棘の道と太陽の道
「偉大なる帝国の守護者に御挨拶申し上げます」
エカテリーナは陛下の前でゆっくりとお辞儀をする。いまだかつてないほど、手足が冷たく震えそうになる。
「エカテリーナ嬢、急に呼び出してすまない」
「陛下のお呼びとあれば、万難を排して馳せ参じますわ」
陛下の横には、王妃様と2人の王子が並ぶ。
今上陛下には、3人の王子がいる。
第1王子であり、王太子のアルフレッド。アルフレッドは、王譲りの少しくすんだ金髪に紫の目をしている。
第2王子の、グイード。グイードは、王妃譲りの茶色い髪に紫色の目をしている。
この2人は、年子の生まれで年齢が近く、あまり仲が良くない。
サルファ王国では長子相続を原則としながらも、今上陛下の直系であれば誰であっても王位につくことができるため、王太子に不適格であると、貴族院に判断され4分の3以上賛同を得ることが出来れば王太子の交代も十分にありうるからだ。
グイードは長子であるという理由で、アルフレッドが立太子しているしていることに納得していないのだ。
しかし、2人の能力は拮抗しているのでアルフレッドを退けてまでグイードを押す理由がないというのが現状である。
王の横に並ぶ王子はこの2人である。
もう1人、グイードから数えて4歳下に第3王子のティーガンが居るが、ティーガンはこの場には来ていないようだ。
エカテリーナは用意された席に座る。
「エカテリーナも知っていることだが、今年のシェヘルザー学院には聖女が入学してくる。聖女は王家に連なる者と婚姻することが習わしだ。聖女の年齢は15歳、ティーガンと娶せることが出来ればと考えていたが…」
王は言葉を切り、エカテリーナを見る。
「聖女はアルフレッドと結婚したいと言っている」
「それは、聖女様を側室として召し上げるということでしょうか」
アルフレッドにも、グイードにも既に婚約者がいる。
重婚を禁止しているこの国で、いくつかの状況により王族のみ側室を迎えることが出来る。
結婚して3年以上子どもが出来ない場合や、結婚後に配偶者に子どもを作る能力がないと判断された場合などがあげられる。
王族として、王太子としてアルフレッドは後継者を早くほしいと思っていることをエカテリーナは知っている。結婚後3年以上子どもを作らないというこを、選択するとは思えない。
ということは、エカテリーナに子どもを作る能力ないと公表し聖女を召し上げるのだろうか。
それとも…
「いや、そうではない。…聖女を、アルフレッドの正妃として婚姻を交わす」
王の言葉にエカテリーナは、目を見開く。
「エカテリーナ嬢には、これからについていくつかの選択肢がある」
言葉を発することが出来ないまま、エカテリーナは次の言葉を待つ。
「ひとつ、アルフレッドとの婚約を破棄とし侯爵家へ帰る。婚約破棄に伴う慰謝料はきちんと支払わせてもらう」
(侯爵家の跡取りとして、既にライアス様がいる。他の私が嫁げるような高位貴族の皆様も婚約者がいらっしゃるわ。今から侯爵家に戻っても私の居場所はない)
侯爵家の1人娘とはいえ、7歳から王宮で暮らし王太子妃になることが決定していた為、遠縁のライアスを養子として迎えている。
エカテリーナの3歳上、アルフレッドと同じ歳のライアスは次期侯爵として仕事を始めている。ライアスに婚約者が居なければ、ライアスと結婚して侯爵家へ戻ることが出来るだろうが、婚約者は既におり、エカテリーナの結婚を待って式をあげる予定になっていた。
「ふたつ、聖女の侍女となり、彼女の王宮での生活を支える。彼女は平民の生まれだ。王太子妃…ひいては王妃としての責務をすぐに果たすことは難しいだろう。それを支える者がいる。王太子妃としても、淑女としても優秀なエカテリーナであれば、この重役を任せることが出来る」
(それは、妃としての仕事を肩代わりしろということ、ね)
正妃の仕事など、平民に出来るはずがない。ニコニコとお茶を飲むだけの仕事ではないのだ。しかし、この選択をすればエカテリーナは結婚することは出来ないだろう。
嫁ぎそこないの元婚約者と言われながら、王宮で陰口を叩かれながら、ひたすらに妃の影武者として過ごす。きっとエカテリーナの手柄は、すべて聖女のものになるのだろう。
「最後、グイードの婚約者になる。王家から君に提示出来る選択肢としてはこの3つだろうか」
「質問をよろしいでしょうか」
「申してみよ」
「私がグイード殿下の婚約者になる選択をした場合、殿下の婚約者であるリスティー様との婚約はどうなのでしょうか」
「リスティー嬢が望めば、ティーガンと縁を結ばせる」
「私がティーガン殿下の婚約者になるという、選択肢がないのはなぜでしょうか」
「それは…」
王はちらりとグイードに目線を向けるが、それ以上言葉を紡がない。
「君が望むなら選択肢に入れよう」
「私が望むなら…?」
「あぁ、君には迷惑をかけるからな。出来るだけ君の選択を尊重しよう。この3つの選択肢以外でも構わない」
目の前に提示された3つの選択肢。ただ、王はエカテリーナの選択肢を尊重すると言った。ならば、他の選択もあるはずだ。
だが、さすがに今すぐ答えを出すことが出来ない。
宰相の言う棘の道とはこの選択肢のどれを指すのだろうか。
私は太陽の道を選ぶことは出来るのだろうか。
「私はいつまでに回答すればいいのでしょうか」
