5 暗中模索
ランドン男爵家は先代様の頃に財力を持ち、下級貴族にしてはかなり裕福な家になっている。とはいえ、残念ながら皇都に持っているのは小さなタウンハウスだけだ。本当はお屋敷を買いたいのだということは聞き及んでいる。だけれど良い区画は高位の貴族に買い占められていて、空きがないそうだ。
そんなわけで、狭くて古いタウンハウスを、都度修繕して利用している。キャスリーンお嬢様がここを訪れるのは、これで二回目だそうだ。私が雇われてからは、初めてのことだった。長い旅は危険が伴うから、子連れで旅をするのを旦那様たちが嫌がったのだろう。私にとっては初めての皇都だから、本当なら物珍しさに胸が躍るような出来事だったろう。キャスリーンお嬢様のメイドとしてついていくだけで、遊びに行けるわけじゃないけれど、初めての大都市に興味を持たないわけがない。
それはあまり領を出ることのないキャスリーンお嬢様だって、同じはずだった。
だけど今の私たちにとって、物見遊山にひたることは許されない。
マリアベルお嬢様から悪魔を追い出す――その方法を探し出さなければならないのだから。
神殿に駆け込んで、助けを求めることも、もちろん考えている。
だけど、それは様子を伺いつつ慎重に見極めることになった。それというのも、もしかすると神殿にもあの悪魔の手先がいるかもしれない、と思いついてしまったせいだ。
だって、マリアベルお嬢様は冬の間の、二ヶ月のことを覚えていないのだ。その間も神殿にいたはずで、それなのに誰もマリアベルお嬢様に悪魔が憑いていることに気付いていなかったのなら……。
誰か、悪魔に協力している者がいるのかもしれない。
神殿の神官様を疑うような考えだから、そうそう吹聴することもできないし、誰にも相談できない。だから慎重に様子を伺うしかないと、キャスリーンお嬢様はおっしゃっていた。
道中の馬車の中は、キャスリーンお嬢様にとってとても複雑な気持ちになる環境だったろう。マリアベルお嬢様と同じ馬車に乗れたのは嬉しい。けれど、すっかり冷え切った関係になった両親も同乗しているとあっては、苦痛であったに違いない。このところキャスリーンお嬢様とろくに会話もできていないマリアベルお嬢様だって、気まずい思いをしているはずだ。
私は使用人用の荷馬車の中で、ずっとお嬢様たちのお心を思っては気を揉んでいた。
旦那様としては、馬車を分けてしまいたかったに違いない。奥様のことも、領地に置いていきたかったはずだ。
だけど、マリアベルお嬢様を家に迎えて、キャスリーンお嬢様の縁談を調えようというときに、母親がいないというのもいかにもまずい。貴族にとって妾を囲うのが珍しいものではなかったとしても、突如現れた婚外子など、社交界で面白おかしく噂される類いの醜聞に違いない。
あまり家庭内不和を喧伝するのも体面に響くし、伯爵家出身の奥様の方が、旦那様より高位貴族に顔がきくのだから、社交の場では隣に居て貰わなければ困るのだろう。
あれほど非のない奥様を、ろくな子どもを産めなかったなどと罵っておきながら、奥様のご実家の権威は利用したいというのだ。旦那様の浅はかさ、卑しさは留まるところを知らないらしい。
皇都の大門をくぐると、それは賑やかな様子だった。
通りには人が溢れ、道沿いに屋台や出店が並んでいる。食べ物や飲み物を売り歩く行商人の声が飛び交い、家々の窓辺には花が飾られていた。
――もうすぐ、皇王陛下の誕生祭が開かれるのだ。
旦那様が皇都行きを決めたのも、誕生祭の舞踏会に招待されからである。もちろん、まだデビュタント前のキャスリーンお嬢様やマリアベルお嬢様はこれには参加されない。そのかわり、誕生祭の前後に色んな貴族家のタウンハウスでお茶会が開かれるので、それに参加しなくてはならないのだ。
