16 幕間 二〇××年四月某日、朝。
まだ早朝と言ってもいいような時間に、ばたばたと慌てた足音を立てて、病院の廊下を走る少女。その姿を見とがめた看護師が注意をしても、真っ青な顔色で走る少女はまるで聞いていないようだった。
それも無理はないだろう。なんせ彼女の頭の中は、たったひとりの兄のことでいっぱいであるはずだから。
「ま、増田さん……」
「オゥ、二葉ちゃん。久しぶりだな」
病室の前で待機していたオレを見つけて、二葉ちゃんはぐっと鼻の頭に皺を寄せた。泣くのを堪えようとしているのは解るが、せっかくの兄に似ず可愛い顔が台無しだ。しかし、少しでも冷静に話を聞こうとする姿勢は評価に値する。
「お兄ちゃんは……。倒れたって、何があったんですか?」
「……あぁ、それがどうにも、よく解らん。とりあえず、中に入るか」
病室の扉を開け、先に中に入る。真っ白な病室には、ベッドが二床。奥の方はカーテンが引かれていて見えないが、手前の方は半分カーテンが開いていた。二葉ちゃんは個室でないことに気付いて少し躊躇いを見せたが、手前のベッドに横になる兄、佐藤一馬の姿を見つけてすぐにそちらへと足を向けた。枕元に立って、血色のいい寝顔にほっと息を吐く。
「お兄ちゃん……」
「結論から言うと、どうも、意識がないだけのようでな。外傷はほぼないんだわ、コレが」
「寝てるだけってことですか?」
「だったらいいんだが、ゆすっても叩いてもまったく起きやしない。完全な昏睡状態だ」
「そんな、どうして……」
どうして、というのは、オレも是非知りたいことだ。
昨夜……ずっと追っていたカルト教団の強制捜査に乗り込んだオレたちは、教団の祭壇で不審な血痕や違法薬物を発見し、教祖も幹部も、信者も皆拘束した。屋根裏までくまなく調べ尽くしたと思ったところで、現場指揮をとっていた大神警視と佐藤が地下室を発見したのだ。
オレが地下に追いついたときには、大神警視も佐藤も地下室に飛び込んでいた。そこで、頭のおかしい女のおかしな叫びが聞こえたかと思ったら、目も眩むような光が炸裂して――……それが収まったかと思ったら、円形の地下室で、大神警視と佐藤、そうしてイカレタ女が倒れていたのだ。
女、百目木真莉愛は、その部屋にあった七名の女子どもの遺体と関連があると判断されているが、本人は現在意識不明の重篤な状態だ。手術は先ほど終わったようだが、肺機能をひどく損傷しており、一命は取り留めたものの、まだ予断は許さない。あの女の生存を願っていることに関しては、ポジティブな意味ではない。生きていて欲しいというよりも、生きていてくれないと困る。でなければ、裁判にかけられない。そう簡単に死に逃げられるわけには行かないのだ。あの七名と、そうして仲間たちの身に何が起こったのか……知っているのはあの女だけなのだから。
大神警視と佐藤は、あの時からまったく目を醒まさない。上はなんらかの薬物の影響を受けたのではないかと疑っているが、オレにはそうは思えなかった。間髪置かずにオレ達があの部屋に飛び込んだとき、部屋の中にそんな名残はまったくなかったからだ。ふたりに、注射を打たれたような痕跡はないし、あの短時間に何らかの薬物を経口摂取させられたとは考えにくい。ありうるのは気化した薬品を吸い込んだといったものだが、それならオレ達になんの影響もないのはおかしいだろう。
――異世界転生して逆ハー作ってやるわぁ!!
脳裏によぎるのは、そんな頭のおかしな台詞と、あの不気味な赤い光。そうして床の上に刻まれた魔方陣に、祭壇。贄のように等間隔に並べられていた七人の遺体。
これらから、なんらかの儀式を行っていたのではないかと推測してはいるのだが……自分で自分の胸を刺した百目木はともかく、警視と佐藤まで昏睡状態に陥っているのはどういうわけだ。
まったくわけがわからない状況に、総指揮官も首を捻っており、現場にいたオレたちも困惑するしかない。こういうとき、大神警視なら何かしら打開策を打ってくれるだろうに、肝心のそのひとが昏睡しているのだからどうしようもなかった。
ひとまず関係者を拘束し、鑑識に現場を検分させてから遺体や現場にあったものを運び出したが……。時間がたてば、そのうち二人は目を覚ますだろうか? なんとなく、事はそう単純にはいかないように思えて仕方ない。ただのカンだが……何か。何か奇妙な違和感がずっとまとわりついて離れなかった。
心配そうにじっと佐藤を見つめていた二葉ちゃんが、深く深呼吸をする音で、思考に沈んでいた意識が引き戻される。強く握りしめられた少女の拳に、あんなに握りこんでは痛そうだな、と気の毒に思う。
「……増田さん、お兄ちゃん、何の仕事してるんですか?」
「んー、警察?」
「増田さん」
「交番勤務ではないな。今回は大がかりな強制立ち入り捜査があってね。詳細は言えねぇんだ。ごめんな」
「……いいですよ。なんとなくわかりましたから」
むす、とした顔で、拗ねたように言う二葉ちゃんは、なかなか聡いところがある。すまん、佐藤。多分公安所属なのバレてるわ、これ。まあ、もうそろそろニュースでカルト教団強制捜査の一報が流れる頃だし、それを見られたら隠しようもないけど。
「倒れたのは、お兄ちゃんだけですか?」
「……いや、一緒にいた上司も同じ状態だ」
「それって……大神さん?」
「ああ。知ってるのか?」
「一回だけ会ったことがあって……」
まだ暗い表情で、二葉ちゃんはカーテンで区切られた、もう一床のベッドの方を見た。関係者をひとまとめにしていると思っているのだろう。その通りである。
