魔女と砂時計
その夜、私は魔女を訪ねることにした。明日にはこの国を離れるから。
魔女と言っても、民衆が思うような悪ではない。美しい人もいれば、優しい心根の人もいる。ただ、誰よりも魔法への造詣が深く永いときを生きているというだけで。
魔女は悪、聖女は善という価値観が当たり前のこの世界で、私の価値観は、この世界のものとずれているのかもしれない。それは、母からの影響があるだろう。
今日会いに行くのは、聖女だった母が生前にお世話になっていた魔女だ。母は「どうしても困ったことがあったら頼りなさい」と言っていた。その良き魔女は対価さえ払えば、願いをかなえてくれるのだと。
「お母様も願いをかなえてもらったの?」
その質問に、母は笑顔で「そうね……愛する人とともにいることを叶えてもらったわ。そして、可愛い娘と暮らすことができた」とどこか儚い笑顔で答えた。そのすぐ後に、母は病で帰らぬ人となった。
それから、私は母ゆずりの回復魔法で慈善事業に関わりながら、第三王女としてできるだけ目立たないように生活してきた。
正妃の子である姉たちには辛く当たられることも多かったから、夜会にも最低限しか参加しなかったし、お茶会もめったに主催しなかった。
日陰の姫と呼ばれているのも知っていたけれど、本を読んで静かに過ごす、そして誰かのために回復魔法を使うことのできる日々が私は気に入っている。
きっと、将来は幼馴染の公爵家嫡男ジルベルト様と婚約して降嫁するのだろうと思っていた。
けれど、小国のアリアディールを取り巻く状況はそれを許さなかった。
アリアディールは、大国であるレイブランドと国境を接している。しかし、今回レイブランドから属国になることを求められた。小国であるアリアディールの軍事力では、レイブランドに対抗することなどできない。
表向きには友好の証、実際は人質としてまだ婚約者のいない私は、年老いたレイブランド王の側妃として嫁ぐことになった。
明日、私は隣国へと嫁ぐ。これは、国民のためにも我が国の存続のためにも避けることができない決定事項だった。
「お母様が生きていたら、何か違ったのかな」
私はため息を一つつく。魔女に明確な願い事があるわけではない。それでも、少しだけ誰かに話を聞いてもらいたかった。魔女は秘密を必ず守ると聞いていたから。
魔女の住まいは、招かれるものだけが訪れることができる。母に貰った銀の栞。部屋から人払いをしてそこに血液を一滴だけ垂らすと目の前に古びた扉が現れた。
私は、ゴクリとのどを鳴らして扉を開く。
「やあ、いらっしゃい。そろそろ来ると思っていたよ。以前あった時は赤子だったから、はじめましてかな。ユーミア姫」
深くフードをかぶった魔女は、お伽噺そのものの姿だった。
長い漆黒の髪がフードから見える。第一印象では年老いていそうなのに、若い女性の声だった。
「あの……願い事があるわけではないんです」
「魔女は何でも知っているよ」
フードの中から「ふふっ」と楽しそうな笑い声が聞こえる。
「聞いてほしいことがあるのかな?」
「……笑わないでくださいますか?私、まだ恋をしたことがないんです」
そう、この世界で過ごした十六年だけではなく、前世から含めても私は恋をした経験がない。
魔女は笑ったりしなかった。フードを深くかぶっているから、その表情は見えないけれど真剣に私の話を聞いてくれた。
「君の母君は、かわいらしい人だった。それに、聖女になってからも側妃になってからもいろいろとお世話になった。赤ちゃんの頃のユーミア姫も見せに来てくれてね」
「母は、魔女様のおかげで愛する人と暮らすことができたと感謝していました」
「……ほんの少しだけ、手助けしただけ。あとは君の母君が自分でつかみ取ったんだよ」
魔女は、遠くを見つめるようなしぐさをして呟いた。
「さて、私から結婚祝いをあげる。対価はすでに君の母君からいただいているんだ」
「え……?お母様が」
「そう、聖女である君の母君は、君の未来を知っていた。だから君が生まれた時に対価を差し出して願い事をしたんだよ。ユーミア姫が幸せになれるように手を貸してほしいと。いや、それにしたってドラゴンの素材一体分は貰いすぎだって言ったんだけどね?」
母が父である国王陛下の側妃になるまでは聖女をしながら、冒険者としてドラゴン討伐にさえ参加していたというのは本当のことだったらしい。
「本当なら正当な王位継承者の資格を持つ君の力を隠すのも、君の母君に頼まれてしたことだ」
なんだか不穏な言葉を聞いた気がする。
王位継承者?母は聖女と言っても平民なのに。疑問は残ったけれど、母の若い頃の話が聞けただけでも、ここを訪れて良かったと思えた。
「さ、魔女からの贈り物は幸せを運ぶこともあるけど、場合によっては大きな災いを運ぶこともあるんだ。それでも、受け取るのかな?」
「魔女様……。母からの贈り物、受け取ることができるだけでこんなに幸せなことはないです」
「そうだね。私と君はどこか似ている……。君の幸せを祈っているよ」
その瞬間、魔女がフードを脱いでこちらを見つめた。漆黒の髪と瞳、象牙の肌。優しい微笑み。
魔女が差し出したのは、砂の入っていない空っぽの砂時計だった。
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