ウソはりせんぼん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おーっす、つぶらや。なに読んでんだ?
ほうほう、埋蔵金伝説のあれこれね……お前のことだから、発掘するよりもそのいわれの方に関心があるとみるが、どうだ?
日本でも徳川埋蔵金をはじめ、もろもろの戦国大名にも埋蔵金があったと見られている。
国や城がなくなったとしても、別の大名のもとに逃げて、再起をはかるケースも少なくなかったらしいからな。いざ、ことを起こすとなれば先立つものは必要。
なれば、自分しか分からないところに軍資金を埋めておくのは、大切なことと言えるだろう。
埋める。この三文字、ロマンも怖さも感じさせる言葉だと思わないか。
陽の目を見ても見なくても、相手の心を狂い惑わし、その命のあり方すら変えうる力を持つ。いまこうしている間にも、せり出し、弾ける瞬間を待ち望むものがあるかもしれない。
これ、俺のおじさんから聞いた話なんだけどさ。お前のネタにしてみないか?
おじさんから見ての祖母。俺から見ての曾祖母にあたる人の話だ。
俺の父親とは歳の離れたおじさんは、忙しい両親を持つ家庭事情もあり、祖母と二人で留守番をすることが多かったらしい。
祖母はみんなといると、よそのおばあさんと変わりない、温厚で理知的な落ち着きを持った雰囲気でいるという。
しかし、おじさんは二人きりでいると、その祖母の奇妙な点が鼻についたそうなんだ。
それは平気でウソをつくこと。
最初、おじさんが気づいたのは祖母が少し買い物に出てくるといって、帰ってきたおりだったという。
幼稚園ごろのおじさんが一人遊びをしている部屋に、足音を立てながら近づいてきたかと思うと、戸を開け放つや祖母はおじさんを呼ぶ。「お菓子を買ってきたから、おあがり」と。
お台所にあるとだけ告げ、祖母はそれにつきあわない。自らの寝室へ引っ込んでしまう。
大喜びで台所へ向かうおじさんだけど、ちゃぶ台には普段から使っているみかんの籠が乗っているだけ。それも空っぽのものがね。
棚や冷蔵庫も見て回るけれど、いずれも野菜や調味料といった、およそ菓子代わりに食べるとは思えないものばかり。
探し方が悪いのかと、祖母にあらためて尋ねてみるおじさん。けれども、返ってきた言葉は。
「あら、そんなこと言ったかしらねえ?」
おじさんこそ、何を言われたのか分からなかった。
確かにお菓子を買ってきたから、おあがりと自分は告げられたはず。つい、先ほどだ。
胸がずきりと痛む。自信を持っていたことをひっくり返されたのが、かなりショックだったのだろうか。
悶々とした時間が過ぎ、やがて親たちも帰ってくる。
彼らの前では祖母は誠実な受け答え。いずれも抜かりはなくて、ボケているという線は考えづらかった。
あれは何かの間違いだったのではないか。
そう思いたいおじさんだけれど、祖母のウソはそれからも続いたらしい。自分と祖母だけの2人になるとき、彼女は平気でウソをついたんだ。お菓子以外にも、数えきれないくらい。
それがウソと分かるとき、おじさんは決まって胸が苦しくなる。
自分は祖母によく思われていないんだろうか。いざ自分が確かめにいって、それが嘘だったりしたら、ますます立ち直れなくなりそう。
そう思っていたとき、おじさんは幼稚園の先生からウソをつけなくなるおまじないを教わった。
ご存じだろう。指切りげんまんのお約束。
あらためて見ると、なかなか物騒な文言が並んでいる。げんこつを一万回くらわすとか、針を千本飲ませるだとか。指切りそのものも、誓いのあかしとして切り取った自分の指を渡すとかから来ているようだしな。
そのような意味合いを、当時のおじさんはつゆしらず。とにかく約束を守り、嘘をつかせない最上の手段だと思ったのだそうだ。
正直、しぶってくるならおじさんも少しは安心できたらしい。ウソをついているという負い目を祖母が持っていることになるからな。
だが、祖母はあっさり指切りに応じてしまう。
「ゆーびきりげーんまん。うそついたらはりせんぼんのーます」
指をからめ、おじさんがいうより元気よく言葉を紡ぐ。組んだ手が、ぶんぶんと勢いよく上下させられる。
――ウソだ。
度重なる経験から、おじさんはすぐ断定した。祖母がこれまで、にこやかに口にしてきたウソの言葉が頭をよぎる。
また胸が苦しくなった。祖母のウソを確信するたび熱く、苦しくなっていく胸奥に、むせそうになる。
特に今回はひどく、祖母の一方的な歌を、ひたすらうつむきながら聞き通すほかできなかった。
そして祖母のウソは、引き続きおじさんと二人きりの時だけ続き、なおおじさんの胸を苦しめる。
なぜ自分にばかり、こうもウソをついて苦しい思いをさせるのか。
