Complot du démon (アガシ視点)
目隠しの向こうで何かが蠢いているのが分かる。
とんでもなく邪悪なものが。
そいつは時々笑い声を上げたり、口笛を吹いたりして、いかにもお楽しみの最中といった様子だった。
何をしているかは分からないが、いずれにせよロクなことではないだろう。
なにせ、自分のことを称して『魔王』なんて嘯く奴だ。
まともなことを考えるはずがない。
ちくしょう、せめて手が使えりゃあ……
「て、て、抵抗しないと約束できるか?」
突然、耳のそばでフガフガ言う声と老人特有の荒い吐息が聞こえた。
あのジジイか?
魔王の従者である、あの弱気そうな老人。
「お、お、お前が抵抗しないと約束すれば、こ、こ、拘束を一時的に解いてやってもいい」
アタシは声の方向に向かって頷いてみせる。
猿轡を噛まされ、目隠しをされた状態で出来る意思表示といえばこんなものしかない。
しばらく間を置いてから、アタシの口から猿轡が外された。
「……~っ」
解放感から、アタシは大きく息を吸う。
何物にも遮られることの無い新鮮な空気が肺を満たし、恐怖と絶望に浸食されつつあったアタシの心にかすかな希望の灯を灯した。
それとともに湧き上がってきたのは、強い憤怒の感情だ。
くそったれ!馬鹿野郎!殺してやる!
普段ならそうわめき散らして、目の前にいるであろう萎びたジジイの喉笛に噛みついてやるところだ。
だが、この場ではそれは何の役にも立たない。
感情を剥きだしにするのは状況を悪化させるだけだ、と、アタシの生存本能が囁いた。
ジジイはともかく、その主人であるラーズという男は、どんな手を使っても殺せない身体を持っているからだ。
殺せない人間と、腕を縛り上げられた状態でどう戦うのか?
それは無謀っていうものだ。
アタシはぐっと歯を噛みしめ、次々と飛び出しそうになる悪態を押し殺す。
そして、自分の中で長年に渡って怠けさせていた『抑制』と『冷静』という名の理性を揺り起こした。
『恭順』でも『屈服』でもない。
あくまでも、生命の危険を回避するための妥協的対応であり、状況判断だ。
そう自分に言い聞かせて、プライドを守る。
だが、その判断は功を奏した。
沈黙を見せたことで、口元に何かの筒が押し付けられたのだ。
中に水が満たされていることを悟ってアタシが口を開けると、望んでいたものが流れ込んできた。
水……水だ……くそっ、なんて美味いんだ!
アタシはそれを貪るように飲み干した。
そして、心にようやく落ち着きが生まれてくる。
大きく息を一つ吐いて、目の前の人間に訴えた。
「……おい、目隠しは取ってくれないのか?」
そう、視界が確保されれば、もっと状況は判断しやすくなる。
チャンスも生まれる。
つまり、反撃のチャンスが。
「目隠しくらいはいいだろ?」
「お、お、お前は瞳術を使う……そ、そ、その状態でいろ」
「何もしない。こんな状況で何かできるとでも?」
「く、く、口ではなんとでも言える」
このジジイ、過去によほど他人に裏切られた経験があるようだ。
ラーズには無い小心さと慎重さ、用心深さを持っている。
私は小さく舌打ちを洩らした。
「……長い階段を上らされたあげく、今度は放置か?アイツはもうアタシに飽きたのか?今、何をしてるんだ?」
「お、お、お前は知らない方がいい……」
ジジイは意味ありげな口調で呟き、アタシの隣に腰を下ろした。
そして、繰り返される溜息の音。
どうやら、今の状況にこのジジイもそうとう参っているようだ。
「わ、わ、私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない……」
「……今さらだな」
本当に今さらだ。
たとえエルフに比べて人間の感性がどれほど鈍感であっても、ラーズという男の魂の邪悪さを理解できなかったはずがない。
「ラーズがどういう奴か知っていて一緒にいるんだろ?あの邪悪さも、全てを知っていて」
「あ、あ、悪……そ、そ、そう、確かに……だ、だ、だが、あの男にはそうした概念は無い」
「概念?」
「む、む、無垢な子供が戯れに蝶の羽を引き裂くことが邪悪と呼べるか……?」
「……」
「あ、あ、あの男にとって善悪の判断に価値は無い……た、た、ただ、欲するを行うのみ……あ、あ、あの男にとって『悪』とは本能なのだ」
「だから、しょうがないと?」
「そ、そ、そのように考えるしかない」
このジジイはなんやかやと理屈を捏ねては自己弁護に終始するものだから、なおさらアタシの不快感を刺激してくる。
それでも自らの罪悪感を少しでも紛らわせようと、こうしてアタシみたいな捕虜相手にでも惨めったらしい懺悔の告解をしてくるわけだ。
男らしくない。
だから学者は嫌いだ。
だが、これは考えようによってはチャンスでもある。
罪悪感を覚えているということは、少なからずラーズに対する反抗心は残っているというわけだ。
「あの野郎、何をしてる?何をしてるか知らんが、野放しにしておいていいはずがない。そうだろう?」
「も、も、もうどうしようもない……わ、わ、私にはどうすることもできない……」
「そんならアタシがあいつを止めてやるよ。この手の縄をほどけ。目隠しもだ」
「む、む、無駄だ」
「やってみないと分からないだろ」
「お、お、お前は何も理解していない」
「何を?」
問いに対する答えは、ジジイの口からは聞けなかった。
その代わりに、唐突に目隠しが外され、眩い光が視界を突き刺す。
「……っ!」
アタシは思わずぎゅっと目をつぶった。
なんだ!?この光は!?
