動き出す春
何だろう、今胸の奥でキュンと音が鳴った気がする・・・
花子は剣太朗の存在が気になり始めた?!。
桜の蕾が膨らんできたころ、東京。
KNIGHTリーダー駿のドラマ出演の準備が動き出していた。七月期放送ドラマで六月から撮影に入る予定で、駿にはアクションの練習が事前に準備されていた。ドラマのストーリーはこうだった。
『ある青年が森の中の湖畔で気を失い倒れている。そこに近くの別荘に滞在する少女が現れ青年を助ける。青年は大きな別荘で知らない少女とその乳母に介護され助かる。だが、青年は記憶喪失になっていた。髪が伸び無精ひげが生え、見窄らしい姿。そこへ家主の男がやって来て、髪を切らせ髭を剃らせ、身なりを整えさせて少女の家庭教師にさせる。少女は病弱で別荘で療養生活をしていたが、家主との関係に謎があった。少女と乳母、青年との三人での生活の中、記憶が断片的に戻り始め、自分の過去に不安を抱く。別荘の秘密、青年の過去、少女との未来』
と、ミステリーアクションラブストーリーみたいな感じになっている。
「盛りだくさん過ぎませんか、これ」
苦笑いしながら資料を見ているマネージャーの千葉優介。
「で、まず四月からアクションの特訓をするらしいので、そのスケジュールがこれで、五月は念の為乗馬の練習も・・・」と駿に説明をする。
「乗馬?そんなシーンあるんですかね?」
「いやどうだろ?未定なんだけど。万が一ってことで身に着けておくようにだって」
「ふぅ~ん」
ドラマ一つにしても早くからの準備がある。
「あ、それと最初長髪シーンがあるから、鬘を作るので衣装合わせなどがこの辺のスケジュールになってます…」
色々な資料に目を通しながら、駿はやる気を漲らせていた。
そして、慎は雑誌に良く取り上げられるようになり、表紙を飾ることもあった。子役で活躍していたことを知っているメディアもあるが、慎はそのイメージを拭いたく、アイドルの道を選んでいた。
子供の頃の可愛さをいつまでも求められると将来の道幅が狭まると考えている。中高と学業優先にし大学進学したのも、すべて自分で決めて来た。将来もこの道で生きていく。ふわっと柔らかいイメージの慎だが、見た目よりしっかりした人生計画を立てている。
一方、剣は声の仕事で評価され、情報番組だけでなくドキュメント番組、コマーシャルなど多方面でナレーションをしていた。顔の露出が少ないので、良いのか悪いのか外を歩いても声もかけられることは無かった。自分で選んだ道ではなく、たまたまスカウトされ、たまたまアイドルグループを組め、何となく流されるままここまで来た。デビューしたら普通に仕事が出来るのかと思っていたところ、そうはいかず、初めて少し悩んでいた。
◇
世の中の学生たちが、別れと旅立ちの季節を迎え、若葉も無事中学を卒業した。そして宿題もないハッピーな春休みを過ごしていた。学校へ行くことが無いと、花子の所へ寄る口実もなくご無沙汰だった。
やっと寒い冬から春へと移り行く三月。サクとの散歩も少し寒いくらいでも、陽射しはやや暖かく感じるようになった。いつもの神社周辺を散歩しながら桜の開花はまだかと毎日蕾の色や膨らみを見ていると、花子も少しワクワクする。春は新しく始まる予感がする季節だ。
サクと散歩の帰り商店街を抜けて自宅に近づくと、前方に大きなスーツケースを引いた女性と背の高い青年が歩いていた。
女性はカールした長い髪にトレンチコート、華やかなワンピース、青年は190センチはありそうな長身で少し猫背気味、ブルゾンに黒いジーンズ姿で大きなスポーツバッグを肩から掛けている。
「ん?」
花子はどうやら見覚えがあるような気がした。と思ったら、自分の家の前で彼女らは立ち止まる。
「もしや」
花子は少し速足になり、サクは合わせて駆け出した。
