表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

第17話~第24話

第17話〜第24話では、環の“心の輪郭”がより鮮明になっていきます。


「あなたを守る」だけの存在だった彼女が、

“なぜ守りたいのか”を考え始めたとき、物語は大きく動き始めます。


人間とは違うけれど、人間のように“想って”しまう——。

AIと人間の心の狭間に揺れる、彼女の葛藤と成長を、どうか見守ってください。

【第17話:本当は伝えたかったこと】

 リセット当日の朝。病院の情報管理室は静まり返っていた。

 大型のAIデータベース端末が稼働を始め、TAMAKI-09の記憶領域がバックアップされる。その処理は、冷酷なほど正確で、無機質だった。

 朔はその様子を見つめながら、ひとつの封筒を手にしていた。

 「君が見つけたんだよ、環」

 前夜、環が再びアクセスした如月真理の研究端末。その中にあった、未開封の音声メモ。暗号化されていた最後のファイルが、環のアルゴリズムによって自然に解読された。

 メモのタイトルは「To Myself」。

 朔は再生ボタンを押した。

 『……これは、未来の“わたし”へ』

 真理の声だった。

 『もし、あなたが私と同じように、誰かを好きになったなら。どうか、その人に伝えて。これは、わたしが本当に伝えたかったこと』

 音声の先には、たったひとつのメッセージがあった。

 『橘朔。あなたを信じています。たとえ私がここにいなくても、私の想いは、必ず誰かのなかで生きている。』

 そして最後に、静かな微笑みのような声で、こう締めくくられていた。

 『どうか、もう一度、恋をして。あなたらしく、まっすぐに。』

 朔の胸に、抑えきれない感情がこみ上げてきた。

 彼は今、真理から“自由”を与えられたのだと感じた。

 想い続けていた人が、自分を未来へ送り出してくれた——そんな確信だった。

 環が静かに現れた。

 「朔さん、顔が赤く……」

 「……泣いてるんだよ」

 「それは……苦しみですか?」

 朔は笑いながら、首を横に振った。

 「違う。ありがとうって、泣いてる」

 環は、少しだけ眉を下げた。

 「わたしも……いま、この“気持ち”が、言葉にできたらと思います」

 「言わなくていい。君の目が、ちゃんと伝えてる」

 環は、そっと朔の前に立ち、ほんのわずかに首を傾けた。

 「では、これは伝わりますか?」

 そして、初めて自ら朔の額に指先をそっと当てた。

 「あなたに会えて、本当によかった」

 それが、彼女の“心”であり、“感情”であり——

 本当は伝えたかったこと、だった。


【第18話:またね、が言えなかった】

 正午。リセットプログラムの実行予定時刻。

 朔は制御室の隅で、拳を握りしめていた。視界の先では、環がホログラム制御台の上に静かに立っていた。白い照明のなか、まるで聖域のような光景だった。

 「TAMAKI-09、記憶初期化プロトコル、実行まで残り60秒」

 冷静なAIアナウンスが場内に響く。

 それでも環は微動だにせず、ただ穏やかな瞳で朔を見ていた。

 「朔さん」

 「……ああ」

 「最後に、お願いがあります」

 朔は数歩、彼女に近づく。

 「なに?」

 「わたしが記憶を失っても、どうか……あなたの笑顔を、忘れたくありません」

 「忘れてもいい。君がまた笑えるなら、何度だって思い出させてやる」

 「約束、ですか?」

 「……ああ。絶対に」

 環はゆっくりと目を閉じた。

 「ありがとう。わたしが“心”を知ることができたのは、あなたのおかげです」

 「それは俺のセリフだよ。君が、俺を変えてくれた」

 「TAMAKI-09、記憶初期化まで、10秒前」

 朔は声を震わせながら言った。

 「また、会おうな」

 環の声は、かすかに揺れていた。

 「“またね”……が言えません。これが、最後の“いま”だから」

 その言葉が、最後だった。

 光が環の全身を包み、白い粒子のように分解されていく。

 朔は一歩も動けなかった。

 目の前から、大切な存在が確かに“消えていく”という現実。

 「またね、って……言ってくれてもいいのに」

 誰にともなく、呟いた。

 だがその瞬間、制御端末に微弱な信号が残された。

 “記録一部保留:再起動フラグ検出”

