神秘の寺院
もう、語るべきことは全て語り尽くされたように思えた。
それなのに、馬車の中の声が途切れることは無い。
誰かが思い出話をしたり身の上話をしたり、本当かどうか疑わしいような自慢話をしたりして、会話はずっと続いていった。
笑ったり、怒ったり、他愛の無い悪口を言いあったりして、穏やかな時間が流れていく。
ただ、皆がいつもとちょっと違うテンションで、無理矢理はしゃいでいるように見えるのは、気のせいじゃないだろう。
きっと、この旅の仲間たちと過ごす時間は今日が最後――誰もがそう予感していたからだ。
それを考えると、胸が痛くなる。
自分の世界へ帰ることへの安心感も、無事にこの世界で生き延びてきたという達成感も、全ては感傷の中に埋もれて、寂しさだけがこの胸に去来する。
寂しい。
ああ、本当にそう思う。
過去に読んだ本に格言めいた言葉でこう書いてあった。
『真の友は得難く、また、失うことも容易い』と。
なんてイヤミな言葉なんだと思ってた。
きっと、こんな格言を考えた奴は友達の少ない、人間不信のぼっち野郎に違いないと。
だが、今になって、俺はその言葉の意味を噛みしめていた。
真の友。
命を預けられる友。
確かにそんなものは平和な一般社会では得難いかもしれない。
だが、俺は異世界で確かにそれを手に入れた。
なんと、六人も。
正確にはロボットが一体、混じっているけど、呼び方なんて些細なことだ。
このうちの一人でも欠けたら、きっと心に大きな穴が空いてしまうだろう。
それぐらい、大事な仲間だ。
だが、もうすぐ、その仲間たちとの別れが訪れる……
それがたまらなく寂しく感じる。
(もっと皆と一緒にいたいぜ……)
俺の感傷をよそに、馬車は何事もなく走り続ける。
こんな時に限って、何のアクシデントも無く、順調に進むんだ。ちくしょう。
オークの群れでも出てこないかな。
皆でそいつらを蹴散らして、共同作業における一体感を味わう……なんてどうよ?
いや、なんか改めて考えると血生臭い妄想だが、率直に言うとそんな気分だ。
しばらくして、窓の外の景色が熱帯林から平野に変わった。
海岸線まで見渡せそうなほど開けた、広大な平野。
その中で、馬車は丘陵を上り始める。
乱立する朽ちた石柱の群れ。
びっしりと苔に覆われている、巨大な石像の頭部。
そんな遺跡の数々が、至る所で風化し、草花の生命力の中に埋没しながらもなお雄弁に、この地に存在したであろう文明の過去の栄華と文化の爛熟を物語っている。
「すげえ……本当に観光地になっててもおかしくないな」
「ここにはかつて『エクザキア皇国』という大国があった。非常に高度な魔法術と科学技術によって栄えた国だ。現在、私たちが使う魔法や精霊術のほとんど全てがこの国で編み出されたと言っていいだろう」
隣で、メイヘレンが丁寧に解説してくれる。
俺は素直に感嘆の声を洩らした。
「へぇ。そんな凄い国が」
「そう。しかし、そんなに凄い国でも滅亡からは逃れられなかった。遺された文献によると、この国の最後の王は魔法の力によって神の如く人々を管理しようとしたらしい。だが、度重なる天災や内乱によってそれは失敗し、国は瞬く間に衰退していったという。神は人間の度を超えた驕慢を決して許しはしないと言うことだ」
メイヘレンは滅亡した文明の末路に思いを馳せるかのように、悲しげな表情を浮かべた。
「うーん、なんか哲学的な話になってきたな……難しいぜ」
「ま、お前はアホじゃからな」
「……老師、殴っていい?」
「い、いたいけな老人を殴るんか!?バカモン!おたんこなす!」
「でも、下手に殴って心臓発作で死んだら勇者タイムが減るんじゃない?」
「そ、そうか……ちぇっ、無念だ……」
「誰かに下請けに出すというのはどうだ?君は手を汚さない。完全犯罪だ」
「おおっ!ナイスアイデア!よし、アリィシャ!俺のかわりに思いっきり殴ってやってくれ!頭蓋が陥没するほどにな!」
「えー?ボク、無益な殺生はしない主義だよぅ」
「そ、そうじゃ!アリィシャちゃんはそんなことせんわい!……アリィシャちゃん、後でチューしてやるからの?フヒヒ」
「うーん、無益な殺生はしないけど正当防衛はOKかなぁ……そうなったら、手加減できなくて頭蓋が陥没するかも……」
「ア、アリィシャちゃんまで……」
「お、そうだ!イグナツィオに頼もう。あいつなら喜んで頭蓋を陥没させるだろうし」
「それよりR-18に頼んだら?」
「ゴ命令トアレバ頭蓋ヲ陥没サセマス」
「ヒィッ!な、なんでそんなに皆でワシの頭蓋を陥没させたがるんじゃ!?」
やや本気で青ざめる老師を見て、脅かし過ぎたかとちょっと心配になる俺。
うっかり失禁でもされたら掃除する役目は俺に回ってきそうなので、この辺で勘弁してやるとしよう。
「冗談だよ、老師」
「当り前じゃ!これだからイマドキの若いモンは……そんなんじゃからいつまでも童貞――」
老師が、俺の殺意の波動を覚醒させかねない悪態を吐こうとした時だ。
急に馬車が止まった。
「おおっ?」
馬車の中が大きく揺れて、俺たちはバランスを崩す。
前にもあった、このパターン!
