潜入!アルヴァンの魔法塔
「聞け、レイハーブ。汝、氷海の主にして淀み無き深淵を治める者。我は欲す、その力の顕現たる真実の眼……」
メイヘレンが呪文を唱えると、水甕に満たされた水の表面が、まるで鏡のようにピンと張り詰めて、馬車が周囲を駆けまわっても、そこには波紋一つ生じなかった。
「おおっ……」
やがてそこに、二つの小さな人影が映し出される。
薄ぼんやりとしたモヤがかかっているので、鮮明に表情を見ることはできないが、シスター・メアリがハッと息を呑んだ。
「ロビンとニナシスです~……!」
少年と少女は互いに固く手を握り合いながら、暗闇の中を恐る恐る歩いていた。
「洞窟かしら?」
「メイヘレンさん、ここはどこですか~?」
「……っ!」
メイヘレンが一瞬、苦しそうな表情を浮かべると、すぐに水に映った人影は消えて、それはゆらゆらと揺れる水面に戻ってしまった。
「……はぁっ……」
メイヘレンは天を仰いで、大きく息を吐いた。
額には汗が浮かんでいて、かなり体力を消耗したように見える。
「どーしたのよー、オバダラを見つけた時はもっと簡単だったじゃん」
「無茶を言う……あの魔法塔の中を覗けただけでも大したものだと褒めてもらいたいね」
「魔法塔~?あの、アルヴァンの魔法塔ですか~?」
「他に魔法塔と名のつくものがありますか?シスター・メアリ。おまけに都合の悪いことに、どうやらその二人は一般観覧エリアから離れてしまったようです」
「げ。それじゃ、三階から上にいるってことかよ?」
「間違いない。まぁ、子供の足だ。四階のどこかにいるだろう。まだ生きているだけでも幸運と思ったほうがいい」
「大変です~、急いで助けに行きましょ~!」
シスター・メアリがパタパタと走り出した。
プルミエルとメイヘレンもそれに続く。
俺も一緒に駆け出そうとした時、さきほど海から引き揚げてやったばかりのモリソン爺さんが俺の行く手に立ちふさがった。
アウチ!
なんていうタイミングの悪さ!
「どうも、さきほどは世話になっちまって……」
「いいんですよ。これからは気を付けてください。じゃ!」
「何か御礼を……」
「ああ、いいんです、いいんです。じゃ!」
「そうはいかんです。何でも言うてくれ」
「いや、ホントにいいんだって……じゃ!急いでますんで!」
「では、これを……」
「おお、ありがとうございます!じゃ!」
俺はモリソン爺さんから布製の小さな袋を受け取ると、すぐに駆け足で皆の後を追いかけた。
しかし、目の前には大勢の人が行き来し、三人の姿はすでにその中に紛れてしまって、どこにも見当たらない。
俺、迷子?
まぁ、街の中央にそびえ立つあの巨大な塔が目的地だから、特に困ったことではない。
そっちに向けて走っていれば、間違いなく追いつけるだろう。
(しかし、少しは待ってくれても良いだろうに……)
俺は人混みをかきわけながら、塔へ向かって走った。
その最中に、モリソンさんからもらった袋の中身を確認してみる。
もしや、お金?
なんていう下世話な期待も無いことは無かったが、袋の中には、琥珀色の玉がいっぱい詰まっていただけだった。
(何だ?コレ……)
取り出して、しばらく眺めて、ぺろりと舐めてみる。
甘い!
やっぱり飴玉だ!
俺は一粒、口の中に放り込んだ。
うーむ、美味。
甘すぎず、渋すぎず……砂糖を何杯も入れて溶かした紅茶を、濃縮して固めたような味だ。
俺はそれを口の中でレロレロと転がしながら、先を急いだ。
馬車を避けながら通りを抜けて、大道芸人がジャグリングをしている広場を突っ切り、恋人達がいちゃつく泉の前の階段を飛び越えると、ようやく塔の入口が見えた。
豪壮という言葉がぴったりな、大きな鉄の門が開いていて、そこから多くの観光客が出入りをしていた。
その様子はまるで、尖塔の形をとった巨大な生物が、我から進んで口に入ってくる哀れな餌を貪っているようにも見える。
俺は思わず、オバダラの口を思い出してしまって、ぞっとした。
この塔は、やっぱりどこか気味が悪いや。
「遅い!何をやっていたんだ?」
「おわぁ!びっくりした!」
俺はいきなり現れたメイヘレンに、思い切り腕を掴まれた。
「うお!」
「行くぞ!四階だ!」
そのまま問答無用で大門をくぐり、大廊下を奥へと引き摺られていく。
「シスターとプルミエルは先に向かった。私たちも急ぐぞ」
「お、おう」
塔の中は予想以上に華やかで、明るかった。
大廊下は上から等間隔でいくつものシャンデリアがぶら下がっている豪華絢爛なもので、しかも世界の果てまで続いているのではないかと思うほど長い。
そこを大勢の人間がパンフレットを手に行き来していて、本当に美術館とか博物館みたいだった。
こんな緊急事態でなければゆっくりと鑑賞したいもんだ。
「わーお、すげぇ……」
「『アルヴァン・コレクション』だ。スハラム・アルヴァンは憎むべき世界の敵だが、その審美眼は実に確かだ。権力と魔力に物を言わせて世界中から美術品を収集していたんだよ」
「アルヴァンはどうなったんだ?」
「さぁ?」
「え?」
「彼の最期は伝えられていない。二百年も前に忽然と歴史上から姿を消したそうだ。この魔法塔と、壮大なる野望の記憶だけを残してな……」
「野望ってやっぱり、アレか?」
「世界征服……はん、子供じみてはいるがな」
メイヘレンは笑い飛ばすように言ったが、その眼鏡の奥の瞳に少しだけ不安の影がよぎったように見えた。
「?」
「……いや、何でもない」
彼女は俺の視線に気づくと、コートのポケットから中折れ帽を取り出して、目深にかぶった。
まるで西部劇の女ガンマンだ。
「おしゃべりはここまでだ。急ごう。そこを右に曲がると、塔の中心を貫く螺旋階段に出る」
「よし、行こうぜ!」
なかば駆け足で、俺達二人は廊下を曲がり、観光客をかき分けて、ひときわ大きな門をくぐった。
と、そこで突然現れた光景に、俺は思わず息を呑んでしまった。
「こいつは……」
まるで、超巨大な貝殻の中に閉じ込められたようだった。
巨大な塔の中心部と思われるこの場所は、全ての階層が完全に吹き抜けとなっていて、壁に沿って、まるで塔の内側に巻きついているような螺旋状の階段が取り付けられている。
それは、昇る者を天まで導くかのように果てしなく続いていて、その途中の壁の所々に各階層への入口のような鉄扉が見受けられた。
ジャンさんに聞いた通り、三階までは確かに観光地区となっているようで、それぞれの扉の傍の壁には松明が赤々と燃えている。
よく見ると、案内板のようなものもあった。
メイヘレンに解説してもらうと、
『一階:美術コレクション
二階:装具コレクション
三階:魔道コレクション
四階~:封鎖地域!立ち入り禁止』
……だそうだ。
そうは書いてあるものの、螺旋階段に対しては、特に上位階層を封鎖してあるわけでもないし、監視員が立っているわけでもない。
割とずさんな印象だ。
「なるほどね。オン・ユア・リスクってわけか」
「ここには特に管理する団体もいないからね」
これなら子供たちが迷いこんじまったのも頷ける。
「登るぞ」
「よし!」
俺とメイヘレンは、螺旋階段を勢いよく駆けあがっていった。