6 祭りの影で
意気込みはむなしく、結果は芳しいものではなかった。
というのも、デメティエル大神殿を訪ねたところ、最近貧民街で火災があって、大神官様はじめ、主だった神官様は怪我人の救護に出かけているそうだ。
数日もすれば落ち着いて、どなたかは戻ってくるだろうと言われたけど、三日後には皇王陛下の誕生祭が始まってしまう。お嬢様たちも出かけることは難しいだろうし、こういったおおきな祝祭のときは、神殿はどこもバザーや炊き出しをしたりと忙しいはずだ。
そんな場所に、お嬢様たちを連れて行く事なんて、旦那様が許すはずもない。
神殿の方なら、誰に相談してもいいものなのかしら?
ううん、貴族のお嬢様が悪魔に憑かれただなんて、外聞が悪すぎる。あまりおおっぴらにはしたくないのは、お嬢様達だって同じはずだ。領内ならまだしも、皇都でそんな噂が広まったら、たとえ悪魔を追い出すことができたとしても、マリアベルお嬢様の将来が台無しになってしまう。
「いったい、どうしたら……」
泣きたい気分で、せめてお嬢様たちのための軽食を用意しようと神殿前の通り沿いに並ぶ屋台で買い物をした。平たいパンにハムとチーズを挟んだ軽食と、干し果物。瓶詰めの果実水。
それらを抱えて、皇国中央図書館へと戻る。
だけど正午の鐘が鳴っても、お嬢様たちは約束の場所に姿をあらわさなかった。
どうしたのだろうか。キャスリーンお嬢様は生真面目で、時間を間違えたりすることはないのに。
中で何かあったのだろうか。
どうして私は中に入れないのだろう。
「お嬢さん、どうしたんだい」
今にも泣きそうな気持ちで、図書館の正面入り口の前をうろうろしていたら、不思議そうに声をかけられた。思わず振り返れば、背の高い、若い男性が私を見下ろしていた。柔らかい笑顔で、屈託のない口調。でも腰には剣を帯びているし、服装も騎士の制服のようだから、騎士様なのだろう。
「あ、えっと、あの……。お、お嬢様たちと待ち合わせをしてるのですが、時間になってもいらっしゃらなくて」
「ん、ああ。そういうことか。他にご主人たちに誰かついている?」
「いえ、今日は私だけがお付きだったんです。私じゃ中まで入れないことを知らなくて……」
「なるほどね。ここも相変わらず融通がきかないな。どうせ持ち出し禁止なんだから、付き添いくらい平民も入れてやればいいのに……。うちのお嬢様も創設理念に反する規則だって文句つけてたなぁ」
「え?」
「いや、こっちの話。それで、君のお嬢様たちの特徴は? 見かけたら、君がここで待ってるって伝えておいてあげるよ」
「あっ、ありがとうございます!」
親切な騎士様にキャスリーンお嬢様とマリアベルお嬢様の年齢と、背格好、髪色などの特徴を教えたら、少しびっくりされた。
「そんなにちっちゃい子たちだけで入ってるの? 君だって子どもなのに、護衛もいないんだよね?」
「は、はい……」
護衛なんて、ランドン男爵家では雇ったりしたことはなかったはずだ。港の水夫が力仕事を手伝ってくれたりすることはあるし、庭師はいるけど。馬車の御者は男性だけど、行き帰りの送り迎えだけが仕事で、流石にずっとついてくることはない。
「そりゃ心配だな。気をつけて見ておくよ」
「ありがとうございます」
出入り口でうろうろしていると危ないから、下がっていなさいと言って、騎士様は図書館に入っていった。
キャスリーンお嬢様とマリアベルお嬢様が出てこられたのは、それからしばらくしてからのこと。私が会った騎士様に声をかけられるまで、おふたりとも正午の鐘が鳴ったことに気付いていなかったそうだ。
それほど熱中して情報を探していたお嬢様たちだったけれど、残念なことにあまり有力な情報は見つけられなかったようである。
落ち込むお嬢様たちを元気づけようと、私は買ってきた軽食を見せて、庭園へと誘った。ピクニックの間だけは、お二人の笑顔が見られることを願って。
***
問題を解決する糸口すら見つけられないまま、皇王陛下の聖誕祭が始まった。
今日から三日間、皇都ではお祭りが続き、宮廷では毎夜舞踏会が開かれるのだ。ほとんどの貴族が三日間この舞踏会に参加するから、宮廷は大変賑やかになる。城下のいたるところで屋台が出て、大道芸人や踊り子が歌い踊る。とくに夜市は、普段戦闘以外で魔法を使うことのない宮廷の魔法使いたちが小さな通りにも魔法の灯りを灯してくれるので、まるで昼間のように通りは明るくなり、皆この世の春とばかりに浮かれ騒いでいる。
ランドン男爵家の小さなタウンハウスにも祭りの喧噪が届いてきて、楽しげな空気が遊びにおいでよと誘っているかのようだ。
だけど、私は外に行くことはできない。
旦那様は幼いお嬢様たちに外出の許可など出されなかったから、キャスリーンお嬢様もマリアベルお嬢様も出かけることなどできないのだ。
……もっとも、あの悪魔は、マリアベルお嬢様の身体で、今日も勝手に夜中に外出するのだろうけれど。
昼間にマリアベルお嬢様がおずおずと教えてくれたことには、夜、あの悪魔が活動しているのを、夢を見るかのように断片的に覚えているのだということだった。夜に強くない私たちは気付いていなかったけれど、一体何をどうしたのか、あの悪魔は誰にも気付かれないように夜間に外出していた。
よくよく観察していると、どうも従僕として最近雇われたトマスという少年に協力させているようだ。ランドン男爵家は下級貴族にしては裕福な方だけど、流石にこの小さなタウンハウスにいくつも馬車や馬を置いておけない。だから、旦那様たちが出かけているあいだ、屋敷に馬車なんてない。
でも祭りの時期の皇都は、遅い時間でも貸し馬車があちこち走っている。トマスにそういう馬車を捕まえさせて、出かけているみたいだった。
そうして出かけた先で、悪魔は誰かに会っている。その相手は、マリアベルお嬢様の知らない大人の男性や女性ばかり。でもその中に、デメティエル大神殿の神官服を着た男性がいて、虚ろな眼で悪魔に向かって何か書物を見せながら話していたという。
その話を聞いて、私はひどく厭な予感がした。
私たちが、マリアベルお嬢様の中から悪魔を追い出そうとしているように、あの悪魔もマリアベルお嬢様の身体を完全に乗っ取る方法を探しているのに違いない。
夜中に幼女と会って、書物を見せて話をする神官、だなんて。やっぱりデメティエル大神殿にはあの悪魔の手先が潜り込んでいるのだろうか。そうなると、神殿に助けを求めても無駄なのではないか?
