La Coquette (メイヘレン視点)
オバダラは『異世界の勇者』と『皇太子』という実に贅沢な朝食を平らげると、上機嫌で海の底へ姿を消した。
つい先ほどまでの混乱が嘘のように、波は穏やかになり、海はもう平穏を取り戻している。
「うーむ……困ったことになったな」
「と言いつつも、全然困ったように聞こえないところはあなたの才能だと思うわ」
「いやいや、こう見えて本当に頭を悩ませているのさ、プルミエル」
働き者の船員たちが大忙しで甲板デッキにブラシがけをしているのを見ながら、私とプルミエルは大きな日除けのパラソルの下で紅茶を啜っていた。
決して虚勢を張って落ち着き払ったフリをしているのではない。
こういうことは慌てても仕方が無いものなのだ。
私の持論として……人生とは常に試練の繰り返しであり、その道程は苦痛に満ちている。
今回は、それがあの哀れな二人の男たちの上に降りかかったというだけのことなのだ。
(さりとて……)
心痛が無いわけでもない。
「一国の皇太子を死なせたとあっては非難は免れんなぁ……」
「そうねぇ。ご愁傷様」
「おやまぁ、冷たいことを言う……」
「私、関係ないもん」
「おいおい、決闘の原因は君だろう?二人の男の心を弄んで、焚きつけたんだからな」
「はぁー?あれは、あの二人が勝手に始めたことよ」
「ふふん、悪い女だな、プルミエル。私が気付かないとでも思っているのか?」
「知らない」
「あは、は……」
その実に白々しい態度を見て、私は思わず笑ってしまった。
プルミエル、つまりミスマナガンの当主と、こうして話すのは久しぶりだ。
ただ、ここまで打ち解けて話すのは初めてと言っていいだろう。
水の一族と火の一族はその操る属性が完全に相反するというだけのことで、自然と強い敵対心を抱き、いがみ合ってきた。
おまけに我々は互いに大きな家名を背負う身分なので、そう気軽に世間話に花を咲かせる機会などもちろん無かったのだ。
しかし、実に面白い娘だ。
「さて……これからどうするかな?」
「もう、性悪ねー」
プルミエルは横目でこちらをチラリと見て、呆れたように言った。
「ん?何がだ?」
「困ったフリして、もう頭の中でいくつか作戦を考えてるんでしょ」
「だが、どれもあまり面白くなくてね……」
「面白くなくていいから現実的なヤツを頼むわ」
「焦っているのか?」
「まー……多少は、ねぇ。勇者タイムが一時間しか保たないのは知ってるんでしょ」
「ああ、そうだったね。……しかし、随分とあの少年を気にかけるじゃないか?」
「当り前よ」
「あら……正直だね」
「ここまで苦労して連れてきた研究対象に、こんなところで犬死されたらたまらないわ」
『研究対象』とは随分と辛辣な。
こんな言葉を聞いたら、あの少年は抜け殻のようになってしまうに違いない。
勇者ケンイチに幸あれ。
いや、君がこの場にいなかったことは幸運だったな。
「で、どうするの?」
「とりあえず状況を整理しようか」
「いいわ」
「オバダラは深海魚だ。おそらくはもうだいぶ深いところに潜ってしまっているだろう。しかし、あいつは巨体ながら消化能力が極めて弱い生き物でね。浅瀬で大食いをしたあとは、一か月近くは何も食べなくても海底で居眠りしていられるといった寸法だ」
「なるほど」
「さらに幸運なことには、その巨体の中身は大きな空洞になっているということだ。多少の空気もあるだろう。つまり、丸呑みにされた二人が生きている可能性はまずまずといったところだ」
「ふうん」
「だが……」
「時間制限つきってワケね。勇者タイムも、空気の量も限られている」
「いかにも。不死身の勇者が、オバダラの肛門から出てくるのを気長に待っているわけにはいかないということさ」
プルミエルは頬杖をついて、溜息を洩らした。
「はぁ、面倒なことになったわねぇ」
「それらを踏まえたうえで、まずは『プランA』だ」
私が少し姿勢を正すと、プルミエルもこちらの正面に身体を向けてきた。
「はい、伺いましょう」