「あの、大神さんのご家族はまだいらしてないんですよね?」
「あー……。警視のとこは、気にしなくていいよ。奥さんは来れないから」
「え……?」
「奥さんも入院中なんだわ」
「す、すみませんっ」
「いやいや~。多分他にはオレとか、同僚とかくらいしか来ないと思うから、気にせずついててやってよ」
余計な詮索をしてしまったと慌てて頭を下げる二葉ちゃんを宥めて、オレはそろそろ警視庁に戻るからと先に退室した。
警視庁に戻るとは言ったが、その前に寄るところがある。ひとつ下のフロアの、病棟の奥まった場所にある個室だ。一応入る前にノックはするが、返事はない。当然だ。この病室の主は、もうずっと眠ったまま、一度も目を覚ましていないのだから。
「失礼しまーす」
一応、一声かけて室内に入る。
オレがこの病室に来るのは、おおよそ半年ぶりくらいだ。前に来たときは、大神警視と一緒だったっけ。
日当たりのいい個室のカーテンは開けられている。ベッドに横たわるのは、まだ若い綺麗な女性で、枕元の点滴がなければ、ただ寝ているだけのように見えたかもしれない。
「ご無沙汰してます、籐子さん」
声をかけても、返事はない。そりゃそうだ。籐子さんはもう二年以上、こうして眠り続けたまま。
彼女の意識と、産まれたばかりの娘を奪ったあの事故から、ずっと。
「……すんません、もしかしたら、大神警視、しばらく来れないかもしれねぇから。でも、きっとすぐ起きて会いにくると思うんで、ちっと待っててくださいね」
事故の時の怪我は、傷跡は多少残ったけれど、全て癒えたはずなのに。籐子さんは、一度として目を覚ますことはない。そんな彼女の目覚めをずっと待っていたひとが、同じような昏睡状態に陥ってしまうなんて、あんまりじゃないか。
一見穏やかな寝顔のように見える籐子さんの顔を見ていたら、ひどく泣きたくなった。
籐子さんは、若くして科捜研に所属していた。ちょっと猫を思わせる、ツンとした雰囲気の美人で優秀な研究員。大神警視とは同じ児童養護施設にいたそうで、二人は幼馴染みだ。籐子さんが大学を卒業すると同時に入籍したそうで、つまり、科捜研に入ったころには人妻だったわけで。それを知って悲しみにくれた男はかなりの数だった。かくいう、オレもそのひとりだ。
大神警視は自分もハイスペックなのに、嫁さんまでハイスペックな美人だなんてずるい、と思って恨んでいられたのもほんの一時だけ。今じゃとても、羨ましいなんて思えない。そのくらい、警視の人生はハードモードだ。
そもそも、幼少期に両親亡くして児童養護施設で育ったという、スタートからハード。持ち前のスペックの高さと本人の努力で国内最高学府を出て、警視庁のキャリア組に入って、美人の嫁さんとの間に娘を授かって。これから絵に描いたような幸せな家庭を築くのだろう、と誰もが思っていたのに。まさかその嫁さんと、産まれたばかりの娘が乗ったタクシーが、玉突き事故に巻き込まれて娘は死亡、嫁さんは昏睡状態でそのまま数年……なんてことになると誰が思うか。
神様というものがいるのなら、どこまでも理不尽で意地が悪い。
そもそもその事故だって……。いや、だめだ。忘れろ。今それは何の関係もないことだ。
「……じゃあ、また来ます」
深く深呼吸をして、意識のない相手に会釈して病室を出る。
上司や同僚が戦線離脱を余儀なくされた今、オレの仕事は何倍にも増えているのだ。拘束した連中の事情聴取、押収した証拠品の確認、報告書の作成、その他諸々。犯罪者を逮捕したらはい、おしまい、めでたしめでたし、なんてなるわけがない。むしろ逮捕した後が本番だ。
確実に証拠を集め、検察に起訴できるようにしなければ、ここまでに払った犠牲は全て無駄になる。
今後の段取りを頭の中で並べ立てながら、警察病院を出て駐車場へ。自分の車に乗り込んで、警視庁へ。
道中、信号待ちの間、ビルに提げられたあるアニメの公告が目についた。どこかで見覚えのある、そのタイトル。
――皇国のレガリア
どこかで、見た。
どこだった? 確か、最近。
不気味な赤い光。魔方陣。生贄。倒れた上司と同僚。血を流して、満足そうに笑っていた女。祭壇の上には水晶、ろうそく、髑髏、生肉、果物、それから――……。
「あっ!」
ひとつだけ、そこにあるにはどう考えても不似合いな、ゲームのパッケージ。
あの女の、奇妙な言葉。
何かが繋がったような気がして、逸る気持ちを抑えて警視庁に戻った。鑑識が押収した品の中から、あのゲームを預かり、何事だと騒ぐ同僚達を放置して対応しているゲーム機を持っていた奴から借りて、会議室のモニターにつなぎ起動する。
もしかすると、このゲームに何かしらの情報が隠されているのではないか――……。
そう、思ってのことだったのだけれど。
「――――……。……はぁぁ!?」
そこにあったのは、オレの想像を遙かに超えた、奇妙奇天烈な現実だった。
これにて第三章は終幕となります。まさかここまでくるのにこんなに長くなるとは……。
次回、第四章については、すみません、これから本業が繁忙期に入りますため、早くて秋頃の再開になるかと思います。
現在むかーし書いた小説をリメイクしているので、そちらが整ったら先に更新するかもしれません。
続きはちょっと間が空いてしまいそうですが、また書き溜め終わったら戻ってきますので、お付き合いくださると幸いです。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!