2-10:準備確立
☆ ★ ☆
アリス、パトリシア、ベルの三人はスマートボールを動かす下準備が取り掛かることが出来た。
基礎設計に不正防止魔法陣……。
だが、まだ必要なものがある。
それはスフレ内で使える券と、当日有効のスタンプを買うことだ。
「スマートボールの台に、不正防止の魔術……券の発行と日付印を押せるスタンプは何処で行いましょうか……」
アリスがパトリシアとベルに尋ねる。
木工店、魔術師と続けていたものの、腕の立つ印刷店は生憎知らなかったのだ。
「印刷店に関しては幾つかありますけど……何処も同じ感じですかね……」
「それに関して言えば北部商店が印刷やスタンプも全て引き受けてくれているけど、あそこの店は少し思想が強くてね……」
パトリシアが濁した表現を使う。
それだけでどんな店なのかアリスは察した。
「ああ……それではいけませんね……スフレは皆が利用する店ですから、それに反発しそうなところは避けた方がいいですわ」
「そうですね……ただ、この辺の印刷所は利用したことがないので、どういったものがあるのか分からないのですよ」
「となると……周囲の人に聞くしかないですわね」
「……はい、腕の立つ印刷店となれば中々決められないですね」
アリスとしては、過激な思想を持っている人間が経営する店には関わらないつもりであった。
現にベルもハーフリングであり、分類上は亜人種だ。
ベルと同席した際に、相手が嫌な顔をしたりすればそれだけでもアリスとしては腹立たしい気持ちになるだろう。
どの印刷所にするべきか……。
悩む三人に渡り船を出したのがティオースであった。
「券とスタンプでしたら、斜め向かい側にある『リアファー印刷所』がお勧めですよ」
「リアファー印刷所……?パトリシアさんとベルさんは知っていますか?」
「あー、あまり聞いたことがありませんね……」
「ティオースさん、そこの印刷所は何か特徴はありますか?」
「代々印刷業を営んでいるリアファー家が請け負っている店です。私の契約書で使われている用紙もそこから調達してもらっているのです」
ティオースの店で使われている契約書の用紙などを作成しているリアファー印刷所。
斜め向かい側にある上に、品質にはかなり高いと太鼓判を押した。
「それにリアファー印刷所は最先端の魔法印刷を使っておりますので、品質は街一番です」
「それだけ仕事に熱心に取り組んでいる証拠でもありますわ」
「ええ、一族代々印刷技術に関して最先端を取り入れてはおりますが、コボルト族出身ということもあってか、ダンパ様とはあまり仲はよろしくないみたいですね……」
「それは……目を付けられているという事ですか?」
「少なくとも、彼らに掛けられている税金は北部商店の倍近いと聞かされております」
「倍……?!」
「とはいえ、倍近い税金を払っても仕事が絶え間なく入ってきておりますので、それだけ利益を上げている証拠にもなりますね」
亜人種が経営しているが故に、ダンパに目を付けられている印刷所のようだ。
とはいえ、印刷の最先端技術を使っているという事。
亜人種であるコボルト族で構成されている事を把握したアリス。
「試しにそこに行ってみましょうか、腕の立つのであれば是非とも見てみたいです」
「そうですね、試しに行くだけ行ってみましょうか」
「ティオースさん、情報を教えて下さってありがとうございます」
「いやいや、いいのですよ!こうして契約も成立しましたし、一つのサプライズという事で!あと、私からの紹介だと言えばサービスをしてくれるはずですよ!」
ティオースの店を後にした三人は、その足で斜め向かい側にあるスタンプを取り扱う印刷店を訪れる。
印刷店の主人は年老いたコボルトであった。
顔がほのぼのとしており、しわくちゃな顔つきであった。
(私が小さいころに飼っていたラブラドールレトリバーみたいですわね……)
如何にも「おじいちゃん」と呼びそうなコボルトだが、これでもまだまだ50代だ。
「……いらっしゃい、何かお探しで?」
「はい、ティオースさんからの紹介で……印刷物を刷って欲しいのと、スタンプが欲しいのです」
「なるほど……ではこちらにお掛けになってください」
印刷所の主人の案内でテーブル席に付く。
その裏では魔法を活用した忙しそうにスタンプを作っているコボルトの姿があった。
彼らは魔法を使って文字を打ち込んでいる。
アリスはその光景に驚く。
(これは……活版印刷ではないですね……)
そう、アリスのいた世界のスタンプなどは型を作ってから行うのだが、ここでは魔法で手早く済む。
魔法を使って文字を刻み、朱肉に付けてポンと押すだけ。
スタンプ屋がこの世界に来れば、どうやってスタンプを作るのか気になって眠れなくなるだろう。
カタログを持ってきた主人は、座っているアリスたちの横に座った。
「主人のリアファー・タウロと申します」
「金益アリスです、アリスと呼んでください。よろしくお願いいたします」
「ではアリスさん、印刷とスタンプを要望とのことですが、まずこちらのカタログから紙を選んでもらってもいいですか?」
「紙……?」
「当店では、様々な種類の紙を取り寄せているのです」
印刷店の主人はアリスたちに分厚いカタログを見せてきた。
カタログには様々な紙のサンプル品があり、肌触りなどをチェックしてから印刷をする。
アリスもリアファーの勧めもあって触って確認をする。
(んー……やはり安物だと肌触りが良くないですわね)
