幻の巨大魚伝説
決闘の場は意外なことに船の甲板だった。
もっとこう、草むらとか、酒場の前とかを想像していたが、ここは船の上なんだから当り前か。
「随分と面白いことになったじゃないか?」
俺の脇に立ったメイヘレンは、さも楽しそうに言った。
今日は青のポロシャツにタイトな黒革のスカートというちょいとラフだがお色気たっぷりな格好だ。
この人はいつも耳元で甘く囁くように話し掛けてくるから、心臓に悪い。
「まさかプルミエルの愛をめぐっての決闘とはねぇ……」
「泣ける話だろ?しかし、一国の皇太子相手にどこまでやっていいのか分からないんだが……」
俺はジャッジマンによる決闘前のボディチェックを受けている最中だった。
おわぁ、そんなとこ触っても凶器は出てこねぇゾ!
「基本的にはどこまでやっても構わんのさ。相手の言い出したことだからね」
「うーん、でも、俺ってあんまり喧嘩したことないんだけどな……」
「なぁに、ドラ息子に折檻してやるくらいで丁度いい。少し手加減してやってくれ。私の船の上で死人を出すのは好ましくないしね」
この話しぶりを聞く限り、彼女もあまり皇太子のことを快く思っていなかったらしい。
しかし、昨日はあんなにべったりしていたのに……やっぱり女ってのは怖い。
「さて、お集まりの皆様がた!」
メイヘレンはいつの間にか用意されていた壇に上がり、朝から何が起こるのかと興味津々の観衆に向かって、よく通る声で叫んだ。
「この度、リシエル皇太子殿下のご意向により、このメイベル・ルイーズ号の上に決闘の場をご用意させていただくことになりました!」
観衆から、オオーッという大きな感嘆の声が漏れた。
「御存じの方もおられますでしょうが、リシエル皇太子殿下は卓抜した剣の腕のみならず、火の法術においても稀代の使い手であらせられます!今朝は、その腕の冴えを存分に御照覧ください!」
観衆から、今度はやんやの大喝采が起こった。
リシエルもそれに手を振って応えた。
「そして、殿下の哀れなる対戦相手は、ジン・ケンイチ!自らを勇者とうそぶく豪胆なる少年!正体不明、実力は未知数、さぁ、その腕前や如何に?」
観衆から、凄まじいブーイングが起こった。
完全にアウェーでのプレイといった様子だ。
随分扱いが違うじゃないか?チクショウ。
「さてさて、決闘というからには、命がけの戦いを征した勝者に対して、当然与えられるべきものがあって然るべきですね」
ここでメイヘレンは言葉を切って、ぐるりと観衆を見渡す。
全員が、固唾を呑んで次の言葉を待っていた。
仕切り上手だな。
「……その栄誉とは、なんと、ミスマナガンの当主、プルミエル嬢の永遠の愛!」
それを聞いて、観衆が一斉にざわついた。
「な、なんと……」
「リシエル殿下とあんなみすぼらしい少年を秤にかけるなんて……」
「おそるべき、ミスマナガンの度量というべきか……」
プルミエルはというと、よそいきの微笑を浮かべながら、俺と皇太子との間に用意されたイスにちょこんと座っている。
まるで不安は無さそうだ。
俺への信頼の表れと思っていいのか?
「では、決闘場を!」
メイヘレンが右手を天に掲げると、甲板中央部のプールの水がごぼごぼと音を立てて抜かれていった。
おいおい、まさかこの中でやるの?
目を丸くした俺の様子を見て、隣に立ったリシエルが、鼻を鳴らして嘲笑った。
「フン、臆したか?下郎。泣いて詫びるならば、腕の二、三本で許してやろう」
「……俺の腕は二本しかないんだけどな……」
「む?」
こいつ、結構なアホと見た。
それとも、俺がアシュラマンにでも見えてんのか?
これ以上広がらなさそうな会話を切り上げて、俺は完全に水の抜けたプールへ飛び込む。
皇太子もそれに続いた。
互いに、ジャッジマンの指示に従って三メートルほど距離を置いて向かい合う。
そこで、俺は異変に気付いた。
「おいおいっ、ジャッジ、そいつ腰に剣を挿してるじゃないか!」
「ジン・ケンイチ選手。決闘というのは『何でもアリ』なのです。凶器アリ、魔術アリ、流血も大歓迎です」
「おう、なんて物騒な……てか、じゃあ、さっきのボディチェックは一体何だったんだ?」
「私の趣味です。形式的なものです」
面倒くさい人だネ!
