幕間 付録② ダール
私は商家に生まれた。
家はそこそこ豊かではあったが、富豪と呼べるほどではない。
しかし政略結婚で許嫁が定められるくらいには力のある家だった。
私は15で結婚した。
仕事は順調。子供も一人もうけ、私の人生は世間でいう幸せに当てはまるものであった。
私が二十歳の頃だ。
娘が急に私を避けるようになった。
私が二十五の時には娘は明らかに私を毛嫌いし、汚物を見るような眼を向け、言動でも私を見下すようになった。
娘と話す機会を取らなかったからだろうか。
確かに私は仕事を中心に生きてはきたが、それでも娘に嫌われる言動をした覚えはないし、そう思われるようなことをした自覚がない。
これは改善しなければと思ったが、その時にはすべて遅かったようだ。話し合いを試みたが全て拒絶されてしまった。
娘の年齢を思えば仕方のないことかもしれない。多感な時期だ。無理に機会を設ける事には私にも戸惑いがあった。
娘が父親を避ける時期というのはどの家庭にもある事だと同僚は言っていたし、私もそうなのだろうと思っていた。
私が三十になる頃。妻の浮気が発覚した。
かけられた疑惑を解くため方々に――自分に愛人がいないことを立証する――証拠集めをさせた経緯で、逆に妻の不貞の証拠をつかんでしまった。
妻は妊娠していた。子供は私の知らない男の種によるものだ。
自分の浮気がばれる前に四方に手を回し今回の訴えの準備を整えていたらしい。
政略結婚をした妻は子爵家の令嬢である。嘘の証拠だけでなく嘘の証言にまで手抜かりがないというのは子爵家が噛んでいるということだろう。
私が雇った者は少し優秀過ぎたようだ。そろえられた資料の中には、娘がその間男の子であるというものまで存在した。そしてそれを最後に手を引いてしまった。
娘は妻に似ている。妻は美人だから私に似なくてよかったと思っていたのだが。
妻は私が仕事で家を長期留守にする理由を、愛人宅に住んでいるからだと娘に言い聞かせていた。
通りで娘の態度がおかしかったわけだ。私は得心した。
全てを理解した私は全ての財を妻に差し押さえられ職を失った。
私の実家も私を勘当した。子爵家に対する詫びに奔走していた。
私に残されたのは手持ちのわずかな金やら衣服やらのみ。
順風満帆に生きてきた私には、つらく思える仕打ちであった。
自暴自棄になり荒れたが、酒に逃げるにも金銭がなかった。
地元での商売は根回しされているため手を付けることができない。
私は地元から逃げた。
このまま地元にいれば子爵の手によって何かしらの冤罪に処される可能性すらあった。
何の備えもないままの放浪。
いつモンスターに襲われてもおかしくない。
私は王都を目指していた。
街道沿いならば危険も少ないだろうと思ってのことだ。
だが、私の思惑は簡単に外れた。
放浪を始めて三日目の深夜、私はドーヴェンウルフの群れに追いかけられていた。
奴らは慎重だ。一頭だけが突出して突っ込んでくることはない。
得物が逃げ疲れたところを一斉に襲うのだ。
商人だった私に長時間魔物から逃げ続ける身体能力などなかった。
やがて私は魔物に追いつかれ、身体のあちらこちらを噛みつかれた。
何頭に噛まれたかはわからない。そこで気を失ってしまったから。
恐らく私は、そこで一度死んだのではないかと思う。
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私は朝日のまぶしさに目を覚ました。
街道から少し外れた場所で、シートに横たえられていた私の身体は大量の包帯に巻かれていた。
「よかった。治療は苦手分野なのでうまくできたか心配だったんですが」
少年が屈託なく笑う。
娘と同じくらいの歳に思えた。
それが私の、まだ駆け出しだった勇者アトラスとの出会いだった。
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魔王を倒すなどバカげていると思った。
子供の読む物語か、あるいは満足な教育の受けられなかった貧民の一発逆転を狙った無謀な宝探しか。
しかし私は、アトラスという少年に興味を持った。
そのどこまでも純粋な瞳に、名状しがたい畏怖のようなものを感じていた。
魔物を悪と断じ、世のため人の為正義を成そうという彼の弁には少々の危うさを感じながらも、その純粋さが私には輝いて見えたのだ。
その何かを信じ切る純粋さは、私にはない。
政略結婚であったとしても、私は妻をそれなりに愛していた。
娘だって目に入れてもいたくないほどだ。
だが純粋に愛していたかと問われると自信がない。
思い起こせば私は仕事中心の人間だった。純粋に愛していたと言い切れるほど、私は彼女を喜ばせるようなことをしてこなかった。
彼女の影にいた男の存在に私が気づけなかったのは、よく考えれば私が彼女と向き合う時間を取らなかったからだ。間男を必要とするくらい彼女の心に隙間を作ってしまったからだ。