アタシたちは長年に渡って人が踏み込んでいないアルヴァンの塔の中にいるんじゃなかったのか?
薄く眼を開け、ゆっくり光に目を慣らしていくと、ようやく目の前にあるものが分かった。
「な……なんだ、これは……」
それは天井から吊り下げられている巨大な一枚のガラス板だった。
そこに、森や海、川、丘、街、人々……様々なものが映っては消えていく。
全ての光景を見下ろし、詳細に捉えるその視点は、まるで鳥の目から見た世界のようだ。
どうなっている?
何だこれは?
「神の眼さ」
いつの間にか、背後に立っていたラーズが答えた。
その手にはアタシの目を覆っていた厚布が握られている。
目隠しを外したのは老人ではなく、この男自身だったのだ。
「スハラム・アルヴァンの遺産。そして、魔王に与えられた力」
「こ……こんなもので……何をしようってんだ?」
「何を?そう、それは大事なことだ。何をするべきか?人間の手に余る叡智を前に、俺は何を望むべきか?」
ニヤけた顔が、アタシを覗きこむ。
「世界の覇権?違う。大量虐殺?いやいや。恐怖と混乱?それはいつでもある」
ラーズはアタシの前を横切り、ガラス板を触って、そこに映し出されている光景をどんどん切り替えていく。
やがて、闇を塗り込めたような黒を背景に、一枚の地図が現れた。
世界地図だ。
その上に無数の光点が瞬いている。
光点は一つずつ赤の線で繋がれ、地図の上にまるで道標を示しているようだった。
「これは勇者のたどった道だ」
ラーズが言う。
「勇者……?」
「会ったことがあるんだろう?ケンイチだよ。あいつが今までどんな道をたどってきたか、そして、どこで『勇者タイム』をチャージしてきたか、現在地はどこか、全て分かるようになっている」
「な、な、なんと……!」
今度は老人が声を上げた。
その顔は驚愕に歪んでいる。
「ア、ア、アルヴァンは魔王だけでなく、ゆ、ゆ、勇者の監視までしていたというのか!?」
「『勇者タイマー』にはGPSのようなものが積まれてるみたいだな。おそらくは俺の『魔王タイマー』にも……と、言っても君らには分からんだろうが。とにかく、こうしてあいつの歩んできた道程を俺たちはゆっくりと省みることが出来るわけだ。どうだ?いやはや、凄い男だな、あいつは。これだけ多くの土地に行って、これだけ大勢の人々に奉仕してきたってのか?偉大な勇者ケンイチに改めて敬意を表しよう」
「ケンイチ……?」
記憶の彼方から、その姿を呼び起こす。
そう、アタシはそいつとは確かに会ったことがある。
お互いに初対面だってのに、いきなり求婚してきたのだ。
気が弱そうで、頼りなさそうで、強さやタフさとは全くの無縁に見えたあいつが……勇者だって?
「あいつが勇者だって?」
「そうさ。一回だけ、見事に俺を出し抜きやがった」
あんな人畜無害そうな奴が?
到底、信じられなかった。
「俺はその借りを返したいんだ。だから、魔王としての初仕事はもう決まっている。それは『勇者との対決』に他ならない」
「だ、だ、だが、彼はもうすぐ、ゴールへたどり着こうとしている……ま、ま、魔芯兵器で追跡させたところで、間に合わぬかもしれない……」
「そう。だが、良いことを思いついたんだよ。聞いてくれ、二人とも」
ラーズは声を弾ませながら、さも楽しいことを打ち明けるように嬉々として語り出す。
「この光点の一つ一つにあいつと関わりを持った人間達がいる。そこへ魔芯兵器を派遣して、全員をここまで連れてくる。ケンイチ……あいつは一度関わりを持った人間を見捨てられるほどドライな奴じゃない。きっと自分からここへ来るぞ」
その子供じみた計画を聞いて、老人は蒼ざめて、黙りこんだ
「つ、つ、つまり、人質ということか?か、か、彼と関わりを持った者全てを?」
「そうさ。前もそうだった。人質をとって戦った時、あいつは予想外の強さと賢さを見せた。人の為になら強くなれる男だ。真の勇者と言ってもいいだろう。だから、互角でフェアな戦いをするには、人質をとるのが最も効果的なんだ」
「お、お、お前は何を期待している?あ、あ、あれはただの少年だ……」
「そう。だが、少年とはいえ勇者だ。世界の希望。人々の憧れ。俺はそいつを悠々と大観衆の前で殴り、蹴り、へし折り、ちぎり、嬲り殺す。世界が恐れ慄くだろう。その恐怖は魔王への恭順を促す。どうだ?素晴らしい計画とは思わないか?」
この男は狂ってる……
アタシは心底、ケンイチというあの少年に同情した。
おい、お前はとんでもないのに目をつけられちまってるぞ……
この狂気に対抗できるのは、狂気しかない。
お前では太刀打ちできない。
「さて、アガシ……」
ラーズがこちらを振り向き、身を屈めて囁きかけてくる。
「お前は恭順を示すか?それとも、あくまでも抵抗を?」
そんな事は考えるまでもない。
アタシは返事のかわりにラーズの顔に唾を吐きかけてやった。
「おっとぉ」
ラーズはそれを手で拭い、満足そうな笑みを浮かべながら、再びアタシの顔に厚布を押しつけてきた。
「期待通りだ、アガシ。ケンイチを倒した後で、たっぷりと可愛がってやるぜ」
目を覆われ、猿轡を噛まされ、結局は再び虜囚の身に戻ったが、アタシはそんな事よりも一人の少年のことを考えていた。
(ケンイチ……来るな……)
あの少年が、何故そんなに心に引っかかっているのか?
分からない。
だが、塞がれた目に映るのは絶望的な未来だけだった。