別の、他の神様の神殿なら、助けてもらえるだろうか。
悶々としたまま、誕生際の最終日、私は夕方から街へと繰り出した。
誕生祭の間、使用人にも順番に休みが与えられたのだ。お嬢様たちを置いてひとりで遊びに出かける気分ではなかったけれど、キャスリーンお嬢様には、皇都に来てからも、旦那様の命令で質素にもほどがある食事しか与えられていない。
昼間ですら、祭りに出かけることも許されていないお嬢様の為に、何か珍しいものや美味しいものを買って帰ってさしあげたかった。
わずかながらの給金を懐にかかえて、皇都の大門から続く中央大通りを歩く。ひしめくような人混みに、ひどく困惑した。こんなにたくさんの人が集まるのを見たのは初めてだ。やっぱり祭りの最終日ともなると随分混み合うらしい。
広場では吟遊詩人がここ最近町中でよくきく詩をうたっていた。テユール、という題の、皇都で流行りの演劇の元になった詩だそうだ。
悪逆非道な父親の謀略によって、殺されたかけた幼い姉弟が、優しい神様に救われるお話。
はじめてその詩をきいたとき、思ったのは「羨ましい」だった。
その姉弟のように、私のお嬢様たちも、誰か救ってくれないかしら。供物を捧げろというのなら、私にできることなら、なんだってするのに。
演劇は先日最終日を迎え、どの劇場でも公演は終了したそうだから、もうその劇を見ることはできないだろう。結局お嬢様たちに見せてさしあげることはできなかったけれど、逆に良かったのかもしれない。
物語の中の姉弟と、自分たちとを比べなくてすむのだから。
「あわやこれまでかと膝をついた幼子たちは、
遠くきこゆる魔鳥の声に身を震わせた。
あわれ無垢な子ら、雪花とともに散りゆくか。
されどそのとき顕れたるは、雪よりもなお白き気高き狼――……」
きゅ、と両手を握りしめて、私は広場を後にした。
人混みをかき分けて走り、人気のありそうな屋台を探す。少しでも良いものを、と大通りを端から端まで歩き回っていたら、随分と時間がかかってしまった。
野うさぎの串焼きのお店は、串焼きならここが一番だと有名らしい。ただの塩焼きじゃなくって、高価なスパイスで味をつけているそうだ。それから、林檎のパイ包み。私のお給金で買えるものは限られているけれど、お祭りだからか、どちらもそこまで高くはなかった。
まだ熱いそれを抱えて、タウンハウスへと急ぐ。
もうすぐ陽がくれてしまう。今からでは、タウンハウスにつく頃にはマリアベルお嬢様はもうあの悪魔に乗っ取られてしまっているかもしれない。
美味しいものを食べさせてさしあげられないのは残念だけど、これはキャスリーンお嬢様に食べていただこう。少しでも温かいうちに食べて欲しくて、私は途中から人混みをかき分けながら走っていた。
そうやって急いだ甲斐があって、まだ温かいうちに、キャスリーンお嬢様にお土産を差し入れることができた。串焼きなんてお嬢様が食べるようなものではないかもしれないけれど、とても美味しいと喜んでくれて。
林檎のパイ包みは、貴重な蜂蜜で漬けこんで煮た林檎がさくさくのパイに包まれていて、びっくりするほど美味しかった。
マリアベルお嬢様にも食べさせてさしあげたかった。私もそう思ったけれど、キャスリーンお嬢様も食べ終わったあとに、寂しそうにそうおっしゃっていた。
それでもこの日は、キャスリーンお嬢様もいつもよりは表情が柔らかくて。私のお土産が、少しは役に立てただろうかと思えば嬉しくて。
ほんの少しだけ、いつもより良い夜だって。
そう、思っていたのだけれど。
悪意が日常を壊すのは、本当に一瞬のことなのだと。
この日、私は思い知ることになる。