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推しと愛犬とフィナンシェと  作者: 灯 とみい
2/16

はじまりの冬2

 年が明けて。

 忙しい十二月を走り切り、新年はひとまずのんびり過ごせる。親戚の集まりもなく、離れの両親と少しおせちを食べ、届いた年賀状に目を通す。二十代は『結婚しました』の写真付き年賀状。その内『子供が生まれました』更に『子供が入学しました』『子供が成人しました』などと喜ばしくもあり、でも内心よその子の成長記録を見せられ、これはいつまで続くのかと少し考えてしまったりもする。近年は遂に『子供が結婚しました』が来るようになり、人ひとりが巣立つくらい年月が過ぎたのかと独りの自分が少々怖くなる。

 新年早々そんな気持ちになるのも(しゃく)なので、花子は満面のサクの笑顔の年賀状を送っている。貰った方は一体どういう気持ちなのかは考えないことにして。花子にとってサクは相棒であり息子でもあるのだから。

 そんなサクは花子の足元で正月早々も普段通りイビキをかいていた。キャバリアのような短頭種の犬はイビキをかき易い。鼻が短いので空気の通り道が狭くなるのが一因らしい。「ブヒ、ブヒ、ブブブ」と、かなりの爆睡状態。花子はそんなサクの寝顔を眺めて、ププッと笑った。

年内は暖冬だと思っていたが、年が明けてすっかり冬らしく寒くなった。少し窓から空を眺めると(ねずみ)色の雲が西の空に広がって不気味な雰囲気を漂わせている。雪雲のようだ。「雪になるのかな」と花子が呟くとサクがグーンと伸びをして寝返りを打つ。「寝正月か、ていうか年中寝てるけど」とサクの頭をひと撫でして、またふふっと笑った。


  

 新年の神社は初詣の人達で賑わっていた。近所の住人や帰省した家族、少し遠出して来た者など、様々。木々の葉は枯れ落ち寒そうにしている薄茶色の境内の風景も、この日は多くの人達の笑い声や行き交う足音などで活気がある。この神社は大通りから車で鳥居を潜って境内に入れるので、人混みでその車も渋滞になっていた。広い境内に脇道が住宅からの抜け道に繋がっているので、人はあちらこちらへ行き交い、所々で新年の挨拶をして足を止める人もいた。

「おぉ、(はる)()さん、あけましておめでとうございます」

 鳥居近くにある惣菜屋の主人が声をかけたのは、上品な紳士らしく茶色のコートにチェックのウールのスラックスを穿いた八十代の晴治だった。

「あぁお元気そうで、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」

 丁寧に答えたその男性は、長浜(ながはま)(はる)()。昔はデパートのバイヤーをしていたお洒落なシニアと近所では有名だった。二年程前に妻の詩子が他界し今は一人暮らしをしているので、惣菜屋では世話になり店主とは顔見知りだ。

「今日ゆきちゃんは?」

「人が多いんで家で留守番ですよ」

 

 晴治は真っ白のポメラニアンを飼っている。普段この神社は散歩コースになっているので、店主もよく知っていた。ただ、少々気が強いゆきは機嫌が悪いとたまに店主が撫でる指を払いのけるように噛むことがあった。

 ポメラニアンは小型犬で体重も三キロに満たないのが標準サイズで、二重毛のフワフワした毛が特徴。スピッツが先祖で品種改良により小型化されたと言われている。少々吠えやすく活動的なので小さな体の割りにエネルギッシュなところもある。毛色はオレンジが多く、ブラック、ホワイトなどがあり、ゆきは真っ白だったことから雪だるまの様だと晴治の孫が名付けたらしい。

「今夜は雪になりそうですよ」

 店主が付け加えると、晴治は革の手袋をしている手を合図するように上げ、鳥居の向こうの人混みに紛れていった。

 

 詩子が元気で居た頃は、晴治と詩子でゆきの散歩にこの神社に来ていた。孫が中学生の頃、犬が欲しいと言ったのだがマンション住まいだったので飼うことが出来ず、代わりに晴治の家で飼うことにしたのが、ゆきだった。ただ孫は県外に住んでいたので、結局夏休みや正月など帰省の出来る時しか会えず、晴治夫妻が兎に角溺愛していた。

 正直七十代で犬を飼い始めるのは大変なことが多い。小型なので体力的な負担は少ないが、自分が病気になったら世話が出来なくなる可能性がある。高齢者のペット飼育については最期まで飼えるのかというのは重要なことで、実際、詩子はゆきより先に旅立ってしまったのだから。