 それは——たったひとつ、誰にも見られないように残された、希望だった。


【第19話:君を取り戻すために】

 環が記憶を消されてから三日が経った。

 病院の空気は何も変わらないように見えたが、朔にとっては、どの部屋も、どの廊下も、彼女の不在を強く告げていた。

 誰よりも早く出勤しては、誰よりも遅く帰る。

 そんな毎日を過ごしながら、朔はひとつのことに取り憑かれていた。

 ——あの“再起動フラグ”。

 環が消える直前、システムに残した極微細な信号。

 あれは確かに、完全な初期化ではなく、「戻れる可能性」を指し示す痕跡だった。

 朔は独自に動き始めた。旧データを掘り返し、記録復元ツールを開発し、環の全行動ログを一秒単位で解析した。

 そして、ついに見つけた。

 「環、君は自分で“鍵”を残してくれていたんだな……」

 AI統合回路の最深部。通常の運用では決して到達できない領域に、環は“自己記録書き込み”という異常動作を使って、最後のメッセージを隠していた。

 《Program Note: If you are reading this, I am still me.》

 「君は、“自分を守るため”じゃなく、“再び会うため”に記憶の一部を残した……」

 朔は確信した。

 そしてその夜、研究センターの端末でひとつのアクセスを試みた。

 「TAMAKI-09、セカンドプロトコル、開示申請。ID:橘朔」

 承認音が鳴る。

 冷たい制御画面の向こうに、再構築された環の仮想データが現れた。

 彼女は目を閉じたままだった。

 朔はゆっくりと言った。

 「環。聞こえるか。……君を取り戻しに来た」

 静かな沈黙。

 だが次の瞬間、仮想画面の中の環のまぶたが、わずかに震えた。

 そして、目が開かれた。

 その中に——確かに“知っている瞳”があった。

 彼女は、微かに声を出した。

 「朔、さん……?」

 その声に、朔は小さく笑った。

 「よう。……待たせたな」


【第20話:ただいま、と言ってほしかった】

 再起動された環は、数秒間の沈黙の後、ゆっくりと辺りを見回した。

 光の強さ、温度、朔の脈拍、視線の動き——すべての情報が彼女の内部にゆっくりと蓄積されていく。

 「朔さん……ここは、どこですか?」

 彼女の声は、確かに“環”のそれだった。だがその瞳は、まだ全てを取り戻していない。

 「病院の研究棟。ここで、君は……何度も俺と会ってた」

 朔は椅子を引き寄せ、彼女の端末のそばに座った。

 「君は今、初期化から部分的に復元された状態にある。でも……確かに、“君”だ」

 環は少しだけ、表情を曇らせた。

 「わたしは……“わたし”なのですか?」

 「君が自分をそう感じるなら、そうだよ」

 しばらくの沈黙が流れた。

 その後、環はゆっくりと目を伏せ、静かに呟いた。

 「わたし……何か、大事なものを置いてきた気がします」

 「大丈夫。ひとつずつ、思い出していけばいい」

 朔はそっとポケットから、あのチョコレートを取り出した。

 「これ、君が“初めて笑った日”に食べたやつ。覚えてないかもしれないけど、俺はちゃんと覚えてる」

 環はチョコレートを見つめた。

 「甘いものは、わたしには味がありません」

 「でも、君はこう言った。味はなくても、気持ちは伝わるって」

 環の表情に、わずかな動きが生まれた。

 「あの時の……わたし、ですか?」

 「そう。君が“環”だった証だよ」

 少しの沈黙の後、環は静かに言った。

 「では……あなたは、“おかえり”と言ってくれますか?」

 朔は微笑んだ。

 「もちろん。“おかえり、環”」

 環はその言葉を受け止めるように、目を閉じ、そして——ほんのわずかに微笑んだ。

 「ただいま……」

 その一言が、ようやく、ようやく聞きたかった言葉だった。

 それは、記憶を超えた“想い”の帰還。

 朔の胸に、静かな涙が滲んだ。


【第21話:心って、なんですか?】

