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幼馴染が残してくれたもの ~もう一人の自分

作者: 枕崎 削節

 まだ携帯が普及する以前の話、当時は高度経済成長期と呼ばれていた。日本が戦後の復興を終えて、徐々に豊かになっていく時期に相当する。


 だがそんな時代であっても、取り残されるかのように存在する安アパート… そんなとある下町の一角に俺は生を受けた。物心つく頃には両親と妹の4人家族で、貧乏なりに満たされた生活を送っていた。


 当時はまだ子供の数が多く、今ほど少子高齢化が叫ばれる世相ではなかった気がする。というのもその安アパートにはまだ小さな子供が多くて、毎日子供たちは目の前の路地やどこかの所帯の部屋に集まって遊んでいた。一番上は川原さんの家の佳代ちゃんと清ちゃん… 確か当時はお姉さんの佳代ちゃんが小学校の4年生くらいだったと記憶している。それから池上さんの家の久美ちゃんと妹の和美ちゃん… 久美ちゃんは俺よりも一つ年下で、和美ちゃんは3つ違いだったかな。あとは我が家の俺と妹… 妹は俺とは3つ違いで、和美ちゃんと同い年だった。


 概ねこの6人が集まって遊ぶのが常で、当時はまだゲーム機などないから一緒にテレビの子供番組を見たり、数が多い女の子に押されておままごとが始まるケースが多かった。


 その中で俺が一番仲良しだったのは、池上さんちの久美ちゃんであった。いつも隣に並んで遊ぶ姿は、誰が何と言おうとも最高の幼馴染だと何十年も経った今でも胸を張れる。


 


 だが俺が5歳の時分に、この幸せな幼馴染との生活は突然終わりを告げた。道路拡張によって安アパートの取り壊しが決まったのだ。住民たちは半年以内に立ち退きを迫られた。


 そして9月にはついに我が家が引っ越すことが決定する。都下にある大規模団地への入居が決まったのだ。引っ越しの当日は、必ずまた会えるという後ろ髪を引かれる思いで車に乗り込んで、安アパートを去った記憶しか残っていない。




   ◇◇◇◇◇




 引っ越した先で新しい生活が始まると、安アパートで過ごした思い出も次第に忘却の彼方となり、小学校に入った俺はそれなりに友達もできて、そこそこ穏やかな日々を過ごしていた。


 高学年になるとクラス内では「〇〇は××が好き」などという話題が時々持ち上がる。そんな時に限って俺の頭には、あの安アパートで久美ちゃんと仲良く過ごした思い出が去来してくる。今頃どうしているのかな… などと時折彼女の笑顔を思い出すこともあった。


 確か5年生の夏休みに、我が家の電話が鳴った。母親が出て、誰かと楽しそうに話している。そして通話を終えると、ドヤ顔で俺たち兄妹に告げた。



「今度の土日に、池上さんの家に行くよ」


「えっ、本当?」


「本当。久美ちゃんたちもきっと大きくなっているわね」


 5歳の時に別れた久美ちゃんともう一度会える… その嬉しさに、小学生の俺でも胸が高鳴った。その日を心待ちにして、あと何日としょっちゅうカレンダーを見ていた記憶がある。


 電車を乗り継いで向かうのは、クレヨンしんちゃんで有名な街。駅に到着すると、池上さんのおじさんが車で迎えに来てくれた。


 高層団地が立ち並ぶ我が家の周辺とは違い、この辺はちょっと駅から遠ざかるとまだまだ自然が残っている。畑や雑木林が点々とする間を抜けた小道の先に、目的の家はあった。


 その家の前には人影がある。夏らしく白いワンピースに素足でサンダルを突っ掛けて、人待ち顔で立っている少女の姿だった。車から降りると、その少女はこぼれるような笑顔で「ようこそいらっしゃいました」と出迎えてくれる。


 俺には最初その少女が誰かわからなかった。でもクリっとした目と色白でちょっと丸顔な愛嬌のある表情には、当時の面影が残されている。



「まあ、久美ちゃんなの。大きくなったわねぇ」


 母親の言葉にようやく我に返った俺。否定しないところを見ると、やはりその少女は久美ちゃんだ。ところが今度は、彼女が俺を見てビックリしている。



「浩二君?」


「久美ちゃん?」


 恐る恐る問い掛けあう二人。実はこの時、記憶にある面影は5歳の時点で停止していた。安アパート当時の姿しかイメージにないので、5年生になった俺を見て、久美ちゃんもビックリしていたのであろう。そして二人の声が揃った。



