何だってこの人はこんなに落ち着いてるんだ?
「立って!」
俺は急いでシスターを引き起こすと、また走りだした。
「くそ!」
さっきは運良くかわせたが、次もできるとは限らない。
俺は不死身だからいいんだが、シスターは……
くそ!
この廊下、こんなに長かったか?
出口、出口はどこだ!?
俺は一心不乱にシスターの手を掴んだまま走り続ける。
すぐ後ろに、再びガシャンガシャンという機械音が迫ってきた。
その時。
松明の光が揺らめいているのが見えた。
あれは……プルミエルだ!
「プルミエルッ!」
「あ、戻ってきた」
「魔法、魔法を頼むッ!超強いやつを!」
「はぁ?」
プルミエルは怪訝そうな声を出したが、俺の後ろに迫ってきている奴を見つけて、ニヤリと笑った。
「すごーい、魔芯兵器だわ」
「超危険な殺人マシーンだ!」
「うーん、勿体無いなぁ……」
こ、この娘は……
「いいから、やれ!」
「うるさいわねぇ、分かってるって」
プルミエルが口の中で呪文を唱えて、指先をこちらに向ける。
俺とシスターは巻き添えを喰わないように、プルミエルの後ろへ飛び込んだ。
「我は求める、万物を灰にする獄炎の砲撃!」
彼女の叫びとともに、小さい太陽のような火球が飛び出した!
それはまっすぐ鉄人に向かって飛んでいき、その頭部にドカンとクリーンヒットする。
鉄の巨体が大きくのけぞって……そして、ゆっくりと仰向けに倒れた。
「……やった!おおっ、やったぜ!」
「プリミィちゃん、すごいですぅ~」
「うひょーい、ざまぁ見ろ!ポンコツめ!今のが獄炎の砲撃だぜ!」
俄然テンションが上がってきたぜ!
まぁ、俺は何もしてないんだが、とにかくめでたい。
だが、俺達の浮かれっぷりとは逆に、プルミエルの表情は固かった。
「うーん……けっこう頑丈だわ」
おおっと、イヤな予感!
すると、案の定だ。
倒れていた鉄人の体がむっくりと起き上がった。
点滅する目が、再びこちらを見る。
「侵入者ニヨル攻撃……被害……無シ」
余裕ぶりやがって!
だが、それは虚勢ではなさそうだ。
煙の上がっている頭部は、少し焦げ跡がついてはいるが、傷はおろか、へこんだ様子も無い。
「よし、逃げよう。それが良いと思うぞ、俺は」
「そうですね~、そうしましょう~」
「うーん、それしかないわね」
意見がまとまったところで、俺達三人は一斉に走り出した。
「でも、どうしましょう~?これを下の階まで連れて行ってしまうとパニックになりますよ~」
「それは確かにそうッスね……」
「もー、困ったわね。誰がアイツを起動させたの?」
「……お、俺だ。スマン」
「もぅ」
プルミエルが走りながら溜息をつく、という器用なことをする。
俺の心肺機能はもはや限界寸前なんだが、シスターもプルミエルも涼しい顔で走っている。
この世界の女性は本当にタフだ。
「アレをするかなー……」
「おおっ!さては切り札があるんだな!?人が悪いぜ!」
「まずはここを出てからね」
そうこう言っているうちに、鉄の扉が見えた。
あれをくぐれば、塔の中心部、あの吹き抜けの螺旋階段に出る。
だが、大丈夫か?
一抹の不安がよぎった。
すぐ階下は観光名所だ。
シスターの言う通り、あの殺戮マシーンを人混みの中に連れていくのはマズいんじゃないか?