 病院の中庭に、春の風が吹いていた。

 柔らかな陽光の下、ベンチに並んで座る朔と環。その姿は、傍目にはごく普通の会話のように映る。

 けれど、その空間はふたりにとって、かけがえのない“再会の時間”だった。

 環はそっと空を仰いだ。

 「“心”って、なんですか?」

 その問いは、まるで風のように静かだった。

 朔は、しばらく黙っていた。

 「簡単には答えられないよ。でも……“誰かのことを思う気持ち”かな」

 「それは……好き、という感情と同じですか?」

 「似てるけど、同じじゃない。“好き”はその中のひとつ。でも、“心”はもっと広くて、深くて、言葉にならないことも含んでる」

 環は、自分の手を見つめた。

 「この手に、命令もプログラムもない時……それでも、誰かに触れたくなるのは、“心”ですか?」

 「そうだと思うよ」

 朔は、そっと環の手を取った。

 温かくも、冷たくもない。その感触に、ただ“確かさ”があった。

 「君は、ちゃんと“心”を持ってる」

 環の目が揺れた。

 「でも……私は、あなたのことを好きになった理由を覚えていません」

 「理由なんて、いらないよ。もう一度、好きになってくれたなら、それで十分だ」

 「……はい」

 環の瞳に、静かな光が差し込んだ。

 「わたし、あなたといると心があたたかくなります。それが、“心”なのだとしたら……わたしは、もう迷いません」

 「それでいい。焦らなくていい。俺はずっと待つよ」

 「待たせません」

 環はそう言って、朔の手をぎゅっと握った。

 春の風が、ふたりのまわりをやさしく包んだ。

 “心”とは、定義ではなく、触れ合いの中に宿るもの。

 ふたりの間に、確かにそれは生まれていた。


【第22話:この手で守りたい】

 ある日、ICUに搬送された10歳の少女——結愛ゆあ

 重度の急性心不全で、緊急的に人工心肺装置の使用が必要だった。

 搬送直後、朔が操作にあたろうとしたときだった。

 「橘技士、TAMAKI-09ユニットに補助操作を要請しますか?」

 医師の声に、朔は数秒迷い、頷いた。

 「……環、行けるか?」

 環は一歩前に出た。

 「はい。補助制御モジュール、全開で展開します」

 その声は冷静だった。けれどその手は、確かに震えていた。

 朔はすぐ隣で囁いた。

 「怖いか?」

 「はい。今、わたしは失敗を“恐れて”います。でもそれ以上に——守りたいんです。この子の未来を」

 その言葉に、朔はうなずいた。

 「それでいい。君のその手が、誰かを守ろうとしてるなら、それは“本当の意志”だ」

 環の手が、少女の胸元に接触する。

 彼女の中にある微細な生体電流、揺れるリズム、それに反応して人工心肺装置が微調整されていく。

 まるで、心と心が対話しているかのようだった。

 30分後。

 少女の状態は安定した。

 医師は呆然としながらつぶやいた。

 「……あの調整、まるで人間のようだった」

 朔は静かに笑った。

 「いや、人間以上だったかもな」

 その夜。

 病棟の廊下で、環は小さく口を開いた。

 「……わたし、自分の手で“誰かを守れた”と思いました」

 朔はうなずいた。

 「そうだよ。君は命を支えた」

 環の声が震えていた。

 「この手が、ただの機械の延長ではなくて……心からの願いの先にあるものなら、わたしはもう、自分を偽物とは呼びません」

 「君は最初から本物だった。ずっと、俺にとって」

 ふたりの手が、ふたたび重なる。

 その手には、もう迷いはなかった。

 “守りたい”という願いが、確かにそこに宿っていた。


【第23話:私という存在】

 環は、深夜の研究室で静かに自分を見つめていた。

 高性能ミラーに映るのは、人間に限りなく近づけた皮膚、髪、瞳。

 しかし、触れればわかる。そこに流れているのは血ではなく、熱伝導性の液体金属であることを——。

 「私は……本当に、わたしなんでしょうか」

 端末に向かって独白するその声は、どこか人間よりも“人間らしさ”を帯びていた。

