烏女女王の里帰り ②-2-1
道なき道を進む。
上も下もない三百六十度の夜空の中を歩く。
迷子にならないようディオネの手を取ると、彼女はもう片方の手を俺の手に添えた。
「ご主人様。先ほどの血を集める魔術は何なのでしょうか」
まるで子供の手だな。などと思っていたら恋人繋ぎに変更してくる女ディオネ。
読心術の心得でもあるのだろうか。
そこはかとなくオンナであることをアピールしてくる似非幼女。
お前は幼稚園でもそんな手のつなぎ方をしていたの? いやいや、この女は成人だったな。見た目に騙されてはいけない。
「ブラッドプールの事か? あれは昔倒した吸血鬼モドキから奪ったスキルだ。魔力を集めるのに使っていたので試してみた。初めて使ったがうまくいったな」
「はぁ。あの、その吸血鬼モドキというのはもしかして、始祖ジュラの事でしょうか」
「ジュラ……そんな名前だったか。最初は無視してたんだが、魔王の支援をしだしたみたいだったので倒した」
「……不老不死の存在と聞いていたのですが」
「本人もそんなことを言っていたがどうなのだろうな。塵にしたら復活しなくなったから死んだんじゃないのか?」
あいつ不老不死だったのか。五体をバラバラにしても砂になって、そこから自分の身体を復元するからめんどくさい奴だなとは思ってたんだ。
あんまりうっとおしいから対魔王用大儀式魔術――〈積層型原子核破壊方陣〉――で砂粒より細かい塵にして片づけたんだけど、不老不死ならあれで倒せたかはわからないな。もしかしたらどこかで生きているかもしれない。
「まぁ、俺の前に立ちはだかるならまた倒すだけのことだ。奴が今どうしていようとどうでもよい」
「さすがはご主人様です」
心なしかディオネの指に挟まれた指が締められた。
そして汗ばんできた。
ちょっと手を放してもらってもいいですかね、気持ち悪いんで。いや駄目か。次元回廊で迷子になられると面倒くさいことになる。我慢するほうがマシか。
なんて思っていると。
――ん? 警戒圏に何か突っ込んできたな。
「止まれディオネ」
時速四十キロでこちらに突っ込んでくる生き物の気配。
スキルで個体を解析する――種族名は――――アラクネ。
蜘蛛か。回廊を縄張りにするとは。かなりの上位種に違いない。
「ディオネ、その辺をさまよっていろ」
「え?」
シャボンのような虹色の球体に体を包まれたディオネが宙を飛ぶ。
その一瞬後、何十もの矢じりがディオネのいた場所の足元に突き刺さり、消失した。
想定以上の攻撃範囲だった。余裕をもってディオネを守ったつもりがギリギリ間に合ったていとなった。
――レベル五十以上は確定だな。
この虫もどきが。先手必勝一撃必殺とはなかなかのセンスじゃないの。伊達に回廊を縄張りにしてない。
「ご主人様! あれはかつて神により封印された亜神で――」
「喋るな! 的になるぞ!」
俺にぴしゃりと言われておろおろする烏女。ぷかぷかと浮かぶディオネ玉。
説明を聞いてやれる時間はない。
迫りくる蜘蛛は全長五メートルはあろう巨体。こんなのに取り付かれたらひとたまりもない。
俺自身も宙を飛び、蜘蛛との距離を保つ。
「念のため問う。お前は回廊侵食者か?」
『邪魔ョニンゲン。妾ハ世界樹ニ用ガアリンスェ』
取り囲まれる気配。
直後、何かが飛んできた。
――〈幻影回避〉――
俺はとっさにスキルを発動させた。
俺がいた場所を交錯する複数の矢じり。しかし矢じりは俺をとらえることなく空を切り地面に刺さると光の粉になって消える。
『オンヤ?』
矢じりが俺に刺さった瞬間その姿が掻き消えたことに蜘蛛は驚いたようだ。