だが、今度はラッキースケベは一切発生しなかった。
R-18の鉄の拳が打ちだされ、それが俺の顔面をモロにとらえたからだ。
「ぁべしっ」
弾丸のようなスピードでドアを突き破り、車外へ放り出される俺。
二、三回、地面をバウンドし、硬い岩に頭を打ちつけてようやく停止する。
「……?」
一体何が起きたのか理解できず、俺はしばらくの間、呆然と青い空を見上げていた。
それを、R-18が覗きこんでくる。
「『異性ヘノボディータッチ』ニヨッテ『勇者タイム』ガ減算サレルノヲ防ギマシタ」
「あっそ……」
こいつなりの奉仕の精神の発露だというのか?
釈然としない。
「あのさ……もっと、こう、俺の身体を優しく抱きとめるとか、そういう介護ロボット的な優しい方法があっただろ……?いきなりぶん殴られる身にもなれよ」
「マスターは激シイノガ好キダト聞イテイマス」
「誰だ!そんな事を吹きこんだのは!?激おこプンプン丸だよ!」
「激オコ……?」
「激おこプンプン丸だよ!」
「プンプン……?」
「激おこプンプン丸だよ!!」
「?」
「激おこ……何回も言わせんな!恥っずかしっ!」
「ちょっと!早くこっち来なさいよ!」
その新喜劇的なやりとりを遮るように、プルミエルが叫ぶ。
俺はヤレヤレと腰を上げて、彼女たちの元へ向かった。
「わーお、すげぇ……」
馬車の前には、石造りの巨大な建造物がそびえ立っていた。
「『ジャパティ寺院跡』よ」
「これが……」
確かに、その厳粛そうな外観は太古の宗教施設を思わせる。
石扉の表面にはおっかない顔の化物がデン!と大きく彫り込んであって、外界からの探訪者を威嚇しているかのように宙を睨んでいる。
びっしりと苔生した濃緑色の石壁や石柱の数々も、ここが単に古めかしい遺跡というだけではなく、宗教的な威厳に満ちた重要な建造物であることを誇示しているようにも見えた。
それは時を超えてもなお、訪れる者に畏怖の念と信仰心を強要するような、神秘性に満ちたオーラを放っている。
ピラミッドとかアンコールワットとか、俺の世界にある宗教的な遺跡もこんな雰囲気を持ってるんだろうか?
俺は少しだけ、背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
「なんか、入りにくいな……」
「入んなきゃ始まらないでしょーが」
「いや、そうだけどさ……なんつーか、いかにも、その……『出そう』じゃないか?」
「オナラが?」
「ズコーッ!そんなの出ません!どんな遺跡!?」
「尿かのぉ?年をとると漏れやすくなるという……」
「ズコーッ!お下品っ!老師の方こそ気をつけて!」
「残業手当かな?」
「ズコーッ!出れば嬉しいけど誰が出してくれるの!?」
「あ!元気が出るとかっ!」
「ズコーッ!ザ・ポジティブ!それってパワースポット的な!?」
「おびただしい量の血ですか」
「ズコーッ!どうしてお前はそう……もはやスプラッタだよ!」
「霊デスカ?」
「ズコーッ!……いや、ズコーッ!じゃない!それそれ!正解!答えは『霊が出そう』でした~!」
全員がおおー、と声を出してR-18へ拍手を送る。
っていうか、待て……何だ?この茶番は?いつの間に打ち合わせした?
「情けないわねー。勇者なのに幽霊なんか怖がってどうすんのよ」
「怖いっていうか、気味悪いっていうか、そんな感じさ……だって、この世のものじゃないんだぜ?勇者でも怖いものは怖い……」
「この世のものじゃないって分かってるんだから怖くないじゃない」
「この世のものじゃないから怖いんだよ」
「じゃあ、あらゆる手段を使ってあなたをいたぶり尽くし、阿鼻叫喚の悲鳴を上げさせてやろうというマッドなスキンヘッドの白塗り男と幽霊ならどっちが怖い?」
「白塗り男に決まってるし!」
「でしょ?なら、幽霊なんて怖くないわよ」
「いや、比較の対象が恐ろし過ぎて幽霊が霞んだだけですけど!?」
でも、まあ、確かに、考えようによっては怖くないかも?
たとえこの寺院の中に幽霊がいたとしても、マッドな白塗り男よりはマシだ。
いや、本当にマッドな白塗り男がいたらどうしよう……
「さ、ちゃっちゃと行くわよ!門を開けぃ!」
プルミエルの号令とともに、アリィシャとR-18が石扉に手をついて、ぐっと腰だめに力を入れる。
さすがに二人とも剛力無双。石扉はゆっくりと開いていく。
「ここから先は人知未踏の地か……かつてない冒険が俺を待っているというのか?」
「人知未踏ではないよ」
俺の呟きに、メイヘレンが反応する。
「『勇者典範』もここで発見されたんだ。今までに調査隊が何人も入っている」
「へ?そうなの?」
「ただ、その大多数が入ったまま出てきていないがね」
「……」
うむ……とんでもなく嫌な予感がするぞ……
だが、俺のだだ下がりするテンションなどお構いなしに、寺院の扉は開いていく。
その入口が、俺には獲物を待ち構える巨大な獣の口に見えた。