俺の逡巡を、プルミエルの声が遮る。
「とりあえず出るわよ!とう!」
「はい~、え~い!」
「でりゃ!」
俺達は、順に扉から飛び出した。
すぐ後ろに迫っていた鉄人は扉に身体のサイズが合わず、ドカン!という音を立てて壁に激突した。
塔全体が揺れたような、超特大の衝突音だ。
俺は慌てて鉄の扉を閉めた。
「おやおや、何を連れてきたんだ?」
驚いた表情のメイヘレンは、階段に腰掛けて、二人の子供を膝にのせていた。
意外と、女性らしいところもあるんだな……なんて感慨に浸っている場合ではない。
扉の向こうで、ガドン!ガドン!と壁を激しく打ちつける音が聞こえてくる。
鉄人が、力尽くで壁をぶっ壊そうとしているんだろう。
「何だ?」
「さ、さ、殺人マシーンだ……狂気のマシーンだ……」
俺は息も絶え絶えに解説するが、メイヘレンは首をかしげた。
「よく分からないな」
「魔芯兵器よ」
プルミエルがかわりに解説してくれた。
「それも単純な土器兵でなく、鉄甲兵」
「おお……それは興味深いな」
「私もそうなの。でも、ご覧の通り、捕獲の余地は無さそうね」
さらにガドン!ガドン!という音が強くなる。
おおっと、まずい!壁にひびが入ってきたぞ!
「プ、プルミエル……そろそろヤバいぞ」
「見れば分かるっての。んで、メイヘレン。『相反魔法』を使いましょう」
メイヘレンはその言葉に、ハッとする。
「おいおい、一発勝負で?無茶を言うな」
「相手は超頑丈なの。まさにメタルよ。メタル・ゴッドよ」
「詠唱のタイミングがずれるとお互いにただでは済まないぞ」
「でも、放っておけないでしょ」
「ううむ……」
メイヘレンが低く唸って、天を仰ぐ。
よほど重大な決断を迫られてるらしい。
「大丈夫、できるって。私達、そんじゃそこらの魔道師じゃないんだから」
「……わかった。そのかわり、タイミングは私に合わせろよ」
「よし、そんじゃ、やるわよ」
二人は俺達に離れるように指示した。
階下の野次馬たちも、何が起きているのかと近づいてくる。
「おい、何が始まるんだ?」
「あ~、近づいちゃダメですよ~」
「あそこ、立ち入り禁止区域よ。どうしたの?」
「おお、何かアトラクションかな?」
「駄目です~」
階段を上ろうとする野次馬たちを、シスターと子供たちが両手を広げて押しとどめる。
俺も一緒に野次馬たちを階下に押しのけながら、シスターに尋ねた。
「何が始まるんです?」
「『相反魔法』を使うんです~」
「何スか?それ」
「属性の異なる精霊魔法を空間で衝突させると、凄まじい威力になるんです~。ヘタに近付くと粉々です~」
「ワーオ……」
俺は二人の魔道師を見上げる。
扉の前に立った二人は、いつになく真剣な表情をしていた。
「聞け、アグネイ。汝、太陽の子……」
「聞け、レイハーブ。汝、氷海の主……」
二人が、あろうことか手をつないで、同時に詠唱を始める。
その瞬間、空気がピン、と張り詰めたようだった。
騒々しかった観衆もこのただならぬ気配を感じて、全員がぴたりと声を静めた。
「……その力の顕れるところに我あり、我が心の求めるところに汝あり……」
「……その身を沈めたるは無明なる深淵。されど我は見る、汝の雄々しき偉容……」
おっと、いつもより相当長いぞ。
二人とも、かなり気合が入っているようだった。
額には汗が浮かんでいる。
しかし、扉の向こうの鉄人は待ったなしだった。
ひときわ大きい衝突音とともに、鉄の扉が吹っ飛ぶ!
そして、その奥の闇から、明滅する目が覗いた。
「シ、侵入者……多数……殲滅……メツ……」
「ヤバいぞ!さっきよりクレージーになってる!くそっ……」
「あ、ケンイチさん~!」
俺は二人のもとへと駆けだす。
いざとなれば、時間稼ぎの盾になるつもりだった。
だが――
「「ツイン!エクスプロード!!」」
二人が同時に叫び、そのつないだ手を鉄人に向けて突き出す。
その瞬間。
世界が――
真っ白になった――