再生紙がエコで良いかと思ったが、この世界の再生紙はあまり品質が良くない。
ひどく凸凹とした感触が肌触りによくないのと、印刷した際に文字などが滲む恐れがあるため断念。
多少高くても高品質なものを選んだ方がいいと判断し、アリスは20分ほどサンプル品の紙を吟味して選ぶことにした。
「印刷物にも種類がありますが、どれをご希望しますか?」
「種類……そうですね、着色アリでバラで券のような感じにできる用紙をつくってもらいたいのです。券としては契約書で使われる素材をお願い致します」
「契約書と同じ素材……ふむ、それだと値段が高くなりますがよろしいでしょうか?」
「ええ、試算してもらえると助かります。いくつかの券が欲しいのでそれぞれ200枚ずつ作ってください」
「それぞれ……200枚ですか!」
「はい、それぞれ200枚です」
リアファーは驚いた。
券を作るといったが、それを200枚というのは聞いたことがない。
(一体目の前にいる少女は何処の令嬢なのか……このようなものを頼むとは聞いたことがない)
大抵の券というのは、身内同士で使える限られた物品などをやり取りするためのものであり、市場向けの依頼で印刷があったとしても再生紙で利用された品質の悪い紙などが券として利用されている。
それをいきなり契約書と同じ素材で200枚ずつ作って欲しいという客は、リアファーが主人として経営している中で初めて目にする客であった。
その間に、アリスが画用紙に定規で線を引いて、縦5cm×横9cmの大きさをリアファーに見せる。
「この大きさで200枚を希望したのですが、出来ますか?」
「成程……この大きさでしたら……当店でも出来ますね」
「ではデザインとしては分かりやすく大きく刻印してもらってもいいですか?」
「……となると、デザインも既に考えているのですね?」
「はい、大雑把ですがこんな感じです」
アリスはリアファーにノートを手渡す。
そこには、アリスが頑張って描いたであろう文字で次の文字が描かれていた。
『エール酒サービス券』
ー発券後当日に限り有効(第三者への譲渡厳禁)
『エール酒無料券』
ー発券後当日に限り有効(第三者への譲渡厳禁)
『食事無料券』
ー発券後当日に限り有効(第三者への譲渡厳禁)
『フルコース無料券』
ー発券後1週間以内に限り有効(第三者への譲渡厳禁)
『一泊二日宿泊無料券』
ー発券後1週間以内まで有効(最大2人まで宿泊可、第三者への譲渡厳禁)
徹底して『第三者への譲渡厳禁』を掲げているため、ここまで念を押して書いているのは初めてである。
それに加えて、これだけの券を仕入れることを踏まえて、目の前にいる少女が事業を行うことが明白だ。
「合計1000枚で……いくらぐらいになりますか?」
「そうですね……契約書の枚数で計算しますので少々お待ちください……」
リアファーは暗算をして計算を始める。
契約書等で使われている用紙は、魔術師たちにも需要のある紙だ。
故に、他の紙に比べて高値で取引されている。
契約書用紙10枚につき銀貨20枚。
アリスから渡されたサイズの紙で券を作るとなれば、契約書1枚につき、20枚分の券を作ることができる。
そして200枚の券を作るのに契約書10枚分が必要である。
そしてそれが5つあるため、10×5=50となり、合計で50枚分の契約書に匹敵する値段だ。
合計金額は銀貨100枚=金貨1枚だ。
「出ました。一つの券につき契約書10枚分……銀貨20枚掛かります」
「それで合わせて20と5だから銀貨100枚……金貨1枚分の費用が掛かるわけですね?」
「その通りです。合計で金貨1枚になりますが……よろしいでしょうか?」
「ええ、構いません。すぐにお支払いします」
「ありがとうございます!出来上がるまで2日ほどかかりますがよろしいでしょうか?」
「はい、まだすぐに店を開くわけではないので2日ほどは問題ありません」
なんと、アリスは値切り交渉などをせずに即決で決めた。
理由は説明が丁寧であった事と、パトリシアから事前に契約書の値段を聞いていたからだ。
契約書の値段を水増し請求していればすぐに取りやめるつもりであったが、しっかりとリアファーが計算をして提示したため、この人であれば信頼できると判断したのだ。
「それからスタンプの方もお願いしてもらってもいいですか?」
「はいっ、どのスタンプをご要望ですか?」
「押すと同時に日付印を押せるタイプのものがあるといいのですが……」
「ああ、でしたらこれはどうでしょうか?」
リアファーが取り出したのは、マッチ箱のような形状の日付印スタンプだ。
真ん中に数字が彫られており、インクに浸したスタンプ台に付けてから紙に押す。
すると『0859.04.02』と数字が押される。
これがこの世界の現在の暦と月日だ。
(859年4月2日……西暦ではないでしょうけど、これがこの世界の暦なのですね)
「いいですね、このスタンプを2つ買います。スタンプ台もセットでいいですか?」
「はい、勿論です」
「それから、もう一つだけ要望があります」
アリスは暦を確認できるスタンプを買うと同時に、リアファーにもう一つだけスタンプに注文をつけた。
「私の名前を付けくわえた上で『当日有効』と『1週間後まで有効』と書かれた文字を付け加えてください。よろしくお願いいたします」
こうしてアリスはスフレの店を間借りした上で、商売を始めるのに必要な準備を完了させたのであった。