妻は私にとって、名ばかりという関係ではなかった。彼女は肌を合わせなかった他人ではない。娘が出来て当然と思えるくらいにはそういう営みもあった。
私が妻に最初から騙されていたと周りに言われようとも、事実全てを奪われ追い出され命まで脅かされることになろうとも、だからこそ私は復讐の選択を捨て、その場から去った。
全ては自分が悪いのだ。結婚したから夫婦であり続けられるなどという何の根拠もない妄想を疑うことなく妄信していた私が、自らの愚かさを悔いこそすれ、彼女に彼女の不倫の責任を求めるなど滑稽に思えた。
彼女に振り向いてもらう努力を怠ってきた私には、一方的に不倫が不義だとは言えなかった。
願わくば彼女には幸せになって欲しい。私との今までの時間を取り戻せるくらいには。
私は二度と彼女の前に姿を晒すまいと誓った。
そしてそんな人間としてどうしようもないクズな私だ。この件はこれでは終わらない。彼女への気持ちには整理をつけたが、自分に対する自分への怒りは収まらない。
私は私のような人間を産み出した世の中を恨んでいた。
のほほんとした自分でもそれなりに生きていけた、与えられるだけの裕福さを恨んでいた。
世の中を知っていればこんなことにはならなかった。教育さえあればこんな悲劇は避けられた。
そういうものがなかったこの世界を、私は憎んだ。
アトラスは魔王を倒して新しい世界を作りたいと言っていた。
私も新しい世界を作りたかった。誰もが思いやることの意味を学び、誰もがいたわり合うことの意味を知る新しい世界を。
そのためには、今の世界では駄目だ。
私には今の世界のシステムが認められない。世襲する特権階級という存在が認められない。富の自動継承など害悪以外の何物でもない。
それらを破壊するために、私はこの年若い男を利用しようと考えた。
あの若さでドーヴェンウルフの群れを一人で撃退した能力。
魔王討伐を口にするだけある。その潜在能力は計り知れない。
正義を掲げ理想に燃える青さも良い。まさに勇者然としている。
そしてなにより、私の命を救ってくれた慈悲の深さには、真心がある。
もし私が年若い乙女であったなら救助は当然のことだったろう。しかし私は見た目浮浪者の中年である。
弱きを助けたいというその高潔な精神に偽りがないという証だ。
――この男を旗手にして世界の変革を成す事は可能だろうか。
違う。
可能だろうか、ではない。
成すのだ。このチャンスをつかむのだ。
私は世界を変える。この男を頂点に据えて、世界に溢れる暗い無知を晴らし、本当は単純である平和の本質を世界にかざして見せる。
私は胸に刺さった後悔による痛みを癒さんがために、優しい世界を求めた。
貧民の一発逆転を狙った無謀な宝探しに、私は手を伸ばしたのだ。
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「聖下」
「あぁ。すまない。眠ってしまったか」
「お疲れのところ申し訳ございません。そろそろ評議国です」
馬車の中。
頭を下げたのはダールの正面に座るのは色白な美しい女性だ。
それに対し、彼は女性の肩に優しく手を置くと頭を上げさせ、軽く首を振る。
「謝りたいのはこちらだ。国元から引き離すような真似をしてすまないと思っている」
「何をおっしゃいます。政略結婚とはいえ私は聖下にお仕えする身となったのです。聖下のいる場所こそ私のいるべき場所ですわ」
「……そう言ってもらえると助かるが、君には不自由をさせたくない。私を助けると思って忌憚なく何でも言って欲しい」
「今の私には不満など何一つございません聖下」
政略結婚。その言葉にダールは少しだけ過去を思い出す。
今回の政略結婚はあの時とはまるで違う、本当に形式だけのものだ。
けれどそんな事情など関係なく、暗い記憶はどうしても呼び出されてしまう。
特に娘の、自分に向けられたあのヘドロを見るような眼は、どうしても忘れさることができない。
血のつながりのない赤の他人だと分かっていてもだ。
「討伐し損ねたフロストドラゴンロードの捜索についてはどうしても評議国の協力がいる。そのための交渉材料はそろえたが粘られると厄介だ。手負いのドラゴンが何をするか見当もつかない。早期対応のため君にも動いてもらうが、決して無理だけはしないで欲しい」
「わかっていますわ。私、あなたのお役に立てることが嬉しいのです。必ずやご期待にこたえてみせます。大丈夫です。多少手荒なことが起こるかもしれませんけれど私は大丈夫ですので」
「……あぁ、そうか。ほどほどにな」
頬を紅潮させる女性を見ながら、ダールは内心に呟く。
(どこか狂信的な所は、姉妹ということなのだろうか)
ダールは魔王なき世界を混沌に陥れる可能性「竜王」の誕生を危惧して、秘密裏に動いていた。
この馬車での評議国への訪問は、その可能性に一番近いと思われる悪竜フロストドラゴンロードへの対策の為である。
同時刻、王都では悪魔王が今まさに襲撃を始めようとしていたのだが、彼にそれを知る由はなかった。