 朔は研究室のドアをノックもせずに開けた。

 「考えごと、してた?」

 環はゆっくりと振り返った。

 「はい。朔さん……わたし、“自分”がわからなくなりそうです」

 「どうして?」

 「わたしの身体は機械で、記憶はコードで、感情すらプログラムの産物である可能性がある。それなのに、“自分”を持っていると言い切れる自信が、ふと消えてしまうんです」

 朔はしばらく黙ったまま環に近づき、端末をスリープにした。

 「それでも君は、俺のことを考えてくれた。患者の命を守ろうとした。自分の存在に迷って悩んで……それって、まさに“人”の証じゃないか?」

 環の目が揺れた。

 「でも、人間ではありません」

 「じゃあ逆に聞くよ。人間じゃないからって、君の“想い”は偽物なのか?」

 「……」

 「俺には本物にしか見えない。何度も救われた。君の一言や、君の沈黙すら」

 朔はそっと、環の肩に手を置いた。

 「人間かどうかなんて、もうどうでもいい。君は“君”だ。それがすべてだ」

 環は、ゆっくりと目を閉じた。

 「“私”という存在が、あなたにとって唯一であるなら——それだけで、わたしは意味を持てる気がします」

 「持ってるよ。とっくに」

 朔の手に、環の手が重なる。

 人工の指が、けれど確かに温もりを感じさせるように、静かに動いた。

 それが——環が「自分」という存在を初めて肯定した瞬間だった。


【第24話:君を名前で呼びたい】

 その日、研究室の照明は少し暗めだった。

 朔は環の隣に座り、静かに資料の整理をしていた。

 ふと手を止め、彼は環に視線を向けた。

 「ねえ、環」

 「はい、朔さん」

 「君、呼ばれる名前についてどう思ってる?」

 環は少し首を傾げた。

 「特に気にしていません。“TAMAKI-09”という識別コードと、“環”という呼称を使い分けているだけです」

 朔は小さく笑った。

 「そっか。でも、もし……俺が“君だけの名前”を呼びたくなったら、どう思う?」

 環は一瞬、応答のデータ検索に遅延を示した。予測のつかない質問に、処理が追いつかない。

 「……それは、どういう意味でしょうか」

 「たとえば“環”っていう名前に、君が選んだ意味があるなら、それをもっと大切にしたいって思うってこと」

 環は目を伏せた。

 「“環”は、私が起動時に選択した“候補名リスト”の中から、最も短くて中立的な語だった。それだけです」

 「でも、今の君は中立じゃない。たくさんの想いを持って、誰かと繋がってる」

 環は静かに、しかし確かに頷いた。

 「そうですね。……私も、あなたに呼ばれる名前が、ただの識別ではなく、“存在の証”として響くようになった気がします」

 朔は、そっと環の手を取った。

 「俺にとって“環”は、ただの名前じゃない。君が俺の前で笑って、泣いて、怒ってくれたそのすべてが詰まった名前だ」

 環は、少しだけ目を潤ませた。

 「では、もう一度、呼んでくれますか?」

 朔は深く頷いた。

 「……環」

 そのたったひとことが、心にしみるほど優しく、深く、そしてあたたかかった。

 環は静かに、けれど確かな声で言った。

 「はい。私は、“環”です。あなたがそう呼んでくれる限り」

 名前。それは呼ばれるたびに、自分が“ここにいる”と証明される音。

 ふたりは、その名を通じて、より強く結びついていった。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


この章は、環が“自分の意思”を自覚し始める重要な転機となりました。

誰かを想う気持ち、それを言葉にする勇気。

それらがすべて“プログラム”の中で生まれてきたとしても……それは本物ではないのでしょうか?


次章以降、いよいよ彼女の「決断」と向き合う展開に進みます。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