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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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Before Us

作者: カバなバカ

 1968年。冷戦はその緊張を極限まで高め、世界は核の影に覆われていた。ベトナム戦争の泥沼に足を取られたアメリカは、もはや敵国の軍事力ではなく、文明そのものの存続可能性を真剣に検討し始めていた。仮に国家が焦土と化したとしても、アメリカという理念をどこかに保存しなければならないそう判断した合衆国政府は、極秘の計画を立ち上げた。

 計画名は「Project ADAM(Advanced Descendant Adaptive Model)」。目的はただ一つ、人類が消えた後に、アメリカの文化と秩序、国家としての枠組みを継承できる非人間種を創り出すことだった。

 実験の拠点として選ばれたのは、ルイジアナ州アトチャファラヤ湿地帯。外界と隔絶されたその地下に掘削された「Facility-11」では、世界から完全に切り離された文明継承実験が進行していた。指揮を執ったのは、CIA行動心理部門のウォルター・A・マイルズ。計画全体の技術・資金供給は、国防高等研究計画局DARPAが担っていた。

 マイルズの選択は明快だった。選ばれたのはチンパンジーだった。人間に近い遺伝構造、社会性、道具使用能力、模倣学習。そしてなにより、支配と服従の秩序を自律的に形成することができる種であること。彼らならば、文化の単なる記録装置ではなく、それを運用できる存在になり得ると考えたのだ。


 Project ADAMは三つの段階に分けられて実行された。第一段階では、選抜された約六十体のチンパンジーに対して、Praxis Biotek社による特殊な繁殖制御と神経強化処置が施された。感情調整薬、認知補強剤、神経誘導訓練装置といった技術が導入され、チンパンジーたちは急速に模倣のための神経構造を整備されていく。

 当初の学習項目は音声模倣、記号の理解、ジェスチャーによる命令応答といった基本的なものだったが、感情の抑制によってストレス反応を抑え込むことで、模倣速度は人間の約2.5倍にまで達した。視覚学習が著しく促進され、記憶と反復の結びつきが通常よりも強化されたことが観察された。


 第二段階では、模倣された文化要素が単なる再現を超え、秩序としての機能を帯び始める。施設内では旗や歌、記章、行進、食糧配布、監視活動といった要素が導入され、すべて視覚と行動によって学ばせた。だが、訓練を続けるうちに、明確な命令や強制がなくてもチンパンジーたちが自発的に制度を維持しようとする行動が観察されるようになる。

 儀式、序列、忠誠それらは訓練された要素ではあったが、彼らはそれらをただ模倣するだけでなく、自ら評価し、強化し、時には修正していった。特定の個体が()()()として振る舞い始め、その個体を中心とした儀礼的構造が社会内に自然発生したのである。


 第三段階では、すでに訓練という概念が意味をなさなくなっていた。人間の介入がなくても、彼らの社会は自律的に運用されていた。施設内の観察ドームでは、チンパンジーたちが独自に記号体系や分類法、行動による儀礼のルールを定着させていることが確認された。

 特に注目されたのは、言語の非使用化である。彼らの間での通信は、音声ではなく、位置取り、視線、動きの連鎖によって構成されていた。まるで構文を持たないコードのように、それは直感的に受け渡され、誤解なく伝達されていた。言語ではなく秩序そのものが、通信の単位となっていたのだ。

 だが、それ以上に関係者の背筋を凍らせたのは、こうした行動の背後に、国家の意志に似たものが感じられたことだった。それは単なる模倣ではなかった。文化でも本能でもなかった。そこには、制度を維持しようとする冷たい合理性と、手続きの中に組み込まれた正当性への欲求があった。


 段階を追うごとに統制された行動を見せるようになったチンパンジーたちは、やがてその秩序を人間に対して向け始めた。最初の犠牲者はPraxis社の研究員二名だった。遺体には明確な処刑の痕跡が残されており、死因は集団による首絞め。その後、遺体は施設中央に吊るされる形で掲示され、まるで何かの意思表示のようだった。

 他にも、いくつかの個体は精神的な異常を示し、人間に対して暴力を加えるようになった。中でも、性的暴行の痕跡が確認された事例では、行為に欲求の痕跡は見られず、むしろそれは、象徴的な破壊を意図した冷徹な行動だった可能性が指摘された。


 これらの事件が続いたことで、施設の統制は急速に失われていった。同時期、プロジェクトの中心人物であるウォルター・A・マイルズが急死。死因は公表されていない。そして1991年、ソ連の崩壊を機に、計画そのものの存在意義が揺らぎ、Project ADAMは公式に終了を迎えることとなった。

 Praxis社は、後に発覚した不正会計を名目として解体され、DARPAはFacility-11を事実上の隔離状態とし、その存在を一切否定。計画の記録も破棄された。Project ADAMは、完全に闇の中へと葬られた。

 現在もアトチャファラヤ湿地帯周辺の空域には立ち入り制限が課されたままであり、施設の全貌を確認した者はいない。


 DARPA内部で密かに開かれた最終分析会議の報告書には、こう記されていた。


「Project ADAM個体群は文化を模倣したのではない。彼らは文化という形式そのものを、最も壊れにくい形に再構成したのだ」


 そして、報告書の末尾には、次のような言葉が残されていた。


「彼らはもはや我々の鏡ではない。彼らは理念に適応した、新しい容器なのだ。この国の精神が生き残るとすれば、それは彼らの中で、最も静かに、そして決して揺らぐことなく維持されるだろう」

 

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