序章 或る女の第二の人生
秋とかいいながら、すっかり冬になってしまいましたがまだ11月なので!
秋と言い張ります。
幕間の章はちょっと短く、趣向を変えてとある少女たちのお話です。
「――……、マリ……ア……」
誰かが呼ぶ声に、はっと目が覚めた。
だけど、見上げた天井はまったく見覚えのないもので、何が起こったのか解らず、混乱してしまう。前後の記憶が曖昧だわ。あたしってば、いつ寝たのかしら?
昨夜は何をしていたんだっけ。確か、とても大事なことを――……。
「マリアベル、やっと起きたのね」
知らない声に、思考はストップした。声のした方に視線をずらせば、ずいぶん大きな身体……デブ、は流石に言い過ぎね。こう、ふっくらしたおばあさんがいた。映画やドラマでよく見るような、田舎のふくよかなおばあちゃん、って感じの見た目。
「どうしたの? あなたがお寝坊なんて珍しいわね」
寝起きのぼんやりした頭では、おばあさんのことばがうまく聞き取れない。つくづく、洋画に出てきそうな、白人系の初老の女。あたしとは縁がない人種のはずなのに、なんなの、すごく心配そうな顔してのぞき込んでくる。ていうか、さっきからこの人が喋ってる言葉って、もしかして……。
「マリアベル? もしかして具合でも悪いのかしら?」
――ちょっと、どういうこと!?
今のはかろうじて聞き取れたわよ。妙な訛りがあるけど、英語! 英語だったわ!
「……頭が、いたくて」
「まぁ、大変。少し熱もあるわね。今日のおつとめはいいから、休んでいなさい。お医者様を呼んでくるわね」
「はい……」
たどたどしい発音になったけれど、やっぱり英語で通じた。言葉のつたなさが余計に体調不良を強調したようで、おばあさんは医者を呼びに出て行った。
その姿を見送ってから、薄い毛布をはねのけて起き上がる。ぐるっと見渡せば、小さな部屋にベッドが四台。内装は取り立てて飾りもなく質素そのもの。あたしが寝ていたベッドの他三台は空で、ベッドメイクまでされている。めちゃくちゃ寒いけど、暖房器具のひとつもなく、それどころか照明すらない。
あまりの寒さに身震いして、見下ろした身体の小ささに、じわじわと歓喜が押し寄せてきた。
両手を目の前にかざしてみる。
――白く小さな子どもの手。
手探りで髪を手前に持ってくる。
――スチルで見たような、ピンクブロンド……薄桃色の髪!
部屋に鏡がないからちゃんと確認できないけれど、あのばあさん、あたしのことマリアベルって呼んでたわよね? ってことは、つまり、これって――……、
「よっしゃぁぁ――っ!!」
ぐっと握った両の拳を天に突き上げ、それこそ子どものようにぴょんぴょん跳び上がって喜んだ。そのあとくらっと目眩がしたので、喜びを噛みしめながら粗末なベッドに潜り込む。そうしてそのまま本当に寝込んでしまう羽目になったけど、それもこれも、前世の記憶が目覚めて、脳が記憶を処理しきれなくなっての知恵熱だと思えば何も辛くなんてない。
寝込んでいる間に、すっかり縁遠くなっていたせいで落ちていた英語のヒアリング能力も、周りの言葉に聞き耳をたてることで補うことができたしね。
熱にうなされている間も、あたしは嬉しくて嬉しくて浮かれきっていた。当然だわ。長年の夢が叶って、本当に大好きな乙女ゲーム、皇国のレガリアの世界に転生することができたんだから。それも――ヒロインのマリアベルとして!
皇国のレガリアは、前世で何度もプレイしたお気に入りのゲームだ。特に気に入っていたのはやっぱり逆ハーレムルート。愛らしい容姿の、素直で明るく、心優しいヒロインが、襲い来る不幸に打ち勝ち、皇国でも指折りのスペックを持つ美男子たちに溺愛されるの。
どのルートも完クリしたし、スチルも全部集めたわ。苦しい環境にいたあたしにとって、ゲームの世界は心の支えだったから……。
そう、前世のあたしは本当に不幸だった。よくある転生ものとか、悪役令嬢ものだと、転生者は社畜で過労死してたとか、病弱でゲームばかりしてたとか見かけたけど、あたしの場合は大分違う。
なんたって、父親がカルト教団の教祖様、なんて……まったく普通じゃない仕事をしていたんだから!