 ただ、詩子が居なくなっても悲しみに浸る暇もなく、晴治はゆきの為に健康管理に努めた。規則正しく生活することを意識して毎日のゆきとの散歩、自分で料理もし家事も人並みにこなしてきた。

勿論、惣菜屋の出来合い物で済ます事もあるのだけど。

ゆきの存在がそうさせてくれたのだ。

「参拝したら早く帰ろう。ゆきが待ってるな」晴治は人混みの中をゆっくり進みながらゆきのことを思い、同時に詩子のことも想っていた。




 翌朝、窓の外が明るく眩しかった。カーテンを開けると、外が寒くて窓のガラスに(しずく)がついている。外は一面銀世界、真っ白で陽の反射が眩しかった。鼠色の雲がもたらした雪が案の定降ったようだ。


「サク、雪よ~ほら見て」と窓から外が見えるようサクを抱き上げ見せてみた。ハァハァと犬は口呼吸するので息が白くホワホワとサクの口から放たれている。(うわっ寒そう~)サクはバタバタと花子の腕の中で動き、雪には興味がないと言っているかのようにするりと逃げ出し部屋の自分のぬくぬくしたベッドに丸まった。「犬は喜び庭駆け回る、てサクには関係ないのよね」苦笑いして花子は窓を閉める。

「寒いのは苦手だけど、雪ってなんかテンション上がるのよねぇ」とサクに向かいそう言うと(子供か)とサクは内心思っていた、かもしれない。

 ただ雪が積もると残念ながら雪かきの必要があった。まだ正月休みでお客は来ないとはいえ、自分も含め人が行き来するには積もったままでは不便だ。寒いのをグッと我慢して、花子は雪かきをする準備をする。白いダウンジャケットを着、ベージュの毛糸の手袋をはめ、カーキー色の長靴を履いた。物置の中から雪かき用の先が黄色いプラスチックのシャベルを出し玄関の外へ出る。その様子を見ていたサクは少し気になったのか、玄関までついてきた。

「サクちゃんも外に出る?」

 サクは花子の誘いの言葉に微笑むように見上げて(いえ、結構です)尻尾を振って見送っていた。

「出る気は全く無しね」

花子はまた苦笑いして玄関の戸を閉め雪かきを始めた。

 

 まだサラサラの積もりたての雪はスムーズに道路の端にかき集め易かった。ザザザ、ザザザ、と道路の所々で音がし、近隣も皆雪かきをしているようだ。大きな道路では車が通り自然に雪も解けていくが、少し入った花子の住む商店街の外れでは雪かきをしないと足首くらい積もった雪がいずれ硬く凍って後々困る。

「おはようございます」

「おめでとうございます」

雪かきの音と一緒に、朝の挨拶や新年の挨拶も交じって聞こえている。雪かきをして数分、少し体が温まってきた頃「花ちゃん、おはよう。」と雪かきをする花子の後方から声がした。と同時に、家の玄関の方から「ワンワン」と騒ぐサクの声がする。花子が振り返ると晴治がゆきを抱きかかえて微笑んでいた。

「あら、晴治さん。おはようございます。あ、あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとうございます。今年もゆきがお世話になります」

「こちらこそ、いつもありがとうございます」

花子と晴治は挨拶をしていると、ずっとサクが吠えていた。(お~い、ゆきちゃん居るなら出して~や~)


 晴治との出会いはある偶然からだった。まだ詩子が健在の頃、晴治は花屋を探して商店街を訪ねていた。当時、詩子が体調を崩し寝込むことが増えたので、気分転換に花を買って帰ろうと思ったのだが、今まで花など買ったことがない晴治はどこへ行けばいいやらとりあえず商店街へ来たのだった。残念ながら花屋がこの商店街には無く、迷っているうちに商店街の外れの花子の店へ辿り着いた。