「「大きくなったねぇ」」


 これには母親が大爆笑。おじさんも笑っている。


 だが戸惑いを隠せない俺と久美ちゃんは、それどころではなかった。事前に互いに成長しているだろうから、どんな感じになったいるんだろうと頭の中で想像しても、小学生の想像力には限界がある。まして引っ越ししてから5年も経過しているので、想像以上に成長していた姿にイメージの修正作業が追い付かなかったのだ。


 ともあれ家の中に招かれて、台所でスイカを切っていたおばさんも出てきて改めて挨拶が始まる。大人って5年程度ではそれほど姿形は変わらないけど、子供の成長ぶりというのは全く別物だとこの時初めて知った。


 出されたスイカを食べながら大人たちの思い出話に付き合っていると、外の様子がおかしい。つい今しがたまではサンサンと降り注ぐ夏の太陽が街中を照らしていたのに、俄かに雲行きが怪しくなっている。多摩地区や関東の内陸部にはお馴染みの夕立だった。雷の音が響いてくると、久美ちゃんを耳を抑えて蹲っている。そういえば小さな頃から、雷は大キライだったんだよな。


 

「大丈夫だよ。こうしていれば怖くないから」


 俺は久美ちゃんの頭をポンポンしながら声を掛ける。以前はこうやって怖がる久美ちゃんを宥めていたのを思い出した。



「う、うん」


 涙目になりながら俺の顔を見上げる久美ちゃん。その時は、ちょっとお兄さんになれた自分が誇らしかった。


 ポンポンしていた手を下ろすと、久美ちゃんの可愛い手が俺の手を握ってくる。雷鳴が轟くたびに握る手がビクッとするが、声を出さないように頑張る姿がいじらしい。


 1時間もすると、あれだけ降っていた雨が嘘のように上がって、今度は外が何やら騒がしくなる。



「大きな虹が出ているよ」


 窓辺にいた妹が、大声で教えてくれた。



「ちょっと見に行こうか」


「うん」


 俺と久美ちゃんは手を繋いだまま外に出てみる。東の空を見上げると、初めて目にする巨大な虹のアーチが、一面に鮮やかなグラデーションを描いている。こんなに大きくて鮮やかな虹を目にしたのは、生まれて初めてだった。



「すごいねぇ」


「きれい」


「ねぇ、もうちょっと近くまで行ってみようか」


「うん」


 手を繋いだまま、雨上がりでまだ水たまりが残る小道を歩き出す二人。



「浩ちゃん、虹がかかっている根元の場所に行くと、お願いが叶うんだって」


「そうなの? 僕は宝物が埋まっていると聞いたよ」


 再会した瞬間はどこかぎこちない雰囲気だった二人は、雷のおかげでいつの間にか昔と変わらぬ仲を取り戻すかのよう。雨で出来上がった水たまりにも虹が映っている不思議な空間を仲良く散歩する。



「こっちに行くと駅で、反対側の道を真っ直ぐ進むと学校なの」


 まったく土地勘がない俺に、久美ちゃんは色々と教えてくれる。やがて東の空にアーチを描いていた虹が次第に薄れていき、代わって西の空がオレンジ色の夕焼けで輝きだす。雨上がりの澄んだ空気と巣に戻るカラス鳴き声は、今でもやけに鮮明に覚えている。


 徐々に蒸し暑さが戻ってくる頃に、周辺をグルリと一回りして家に戻ろうとする。あともうちょっとで散歩はおしまいという場所で、久美ちゃんが思い切ったような表情で切り出した。



「浩ちゃん、子供の頃の約束覚えている?」


「覚えているよ。僕と久美ちゃんは、大人になったら結婚する… だよね」


「うん、覚えていてくれて嬉しい」


 笑顔で答える久美ちゃん、その時は漠然と「可愛いなぁ」と心の中で考えていた。でも久美ちゃんがどういう意味でこんな話題を振ったのかまでは、当時の俺には残念ながら理解できなかった。



 こうして親子3人(父親は仕事でこれなかった)は、池上さん宅に一晩泊まらせてもらって、翌日帰途に着く。車に乗り込む俺たちを、おばさん、久美ちゃん、和ちゃんが見送ってくれる。動き出した車から手を振って別れを告げる。角を曲がる手前で振り返ると、久美ちゃんたちはいつまでも手を振り続けていたのが印象に残っている。




   ◇◇◇◇◇




 久美ちゃんとの再会は、ひと夏の淡い想い出として俺の心の中にそっとしまわれた。その後の俺は中学高校と進み、人並みに誰かを好きになり、つき合ったりフラれたり… 大学でずっと付き合っていた女性とは後に引き摺る嫌な別れ方をして、就職する頃には女性不信に陥ったり。