「私が水流魔術でオバダラを海上まで引っ張り上げる。君が爆炎魔術でオバダラを粉々に吹き飛ばす。その残骸からケンイチを回収する」
「そして皇太子はバラバラ、と」
「『プランB』はオバダラを引っ張り上げるところまでは同じだが、メイベル・ルイーズ号につないで、救出部隊をオバダラの体内に送り込むといったやり方だ」
「人手と時間不足」
「そうだな。手っ取り早いのは『プランA』だ」
プランBは私にとっても願い下げだ。
何と言っても手間がかかるし、この船をそう何度も危険にさらしたくはない。
被害は最小限であるに越したことはないのだ。
その観点から考えれば、リシエル皇太子のことは早々に諦めてしまうのが最善だろう。
聞けば、本国でも彼の放蕩ぶりにはほとほと手を焼いているそうで、品行方正で勤勉実直な第二皇子のミハイルを後継者にと望む声も少なくないそうだ。
ある程度の弁明と慰留金さえ整えれば、さほどの非難を受けることもないだろう。
不憫ではあるが、これが現実というものなのだ。
歯車を一つ失ったところで、この世界の動きは何一つとして揺るがない。
さらば、リシエル皇太子。
私は同情の念を禁じ得ない。
世間知らずで、無類の甘ったれではあるが、彼はどこか憎めない愛嬌も持っていた。
だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
悲しみも後悔も、この場では何の役にも立たないのだ。
「では、『プランA』で準備に取り掛かるとしよう」
「待った」
プルミエルが、こちらを射抜くような視線を向けてくる。
それを受けて、私の背筋に冷たいものが走った。
おっと、こんな感覚は久しぶりだ。
この娘……ますます面白い。
「何か?」
「『プランC』を提案するわ」
「よし、聞こう」
「別名『豪快!オバダラ一本釣り』作戦」
「……?詳しく教えてくれ」
それから彼女が口にしたその作戦の内容は、実に奇想天外であり、かつ、創意に富んだものであった。
私は全てを聞いた後で、大きく頷きながらそのプランに賛同していた。
「面白いね」
だが、この作戦には一点だけ、大きな懸念がある。
「しかし、ケンイチを頼みにする部分が多いな」
「そうね」
「確実性に欠ける気もするが?」
「五分五分……だと思うわ。彼、ああ見えてバカじゃないし」
「随分と買っているんだね、あの少年を」
「今の発言がそう聞こえたなら、そうかもね」
私は彼女の瞳を覗きこんでみる。
目は口ほどに物を言い、だ。
自慢になるが、私は人間の心の動きを読むことに多少の才能を持っている。
そわそわしたり、汗をかいたりという表面上の細かい動きからは勿論のこと、人間の瞳の中に映る感情は決して私を誤魔化すことはできない。
歓喜、愉悦、興奮、悲哀、憎悪、憤怒……
瞳の中の光が織りなす感情の色彩は実に豊富なバリエーションを持っているのだ。
さて、目の前の小さな大魔道師はどうだろう?
この青い、美しい瞳の奥は。
「?」
「うーむ……」
そこには何の特別な感情も見受けられなかった。
情熱も執着も、勿論、親愛の情も無い。
なるほど、勇者はあくまでも学術的好奇心を満たすサンプルというわけだ。
君は研究者の鑑だ、プルミエル。
哀れケンイチ、完全に脈無しのようだぞ。
「じゃあ、他の準備はよろしく。私は術戦車をとってくるから」
すっくと立ち上がって船倉に引き返していく彼女の後姿を、私はしばらく眺めていた。
(なんとまぁ……面白い少女だろう)
勇者はもちろんのことだが、私は彼女に対しても強い興味を持った。
共に大仰な家名を背負うシンパシーだろうか?
(これからの旅路が実に楽しみだねぇ……)
私は航海士を二人呼び出してから、曳航に使う大縄と予備の鋼鉄錨を、船倉の底部にある物置から甲板に運び出すように指示を与えた。
二人とも経験豊富なベテランの航海士ではあるが、さすがに不思議そうな表情を浮かべ、頭をひねっていた。
「あのう……一体、何を始められるんです?」
「すぐに分かるよ。さぁさ、急いで仕事に取り掛かってくれ。ゲームはもう始まっているんだぞ」