1-4:連泊希望
アリスを乗せた馬車はスプリタの中心部にほど近い宿屋街に止まる。
すでに夕暮れ時。
宿屋街にはいい香りも漂ってくる。
いくつもの宿泊施設が軒を連ねる場所だが、その中でも一階に食堂が併設されている宿がある。
ここの宿は、ベルにとって一番お気に入りの宿だ。
「ここが私が良く使う庶民向け宿屋の”スフレ”です。アリスさんならもっといい宿やホテルに泊まれますが……本当にここでよろしいんですか?」
「勿論です。一度庶民向けの宿に泊まりたいと思っていましたから」
「そ、そうですか……ま、少し入り口で待っていてください。馬車置き場に止めてきますので」
「分かりました」
アリスにとって、庶民向けの宿に泊まるのは今回が初めてであった。
お金を節約するという意味でもあったが、何よりもこの世界の宿がどういう仕組みで行われているのか気掛かりであったからだ。
リュックサックを背負い、馬車から降りて宿の前で佇んでベルを待つ。
途中、見るからに冒険者と思われる一団とすれ違った際には、軽くお辞儀をした。
冒険者たちも、庶民宿の軒先で立っているアリスを見て軽く会釈をする程度であった。
「なぁ、さっきの女の子は誰だ?」
「この町の人間じゃないみたいだが……」
「だいぶ服装もしっかりとしていたよな」
「後でアフターの誘いでもやってみるか?」
「やめておけ、もしからしたら腕っぷしの強い用心棒を雇っているかもしれん」
「……だな、ダンパの一家だったらヤケド程度じゃ済まされないからな……」
「後で娼婦でも買って慰めておけや」
そんな冒険者たちの声が聞こえてくる。
だが、アリスは店に入る冒険者たちを観測していた。
一人、また一人。
冒険者が店に入っていく。
アリスは冒険者たちの身なりを目で見たり、言動などを耳にした上で分析を行う。
(冒険者がいる……という事は、それに準じた職業や関連する商売に需要があるという事ですわね……社会科の授業で習いましたわ)
アリスは社会科の授業の内容を思い出した。
特に、西部開拓時代のアメリカでゴールドラッシュに沸く西海岸に移住した人々に関連する内容であった。
金が沢山取れるという一攫千金を夢みて、多くのアメリカ人が西海岸を目指して移住を開始。
結果として、それまで小さな田舎町であったカリフォルニアが、瞬く間に数万人が居住する大都市に変貌を遂げた。
ゴールドラッシュを夢見た結果、多くの人が移住して商売などを始めた。
そして、西部開拓の結果ロサンゼルスやサンフランシスコといった西海岸を代表する都市部が形成されていったのだ。
この、スプリタの町もそうした経緯で都市を形成しているのだろう。
冒険者が多ければ多いほど彼らの装備を作り出す鍛冶屋や、彼らの腹を満たす飲食店が軒を連ねるのも納得のいく道理でもあった。
その内容を見たアリスは冒険者の数が1人や2人ではなく、少なく見積って数十人単位の規模でいることを確認したのである。
つまり、この町では冒険者たちが宿泊したり飲み食いをするために訪れていることが確定している。
付近に発生したモンスターの一時的な討伐に来ただけなければ、関連する商売をしても儲けが出るだろう。
(今はあのおじい様から頂いた金貨があるから当面は凌げますわ……でも、金貨があるうちに”投資”をしたほうがいいですわね……)
現在のアリスの所持金は金貨48枚。
市民の平均月収の16倍に当たる金額を持っている。
しかし、何もしなければこれらの金貨をただ腐らせてしまうだけだ。
(とりあえず衣食住はある程度今ある手持ちのお金で凌ぐとして……収入を確保するためにも色々と考えておかないと……)
直接的な投資や出資も視野にいれつつ、アリスはどんなことをするべきか頭の片隅で考えていると、馬車を置いてきたベルがやってきた。
「お待たせしました……変な奴に絡まれましたか?」
「いえ、冒険者の方々と会釈を交わした程度ですよ」
「そうでしたか……それじゃあ、案内しますので一緒に入りましょうか」
「お願いします」
アリスはベルの案内で宿屋のスフレに入る。
二人が入ると、早速漂ってきたのは料理の香りであった。
香辛料をふんだんに振りかけた肉の香り。
ブラジルのシュラスコのような料理を冒険者たちが味わっているのだ。
片手にはフォーク、もう片方にはエール酒を持って酒盛りをしている冒険者たちが多いのだ。
「ここではいつもこんな感じなのですか?」
「そうですよ。冒険者っていうのはダンジョンや討伐を完了したら飲み食いするのが通例でね。そこで報酬で貰ったお金を山分けしてからこうやって食事に使うって寸法ですよ」