一年のうち、この誕生祭の時期は皇国のほとんどの貴族が集まるから、社交界のもっとも賑やかになる時期でもある。
混雑の中、馬車はゆっくりとランドン男爵家のタウンハウスへと向かう。
「いらっしゃい、いらっしゃい、よってらっしゃい見てらっしゃい! 今や皇国一の人気演目、コーデリア一座のテユール! もうすぐ上演時間だよっ!」
「グランドコーゼ劇場だ! 急がないと立ち見席までうまっちまうよ!」
ひときわ元気な声は、演劇一座の関係者だろうか。大通り沿いの大劇場前はひどい混雑だった。どうやら随分人気の劇らしい。
……もしも、かなうことなら、キャスリーンお嬢様とマリアベルお嬢様をお連れしてさしあげたい。悪魔に怯えるだけでなく、楽しい思い出を作ってさしあげたい。……メイドの給金で、なんとかなるものなのかしら。
あとで調べてみようと、こっそり心にとめておいた。
どうか、どうか……。お嬢様たちがまたなんの憂いもなく笑い合えますように……。
***
皇都についたその晩から、旦那様はさっそく社交のために出歩くようになった。夜会に出かけたかと思ったら、明け方近くに帰ってきて、昼過ぎに起きて茶会へとでかける。社交シーズンにはよくあることらしい。
奥様は大事な夜会などは旦那様と共に出かけられるけれど、帰りはほとんど別だ。昼間はほとんど旦那様とは別行動で、古くからの友人たちのタウンハウスを訪ねたり、茶会に参加したりと出歩いている。領地の屋敷ではふさぎこんで部屋に閉じこもりっきりだったけれど、愚痴を言える同年代の友人がいるおかげで大分気持ちを持ち直してきたようだった。
その間、キャスリーンお嬢様どころか、マリアベルお嬢様も放っておかれがちで、これはお嬢様たちにとっては幸いだったろう。マリアベルお嬢様が旦那様にねだる形で、外出の許可が下りたのは、滞在三日目のことだった。
行き先は、皇国中央図書館と、デメティエル様の大神殿だ。
中央図書館は、貴重な書物を集めていることから、貴族か特別な許可証を持っている者しか入ることができない。その為、マリアベルお嬢様はデメティエル大神殿のすぐ横にある中央図書館に、一度も入ったことがないのだという。一度入ってみたかった、という愛娘の願いを、旦那様はあっさりと許可した。
キャスリーンお嬢様が同行することには難色を示されたけれど、私がしっかりと見張ると約束することでなんとか許されたのだ。
見張ったりなんかしなくたって、キャスリーンお嬢様が妹をいじめるわけがないけれど。悪魔によって嘘を植え付けられた旦那様にとっては疑わしいことこの上ないのだろう。
「まぁ、あそこはあらゆる貴族の眼がある場所だからな。そんなところで騒ぎを起こせば、淑女としての未来などないようなものだ。くれぐれも大人しく見学してきなさい」
「はい、ありがとうございます、お父様」
父親に冷え切ったまなざしでそんなことを言われても、もうキャスリーンお嬢様は眉一つ動かさない。ただ、心配そうに自分のドレスの裾を握るマリアベルお嬢様の手を取って、柔らかく微笑むだけ。
「お父様はあてにするだけ無駄だわ。あのひとはマリアベルを愛していると言いながら、何も見てはいないの。だからあの悪魔にあっさりと騙されるのよ」
皇国中央図書館へ向かう馬車の中で、キャスリーンお嬢様は言った。
「大丈夫よ、マリアベル。中央図書館には世界中の貴重な書物が集まっているの。きっとあなたの身体から、あの悪魔を追い出す方法も見つかるわ」
「は、はい! わたしも、がんばってさがしますっ」
「そうね、一緒に頑張りましょう」