少し思案した後、王は答えた。
「1週間後。1週間後までに答えを出してほしい。1か月後には聖女が王太子宮に移動する予定だからな」
「承知いたしました」
1か月後に聖女が王太子宮に移ると王は簡単に言うが、エカテリーナの荷物の撤去や王太子宮の清掃に模様替えなどすぐに出来ることではない。
王のその言葉に婚約破棄は以前から決まっていたのか、とエカテリーナは心の中で悪態をつく。
けれどそれを表に出さないように。にこやかに笑みを浮かべながら、完璧に淑女の礼をした。
(今日、結婚式に着るドレスの調整があることを知っていただろうに…前からわかっていたのなら、こんな無駄な事させないで欲しかったわ)
部屋を退室してから、ゆっくりと動くことを心がける。
淑女とはいつでも穏やかに動かなければいけない、そう教えられた。
王太子妃にはならないのだから、すべての国民から愛されなくてもいい、すべての淑女の頂点に立たなくてもいい。
だったら、今ここで走り出してもいいのではないか、という衝動がこみ上げてくるが、走り出すことは出来なかった。
エカテリーナは走り出すほど子どもではななかったから。
いつも通り、王宮に来ている人ににこやかに挨拶をし、優雅に振る舞いながら10年を過ごした部屋を目指す。アルフレッドが王になるまで、使い続けると思っていた部屋だが、エカテリーナがその部屋で過ごせる時間はあと1週間だ。
悲しいとか、辛いとか何も思わなかった。
ただひたすら、自分に価値がなくなったような気がした。
侯爵令嬢として生まれて、7歳で王太子の婚約者となった。
それから、10年王妃になるため学んできた。
王妃になることが、自身の価値だと思っていた。
なのに王太子妃には…王妃にはもうなれない。
そんな私に価値はあるのだろうか、エカテリーナは考える。
エカテリーナが、王太子妃宮に足を踏み入れると、侍女長が内宮の侍従と話をしているとことに出くわした。
何やら書類を受け取っているようだ。
「エカテリーナ様、おかえりなさいまし」
「戻りました」
侍女長、侍従と顔を見る。
「ちょうど、コリンズ侯爵よりお手紙を頂戴したところでございます」
手に持っている封筒…先ほどの書類を、エカテリーナに渡す。
「私に…?」
父親から手紙を貰うことなど、年に1回あるかないかというところだ。
このタイミングで届いた手紙など、最悪なことしか思い浮かばない。
「ありがとう。確かに受け取ったわ」
その言葉に侍従は礼をすると、足早に立ち去っていく。
「エカテリーナ様、散歩にでも行かれていたのですか。いくら予定がないと言われても、王太子妃として勉学を疎かになさらないでください。貴女はこの国の国母として」
「わかっています。国母としてふさわしい人間にならなければいけない、というのでしょう?」
ことあるごとに言われている言葉だ、とエカテリーナは侍女長の言葉をさえぎる。
誰かの言葉をさえぎるなど覚えている限り初めてのことだ。
それは、淑女らしくないことだから。
「お願い、疲れているの。独りにして頂戴」
「…承知しました」
文句を言いたげな様子だが、いつにないエカテリーナの様子に侍女長は何も言わずに引き下がる。
(疎かにしていようが、していまいが、私はもう王太子妃にはなれない。王妃教育も、合格の見えない淑女教育ももう意味がないのに。勝手なことを言わないで)
乱暴に扉を開けると、驚いたシャロンの顔が見える。
「カティお嬢様!?どうされたのですかっ」
部屋の中にふわりと甘い香りがしている。
物心ついたころから、傍にいてくれる信頼できる侍女。エカテリーナは彼女なら王太子の婚約者という立場がなくなっても、侯爵令嬢ですらなくなっても傍に居てくれるかもしれない。そう思うと、膝から力がぬけて扉の前にへたり込んでしまった。
シャロンは慌てて、扉を締めるとエカテリーナの横に膝をつく。
「お嬢様、カティお嬢様…本当にどうされたのですか?さぁ、立てますか。ソファに…今、お茶を淹れますね。お嬢様の好きなシフォンケーキも準備しているんですよ」
「ありがとう、シャロンも一緒にお茶を飲みましょう。…話したいことがあるの」
「かしこまりました。すぐにお茶を淹れてまいりますね」
お茶を淹れる香りが、部屋の中の甘い香りと合わさっていく。
(あぁ、シャロンのお茶の香りだわ)
ゆっくりとお茶を飲みながら、エカテリーナはシャロンに婚約破棄になったことを伝えた。
そして、提示されたこれからの選択肢について。
出来るだけ事務的に伝えていく。
シャロンは何も言わない。
ただ、膝の上で握りしめた手が白くなっている。
「そういえば、お父様から手紙を頂戴したのだった」
テーブルの上に置かれた、少ししわの付いた手紙に手を伸ばす。
開かれた手紙には「2日後、14時に面会を望む」とだけ書かれている。
愛想も何もない手紙だ。
いや、手紙というより事務連絡だ。
「シャロン、承知しましたと返事をお願いしてもいいかしら」
「…お任せください」
シャロンは手紙を受け取ると、恭しく頭をさげる。
窓から夕日が見える。
王宮の後ろに消えていく赤い光を見ながら、1週間後に私はどんな気持ちでこの夕日を見ているのだろうかと瞳を閉じた。
Next…
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