「お姉ちゃん?」
花子が声を掛けると、彼女らはこっちへ振り返る。
「オーマイガー、花子!丁度良かったぁ~」と明るい大きな声で大きく手を振って、息を切らした花子が目の前に来たら両手を広げハグして来た。(ん?誰や?)サクはどうやら初対面らしいその女性は、花子の姉、桃枝と同級生の美子だった。
「どうしたの?なんで居るの?」
花子はとにかく驚いてハグされながら目をぱちくりさせる。そしてふと美子の隣にいる長身の青年に目をやる。
「まさか、まさか?」
青年は眉毛をピクリと片方上げ、鶏の様に首を前に動かして、軽く会釈するように花子を見る、というか見下ろす。花子は美子を払いのけるように青年を見上げて目いっぱい背伸びしながらほっぺたを両手で覆った。
「朝陽?きゃぁ~こんなに大きくなって~」
照れくさそうにしている青年は、美子の息子、花子の甥っ子の朝陽。今年高校を卒業する年だ。
「ちょっと挨拶はいいから家に入らせて。さすがにまだ外は寒いわよ」
美子に言われて慌てて家に入る三人とサク。しかし美子は今オーストラリアに住んでいるはずなのだが・・・。
「お母さんたちは?」
「昨日からお父さんと二人で旅行、沖縄。老後は全国周るって毎月どこか行ってる感じ」
親が元気で遊んでいるくらいがいい。年老いて無趣味で寝込むより。それが高島家の考え方だった。
「てか、お姉ちゃん帰国するの急過ぎ!」
荷物を玄関に置いて上着を脱ぎながらソファーに座る美子はハハハと笑って全く悪気のない表情だった。
花子はコーヒーを淹れる準備をし、朝陽はサクと戯れる。
「私ね、離婚して帰って来たの」
一瞬時が止まった。コーヒーを淹れる花子の手も止まる。
「どういうこと?」
美子は三十歳に成る年に会社を辞め単身渡豪。三十歳まで可能なワーキングホリデー制度を使い、短期の語学学校、アルバイト、観光を一年間の期限内で堪能して、後にホームステイ先の息子と結婚した。一旦帰国し、再度渡豪して一人息子の朝陽を出産。今はシドニーの夫の実家に夫の両親と二世帯同居で住んでいた、はずだった。
「朝陽が日本の大学へ行きたいっていうし。このチャンスを逃せないでしょ」
美子はにこりと微笑む。
「ま、嫁姑問題にピリオドを打ってきたのよ」
美子が清々したとばかりに大きく伸びをしながら言う。朝陽は眉と肩をキュッと上げ少々呆れた様子でもある。
「で、朝陽は日本の大学って?」
花子はサクと戯れている朝陽の顔を覗き込む。
花子がすっかり忘れているコーヒーの続きをしながら美子が言う。
「四月から東京の英藝大学に行くのよ」
「いつの間に?」花子はとにかく急な話に頭がついていかない。
「花子、今はリモート受験」
やけにリモートの発音が良い朝陽が答えウインクした。鼻筋の通ったハーフの綺麗な顔の朝陽は背が高く手足も長く、こんな男前に成長するとついつい花子も見惚れる。花子はイケメンにまあまあ弱い。十歳位までは日本にも良く来ていたけど、大きくなるにつれ会う機会がめっきり減っていて、急な男前ぶりに溜息が出る。自分が年を取ることも納得だけど、男の子はこんなにも成長すると変わるのか・・・そう言えば(顔が近づいた時のあの長いまつ毛)と剣太朗のことをふと思い出してクッと胸が痛くなった。
「で、来月から東京に朝陽は住むからそれまで親子二人お世話になりま~す」
美子は淹れたコーヒーを花子と朝陽に差し出す。
「うん、まぁそれはいいんだけど…ん?」
花子はコーヒーをゴクリと飲んで疑問が浮かんだ。
「朝陽は東京、朝陽はって?朝陽はって、お姉ちゃんは?」コーヒーカップを持った両手を止めて美子に問う。
「最初は色々手続きで一緒に東京へ行くけど、後はこっちに帰って来るわ。花子と一緒に暮らすのも久しぶりよね~オーマイガー楽しみ~」
