1-8:一人の夜
夕食を食べ終えて、アリスはパトリシアやベルとの会話を楽しんだ。
すでに時刻は午後9時を過ぎている。
アリスは少し眠くなってきた。
ウトウトしていたのを察したパトリシアがアリスの肩を優しく揺すった。
「アリスさん、うたた寝していませんでした?」
「……あっ、すみません……」
「いいえ、でも寝るのでしたらお部屋で寝た方がいいですよ。明日はスマートボールの素材に必要な木工店や魔術師を案内してあげますから」
「アリスさんを部屋に連れていったほうが良さそうだな……部屋まで一緒に行きましょう」
「そうですね……今日はお開きにさせて頂きます……」
テーブル席を立って、アリスはパトリシアとベルと共に部屋に戻ってきた。
部屋に置かれている鞄はテーブルの上に置かれている。
明日は早い。
これで歯を磨いて、ザっとシャワーを浴びて寝た方がいいだろう。
パトリシアはアリスに呼び鈴を渡す。
「もし何か必要な物があればこちらの呼び鈴を鳴らしてください。係の者がすぐに来ますので」
「……分かりました」
「今日はお会いできて楽しかったですよ。また明日よろしくお願いいたします」
「明日……何時頃に行きますか?」
「そうですね……午前9時頃に行きましょう。それまでに朝食を済ませますので、午前8時頃に起こしに伺います」
「ありがとうございます」
「それでは、おやすみなさい」
「おやすみなさいアリスさん」
「おやすみなさい、パトリシアさん、ベルさん……明日はよろしくお願いいたしますね……」
パトリシアとベルは部屋を出ていく。
部屋にはアリス一人だけになった。
(シャワーでも浴びましょうか……)
アリスはシャワー室に赴いて、着ていた服を脱ぐ。
馴染みの制服だが、この世界では代わりは存在しない貴重な服だ。
洗濯をする際には洗剤で洗うべき所だが……。
(ここってコインランドリーも無いですし……籠に畳んでまとめてから洗ってもらうようにお願いしたほうがいいですわね……)
洗濯は宿の人に依頼する事にして、シャワーを浴びる。
不思議な事に、シャワーは殆ど現代と変わりない作りになっていた。
シャワーの根元部分には、魔法によって熱調整ができる器具が取り付けられており、それで温水や冷水が出る仕組みになっている。
シャワーを浴びながら、アリスは今日の一日を振り返る。
いつも通り学園に来たら途中で父が逮捕され、迎えにきた母と運転手が事故に巻き込まれて死亡。
その事故に巻き込まれるも、何故か生きている状態で生と死の狭間の空間に投げ出され、調合性を図るために異世界転移。
そこで出会ったベルにスプリタの町まで乗せてもらい、ベルの知り合いが経営する宿に宿泊。
レストランと宿泊施設を兼ねた店の女主人であるパトリシアに会い、そこで意気投合してスマートボールを作って経営することになる。
そして今に至る……。
「本当に……生きているって不思議ですね……」
シャワーの熱を感じながら、アリスは身体を洗う。
そして、明日の予定を考える。
スプリタの町を巡りながら、スマートボールの製作に取り組む……。
これがアリスの考えた収益を確保し、生活基盤を整える方法だ。
上流階級のお嬢様故に、もっと別の方法で収入源を確保するべきだと思った者もいたかもしれない。
だが……アリスにはその手段以外で、手っ取り早く収入源を確保するための道筋がないのだ。
例えばピアノやヴァイオリンといった楽器類に関して、アリスは習い事でもやっていた為、やろうと思えば演奏することは出来る。
だが、この町……いや、ダンパが有している領土では楽器類の個人での所有は認められていないのだ。
吟遊詩人であっても楽器類を持たずにアカペラで演奏することを余儀なくされている。
これはアリスがパトリシアから聞いた話である。
ダンパがスプリタの町に赴任した当初、彼のことを皮肉った歌などを歌っていた吟遊詩人や音楽家がいたのだ。
彼らは音楽を作ってダンパの容姿であったり、行いを皮肉った歌を歌い、これが酒場や広場などで広く歌われるようになった。
『醜い豚来たる~♪この町にやってくる~♪ああ、神よ~どうか我をお救いください♪』
『クソッタレ♪クソッタレ♪あのバカやってきやがった♪』
『どうしようもない~♪デブで悪口敏感で~♪どうしようもない~♪』
歌は敢えて下手くそに歌っていたのだが、これが町では大受けして歌われていたのだ。
これに激怒したダンパは歌っている彼らを片っ端から逮捕して、楽器を取り上げたのである。
安物の楽器は徹底的に破壊し、高級なヴァイオリンなどの楽器類は自身のコレクションにしたのだ。
この町で例外的に演奏ができるのはダンパに認められた実力を持った劇団のメンバーのみであり、劇場の仕事の演奏で必要だと話を付けた際に貸出を行う。
貸出の賃料も楽器1つに対して1日金貨1枚であり、暴利を貪っている。
劇団では以前に比べて演奏のレパートリーも減っており、演奏会を開く回数も比例して減ってしまっている。
アリスは音楽の基礎教養こそあれど、長年音楽で飯を食っているプロとは違う……。
ただでさえ劇団すらも食べていくのが精一杯の状況で、アリスが音楽で食べていけるのは難しい。
他にアリスができる仕事は、魔法学以外の数学科の家庭教師の先生になるか……。
もしくは若い女性という特徴を活かして身体の露出度の高い服を着て、キャバレーに出るぐらいだろう。
シャワーを浴び終えたアリスはリュックサックの中に入っていた寝間着に着替える。
着替えてから歯を磨いて、ベッドで横になる。
そして自分自身に問いかける。
(今の私に出来る事は何か……それを最大限に活かしていかないといけませんわね)
アリスにとって、投資の才能のあった父や、ヴァイオリニストで活躍していた母と比較すればまだまだ未熟であると自覚していたのである。
パトリシアがレストランの収入を上げたいと言った際に、咄嗟に思いついたスマートボールによる収入源を思いついたのだ。
それがとんとん拍子に進んだことで、契約にこぎ着けたのである。
異世界転移して初日からハイペースな進み具合となっているが、アリスにとって中々実感の湧かない。
まるで夢の中にいるような気分だ。
「それでも……」
アリスが仰向けになって天井に向かって手を伸ばす。
二度と父や母に会えない事。
そして二度と故郷である日本に戻れない事。
両親や日本の思い出を撮影していたスマートフォンは学校の鞄に入れており、今はその鞄はない。
日本との繋がりを残しているのは、アリスの身に着けていた制服だけである。
この事を理解すると、急に寂しくなってしまう。
次第にアリスの視界が涙で覆われていく。
「うぅっ……お母様……お父様……うぅぅっ……」
声を殺して、アリスはこの世界に来てから初めて泣いた。
そして、涙を流しながら枕をギュッと抱きしめた状態で眠りについたのであった。




