再会
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祖国を旅立ち、馬車に揺られる。
窓の外には金色の絨毯のような麦畑が見える。王都から出て数時間、私にとっては祖国を離れるどころか、王都を出るのさえ初めてだ。
せめて、今まで回復魔法を使った慈善事業のために訪れていた神殿にだけは寄りたかったが、それも許されなかった。
神殿では、聖女と呼ばれて貴族庶民分け隔てなく接することができた。神殿長は、時々あなたこそ正当な王位継承者だと言ってくるからそこだけ少し困ったけれど。
どうせなら聖女より母のように冒険してみたかったと、神殿に行くたびに訪れる冒険者たちに憧れを抱いた。
用意された馬車には、小さな窓が一つ。カーテンを開ければ外を見ることはできるけれど、恐らく外からは私を見ることはできない。馬車の中には、侍女が乗ることも許されず、私だけが乗せられていた。
(これじゃまるで、囚人みたいだわ)
馬車の中は広くて、座面も柔らかく乗り心地だけは良い。さすがに、王族が嫁ぐのにふさわしい体裁だけは整えられている。
「べつに、逃げ出そうなんて思ってないのにね……」
せめて、外の景色でも楽しもうと再び青い空と麦畑に目を向けると、握りしめていた空っぽな砂時計に光り輝く砂が現れた。
私は慌てて、馬車の小さな窓についたカーテンを閉める。ドキドキしすぎて口から心臓が飛び出しそうになる。そっと向かい側の席に砂時計を置くと、次の瞬間には目の前に一人の騎士様が座っていた。
私たちは黙って見つめ合う。黒騎士様は瞳を見開いて呆然としたようにこちらを見つめている。
こんな状況はっきり言って、騎士様を攫ってきてしまったようなものだ。
(不審者と思われていたらどうしよう……)
それでも、自然と私の口から一番気になっていたことについて言葉が飛び出す。
そう、もしも騎士様にもう一度会えたら確認したいことがあったから。
「良かった……。ご無事みたいですね?もう痛いところとかないですか?」
今日は、黒を基調にした騎士服を着ている黒騎士様。フルフェイスでも鎧姿でもない。怪我をしているようには見えなかったから、私はとてもほっとした。
先日はフルフェイスのため、見ることができなかったその素顔は、銀の髪とアメジストの瞳。血の香りの代わりに爽やかなハーブの香りが鼻を掠めた。
「あ……」
ようやく黒騎士様が言葉を発した。そして、強い力で私の手首を掴む。
「──君の名前は」
名乗りたいけれど、私はこれから人質として大国レイブランドに嫁ぐのだ。目の前の騎士様は、高貴な印象を与える服装や小物を身につけている。恐らく身分の高いお方のようだ。
名前を告げたところで、こんな微妙な立場の第三王女、迷惑にしかならないだろう。もし、騎士様に迷惑をかけたらと思うと、想像しただけで胸がキュゥと痛んだ。
それでも、名を呼んでもらいたかった。
「──ミアとお呼びください」
それは懐かしい母が、幼い私を呼んだ愛称だった。本名を名乗ることはできないけれど……。
黒騎士様が、フワリと微笑んだ。
「ミア」
その少し低い心地の良い声、その余韻がたぶん耳に永遠に残り続ける。
次の瞬間、馬車の中には再び私一人が取り残された。涙が頬を伝う。母が亡くなった時以来、流すことのなかった涙。
「あはは……おかしいな。悲しくなんてないはずなのに」
私の願いは叶えられた。たぶんこれが私の初恋だ。どんなに胸が苦しくても、この気持ちを知ることができたことを後悔なんてしたくない。
侍女たちが、時々出会う貴族令嬢たちが、恋の話を頬を染めてするのがうらやましかった。私は、ほとんど宮殿の外の世界を知らなかったから。
「この気持ちをずっと心にしまい込んでいれば、これからどんなことがあってもきっと生きていける」
きっと、もうこの砂時計を使うことはない。私はそう心に決めて、再び砂の無くなった空っぽの砂時計を荷物の奥底へとしまい込んだ。
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