『実体ガ無イデアリンスカェ?』
今度は広い範囲に殺気がばら撒かれる。範囲にはディオネも含まれていた。
無差別範囲攻撃を躊躇なく選択するとかこの蜘蛛は一騎打ちの様式美をわかってない。これでは変身シーンを待たずにカメラのフレーム外から主人公を攻撃してしまうボランティアエキストラのようではないか。俺が低予算民放番組制作会社の監督だったら泣いているところだ。
「どうやらお前には我が眼前に立つ資格がないようだ。今すぐ帰らないというならここがお前の墓場となるが、構わないか?」
『アラ、ナンザンス? コノ塩次郎、楽シイ事イワスデアリンスネェ』
蜘蛛は笑いながら走ってくる。距離が近づくにつれその全体像があらわになっていく。
巨大な蜘蛛の上に小さな女性の上半身が乗っている冗談のような姿。
ケンタウロスや人魚の類だろうがバランスが違いすぎる。戦車から上半身を出している少女のような構図だ。【これが本当のアンツィオ戦です】さながらである。
『ニンゲンニ、コノ実力差ヲ詰メル手段ガアリンスカェ?』
「って、おい、おい待て! なんで?!」
襲い来る矢じりの雨を回避しながら俺は叫ぶ。
『アレ見ナンシ、ニンゲンガ飛ビイシタヨ。器用ニ躱スモノデアリンスネェ』
「……いや、俺のことを忘れたというよりは、意識が正常じゃない系か」
俺はひとまず事態を収めるべく専守防衛をやめ、攻撃に転じる。
「良く言った女郎蜘蛛。吐いた唾は呑めぬぞ。その言葉を後悔しながら滅ぶがいい。『〈おれに対してナメタ言葉を使うことでおれの怒りが有頂天になったこの怒りはしばらくおさまる事を知らない〉』」
アクロバットな動きで矢じりを回避し続けていた俺はその動きを止め、勇者のみに使用を許された聖なる呪文を高らかに詠唱する。
聖ブロントの聖句を唱えた俺の両手にキラキラと乱反射する七色の聖粒輝が灯った。
――〈太極術〉――〈墨染言葉〉――
『〈頭が高い! 控えおろう!〉』
スキル発動によって今まで猛烈な速度で飛び回っていた矢じりが一斉に宙で止まる。
蜘蛛は疑問の表情を浮かべつつ、手を今までとは違う風に四方に振り始めるが状況はなんら変化しない。矢じりはピクリとも動かない。
『動キナンシ! 妾がワカラナイデアリンスカ! アッサル!』
「なんだ、動かしたいのか? ならば望み通りにしてやろう」
俺は左手を前方横一文字に振るった。それによりキラキラの光が前後左右へと飛び散り拡散していく。
光の粒が矢じりへと届くと、それらは穂先をくるりとひっくり返した。
『〈行け〉』
その一言で矢じりは元の主へと殺到する。
『ィェ? ド、ドウシタデアリンス! グアアァ! ナ、ドウシテッ?! ヤメッ、イタイ! クゥッ!』
矢じりが蜘蛛の巨体へと滑り落ち、突き刺さり、貫通し、宙へと舞い上がる。
八本足をジタバタさせ逃げ惑う巨体。しかしいかんせん的が大きすぎ回避は不可。
矢じりはザクザク蜘蛛に刺さっては宙に戻る。
そして再び蜘蛛へと飛ぶ。
蜘蛛の胴体にはちゃんと痛覚があるようで、矢じりが蜘蛛を突くたびに人部分の口から何度も絶叫が上がった。
蜘蛛がしきりに矢じりの再制御を試みているようだが効果はない。
蜘蛛の使用する武装は人間なら触れただけで干からびるといわれる神器級の概念魔槍・ゲイアッサル。投擲することで30の矢じりとなり敵を穿つという厄介な特殊能力を備えている代物だ。
だが勇者の権能を用いて遠隔操作術の制御力を奪う反粒子制域(GPCM)の展開を完了した時点で、蜘蛛の攻撃手段は既に奪取されている。