うらみに近い気持ちを抱くおじさんが、その答えの一端らしきものに出会ったのは、指切りから3カ月ほどが過ぎてからだった。
ちょっとそこまで買い物に出てくる、といって祖母が出かけるのは珍しいことじゃなかった。
家族がよく行く個人商店は、本当に目と鼻の先にある。早い買い物であれば、数分とおかずに帰ってくることだってある。
おじさんにとっては至福のとき。なにせウソに苦しめられることはないのだから。ささやかすぎるが、命の洗濯と称して過言じゃなかったらしい。
アザラシのように腹ばいになって、テレビのチャンネルを回し始めるおじさんだったが、不意に部屋の戸が開かれる。
「お菓子を買ってきたから、おあがり」
祖母の姿だった。
確かに、すぐ戻ってくることは珍しくないものの、こうも気配がしないのは初めてだ。
お菓子発言も、今となってはすでにおなじみ。そう告げてすぐに背を向け、おじさんの胸を苦しめるのが茶飯事なのに、今日は部屋の入り口に突っ立ったまま。
この部屋に、他の出口はない。あえてダラダラしながら悪態をついても、祖母は離れる気配を見せずの仁王立ちだ。
――おかしい。
直感するおじさんだが、祖母の表情は気持ち険しくなってくる。
もし動かなければ、連れ出すことも辞さない。そう感じさせるまなざし。
おじさんがおっかなびっくり立ち上がると、ようやく祖母は背を向ける。その歩みもおじさんに合わせたゆったりさで、「ついてこい」と言わんばかりだったとか。
ついていったのは、いつもの台所。しかし今日は、いつも空っぽのみかんのカゴに、色とりどりの個包装されたせんべいが、ところせましと広がっていたとか。
「おあがり」という再びの言葉に、おじさんは鳥肌が立つのを感じる。
あれほど待ち望んでいた、ウソではない本当の言葉。なのに、胸の中はウソをつかれたときのような痛さ、苦しさをたちまち湧かせてきていたんだ。
祖母は、今度は台所の入り口に立ちはだかって動かない。その顔は常におじさんを見据え、わずかな動きも見逃さんとするかのよう。いつも、さっさとその場を去ったしぐさとは、かけ離れすぎている。
――おばあちゃんじゃない。
そう察したおじさんの胸は、ますます苦しく、吐き気さえ感じるほどになってきた。
便所といえば、通してもらえるだろうか。
おそるおそるせんべいから目を離し、不動の祖母へお伺いを立てようとしたところで。
おじさんの口をつき、げっぷが出た。それこそ内臓どころか、血管からもひねり出したのではないかという、何秒も続く長いものだったらしい。
けれどその間のことは、おじさんは目に焼き付いて、いまもはっきり覚えているとのこと。
自分の口から、ささくれのような小さい針が、何本も飛び出したんだ。風を受けたかのように宙を飛ぶそれは、とおせんぼをする祖母へまっすぐ向かっていく。
その顔、その身体へ、たちまちささくれは突き立った。
それと同時に、これまで眉ひとつ動かさなかった祖母が、にわかに悶えだす。
すぐにうつむいたからはっきり確かめられなかったが、その口は一瞬で耳まで避けたように見え、身に着けるかっぽう着のそこかしこからは、おじさんが吐き出した針とは別の、灰色の長い毛が突き出したらしい。
声もおよそ、人が出すものと思えないしゃがれきったものになり、もはやおじさんと向き合わないまま。玄関のある左手へ転び出るように逃げていく。
ほぼ入れ違いに、堂々とした姿の祖母が左手から現れた。
顔も身体も、いつもの通り。「どうしたの?」と言わんばかりの表情でこちらを見てくる。
振り返ったおじさんの前には、せんべいの姿など一枚もない。空っぽのカゴがテーブルに乗っかっているばかりだったとか。
ことの顛末を聞いた祖母は、安堵した表情を見せる。
いわく、おじさんは自身の記憶もない昔に、早世の気があったとお寺で説明されたらしいんだ。
逝くのではなく、世を離れる。すなわち、この世ならざるものの手により、神隠しに遭う恐れがあると。
その対策をうかがったとき、授けられたのが「ウソ」を伝えるというものだったらしい。
おじさんが魅入られたものは、いかにも本当らしいことを並べ、惑わしてくるだろうこと。そのためにはウソを蓄えておくことが求められ、祖母がその仕事を買って出たらしい。
「指切りげんまんで言ったこと、あれもあるいはウソであり、あるいは本当ともいえる。
『ウソついたら、はりせんぼんのます』。あれは、『あたしが』ウソついたら、『あんたに』はりせんぼんのます……という意味合いもあったのさ。
胸が苦しくなったのも、その刺さっていったささくれが、あんたの中へ埋まっていく合図だったわけ。
功を奏した以上、もうあいつはやってこないだろうさ」
それから、祖母がおじさんにウソをつくことはなくなったのだとか。