離婚した寂しさなのか、または全く気にしていないのか、元々明るく気楽な性格の美子だけど、なんだかルンルンな様子に花子は少し気が重くなった。マイペースの姉にこの先振り回されそうな予感しかしなかったからだ。
それでも久々に会う姉妹。
いろいろと話が盛り上がり賑やかに数日過ごすと、両親が沖縄から帰って来た。
「あらま」
美子の突然の帰国と離婚の話も、その一言で笑ってお終いな呆気らかんとした父、聡と母、清美。いつも自分でやりたい事をやらせてくれる両親。美子のやりたい事を今までもただ見守って来ていた。バブルの時代、大学時代からディスコだの学祭だの美子は学生生活をエンジョイし就職も大手企業にすんなり決まり、順風満帆に過ごしてきた。
花子は二歳違い。世の中は変わりバブルがはじけ、就職難の時代に身を置くことになる。姉の様に夢見て生きて来れなかった。
それでも両親は花子のやりたいようにというのが願いで、やっと決まった就職先で真面目に働きいつまでも独身でいようが、突然退職し、初めて夢を実現しようと今のトリマーになったことも、美子が突然離婚した今と同じよう、何一つ反対しなかった。
いつも「あらま」で済ませていた。
両親は「子は世の中に生まれたのだから、世の中に生きて行ければ良い。親の子ではなく、世の中の子なのだから」と考えている。放任主義ではあったけど、決して知らん顔ではなく何一つ不自由なく育てて貰っていた。
◇
三月末。
「明日東京へ朝陽と行ってくるわ。」
朝陽の決まっている住まいの準備に向かうことになていた。
「花子、サクとウォーキングして来て良い?」
相変わらずウォーキングの発音が良い朝陽がサクのリードを持って花子に聞く。
「行って来て~助かる~」
花子は美子と話しながら開店準備を始めていたので、店からいってらっしゃいと声をかけた。サクは尻尾を振りながら朝陽にまとわりついている。
「花子、私も仕事手伝おうか?」
美子が気を使って言ってくれるのだが、いやいやと花子は首を振り「明日の準備をどうぞ」とリビングの方へ押し出して行った。
午前のお客さんが来る。常連のトイプードルのカリンちゃん。いつもの様に飼い主さんから預かり抱っこしてトリミング室に連れて入る。カリンちゃんのお母さんが店から出ると同時に若葉が久しぶりに顔を出した。
「花ちゃん!聞いて!」
いつもの元気に輪をかけたように嬉しそうに入って来た。
「あら、久しぶり。おはよう。一人?」
「あ、おはよ。一人ひとり。花ちゃんに話したくて来ちゃった~」と、鞄からスマホを取り出して、動画を見せてくれる。その動画からは若葉の好きなKNIGHTが三人そろってこう言っていた。
『皆さん!今回は嬉しいお知らせが二つあります‼まず、リーダーの駿がドラマ出演することが決まりました~イエイ‼』
同時に若葉も「イエイ‼」と花子の横で言う。
『はい!そして、四月からようやく俺達のファンクラブが開設されます‼』
若葉が横から拍手をしてニッコニコで花子を見る。
『長くお待たせしていましたが、皆さんと俺達の大切な場所になるよう、楽しいことこれからもいっぱい共有していけるよう、四月から一緒にスタートしていきましょう!以上皆のKNIGHTでした~』
やった~と若葉は両手を上げて声をだそうとして、「ハッ」と止める。
大きな声を出して痛い目に遭ったことを思い出した。大好きなKNIGHTの剣が大きな声にびっくりして愛犬に噛まれた様子が頭に蘇った。
「し~」と花子と若葉は二人で口の前に人差し指を立てて顔を見合わせる。
「ふふふ、若葉ちゃんよろしい」
