3-11:晩酌
アリスとアムールがベットで横になっている頃。
エール酒を渡されたベルは勢いよく、ジョッキに注がれたエール酒を飲み干す。
「ぷはぁ~っ……やっぱこれだわ」
「良い飲みっぷりだわね」
「そりゃもう……今日はとことん飲む日って決めたのよ」
「もう一杯もってこようか?」
「お願いするわ」
良い飲みっぷりであると同時に、それだけ疲労が溜まっている証拠でもあった。
おかわりのジョッキにエール酒を注ぎ、ベルに渡す。
「その様子だと大変だったようね」
「ええ、本当に大変だったわよ……なにせ、今回の冒険者は注文が多すぎるんだから」
「そんなに?」
「ええ、客としては最悪の分類に入るわ……久しぶりに仕事で嫌な思いをしたわ」
「折角だからここでその事を吐きだしちゃいなさいよ。他の人もいないし」
「そうね……冒険者の連中、倒したモンスターの血抜きをしていなかったのよ」
「血抜きをしない?!それじゃあ貴女の馬車の中……」
「ご名答、殺人事件現場かと見間違うぐらいに血塗れだったわ……」
「うわぁ……」
「おまけに、肉食系モンスターの死体だったから臭いも最悪だったわよ」
「臭いまでほったらかしなんて一番最悪だわね」
「あいつら、酒飲んでいたから分からなかったんじゃないかしら」
ベルにとって、今回の客は最悪であった。
戦勝前祝いと称して馬車の中で酒盛りはするし、血抜きをしなかったモンスターの血が馬車の中で溢れたりと災難続きであったのだ。
その愚痴をパトリシアに溢し、鬱憤を吐きだす。
「酒盛りをしたままで、瓶も床に置いていてさ……ホント嫌になるわ」
「最悪な客を引き当てちゃったわね……」
「ええ、最悪だったわ」
「それだと、臭い取りの洗浄魔法を掛けなきゃならないし……料金も掛かったでしょ?」
「お陰で最悪だったわ……洗浄魔法だって安くはないんだし、そのせいで利益も半分吹っ飛んだわ」
「災難だったわね……もう一杯飲む?」
「当たり前よ。もう今日は酔っぱらって帰るわよ」
頼んだジョッキを片っ端から飲んでいくベル。
エール酒を5杯飲んだ頃合いで、ようやく落ち着いた様子でアリスの事を尋ねた。
「……それで、アリスさんはどうしているの?」
「今、ティーガーの女性と一緒に寝ているわ」
「……は?ティーガーの女性と?どういう事?」
「襲われないようにするためよ。話せば長くなるけど……」
「良いわ、話して頂戴」
先ほどまで飲んでいたエール酒の酔いが醒める衝撃を受けたベル。
ベルはパトリシアに詳細を尋ねる。
パトリシアはアリスから聞いた事の経緯を話す。
ドワーフの青果店で購入したレモンを巡り、風紀保安隊のメンバーとトラブルになった事。
その後にレモンをアムールに盗まれて、アムールが倒れた際にダンパに【教育】目的で拷問を受けた事。
そして、そのアムールをボディーガードとして雇った事も明かした。
ベルは最初は冷静に聞いていたが、話を終える頃には肩を震わせていた。
半分は風紀保安隊への怒りであり、もう半分は自分の荷物を盗んだ相手をボディーガードとして雇った事に対する困惑であった。
「なにそれ……めちゃくちゃなことになっているじゃないの……」
「ええ、私も最初聞いた時は本当に大丈夫かと思ったわ」
「それにしても……風紀保安隊の喧嘩を買うなんてすごい度胸だわね」
「アリスさん曰く、ドワーフの青果店で買った高品質なレモンを台無しにされた事に怒り心頭だったらしいし……ラーマさんも隣で見守るしか出来なかったって……」
「あのお上品でお嬢様が……それだけに許せなかったのね」
「相手も反撃されるとは思っていなかったみたいで、隊長格の人間が止めたぐらいよ」
アリスの事だからなあなあかと思いきや、凄んで面と向かって言い切ったのだ。
その様子を隣で見ていたラーマは固唾を飲んで見守るしか出来なかったと語っていた。
ベルは、苛烈な一面を持ち合わせているアリスの事を想い、続けて話をした。