「なるほど……古今東西、仕事を終えた後に飲むお酒ほど美味しいものはありませんからね……」
「私たちも後で食事を摂りますか?」
「ええ!ここで初めての食事ですの!良かったらベルさんも一緒に食べましょう。せっかくこうして出会えたものですから!ご夕飯、私がご馳走しますわ」
「どうも、色々とすみません(タダで夕飯にありつけるのは良い事だわ!)」
アリスはニコニコ顔で、ベルは内心でガッツポーズを決めて受付に到着する。
受付には豊満なスタイルをした受付嬢が立っていた。
煙管をふかしながらも、見慣れない訪問客を見定めるようにしながらベルに挨拶を交わす。
「いらっしゃい……ベル、あんた女を連れ込む気かい?」
「違うよパトリシア、この子が宿を紹介して欲しいと頼まれたから案内してやっただけだ」
「ふーん……ま、女同士で盛るのもいいけど、後片付けはちゃんとやりなさいね」
「だから違うって!」
受付嬢の名前はパトリシア。
無愛想であまり態度はよくないが、これでも宿を切り盛りしている女主人だ。
午前8時から昼食と休憩を挟んで午後8時まで働いており、夜間や休日は別の人間が受付業務を担当している。
スタイルが良く身体目当てに訪れる客も多いが、大抵は軽くあしらわれて終わる。
そんなパトリシアにアリスは挨拶をした。
「初めましてパトリシアさん。私はアリスと申します」
「ああ、アリスさんね……で、泊まりたいのかい?」
「はい、部屋は空いていますか?」
「いくつか空いているね、安い場所は一泊銀貨1枚、高い部屋は一泊銀貨10枚だよ」
「では、高い部屋で……そこは連泊は可能ですか?」
「お金さえ払ってもらえればそれでいい」
「では、これで何泊泊まれますか?」
アリスは金貨を一枚、受付嬢に手渡す。
受付嬢は金貨を差し出してきたアリスに驚きつつ、泊まれる日にちを答える。
「……10泊よ」
「10泊……では、それでお願いします」
「……お嬢さん、他にもっといい宿があるけど……本当にここでいいんですか?」
「ええ、いいんです。部屋の鍵をください」
「……くれぐれも鍵は無くさないように。無くしたら銀貨10枚貰いますからね」
「はい、承知いたしました」
いつの間にか敬語で接していたパトリシアから、アリスは鍵を受け取る。
これでしばらくは寝床と食事処も問題ないだろう。
それを横目で見ていたベルは不思議そうな顔をしていた。
「連泊するのは構わないんですけど……金貨1枚丸ごと使っていいんですか?」
「いえ、色々と調べたいこともありますし、いい所の宿だとすぐお金が無くなってしまいますからね……節約も兼ねてやっているようなものです」
「ま、まぁ……ここのスフレは無愛想なパトリシアと寡黙なオヤジが作る飯だけどね」
「ちょっとベル、無愛想は余計だよ」
「はいはい、とにかく……アリスさんを部屋まで案内するから……その部屋は209号室だね?」
「そうよ。階段を登って一番角っこのところ……ちょっと待って、私も行くわ。アリスさん、こちらです」
パトリシアはベルの隣にやってきて、アリスを部屋に案内する。
スフレの中でも一番良い部屋を割り振ったのだ。
二階の奥の部屋……。
一階の食事処のような料理の匂いとは打って変わって、白蘭の香りが漂うリラックスした香りが漂う。
この宿の中でもお金をかけて作った部屋だ。
その証拠に部屋の鍵は二重ロック構造となっており、上部の鍵を解除してからでないと、下部の鍵も開かない仕組みだ。
ドアを開ければ、部屋の中央にダブルベッドが鎮座しており、周りにある家具などもしっかりとしたものを取り揃えている。
それなりにお金に余力のある人向けに提供している。
「部屋に置かれているものは好きなものを使ってください。机とかも開いていますので」
「ありがとうございます……奥の部屋は?」
「あそこはトイレとシャワー室になりますね」
「成程……荷物はこちらに置いてもいいですか?」
「ええ、構いませんよ。では私はそろそろ仕事を上がりますが……ベル、アリスさんを連れて何処かに行く予定でもあるのかしら?」
「いいえ、ここで食事を摂るつもりだけど……」
「なら、私も同席しても良いかしら?ワインならサービスするわよ」
「あー……アリスさん、どうします?」
パトリシアが仕事を上がれば、アリスとベルと同席したいと申し出てきた。
断る理由がないアリスは、同席を認めた。
「構いませんよ。よろしくお願いいたしますパトリシアさん」