そのせいで、子どもの頃からさんざん辛い思いをしてきたわ。物心つく頃にはもう、親のことで周りからいじめられてきたんだもの。幼稚園、小学校、中学校、高校でまで! いじめる以外の目的で、あたしに近づいてきた人なんて誰もいなかった。だからいつでもひとり。学校で、社会での人との関わりは、罵倒と暴力しか存在しないものだった。
短大は地元から離れたところで進学して、その後二年くらい憧れていた英国に留学していた間は、流石にカルトの教祖の娘とは知られずにすんだけど……。すっかり人間不信になってしまっていて、そう簡単に友達も恋人もできなかった。好きな人ができて、イイカンジになっても、親の……家業が知られてしまったら、そこで終わり。
普通の会社に就職しようとしても、どこから調べてくるのか、反社会的な組織に属している人間は雇えないだなんて言ってくる。
何よそれ。日本では信教の自由が認められてるんじゃなかったの? うちはヤクザなんかじゃないのよ!? ……まぁ、そもそもあたしには魔術の高い素養があったから、あの強欲なオヤジがあたしを手放してくれるわけもなかったんだけど。
外では凄惨ないじめや迫害にあって、家では親にとって役に立つ良い娘であることを求められる……。どこにいても、心安まるときなんてなかった。逃げ場になるのは、ゲームの世界だけだったくらい。乙女ゲームはプレイヤーが主人公だから、好きなだけ優しく愛されることができる。なんて素晴らしい世界なのかしら。
だからあたしはずっと、探していた。煩わしく、害しかないつまらない世界から抜け出して、あたしが幸せになれる世界へ渡る方法を。世界を渡る秘法を探り当てた時は、宝くじがみっつくらい一等を当たった気分だった。
そして――……ゲームのディレクター兼、シナリオライターの万年先生が、インタビューで語った言葉。「まるではじめからその世界が存在しているかのように、物語が頭の中におりてきた」というその言葉で、あたしは確信したの。
皇国のレガリアの世界は、きっと存在するって。
それなら絶対にこの世界に転生したい。肉体は置いてきていい。むしろ捨ててやるわ、あんな身体。あたしの理想の容姿であるマリアベルに生まれ変われるなら! ……ディアナになって悪役令嬢の逆転劇をやるのもアリだけど、あたしはクールビューティーより、愛されゆるふわ天使の方が憧れなのよね。前のあたしがどっちかっていうと、クール系だったんだもの。
準備にはとっても苦労したし、最後の最後で邪魔が入りそうになったけど、成功して本当に良かったわ。
正直、前世のことはあんまり思い出したくもないくらいだけど、こうして念願叶ったのも、あの頃親に言われるがままに才能を磨いたおかげだと思えば……。あの頃のあたしの苦労も報われるってものよね。
これからはもう、大丈夫。あたしはマリアベルとして転生したんだから、この先は薔薇色の人生が待っているわ。もう二度と苦しい思いや辛い思いなんてしなくていいのよ!
――なんて、思ってたんだけどねぇ。
誤算だったわ。
まさか、まさか……!
こっちの世界の、庶民の生活がこんなに辛いだなんて!!
前世の記憶を取り戻して一週間。どうしたことか、マリアベルのこれまでの記憶はさっぱり思い出せない。もしかして、前世を思い出す前のことは覚えてないパターン? 本物のマリアベルが高熱だかなんだかで死んじゃって、あいた身体にあたしが憑依しちゃったのかな。じゃあしかたないよね。てことで、あたしは熱が下がったところで、記憶喪失を装うことにした。
ゲームの設定資料集の裏話に書いてあったとおり、マリアベルは皇都の大神殿付属の孤児院に板から、人の良い院長――最初にあったあのおばあさんはあっさり信じたわ。これで、ランドン男爵の養女になるまでの衣食住は安心……と思ってたのに、とんでもない!
食事はまずいし、貧相だし、服だってごわっごわのつぎはぎだらけ! 暖房は食堂や団らん室の暖炉だけで、寝る部屋にはついてないから薄い毛布に包まって毎晩寒さに震えてる。お風呂だって滅多に入れなくって、お湯で濡らした布で拭くくらいしかできない。洗髪に至っては、週に一回あればいいほうよ!? ありえないわ! トイレなんかは――ああ、言いたくもないっ!!