「で、ティーガーの女性はどんな経緯で一緒に寝る仲になったのよ?まさか……?」
「いや、そういう趣味ではないはずだわ。ただ、あの領主の怒りを買って教育という名目で歯が欠けてしまうぐらいに殴られていたみたいだし……」
「悲惨よね……あの人、亜人種をゴミ同然に扱っているって聞くわ」
「アリスさんとしては、彼女を助けたかったそうよ」
「でも……よく見ず知らずの亜人種を助けようと手を差し伸べたわよね……」
このスプリタの街では、人間種が亜人種を助けることは稀だ。
領主であるダンパが亜人種を迫害するような行動をしているせいもあるが、下手に亜人種を助けてしまうと風紀保安隊に目を付けられる可能性が高いため、基本的に亜人種が迫害や差別を受けていても【見て見ぬふり】をしなければならない。
それがアリスにとって我慢ならない事でもあった。
故に、アムールを助けたのだ。
「今後トラブルになった際に身を守るボディーガードが必要だと判断したそうよ」
「レモンを盗んだ相手なのに……よくやるわ……」
「アリスさんとしては、それ以上に迫害や差別を許せないって……言っていたわ」
「……ほんと……普通の人間は考えないわよ」
「ね、私だって信じられないわよ……」
パトリシアもベルも、アリスの行動が読めずに困惑している事がある。
アムールを仲間に引き入れたこともそうだが、この辺りに住んでいる住民には考えられない事をする。
それがいい方向に進んでいくのであれば止めはしない。
アムールの一件も、アリスにとって最善の方法だったのだろう。
そう自分達に言い聞かせた上で、ベルはスフレを離れることになる。
「そろそろ時間だわね……もうじき行くわ」
「わかったわ。お疲れ様……また明日も来る?」
「妹をアリスさんの所で働かせるからね……それで連れてくるわ」
「そう……妹さんによろしくね」
「うん、ありがとうパトリシア。これ料金ここに置いておくわよ……それじゃあ、おやすみ」
「ええ、おやすみ」
ベルが料金をテーブルの上に置いて席を立つ。
駐車していたユニコーンの辻馬車を運転しようとした時であった。
「動くな……」
突如後ろの荷台から剣を突きつけられる。
ドスの利いた低い声であった。
「振り向くな、振り向いたり騒いだら殺すぞ」
強盗か?と思ったがどうやら違うようだ。
男は続けて言った。
「お前はこの店の店主と仲がいいそうだな……」
「……」
「答えないと心臓を突き刺すぞ」
「……ええ、友人よ」
「なら話が早い。パトリシアからスフレの中にいる金髪の令嬢と接触してこい」
アリスのことだ。
やはり、尾行されていたのは本当の事であったとベルは確信する。
そして、なぜ自分がそれをやるように言われたのか尋ねる。
「私が……?なぜ?」
「あの女は脅威だ。指定された場所に呼び出せばいい」
「……できないと言ったら?」
「お前の妹たちを今すぐに醜悪な男達の手によって傷物にされるだけだ」
「……このクソ野郎が……ッ……」
妹を人質に取られている。
誘拐はされていないが、いつでも出来ると言っているのだ。
それも、この手の脅しは確実に実行されてしまうだろう。
身内を人質にスパイになれと言ったのだ。
「今すぐとは言わない。一週間時間を与えてやる」
「……」
「一週間後の午後9時……中央の高級キャバレーに令嬢を連れてこい。後は俺たちがやる」
「……」
「出来なかったら妹たちはタダではすまないぞ」
「やれば……いいのね?」
「そうだ。やってくれたら金貨10枚を出してやる。いいか、3日後に連れてこい」
男はそう言って馬車から去っていった。
「ああ……どうしたらいいのよ……」
友人を売らなければ妹たちが傷物にされる。
逆に、アリスを守れば妹たちが何をされるか……。
ベルは辻馬車で項垂れながら、声が漏れないように涙を流した。
スプリタで蠢く深い闇が、ベルの心を蝕んでいくのであった……。