 そんな就職1年目のある日、母親から聞かされた。



「久美ちゃんが結婚するんだって」


「そうなんだ」


 そう短く答えた俺は、彼女の幸せを願った。久美ちゃんを幸せにするのは、俺ではなくて他の誰かだろう ━━心のどこかで薄々感じていただけに、その時の俺には願うより他はなかった。あの時の約束は、結婚がどういうものか全く知らなかった子供の時分のおままごと… そう言い聞かせて、久美ちゃんの幸せを心から祈った。




   ◇◇◇◇◇




 それから月日が流れて、俺は30歳を過ぎていた。そろそろ結婚を真剣に考えてもいい時期だろうが、誰と付き合うでもなく仕事中心に生きていたと思う。


 そんなある日、仕事場で携帯が着信を告げた。誰からかなと思って画面を見ると、俺の母親からだ。



「もしもし」


 返事をすると、一呼吸おいて母親の沈んだ声が聞こえてくる。



「久美ちゃんが亡くなったの。お葬式に行くから、あなたも支度しなさい」


 俺は返事が出来なかった。何を言われたのか理解するのを頭が拒否している状態。


(久美ちゃんが死んだ… そんなバカな話があるか! だって俺よりも一つ下だから、まだ30だぞ)


 きっとそう信じたかったのだと思う。あまりに突然の訃報に、俺の感情が追い付かないのだ。


 何も考えられぬままに、俺は目の前の仕事を大急ぎで片付けると実家に赴く。そして改めて母親の口から、久美ちゃんの死が真実だと伝えられた。



「何でも難病に罹って、かなりの期間入院していたそうよ」


 半ば放心状態のまま葬儀に駆けつける。身内だけの慎ましい式だった。祭壇には、笑顔の久美ちゃんの遺影が飾られて、その周囲は彼女が好きだった花々で彩られている。


 まだ葬儀が始まるには早い時間だったので、池上のおばさんが俺たちに挨拶をしに来てくれた。憔悴しきって涙ぐむその表情は、見ていてなかなか辛いものがある。そしておばさんは、一人の子供を連れている。目元は久美ちゃんと瓜二つであった。



「わざわざ遠いところを来ていただいて、本当にありがとうございます」


「本日はご愁傷さまでした」


「この子は、久美が残してくれた孫の浩二です。生まれた時にどうしてもこの名前にするんだと久美が命名したんですよ。浩二君、あなたの名前をいただきました」


 その瞬間、俺の涙腺が一気に崩壊した。とめどなく流れる涙を拭うこともできずに、心の底から湧き上がる思いをどうにも受け止めきれない。多分人生の中で一番大泣きしたと思う。多分俺だけにしかわからないであろう、久美ちゃんが抱いていた想いが一気にのしかかってきた。


(俺は久美ちゃんとの約束を守れなかった。久美ちゃんもまた約束を守れなかったと思っていたんだろう。だが俺が思っていた以上に、久美ちゃんの想いは強かったんだ。お腹を痛めた子供に、わざわざ俺の名前を付けるだなんて… ゴメン、久美ちゃん)


 離れ離れになったことを当然と受け止めて、何も行動しなかった自分が悔やまれてならない。





 しばらくしてちょっとだけ冷静さを取り戻した俺は、改めて考えてみる。



(大学は都心に通っていた。来ようと思えばすぐだったはずなのに… だが俺は何もしなかった。久美ちゃん、本当にゴメン)


 改めて現実を突きつけられると、後悔という言葉しか浮かんでこなかった。


 久美ちゃんは、きっと俺との幼き日の約束をどこまでも誠実に守ろうとしたのだろう。とはいえ人生はままならない。いつの日か別の人との結婚を決意して、その後子供が生まれた。その子供に俺の…


 いや、もしかしたら叶わなかった自分の想いを子供に託したのだろうか? いつの日か息子である浩二君が、新たな久美ちゃんを探し出して幸せになる未来を夢見て…


 今となってはもう誰に聞いてもはっきりとはわからない。だが久美ちゃんの心の中には、ずっと俺がいたのだろう。あの夏の日に、虹の下を散歩した甘酸っぱい想い出を抱きながら。

 




 葬儀の最後に眠るような表情の久美ちゃんと対面して、遺体を花で取り囲んだ。長期間に及ぶ闘病生活で痩せてはいるが、その顔はきれいなままだった。


 最後にもう一度「安らかに」と祈って、出棺を見送る。





 久美ちゃんは夜空の星になった。彼女は俺に大切な何かを教えてくれた。だがもう、お礼の言葉は届かない。せめて今の俺に出来るのは、もう一人の浩二君が幸せになるのを祈るくらいだろう。


 だが最後にこれだけは伝えたい。 


 久美ちゃん、本当にありがとう。


 

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