しかもあたしはまだ六歳の子どもだっていうのに、熱が下がったとたん、こき使われるようになってしまった。子どもは遊ぶのが仕事じゃないの? 何よ、おつとめって。孤児院の掃除くらいならまあ、わからなくもないけど、なんだって神殿の掃除やら庭掃除やらやらなきゃいけないのよ。こんな小さな子どもを働かせるなんて、児童虐待もいいところだわ。
ふくふくとした小さなこどもの手が、せっかくのシミ一つない白い手が、このままじゃあかぎれだらけになっちゃう。
マリアベルってば、ヒロインなのにこんな悲惨な目にあってたの? 知らないわよ、こんなの、設定資料集にもどこにも書いてなかったじゃない。
「無理……。無理よ、こんな生活。娯楽もない、衛生環境も酷い。まともな食事もない。こんなの、文明人には耐えられないわ」
洗濯機やガスコンロなんてないから炊事洗濯は全部手仕事。竈に火を入れるのも一苦労よ。魔法とファンタジーの世界なんだから、魔法でちょちょいとやればいいのに、庶民は魔法が使えないから、それもできない。便利な魔法道具なんてものも、まったく普及してないし。
そういえば、魔力がなくても使える魔法道具は、魔導鉱石が発見される八年後にならないと出回らないのよね……。エヴァローズ子爵に早めに会えれば、なんとかなるかしら? でもそうすると、原作開始前にエドガーに会っちゃうことになるかもしれないし。できるだけ攻略はゲーム通りにすすめたいのよね。だって、大好きなゲームのシナリオを自分で体験してみたいじゃない。
……うん、それじゃあやっぱり、これしかないわ。
あたしはマリアベルとして目覚めてからずっと、首から提げていた紐を服の下からひっぱりだした。小さな布の巾着袋が先にくくりつけられている。その中には、ランドン男爵家の家紋がベゼルに彫り込まれた、ピンクサファイアの指輪が入っていた。これもゲームの設定どおりだ。
確か、マリアベルが十三歳の時、大神殿の前庭を掃除していたら、参拝にきたランドン男爵と遭遇するのよね。愛しいかつての恋人にそっくりなマリアベルを見て、もしやと思った男爵に母のことを尋ねられて、形見の指輪を見せたことから、実の娘だと判明するってわけ。 ゲームではそこまで詳しく描写はされてなかったけど、ここはアニメの第一話で描かれてたから間違いないわ。
だけど、それってまだだいぶ先のことじゃないの。そんなに長く待ってらんないわよ。どうにかして、今世のパパとさっさと出会って、あたしを貴族令嬢にして貰わなきゃ! 孤児院なんかにいるより、貴族令嬢の生活の方が圧倒的に楽に決まってるんだから。
その為には……。さて、どうしようかしら。パパを探す? ううん、向こうに連絡するようにしたらいいのよ。なんたって、この指輪にはランドン男爵家の家紋が刻まれてるんだから。この指輪を見たことがあるのはマリアベルとその母親だけ。マリアベルってば、母親の形見だからって、巾着袋にしまい込んで大事に持ってたもんだから、ちゃんとひとに見せたこともなかったはずよ。
貴族に詳しいひとに、家紋を見せて、父親の手がかりのはずなんです! とか言えばきっと探してくれるわ。高位の神官なら、きっと貴族ともよく交流するはず。そうだ、たまに孤児院のほうにも様子を見に来るおじいちゃん、院長が大神官様とか言ってたし、きっと偉い人だわ!
うっふっふ。これであたしも、貴族のお嬢様ね!
マリアベルは貴族社会のことろくに勉強もできないウチに魔法学園に入学しちゃったから、学園ではマナーがなってないとかばかにされたりもしてたけど、今から勉強したらそこはフォローできるわよね。やだ、ますますイージーモードになっちゃう♪
まぁ――元々マリアベルは魔力も強くて、ゲームの終盤には聖属性魔法にまで目覚めて聖女になっちゃうキャラで、その身体に魔術の素養が高いあたしが入ってるんだから、楽勝に決まってるんだけどね!
攻略対象者たちにはまだまだ会えないけど、それまでは貴族令嬢としての贅沢をたのしんじゃおっと。
確か、父親の愛情を一身に受けるマリアベルを疎ましく思う腹違いの姉がいたはずだけど――うふ。ちょうどいいわ。暇つぶしに、その子と遊んでいようかな!