「ルールは簡単です。相手を完膚なきまでに打ちのめすか、『もうやめる』と相手に言わせるかすれば勝ちとなります。では、お互いにフェアプレーの精神で戦ってください」
手早く説明を済ませると、ジャッジはすぐにプールのへりをよじ登って、安全な場所へ退避した。
プールの、いや、闘技場の中には、俺とリシエル皇太子だけになった。
奴は、こっちに余裕しゃくしゃくで声をよこした。
「選ばせてやろう」
「え?何を?」
「私の『無影剣』で痛みを感じずにあの世へ行くか?それとも、炎の法術『スワール・テグ』で紅蓮の炎に身を焼かれ、生涯に渡って苦悶の日々を過ごすか?」
「うーむ、まぁ、どっちでもいいかな……」
「ふっ、そうか……では、くらえ!」
リシエルは口の中でもそもそと呪文を唱えると、こちらに人差し指を向けた。
おおっと、魔法を使う気だな?
俺は重心を落として身構えた。
いくら不死身とはいえ、やっぱり緊張するもんだ。
しかし、随分と詠唱に手間取ってやがるなぁ、こいつ。
今から近づいていってもパンチの二、三発は入れられそうだ。
「はっ、いくぞ!スワール・テグ!」
しばらくしてから、皇太子が声高にそう叫ぶと、指先から、一本の炎の矢が飛びだして、こっちへ向かってきた。
「ははははは!燃えろ!」
わお、大したもんだ。
しかし、以前に森の中で見たプルミエルの魔法のほうがスケールも迫力も段違いだった気がする。
向こうは無尽蔵に噴き出す間欠泉といった勢いだったが、こっちは一生懸命絞り出した歯磨き粉といった感じ。
その炎の矢は、ヘロヘロと飛んできて、俺の体に当たると、力無く霧散した。
ううむ、これは俺が不死身だからなのか、こいつの魔法が非力なのか、どちらとも判じ難い。
「……」
「……」
さんざん前フリをかました後のあっけない展開。
互いに、無言で見つめ合う。
「バカな……法王級の結界だというのか……?」
相手は何かワケのわからんことを口の中で呻いたかと思うと、今度は腰の剣を抜いた。
「よかろう!ならば切り刻んでくれる!この無影剣で!」
皇太子は素早くこちらに駆け寄ると、そこそこのスピードで俺を横薙ぎに斬りつけてきた。
「死ねッ!」
「うおぅ」
ガキン!
俺?もちろん無事だ。
剣は俺の身体に当たると、鋼鉄の衝撃音を発して、見事にへし曲がった。
「な……!」
皇太子は折れ曲がった剣を見て、真っ青になった。
観衆も大きくどよめく。
何人かの貴族は、とても信じられないといった様子で首を振っていた。
いいぞ、もっと驚け!
「ば、バカな……!一体、これはどういうことだ……!?」
「見たか。怒りは俺の体を鋼と化す」
「な、なんという……」
「プルミエルのことはあきらめろ。さもなくば俺はお前を殺さねばならない……」
「ひィ!」
おっと、脅かしすぎちまったかな?
相手は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。
こいつは勝負ありと言ってもいいんじゃないか?
俺はジャッジマンのほうを見る。
ジャッジマンはその視線を、左にいるメイヘレンへ受け流した。
メイヘレンはニヤニヤと笑ったまま、少しだけ顎を動かした。
「リシエル様。続けますか?」
「わ、私は……」
その後に続く言葉は分かっている。
だが、こんな大観衆の前で恥をかくことになってしまったリシエル皇太子に、ちょっとした同情の気持ちも浮かんだ。
こっちは出来レースだった。
八百長だったんだ。
こいつはこいつで、本気でプルミエルが好きだったのかもしれない。
なんだかその真剣な気持ちを踏みにじってしまったような気がした。
少しは花を持たせてやったほうがいいかな?
『勝ちは七分をもって良しとする』とも言うしな。
俺は、無様にへたり込んでいる相手に向けて、手を差し出した。
「ナイスファイト」
と言った、その瞬間だ。
ドカン!という凄まじい衝突音とともに、甲板に出ていた全員が浮き上がるほど船体が大きく揺さぶられた。
「うおおおおお!」
「きゃああああ!」
あちらこちらで、大きな悲鳴が上がった。
さらに二度、三度と、船底に何か巨大な質量を持ったものが激しく打ちつけられるような、大きな衝撃が船を揺らした。
くそ、立ち上がることさえ困難だ!
