1-3:入門
アリスは正門前にやってきた。
正門前には大きくカタカナで『スプリタ』の文字がでかでかと描かれている。
アリスに馴染みのある日本語であった。
転移する際に、異世界の言語が日本語に転換されると言われたため、これがその効果なのかと関心している。
一人の兵士が警備をしており、ベルに近づく。
「よぉベル。後ろに誰か乗せているのか?」
「客人だ。問題ないだろ?」
「そうだな……お前がそう言うのであれば……」
「おいおい、後ろに人を乗せているのなら税を取り立てないといけねぇだろ!」
兵士の後ろから怒号混じりの声が響く。
まるでラグビー選手かバスケットボール選手のようなガッチリとした身体。
ガチガチに固められた鎧。
歩くたびにガシャン、ガシャンと鎧の擦れる音が響く。
優に身長は2メートルを超えている。
鼻がのっぺりして、犬歯が口から飛び出しているオークであった。
彼が、正門前の警備隊長であるマンデルだ。
マンデルはベルと話す。
「ベル、隣町まで積み荷を運んだ帰りに客人を乗せてきたそうだな……後ろにいるのか?」
「ええ、いますよマンデル隊長」
「どれ、ちょっと拝見させてもらうぞ」
馬車のドアを開けてマンデルはアリスを見る。
マンデルが想っていたよりも小さい客人であった。
アリスはニッコリと微笑んで挨拶を交わす。
「こんにちはマンデルさん。お初にお目にかかります、アリスと申します」
「アリスさんね……結構良い服を着ているが、失礼ながら貴族の令嬢ですか?」
「はい、日本という国で令嬢をしておりました」
「……っと!これは失礼。異国の客人でしたか……」
「大丈夫ですよ。マンデルさんが正門をしっかりと警備しているのは、さっきお見受けしましたから……ちゃんとお仕事を為さっていらっしゃるのは良い事です」
「ははっ、そう言ってもらえると嬉しいですな」
マンデルは手を後ろに当てて髪を掻いている。
照れくさそうにしているが、マンデルからしてみれば異国人を連れてきたベルもそうだが、令嬢という単語を聞いて、金にありつけるのではないかと思った。
(ふふふっ、異国のお嬢なら金づるになるからなぁ……ベル、よくやった)
いい金づるを連れてきたとベルに感謝しつつ、アリスに賄賂分を含めた通行税を要求する。
「アリスさん、実はこの町に入る際には身分に合わせて通行税を支払う決まりになっているんですよ」
「通行税……私の身分だとどのくらいになりますか?」
「そうですなぁ……ざっと金貨2枚ってとこでしょうなぁ……」
「金貨2枚……」
これはベルが町までの運賃代として請求した銀貨3枚の実に約66倍に匹敵する金額である。
この町の市民が稼ぐ平均月収が金貨3枚。
実に市民の平均月収の3分の2を要求してきたのだ。
ベルが万が一金銭を要求してきたら素直に払った方がいいとアドバイスをしていた通りの金額であった。
やはり賄賂込で税を接収している。
アリスはあまりいい気はしなかったが、ベルに言われた通りに金を渡すことにした。
ニッコリと笑ってマンデルの手に金貨をそっと置いた。
「これでいいですか?」
「ええ!問題ないです!ありがとうございます!」
マンデルは金を受け取ると、すぐに後ろにいた兵士に門を開けるように指示を出す。
この町では金が全てなのだ。
下手に言い争いをしてトラブルになったら、日本みたいに警察が仲介してくれそうにない。
むしろ、警察に該当する機関が警備隊長を含めてダンパの支配下だ。
下手に盾つくより、穏便に済ますのが一番である。
アリスは少なくとも、令嬢としての社交マナーなどの礼儀作法を学んでいたこともあり、すぐに対応できたのである。
金を受け取ってからマンデルは門を開けるように部下に指示する。
ゆっくりと正門が開いて町の内部が見えた。
「どうぞ、お通りください」
「ありがとうございます。マンデルさんもお仕事頑張ってください」
アリスはマンデルに労いの言葉をかけて手を差し伸べる。
彼女はマンデルの手を両手で優しく握りしめた。
(なっ……!)
それを見たマンデルは驚きつつも、アリスの行為に感謝を述べる。
「……はいっ、ありがとうございます!」
アリスを乗せた馬車はスプリタの町に入る。
そこはイタリアのミラノに来たかのような古めかしい西洋式の建築物が立ち並んでいる。
去年、イタリアとスイスに旅行をした時の光景に似ていると感じた。
町に入る事が出来たのか、ベルがほっと一息入れるとアリスに尋ねた。
「うまくやり過ごせましたね、アリスさん……お見事です」
「マンデルさんが思っていたよりも大男で驚きましたわ……彼は人間なのですか?」
「まさか!オークですよ。人間よりも体格がデカくて腕っぷしも強い連中です」
「オーク……成程、覚えておきましょう」
「……にしても、最後にマンデルに労いの言葉と握手をかけたのには理由があるんですか?」
「理由ですか?印象を良くすれば、そこまで目を付けられることもないでしょうから……」
厭々ながら渡すより、笑顔で渡したほうが印象は悪くはない。
労いの言葉と握手を交わしたのはアリスの本心であった。
アリスがマンデルの顔を見た時に、少なくとも申し訳なさそうな表情をしていた。
本当に悪い事をした自覚がない人間であれば、貰って当然という態度を執る。
だから、彼は根っこからの悪人ではないと直感で感じ取ったのだ。
(きっと、マンデルさんはダンパさんという方にいいように使われている一人にすぎないのですね……)
多くの創作物において、オークは野蛮な存在として描かれている。
だが、アリスはそういった創作物の先入観を受けずに『人間』として彼を接したのだ。
マンデルにとって、オークである自分を「人」として扱ったのは後にも先にもアリスだけである。
そんなアリスに貴族と同じように値段を吹っかけてしまった事に対する、葛藤が芽生えてくるだろう。
「それで……アリスさん、何処にいきましょうか?」
ベルが尋ねるとアリスは答えた。
「まずは宿に行きたいです。ベルさん、あなたのオススメの宿に案内してもらっていいですか?」
「えっ?!私のオススメの宿ですか?」
「はい、ベルさんのオススメの宿です」
「アリスさん……案内はできますがその宿は……貴族向けではないですよ?庶民向けですよ?」
「構いません。そこでおねがいします」
高級ホテルには泊まらず、庶民向けの宿に宿泊を希望する。
ベルからしてみれば、些か不可思議ではあったがアリスにも理由があったのだ。