花子は微笑んでカリンちゃんのブラッシングをしながら話を進める。どうやら若葉の好きなアイドルグループKNIGHTがデビューして四ヶ月でようやくファンクラブが開設されると動画で配信されたようだ。高校生になったらファンクラブへ入って良いと親との約束通り、高校進学を楽しみにしていた若葉。それが予想よりヒットしなかったKNIGHTのデビュー曲。KNIGHT自身も悩ましかったがファンとしても悩ましいこの四ヶ月になる。
そこへ駿のドラマ出演という吉報もあり若葉は超ご機嫌でいた。
「そう言えば剣太朗君どうしてるかな」
桃枝から晴治さんの回復ぶりと剣太朗が東京へ戻ったことを聞いたきりだった。
店の扉が開く。
朝陽がサクを連れて散歩から戻って、店の中へ入って来た。
「あ、こっちから入って来たのね」
花子は少しブラッシングの手を止め、朝陽に若葉を紹介した。
「お友達の娘さんの若葉ちゃん。四月から高校生で、そこの中学に通ってるから良く来てくれるのよ」
「あ、こんにちは・・・」
若葉は長身でハーフの端正な顔をした朝陽に見惚れていつもの元気の良い挨拶とはちょっと違っていた。
「あら、ちょっとキュンてしてる?」と花子にニヤニヤされ「ちょちょ、違うわよ、も~」と若葉が慌てると
「こんにちは。甥の朝陽です」キラキラと輝きのエフェクトがかかったように朝陽は軽くウィンクしてリビングへ向かった。
なかなか色男である。美子の息子らしいというか。花子は「ふふふ」と笑ってフリーズしている若葉の顔を横目で見て
「朝陽~サクも足ちゃんと拭いてよぉ」と声を掛けた。
「花ちゃん!あんなイケメンの甥っ子、居たの?」若葉は目をぱちくりし、さっきまでKNIGHTの動画を見ていたスマホを握りしめて、足をバタバタさせながら花子に詰め寄ってくる。ちょっとちょっとと花子が慌て若葉を落ち着かせながら、作業に戻りここ数日の事情を若葉に話していった。若葉も花子同様、イケメンに見惚れてしまうところがあるようだ。
もうすぐ四月。新しい年度が始まり、人はまた新たな出会いが生まれる季節だ。桜がもうすぐ咲き、散る頃、三月の別れの季節の後には必ず訪れる新しい出会いの季節。
◇
東京でも、駿のドラマ出演とファンクラブ開設が話題になりメディアにもKNIGHTが良く取り上げられるようになった。駿がドラマの打ち合わせやアクション練習に励む頃、KNIGHTの新曲の話も進み出していた。
マネージャーの優介が提案していたように、バラード曲が決まった。メンバーは内心、赤青黄の衣装を着て歌う案が採用されずホッとしている。
事務所内の会議室。東京の桜はすっかり満開の頃を過ぎ、窓の外には時折吹く春風に桜の花弁が舞って桜吹雪を見ることが出来た。
「慎はギター弾けるよな」
優介が慎の顔を見ながら話を続ける。
「今回はかなり勝負曲になるぞ。今までのアイドル像に捕らわれず、攻めて行こう!」
何やら意気込みが凄い。眉間に力が入って目がギラギラしている。
「あの、ギターは弾けるので弾きますが・・・優介さん目がバッキバキで怖いっす」
慎が半分笑いながら、こちらは眉毛を下げて言う。
「とにかく聞いてみよう」
と駿、剣、慎がタブレットで再生してみる。
♪♪♪
三人は互いの顔を見て、うんと頷いた。
「俺達の新しいチャレンジの始まりだな」
誰ともなく呟いた。
実は一足先に三人はラジオ番組という新しいチャレンジを始めていた。四月から三人でランダムに交代で『KNIGHTのナイトタイム』という十五分番組を持たせて貰っていた。少しずつ動き始めるこの三人をマネージャーの優介も一生懸命サポートし、売り込み、日々忙しく過ごしていた。
誰かの活躍がKNIGHTに還元できると信じ、仲間を信じ少しずつ前進している四人。
晴れてファンクラブ会員になった若葉と花子もKNIGHTに期待の気持ちでいっぱいだった。
お読みいただきありがとうございます。
この先も読んでいただけると嬉しいです。