「な、な、なんだ?」
俺は急いでプールから這い上がると、メイヘレンとプルミエルのもとへ、転がるようにして駆け寄った。
「うむ」
メイヘレンは、甲板の端の手すりから身を乗り出して、海面を見つめている。
「『オバダラ』だ」
「なんだ、それ?」
「深海に棲むとてつもなく巨大な魚だ。こんな浅瀬まで上がってくるとは珍しい……」
「メ、メイヘレン様……!」
手すりにしがみつきながら、ジャンさんが這ってきた。
「ど、どうなさいます?」
「お前まで慌てるな、ジャン」
彼女はすぐに壇上へ駆け上がると、両手を広げて、パニックに陥っている観衆の注意を引いた。
「皆様、どうか気を静めて船内へお戻りください!なぁに、このメイベル・ルイーズは戦艦の砲撃を受けても、びくともしませんよ。ジャン、船員総出でお客様をご案内しろ!」
そのよく通る、落ち着きはらった声。
乗客も船員も、全員が、そのおかげで冷静さをほんの少し取り戻し、船内への避難活動へ取りかかった。
「プルミエル、君も部屋へ戻りたまえ。そんなところに立っていると海へ投げ出されるぞ」
メイヘレンが、手すりにつかまって海面を凝視しているプルミエルへ声をかけた。
「やーよ、生きているオバダラなんてそうそう滅多に見られないわ!」
おっと、学術的探究心というやつか?
「でも、危ないぜ!ここはおとなしく、船の中に避難しようぜ!」
俺が非常に建設的な意見を口にした途端、海中から、超巨大な尾びれが持ち上がり、したたかに船尾を叩いた。
再び、船全体を強い揺れが襲う。
甲板には水しぶきが降り注いだ。
「うおぉぉぉ……!」
と、その時。
俺の目は、自分の真横から、手すりを飛び越えて海に投げ出される人影をとらえた。
うお!やばい!
俺は咄嗟に手を伸ばして、そいつの手首を掴んだ。
「うあ!」
それはリシエルだった。
恐怖によって大きく見開かれた目が、俺を見る。
俺はしっかりと右手で彼の手首を掴んだまま、左手で手すりの棒を掴んだ。
くそ、重たい!
「た、た、頼む!」
宙吊りの状態になったリシエルが叫び声をあげた。
「は、離さないでくれ!」
「離しやしねぇよ!さぁ、いいからそっちの手も……」
片手では到底引き上げられそうにない。
俺は腰を落として重心を低くしてから、左手を手すりから離してリシエルに向かって差し伸べた。
が、くそ、なんていうバッドタイミングだ!
もう一度、海中から巨大な尾びれが持ち上がってきたのが見えた。
おう……今はやめてくれ!
が、俺の願いも空しく、それは再び船体を叩いた。
「うわぁぁぁあああああっ!」
船が、ひときわ大きく揺れた。
そして、物理の定める法則にしたがって、俺とリシエルの体は海へ向かって投げ出されてしまった。
ああ……なんてこった!
全てがスローモーションに見える。
水のしぶきの一滴一滴が、はっきりと識別できる。
プルミエルとメイヘレンが、二人同時にこちらへ手を伸ばし、むなしくその手が宙を掴むのさえ見えた。
くそっ!
ゆっくりと落ちていく感覚を味わいながら、俺は大きな不安を抱いていた。
俺の不死身はどこまで有効なんだ?
森の賢者、エスティアンドリウスの言葉を思い出す。
『不死身とはいえ、その身における物理法則は変わらない』とか、確かそんな感じだった。
ならば、肺に水が入って、呼吸が困難になったら?
窒息したら死ぬんじゃないか?
外からの衝撃はともかくとして、水の中に沈んだら溺死する可能性はありそうだぞ!
首を動かして、徐々にこちらに近づいてくる海面を見る。
海の中から、何かが上がってきた。
あれは何だ?
(……穴?)
黒い、大きい、穴だ。
バカな。
海の中に穴があるはずがない。
あれは……ああ、そうか。
超巨大な、口だ。
オバダラとかいう巨大魚の口だろう。
口だけで、ゆうに12、3メートルはある。
たぶん全長だったら30メートルくらいある魚じゃなかろうか。
「う、おわぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
海面でぱっくりと開いたその恐るべき深淵の中に、俺とリシエルは悲鳴ごと飲み込まれた。