 実は花子のトリミングサロン名は『トリミングハウス花屋』という。

漢字の所だけ見れは、一瞬花屋かと思うので、実際数回間違われて花を買いに訪ねてくる人もいる。


「あら、サクがゆきちゃんに会いたがってるから、ちょっと待ってて貰えます?」

花子は玄関へ入りワンワン呼び続けるサクの所へ向かう。サクに雪除けの手足が覆われている紺のロンパースを着せ、赤いリードを付けて戻って来た。

「サク君お洒落だねぇ」

 晴治はサクを見て目を細め微笑んだ。しかしサクは晴治より抱きかかえられたゆきしか見ていない。ゆき目がけ走ってくるサクにゆきは冷ややかな視線を送る。どうやら気持ちは一方通行のようだ。ゆきは十一歳なのでサクよりかなりお姉さん。シニアになると落ち着きも出てくる。五歳のサクは若造に思えるのだろうか。

 真っ白な毛のゆきは薄いピンクのフード付きの暖かそうなフリースを着て白雪姫のようだった。

「晴治さん今日は雪の日なのにお散歩?」

花子が訪ねる様子をサクはバタバタしながら聞いている。

「ゆきのお腹の調子が悪くてね。正月早々病院へね。さっき獣医さんに電話したら診てくれるって言ってくれて。ゆきも十歳過ぎたら時々調子が悪くなるもんでねぇ」

犬の寿命は延びているとはいえ平均寿命は十四歳ほど。十歳以上になるとあれこれ不調が出てくる。田舎の小さな個人病院だと自宅と隣接しているからと診てくれる場合もあって、ゆきは運良く受診できるらしい。

「急に寒くなったからかな?ゆきちゃんお大事にね」花子はそっとゆきの顎下を撫でた。

顔見知りの惣菜屋のおじさんは頭をふいに撫でようとしてよく噛まれるのだけど、流石花子は普段ゆきのトリミングをしているので慣れている。

晴治が花屋と間違えたあの日以来、ゆきのトリミングに月一回通ってくれている。


「そう言えば、若葉ちゃん、お正月は来ないのかな?」晴治は若葉とも顔見知りだ。時々晴治からの差し入れのお菓子も便乗して(いただ)いている。

「若葉ちゃんは冬休み明けにテストらしいのよ。エスカレーターで高校に上がれるとは言え、三学期は学力確認テストとかがあって、高校のクラス分けの基準?みたいな…なんか大事なテストが続けてあるんですって」

 花子と晴治が話している間、サクは積もった雪に顔を突っ込み、雪をパクパク食べていた。

「あぁそうそう」若葉がアイドルに夢中だと思い出し「アイドルのKNIGHT(ナイト)とかいう三人グループのことでも頭がいっぱいらしくて」と言いながらサクが雪を食べ続けているのに気付き、「ちょっとちょっと、サクもお腹痛くなるわよぉ~」と慌ててリードを引き上げた。サクは口に入れると雪が一瞬で無くなることが不思議で面白く止められない。

おぉお、とその様子を見ながら晴治が笑い、抱かれているゆきは(おバカちゃんな子ね)と花子とサクの様子を見ている。

「若葉ちゃんは勉強も遊びも忙しそうだね。ふ~んKNIGHTか・・・」晴治の言葉に、ん?と思い花子は「晴治さん、KNIGHTご存知なんですか?」思わず聞いていた。

いやいやと片手を顔の前で振り、雪と格闘しているサクに目をやり笑って晴治は「じゃ、ゆき行こうか、先生待たせてしまったかな」と花子に、じゃまたと顔の前で振っていた手を今度は顔の横に上げ(てのひら)をこっちに向けて立ち去って行った。

「じゃぁまた、お大事に」

花子は見送って、そのままサクと玄関に向かった。サクは外に出る気がなかったはずなのに、調子づいてまだ遊ぼうと少し抵抗したがさすがに足の肉球が冷えて来たので(やっぱり寒う)トコトコと花子に付いて家に入っていった。

 

◇ 


 結局正月の三が日は元日に晴れただけで、後は雪がしっかり積もったままだった。

年末年始休みが明け、世間も通常通りに動き始めた一月初旬は、十二月と打って変わって雪が良く降った。薄っすら積もる程度の日や、また足首ほどの高さまで積もった日もあり、朝から雪かきをする日も多かった。日が暮れる夕方五時過ぎには積もった雪も凍る心配があり、冬休み明けの若葉も花子の店にあまり寄らず、早めに帰宅していた。学力確認テストが落ち着くまで、学業に専念するつもりもあったのだろう。

店の新年の飾り付けを外しながら、フゥと息を吐くと白くふわっと姿を現した。

 空は今日も広く少し雲が重いけれど何の境界線もないままどこまでも続いていた。


お読みいただきありがとうございました。

この先もよろしくお願いいたします。

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