馬車で隣り合って座り、ぎゅっと手を握り合って、お嬢様たちは微笑んだ。どこか不安を押し殺すような、無理をした笑みであったけれど、空元気でも元気に振る舞えるだけまだましなのだろう。
平民出身で、せいぜい簡単な文字が読める程度の学しかない私には、お嬢様たちの手助けをすることもできないのが悔しい。
「え? 付き添いもダメなんですか?」
「はい。申し訳ございませんが、お付きの方が入室するには、特別許可証の発行が必要になります」
……更に悔しいことに、私の身分では、皇国中央図書館の中には入れないということだった。
入館受付所で入室を断られて、私は戸惑った。おつきのメイドならば側に控えているくらいはできるのかと思っていたから、想定外だ。きっと旦那様も、私では中にまで一緒に入れないことを知らなかったのだろう。
だけど考えてみれば、この中央図書館には高位貴族や、時に皇族の方々も訪れることがあるのだ。下級貴族の中には、そういった方々とお近づきになることを狙って図書館通いをする人もいると聞いたことがある。余計面倒になるから、平民まで入れられないということなのだろうか。それとも、どうせろくに文字も読めないのだからって?
初めて行く場所に、まだ幼いお嬢様たちだけを行かせるのは心配だったけれど、平民が入るには、特別許可証を発行してもらわなくてはならない。許可証の発行には、成人した貴族の推薦状と発行料が必要になる。一日限定のものですら、金貨一枚だ。貴族ならば家門の印章を見せるだけで入れるっていうのに。
「仕方がないわ。次に来るときは、お父様かお母様に推薦状を用意していただけるようお願いしておきましょう。そうね……正午にはここに戻ってくるから、コニーは近くを散策してきても構わないわよ。時間になったらここで落ち合いましょう」
「はい、キャスリーン様。どうかお二人とも、くれぐれもお気をつけてくださいまし」
「ええ」
「はいっ」
仲良く手を繋いで中央入口から館内へと入っていくおふたりを、落ち着かない気持ちで見送ったあと、私はしばらくそこに立ち尽くしていた。
十二歳という年齢にしては、私の身長は高いほうだ。小さな頃から農作業の手伝いもしてきたから、結構力持ちだと思っている。文字の一つも読めない私でも、お嬢様たちのかわりに高いところの本をとったり、持ち運んだりくらいはできただろうに。結局なんにもお役にたてていない。
マリアベルお嬢様は、一生懸命笑顔で隠していらっしゃるけど、ここのところずっと顔色が悪い。話している間にも、時折黙り込んでしまう。眠くて仕方ないのだろうに、必死に我慢している……。そんな様子だ。
夜の間、あの悪魔がマリアベルお嬢様の身体で好き勝手しているから、睡眠が足りていないのだろう。……眠るのが、怖くなってしまっているのかもしれない。眠ってしまえば、また自分の知らないうちに、身体を乗っ取られてしまうから、と。
恐ろしいだろうに、キャスリーンお嬢様にこれ以上心配をかけまいと、マリアベルお嬢様はキャスリーンお嬢様の前ではいつも笑っている。そうしてそれは、キャスリーンお嬢様も同じなのだ。
「……よしっ」
ここでぼうっと突っ立っていても仕方がない。私は私にできることを探すんだ。
悪魔を追い出す方法は、そう簡単に見つかるとも思えない。正午にお嬢様たちは一度出てこられるだろうけど、そのあとはまたもう少し図書館で情報を探すか、神殿に行くことになるだろう。
一度神殿へ行って、神官様への面会の申し込みをしてこよう。それから、どこかで軽食を調達してくるのだ。皇国中央図書館の付属の庭は広くて、ピクニックにも人気の場所だから、ベンチに座ってバスケットを広げているひとも多く居る。昼はそうして、少しでも気を紛らわせてもらおう。




